25【玉竜旗剣道大会開催】~小笠原浬~
玉竜旗大会開催。初戦のお話。
浬視点でお送りします。
翌朝――。浬たち、市立船戸剣道部は、織田の運転するマイクロバスで福岡総合体育館に向かった。初めて選手用の胴着と袴を着用し、バスに揺られながら浬は興奮し、胸を高鳴らせている。なにしろ、初めてのレギュラーなのだ。補欠ではあるが、場合によっては選手用の防具と面タオルを付けて、誰かの代わりに試合に出ることになる。それを想像すれば、さらに興奮は高まっていった。
一方、浬の隣に座っている航は表情が硬い。口数も、朝起きたときから極端に少なかった。彼は今日の試合、初戦からレギュラーの先鋒に選ばれているから無理もないだろう。六月に行われたインターハイ予選大会でも、航は選抜メンバーの七人の中に入っていたが、初戦から出場するのは今回が初めてなのだ。
「航……」
「ん……?」
「大丈夫? 緊張してるみたいだから」
「ん、ちょっとだけ」
ちょっとだけ。それが彼にとって精一杯の強がりだったのだろう。浬はそれを察して「そうだよね」と当たりさわりない返事をしてから、窓の外に目をやった。
航は今回、先輩であり、副部長でもある斎藤を退けて先鋒に選ばれている。斎藤はレギュラーを外されたことで非常に落ち込んでいるようだった。それもあって、航は必要以上にレギュラーの重圧を感じているのかもしれない。
本日は、玉竜旗大会のちょうど三日目に当たる。この大会では、一日目に女子開会式と二回戦までが行われ、二日目に女子の三回戦から決勝、その後、女子の閉会式までが行われていた。男子の部が始まるのは三日目からだ。男子の開会式から二回戦までが三日目の今日に行われ、それ以降の試合は四日目、五日目に分けて行われる。インターハイ予選大会とは全く異なる長い日程だが、どうもそうせざるを得ないほど、参加校が多いということらしい。
織田が高校生だった頃、参加校は今よりももっと少なかったのだそうだ。ちょうど今年の半分くらいだったかもしれない――と、彼は運転席で話していた。
ホテルから会場まではほんの十数分ほどで到着した。駐車場に入ると、そこにはすでに多くのバスが停まっているのが見える。どれも高校名が入ったバスばかり。マイクロバスが多いが、中には剣道部の専用らしい大型バスもある。浬はその光景を見て顔を引きつらせた。
「うわぁ、すっごい……。あんな大きいバスに剣道部って書いてある……。何人乗ってんだろ……」
「あぁ、阿蘇南か。去年、全国行ってるとこじゃなかったっけ……。そうですよね、羽柴先輩?」
航が前の席に座る羽柴に声をかける。確かに、バスには『熊本県立阿蘇南高校剣道部』と大きく書かれている。羽柴は締めていたカーテンを開けてから、窓の向こうを見つめて答えた。
「あぁ、そうそう。阿蘇南は去年、全国優勝してるとこだよ。毎年強いけど、特に去年はめちゃくちゃ強かったんだ。兜山はあそこに負けたんじゃなかったっけなぁ」
「阿蘇南は全日本選手も多く出てるし、ちょっと別格だよな」
羽柴が言うと、それに斎藤も同調した。千葉県内では圧倒的強さを誇る兜山高校も、インターハイでは彼らに負けてしまい、トップを取れなかった。上には上がいる、ということだ。
「へぇ、そうなんだ……。阿蘇南……」
ただし、阿蘇南高校という存在が脅威だとしても、浬は彼らに恐怖感は抱かなかった。むしろ、早く彼らがどんな剣道をするのかを見てみたいと思った。インターハイを制する彼らの剣道。それを知り、理解ができれば、浬たちにもその土俵を踏める日はきっと来る。そう思ったのだ。
阿蘇南高校剣道部の大型バスから、坊主頭の生徒がぞろぞろ降りてくる。それを見て、浬は思わず自分の髪を触った。強豪と云われる高校は、なぜか部員が揃って坊主頭にしているのをよく見かける。阿蘇南高校も同様だった。
みんな頭ツルツルだ……。やっぱり坊主にすると強くなれるもんなのかな……。
ふと隣を見ると、航と目が合った。航は浬と目が合うとほんの少し頬を緩めて訊ねる。
「どうした?」
「あのさ、坊主にしたら、剣道って強くなるのかな」
「……坊主? なんで突然――あぁ、阿蘇南がみんな坊主だから?」
「うん。ほかの学校も、坊主多いじゃん。坊主にして強くなれるんだったらしてみたいけど、でも、おれには似合わないと思わない? 頭の形も自信ないしさ……どう思う?」
「頭の、形……? ……ぶっ!」
途端に航が噴き出して笑う。ほぼ同時に、後ろの座席で大地と楓が、前の席では、羽柴と斎藤がげらげら笑い始めた。浬は眉をしかめて口を尖らせる。自分は今、そんなにおかしいことを言っただろうか。
「……なんで笑うの?」
「いや……。なんだろ……、めちゃくちゃ緊張してたとこに、急にふわふわした質問されたから、笑えてきちゃって……」
「ふわふわ?」
「うん。浬が坊主になったとこ想像しちゃったよ。ほんと、面白いな。浬は」
航は笑いながら浬の頭をくしゃくしゃと撫でる。浬はわけもわからないまま、照れくさくなって彼の手を振り払ったが、不意に大地と楓が立ち上がり、浬たちの席に身を乗り出して言った。
「やっぱ、カイちゃんって天然だよねぇ。この状況で、あんな強そうな奴ら見ても考えることがナナメいってるもん」
「たしかに……! でも浬って昔っからそういうとこあるよ」
面白いとか、天然と言われても、どの辺りがそんなに面白かったのか、天然っぽいのか、浬にはよくわからない。ただ、それまでこわばっていた航の表情が一変して柔らかくなったので、浬は釣られて笑みを零しながら安堵していた。ちなみに、彼らが坊主頭にしている理由は、羽柴が教えてくれた。
「浬。みんな揃って坊主頭にしているのを見ればさ、それだけで、日頃から剣道に打ち込んでる姿を相手に連想させるだろ。当然、それなりに強いんだろうってさ。だから、相手を怯ませるために揃って頭丸めてるっていうのはあるんじゃないかな。強くなるってよりも、そう見せるためにって感じでさ。あとは……、こっちはそれだけ覚悟決めてるんだぞっていう意思表示とか」
「そっかぁ、なるほど……」
「もちろん、髪の手入れをする手間が省けるっていう、単純な理由もあるだろうけどね」
羽柴と話しているうちにバスが停まった。浬は先に、市鷹たちが降りるのを待ってから、航のあとに続いてバスを降りる。途端に照りつける強い日差しに片目を瞑った。セミの鳴き声が聞こえ、太陽の熱を受けて、アスファルトが灼けるような匂いがする。まだ八時前だというのに、今さらながら、九州の夏は暑い。
「選手はすぐ会場入ってアップ」
「はい!」
織田の指示で、浬は航や市鷹とともに防具袋と竹刀袋、それに荷物を背負って会場の入り口へ向かった。そこはすでに大勢の人でごった返している。大半は胴着を着た高校生だ。本日は男子の部が開催されるので、ほとんどの胴着は紺色。そのせいだろうか、余計に暑く、空気が薄くなっているように感じる。体育館の入り口付近はざわざわと騒がしく、ただでさえ暑いというのに、その近くに寄るだけでむわっとした熱気を感じた。
「あぁっちぃ……」
思わず、口に出る。会場へ入るのにただ並んで待っているだけでも暑くてたまらない。額には汗が滲み、それは玉になってこめかみの辺りからつつつ……と伝って流れていく。
「あとで、佐伯と斎藤がドリンク用意してきてくれるはずだけど、みんな熱中症にならないようにしっかり自己管理しろよ」
「はい!」
市鷹が声をかけて、そこにいる全員が返事をした。浬たちは人波に揉まれながら、やっと靴を脱ぎ、会場へ入る。室内は意外にも空調がついていて、涼しかった。
ふと見れば、さほど離れていない距離に、扉が半分開けられているアリーナの入り口が見えている。浬は思わずそこへ駆け寄って、中を覗いた。
会場内は騒がしかった。眩しい白い光の下、会場の線が引かれた綺麗なアリーナが見える。各試合場の前にはそれぞれ白いクロスのかかった長テーブルがいくつも置かれ、運営に当たっている教諭らしい男性や生徒が何十名といて、慌ただしく動いていた。
アリーナの上座にあたる観客席のちょうど真上には『令和二年度 玉竜旗争奪高校剣道大会』と書かれた旗が掲げられているのが見える。観客席には各高校の生徒たちが場所取りを始めていて、その中には保護者らしき姿も見受けられた。
これが、玉竜旗大会の会場。これが、開会される当日の雰囲気。今まさに、全国から集まった強豪校同士の戦いが始まろうとしている。その空気を、浬は肌で感じていた。
すごい……。鳥肌立ってきた……!
気が付くと、航も浬の隣へやって来て、一緒になってアリーナを覗き、呆気に取られている。その表情はまるで初めて東京に出てきた田舎出身の人間が、高層ビルでも見上げているかのようだ。浬は自分もまた同じ顔をしているのだと気付き、くす、と笑みを零す。
「浬、航! 行くぞ!」
「あっ、はい!」
不意に市鷹の声が飛んできて、浬は航と揃って駆け出した。そのまま二階へ上がると、ウォーミングアップ専用会場から選手の気合いの声や、竹刀同士がぶつかって弾かれるような乾いた音、ドンッ、ドン、と床を踏み鳴らす音が聞こえてくる。そこではすでに、何校かがウォーミングアップを始めていた。大地と佐伯が選抜メンバーの貴重品を管理してくれることになり、浬はすぐに防具を付けてウォーミングアップの準備をする。
「場所がかなり狭いから、ペア組んで切り返しから。三年は三人で組むから、羽柴は雑賀と。航は浬と組んで。いいか、声かけはしないからな、各ペアで時間来るまでアップに取り組んで」
「はい!」
参加校の数が圧倒的に多いこの大会では、二列になって通常通りのウォーミングアップをすることすら難しかった。浬は航と二人組になって、切り返し、技稽古をしたあと、地稽古を始める。地稽古は実践型の稽古だ。試合前に体を慣らし、温めるのには最適だった。
「メンりゃぁああああッ!」
航の動きは悪くない。むしろ、普段よりも足がよく動いている気がした。やはり今日も彼の調子はいいようだ。
おれも負けてらんないな……。
ウォーミングアップを始めて、二十分ほど経った頃だろうか。開会式を知らせるアナウンスが施設内に放送され、地稽古途中だった浬の耳にも、それが聞こえてきた。間もなく市鷹の指示があって、短いウォーミングアップが終わる。いよいよ開会式が始まるのだ。浬は面を取り、市鷹たちとともに会場入り口へと向かう。そこでは他校の選手たちが列を成して集まっていた。
スタッフから案内を受けて、市鷹、将鷹、毛利に続いて羽柴と雑賀が続いて並ぶ。その後ろに航が、浬は最後尾に並んだ。会場からはブラスバンドの音楽が鳴っている。初めての玉竜旗大会の規模の大きさを、浬は感じている。インターハイ予選大会でも、ここまで開会式は豪華ではなかった。それは航も感じていたようだ。航は一度だけ浬に振り返って「すごいんだな、玉竜旗って」と感心していた。
開会式が終わると、すぐに織田がやって来て、ミーティングに入った。
「第四試合場のニ回戦目。相手は佐賀の日野原高校だ。あんまり時間ないからな、毛利、航。早めに面つけとけ」
「はい!」
浬たちは第四試合場に向かう。航と毛利は副将の試合が始まるとすぐに面をつけ始めた。そうして大将まで試合が進んだ頃、市鷹はふたりを呼び、織田を含めた八人は円陣を組んだ。
「初戦だ。いいか。相手は九州勢だとか、強豪だとかそういうことを考えるのは一切やめろ。まず、目の前にいる相手からどうやって一本を取るか。それを常に考えて試合するぞ。一試合、一試合、見せ場を作ってしっかり戦え」
「はい!」
「それから、玉竜旗は勝ち抜き戦だ。余裕があればガンガン勝ち進んでけ」
「はい!」
自然と気合いが入る。浬は補欠なので、もちろん、試合には出ない。しかし、やはりアリーナにいると、観客席で応援しているときよりも、はるかにチームとして一つになる感覚を得ることができた。
浬の胸は、ほどよい緊張感で高鳴っていた。ふと航へ目をやると、彼はすでに集中力を高めているのか、その場で跳ねたり、アキレス腱を伸ばしながら、他校の試合を見つめている。彼も、そして毛利も、チーム全体もいい感じだ。ところが、ビーッと高い機械音が鳴って前の試合が終わり、主審によって整列の声がかかった、その時だった――。
「おおっ、浬! 行けぇっ! ファイトーッ!」
頭上から聞き覚えのある声が降ってくる。浬がふと、周囲を見渡すと、観客席にこれまた見覚えのある顔が二つ、浬の目に映った。
「浬ーーッ!」
「ちょ、ちょっとお父さん……!」
は――……?
浬は目を瞠る。第四試合場のすぐ後ろの観客席に座っているのは、父親の志郎と、母親の洋子ではないか。
「うそ……、父さんに……母さん!」
浬の思考は完全に停止してしまった。なぜ、どうして、志郎と洋子がこの場所に、九州にいるのだろう。唖然としていると、そばにいた雑賀が浬の異変に気付き、その視線の先を追って頭を下げた。浬は思わず持っていたスコア表を落とす。なぜ、彼らがこんな所にいるのだろう。ここは九州、福岡だ。
「な……、なんで……」
「おい、浬! 早く」
「はい……!」
雑賀に呼ばれて、慌てて落としたスコア表を拾い、そばへ駆け寄る。目の前では航たちがすでに整列し、礼を済ませていた。もう間もなく、初戦が始まるのだ。補欠とはいえ、浬もまた、ここにいる以上は試合に集中しなければいけない。ただ漠然と応援するのではなく、頭で考えながら、自分の出番が来ることを前提に、イメージトレーニングも兼ねて五人をサポートしなければならない。それなのに、浬はこれまでにないほど動揺していた。
「ぼーっとすんなよ」
「はい……。あの、でも……、と、父さんと――じゃなくて、両親が来てて……」
「あぁ、みたいだな。わざわざ九州まで来てくれたなんて、さすがは小笠原家だ。浬、よかったな」
「はぁ……」
雑賀はきっと自分の両親が応援に来てくれたら、間違いなく嬉しいと感じるのだろう。だが、浬は違う。浬はできれば――というより、絶対に彼らに、特に父親の志郎にはこの場所へ来てほしくなかった。
振り返ると、おそらく志郎が持参したのであろう剣友会の応援幕が、市立船戸高校の応援幕の隣に堂々と張られている。全く図々しいことだ。扇子を仰ぎながら、満足げに見下ろす彼を、浬はキッと睨みつけた。
なんでこんなとこまで来るんだよ……。母さんだって一緒に来て……、父さんのこと止めてくれるんじゃなかったの……。
「はじめ!」
だが、ここで悶々としてはいられない。浬はひとまず、気持ちを切り替えて、始まった航の試合に目を向け、拍手を送った。相手は佐賀県立日野原高校。垂れネームには『三上』とある。
「三上ってあいつ、まだ一年だ。勝算あるぞ」
隣で、雑賀がパンフレットを見て言う。航は立ち上がり、気合いの声も上げず、すぐにスッと攻めた。日野原高校の先鋒、三上もまた、ほぼ同時に攻め入る。ふたりの距離は、竹刀がかろうじて竹刀が触れ合う距離である、一足一刀の間に入る。――と、次の瞬間、ふたりは同時に飛んだ。
「面――ッ」
「メンりゃぁぁあああッ!」
思わず息を吞んだ。相面だ。市立船戸高校側と、日野原高校側の両方から「おおっ!」と歓声が上がり、拍手が鳴る。浬は航の一本を確信して口角を上げ、ぐっと拳を握った。飛び込んだのはふたり同時だったかもしれない。けれど、相面になれば、背丈があり、且つ、真っすぐ相手を貫くような面を得意とする航の方が、圧倒的に有利だ。浬の目には、明らかに航が先に打ったように見えた。
バグッと鈍い音がした。航は残心を取っている。一斉に赤い旗が上がった。
「面あり!」
「よし……! やった!」
「いいぞ、航!」
「二本目だ、落ち着いていけよ……」
拍手をしながら、雑賀と織田がひとりごとのように呟いた。浬も彼らに賛同するように頷く。そうだ。二本目のあと、同じように飛び込んでは危うい。次はそれに対処され、打たれる可能性がある。航の武器が面だということは、今の相面で三上にはもうわかってしまっているだろうから、同じ武器は通用しない。
また、一本先取したのだから、慌てて出ていく必要もない。だが、あまりに保守的になってしまうと、それはそれで審判から注意を受ける。それが難しいところだ。
「二本目!」
審判の声で二本目が始まった。航はやはり気合いの声は上げなかった。静かに攻め、一足一刀の間で相手の剣先をパンッと払う。だが、三上も剣先を外すまいとして、懸命に航の竹刀を押さえ、払っている。試合開始直後、一本を取られたせいでさすがに警戒しているのか、三上はすぐには打ち込んでこない。
「小手ぇ……! 小手だぁ!」
「おおっ!」
歓声とともに拍手が鳴る。航が小手を打ち、そのまま[[rb:鍔迫 > つばぜ]]り合いになった。次の瞬間、三上が素早く振りかぶる――。航は咄嗟に体を反って相手から離れた。
「面――!」
三上が打ったのは引き面だ。だが、打ち落とされるより早く、航は相手と距離を取っていた。再び遠間から仕切り直しになったふたりは、ここで初めて気合いの声を出し合った。
「うらぁぁあああッ!」
「せりゃぁあああッ!」
航が叫び、三上もそれに負けじと声を上げる。互いに少しずつ攻め合い、間合いが近くなっていた。航はどんな作戦を練っているのだろう。浬は頭を巡らせて、考えてみる。
三上は面を警戒しているはずだ。狙っているとすれば出鼻を狙った出小手だろうか。だが、彼だってバカではないだろう。さっきと同じような面が同じように飛んでくることを想定しているとは考えづらい。三上は取り返す気は満々のようだが、一方では警戒心も強いようで、なかなか打ってくる様子がなかった。まだ様子を窺っているのだろうか。
航が攻める。三上が引く。さらに、航が攻める。これは明らかに、航が有利になっているような間合いだ。このまま、試合上の[[rb:隅 > すみ]]に追いやり、面を打ち込んでそのまま体当たりをすれば、三上は場外反則をもらうだろう。おそらく、そこにいるのが航でなくても、誰しもがそうして相手にとって不利な状態を作りたくなるはずだった。だが、浬はふと三上の体勢を見て思った。違う――。彼はまさにそうして、航が飛び込んでくるのを待っているのかもしれない。
航、誘われてる! 飛び込んじゃダメだ……!
スッと航が攻めて、やや近間になる。次の瞬間、航と三上の息が自然と合って、互いに飛び込んだ。おそらく、三上が狙っているのは出小手だ。あるいは抜き胴か。しかし――。
「……テッ、メンりゃぁあッ!」
「小手ぇーーーッ!」
小手を打ち込んだのは、やはり三上だった。それに対して、航が打ったのは小手面。これは相小手面という技になる。つまり小手面を打った、航の一本だった。
「面あり!」
「よーし、よし! いいぞ!」
主審、副審が揃って迷わず、赤い旗を上げる。それを見て、織田が満足げに頷いて言った。浬はホッとして航を見つめる。凛とした眼差しが、面金の間から見えていた。彼は自分が誘われていることに気付いていたのだろう。いや、そうでなくても三上がなにを狙っているのかを予想していて、しかもそれは合っていたのだ。彼は試合直前、普段よりも緊張していたように見えたが、さすがだ。落ち着いていて、相手をよく見ている。
「しょっぱな二本勝ちか。航の奴、やるなぁ」
「はい」
雑賀が感心したように言った。初戦で、しかも、彼はまだ一年生だというのに、この落ち着き様はたいしたものだ。彼のそういうところには浬も惚れ惚れさせられた。
さて、試合直前に織田が話していたように、玉竜旗大会は勝ち抜き戦になる。通常なら、次は次鋒同士の戦いになるわけだが、この大会の場合、勝ち抜いた航がそのまま試合上に残り、日野原高校の次鋒と戦うという形になるのだ。勝ち抜けばそれだけ自チームは有利になる一方で、選手はその分、体力を消耗するが、航をはじめとした市立船戸高校剣道部の全員が、連続で試合をしたからと言って、疲れて戦えなくなるような鍛え方はされていない。
「勝負あり!」
主審の声が響いて、航と三上が蹲踞をする。先鋒だけが試合場を出て、代わりに日野原高校の次鋒が入ってくる。垂れネームには真崎とあった。
「真崎……。二年生か。もしかしたら三上よりやるかもな。先鋒がダメでも、次鋒で確実に取り返す作戦かもしれない」
「確実に……ってことは、それだけ……」
「そう。強いかもしれないってことだ」
雑賀が言った通り、三上という選手はそれほど脅威ではなかったように思えた。だが、そのレベルが必ずしも標準になる、というわけではない。一般的に穴だといわれる次鋒というポジションに、強者を置いて、そこで確実に勝ち点数を取ろうという作戦が用いられることは決して珍しくないのだ。
「はじめ!」
主審の声が響き、ほぼ同時に歓声と拍手が湧く。航対、日野原高校の次鋒、真崎の試合が始まった。
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いなば海羽丸




