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23【海水浴】〜島津大地〜

遠征の持ち物リストに「水着」があった理由が判明するお話。

大地視点で、お送りします。

「ありがとうございましたぁ!」


 昼過ぎ、道場の入り口で整列し、声を(そろ)え、みんなが一斉に頭を下げる。二日間に(わた)る福岡海城学院高校での練習試合を終え、市立船戸高校は最後のあいさつをした。大地はアタッシュケースや部員たちの荷物をまとめて手に持ち、急ぎバスへ向かう。


「大地! 荷物、大丈夫か」

「平気、平気。サンキュね、楓」


 後ろから楓が追いかけてきて、隣に並んだ。楓もまた、重そうな防具と竹刀袋、それに自分の荷物を(かか)えているのにもかかわらず、気遣って声をかけてくれたようだ。だが、その横顔を見れば、彼はどこか浮かない顔をしていた。もっとも、それの理由に見当はついている。

 大地と楓は無言のまま、バスに荷物を積んだ。大地は運転席に回り、織田から預かった車の鍵を差してエンジンをかけてから、後方の席に適当に乗り込む。楓は車内にこもった熱い空気を逃がすのに、窓を開けてくれたあと、当然のように大地の隣に座った。





「航と浬はさ、やっぱすげえよな……」


 エンジンがかかり、だんだんと冷房が効き始めたバスの中で、楓がぽつりと呟いた。大地は「そうだねぇ」とひと言、答える。まだほかの部員たちはバスへ乗り込んでいない。ここにいるのは大地と楓だけだ。そのせいで負けず嫌いの彼も思わず本音が漏れたのだろう。


「楓だって、今日は昨日よか、戦績良かったじゃん?」

「そうだけどさ」


 楓が昨日よりもずっと調子が良かったことは事実だ。――が、航と浬の実力がすこぶる高いのもまた事実。まだ剣道という競技に関わってから日が浅いものの、彼らが特別強い剣士だということくらい、大地にもわかる。航と浬は明らかに二年生と同等、いや、それ以上の実力をすでに持っているかもしれない。今日の結果を見れば、それは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。

 たとえば、あさってのレギュラーメンバーを想像してみても、大地の頭の中には市鷹と将鷹、毛利に次いで羽柴、次に航と浬が思い浮かんでしまう。

 いや、もちろん楓だって、彼らとさほど実力の差があるわけではないのだ。浬と同じ道場で切磋琢磨してきたと聞く彼の打ち方は綺麗だし、勢いもある。ただし、航や浬は『相手と戦う』というところに関して、圧倒的に上手かった。


「浬はすげえの知ってるけどさ、航はまだ剣道始めて四年目じゃん。オレなんかもう八年やってんのに……」

「まぁ、航は元々運動神経いいし、センスあるからねぇ」


 航は昔から大地の運動神経を()めてくれるが、彼だって運動神経やセンスは抜群にあった。加えて、航はとにかく本番に強い。なにがあっても動じないあの精神力には気味が悪いと思ったこともあるくらいだ。


「んだよ……。それじゃまるでオレにはセンスも運動神経もないみたいじゃんか」

「そうは言ってないって。ただ、幼馴染のオレから見ても航はやっぱちょっと違うっていうか、ずば抜けたもんがあるってこと」

「まぁ、そうだよな……」


 その日の練習試合で、市立船戸高校は実に三回、チームでの勝利を達成していた。対西神高校では二回、対海城学院高校では一回。もっとも、それ以上に負けた試合があったわけだが、それでも昨日よりは各部員の動きも良くなっていたし、取られた本数もはるかに少なかった。確実にチームの士気は上がり、勢いづいている。それは航や浬の活躍があったからこそだ。大地はそう感じていた。


「どうすりゃ、あんなふうに試合できんだろうな」

「楓の場合は緊張しすぎないことだね」

「え……」

「緊張すると、楓、テンパるでしょ」


 楓は、わかってる、と言わんばかりに鼻を鳴らす。やがて、バスに市鷹や将鷹、毛利が乗り込み、それに続いて二年生も、そして航と浬もやってきて、会話はそこで途切れてしまった。


 明日はついに合同錬成会が行われる。それが終われば、あさってはいよいよ玉龍旗大会の本番だ。このままいい雰囲気を保って本番を迎えれば、市立船戸高校は九州の強豪校にだって勝てるかもしれない。今日の練習試合を終えて、大地たちはその希望を持つことができていた。まだ選抜メンバーは発表されていないが、織田はきっともう、それのおおかたを決めてしまっていることだろう。そして今、そこに航と浬が入ってくる可能性は大いにあった。


 カイちゃんなんか、普段めちゃくちゃ温厚でふわふわしてんのに、試合になるとすげえもんなぁ。なんか、負ける怖さとかよりも、戦うことを楽しんでるみたいな……。


 航と浬の試合を見ていると、大地はそれを感じる。対して、楓は気だけは強いのに、いざ戦うとなるとどこか失敗を恐れているように見えた。もしかしたらそれは、航や浬に追いつきたいという思いや、羨ましさが強いからなのかもしれない。楓も彼らのように活躍したくて、だが、知らぬうちに自分自身にプレッシャーをかけているのかもしれない。その証拠に、楓は比較的、校内試合では調子が良いようだし、戦績だってそう悪くはなかった。


 楓はこう見えて、意外に怖がりなとこあるんだよねぇ……。まぁ、そこはハリーみたいで可愛いんだけど、さすがにかわいさで試合には勝てねえもんなー……。


 一見気が強そうに見える楓はたぶん、本当は怖がりで慎重なのだ。だから、失敗や負けることを恐れるあまり、外の試合に出ると、体がこわばっていつもの力を出せないのではないだろうか。考えてみれば、無理もない。航や浬と同学年であるということだけでも、楓にとっては十分なプレッシャーになるだろう。きっと彼はあのふたりに劣等感を感じながらも、その背中を追いかけた結果、要らない鎧を被っているに違いなかった。

 大地はふと考える。楓のそれらを外してやれたらいい――。それができれば、楓はもっと実力を発揮できるだろうに――、と。


 劣等感を感じてる人間に言うべき言葉ってなんなんだろうな……。頑張れ、なんて言ったって余計ガチガチにさせちゃうだろうし、やっぱ()めるしかないのかな……。


 大地はじいっと楓の横顔を見つめながら考える。もちろん、大地の視線に気付かない楓ではない。彼は怪訝(けげん)そうな目を向けて、(まゆ)をしかめた。


「なに、どうしたんだよ。大地」

「ねぇ、楓さ」

「ん?」

「オレは、楓の剣道好きだよ」


 大地は親指をぐっと立てて見せ、そう言った。途端に、楓はポカンとして大地を見つめたが、すぐに顔を引きつらせる。


「は……? なに、急に……」

「あれ、嬉しくない?」

「う、嬉しくなんか……! 別に……っ」


 まんざらでもないような顔をしてはいるが、ちょっと違ったのだろうか。すると、ちょうどその時。織田が運転席に乗り込んでくる。同時に明るい声が飛び込んできた。


「よーし、全員乗ったなー? 昼の予定だが、メシ食ったあとはトレーニングだ。海パン忘れた奴は、オレんとこまで来い。なんでもよきゃ、買ってやるからな」

「先生ー、それって海水浴ですか!」


 大地の後ろで浬が即座に反応し、声を張り上げて聞く。途端に、大地はぶっと噴き出した。まさか、剣道部の遠征に海水浴が予定されているはずがない。しかし、織田は笑いながら「まぁ、そうとも言うかな」とひと言返し、車を走らせた。


 市立船戸高校一行は、ホテル近くのファミリーレストランで昼食を済ませ、一度ホテルへ戻った。部員たちは全員、水着とタオルなどを用意して、再びロビーに集まる。妙な感じだ。下は海水パンツ、上はTシャツ姿でこうして集まってみると、どこからどう見ても大地たちは剣道部員には見えなかった。しかし、自分たちはこれから、あくまでトレーニングへ行くのだ。まさか、本当に持ち物リストに書いてあった水着が海水浴に使われることになるとは、さすがに大地も想像してすらいなかったが――。

 浬は「思った通りだった!」と大喜びではしゃいで、航に抱きついたり楓にちょっかいを出したり、忙しい。しかし、あまりのはしゃぎ様で、羽柴に注意を受けていた。


 大地たちは織田の運転するマイクロバスに揺られ、二十分ほどで、とある海岸に到着した。各自、ビーチサンダルに履き替えて、背の低い木々の間の道を歩いて、海岸へ向かう。白い砂と青い海は、自然と南国を思わせる景観で、とても美しかった。地元、千葉の海と比べても、ここは色も雰囲気も、ずいぶんと違っている。


「うわ、青い! 南の島みたい!」

「本当だ……。砂も真っ白だな……」


 浬と航は楓を(なか)ば巻き込むようにして、あっという間に海岸へ駆けていく。市鷹や将鷹たちがそれを追いかけ、羽柴たち二年生が(あき)れたような顔をして、その後に続いた。


「いやぁ、天気もいいし、今日は最高の海水浴日和だなぁ!」


 車に鍵をかけて、暢気(のんき)な声で織田が言う。大地はバスを降りてから、彼をここでずっと待っていた。


「壮一さんさぁ、マジで海水浴しようなんて考えてたの?」

「息抜きは大事だからなー。……っていうか大地。お前、壮一さんじゃないだろ。せめて先生をつけなさい、先生を」

「いいじゃん。今はふたりしかいないんだし」


 学校内や部活動中は、絶対に「壮一さん」とは呼ばないようにしているが、ふたりきりでいると、どうも素が出てしまう。しかし、真剣な話をする時にはその方が話しやすい、というのはあった。


「まったく……。お前もみんなと行って、海でも入ってこい」

「オレ、壮一さんに聞きたいことあるから。それ聞いてから行く」

「なんだ、どうしたんだ?」


 織田はTシャツと海水パンツ姿で首を(かし)げている。彼もまた、海へ入るつもりでいるようだ。


「壮一さん。航とカイちゃんはさ、ちょっと普通じゃないっていうか……、みんなより……頭いっこ出てるよね」

「あぁ、あいつら(そろ)ってここんとこ調子がいいし、一、二年の中でも割とな。それがどうかしたのか?」

「一年は三人いて、二人がそんなだからさ、楓が劣等感持ってる気がするんだけど、そういうのってどうしようもないのかな」


 すると織田は(まゆ)をひん曲げて、低く(うな)った。彼だって、楓が密かに自分と航や浬との実力差に悩んでいることを知っているはずだ。


「自信失くして、余計に普段通りに剣道できなくなってると思うんだよね」

「まぁ、楓より航や浬が強いのは事実だしなぁ……。悔しいなら強くなるしかない。勝負の世界ってのはそういうもんだ」


 勝負の世界は厳しい。当然だが強者が勝って、弱者が負ける。ただ、それだけだ。だから楓が、航や浬に悔しさを感じているなら、それをバネに強くなるしかない。織田はそう言いたいのだろう。


「勝負の世界ねぇ……。でも、オレは楓だって航や浬とそんなに差がついてるわけじゃないと思うんだよ。楓、調子いいときは航と互角に戦うこともあるじゃん? それをいつも安定して出せたら、そんなに差はできないし、もっと勝って帰ってくると思わない?」

「そんなことはオレだってわかってるよ。そりゃあ、楓自身もきっとわかってることだ。それでもできないから、悩むんじゃないか」

「まぁ、そうだろうけど……」

「安定して実力出すにはやっぱり稽古を数多く積んで、自信つけて、強くなってくしかないんだよ」

「稽古かぁ……」


 やはり、それしかないのだろうか。今すぐに楓が強くなることも、変わることも難しいとわかってはいる。それでもせめてこの遠征中、楓の重荷を軽くしてやれたらいいと、大地は思うのだ。


「ただ……、楓には今後、必殺技を作らせる必要はありそうだな」 


 そこまで話して、ふと思いついたように織田は言った。


「必殺技……?」

「楓はお前が言う通り、そこそこ戦える力はあるんだよ。ただ、決定的な攻撃力に欠ける。あいつに必殺技みたいなもんができるか、あるいはそれを自分で考えて作るかしたら、また少し変わるかもしれない」

「そっか……。航と浬にも得意な技があるもんね」


 航や浬には、それぞれ得意とする場面や技がある。その技であれば、どんな相手にも通用する、という自信がきっとあのふたりにはある。そして、ひとつでもそれがあるだけで、戦い方は絶対に違ってくるものだ。航は高い背丈(せたけ)を活かした面が得意だし、浬は逆に素早く相手の(ふところ)に入って打ち込むような技が得意だ。特に彼の抜き胴や返し胴に関しては、剣道未経験者である大地から見ても、ほかの誰より群を抜いてキレがある、とわかる。


「ただな、そういうもんは自分で自分を研究してこそだ。お前がなにを言ったって、楓の意識が変わらないことにはしょうがない」

「楓はちゃんと自分でも考えてると思うよ」

「……まぁ、安心しとけ。遠征終わったら夏合宿がある。そこで死ぬほど稽古できるさ」


 そう言って、織田はニヤリと口角を上げた。一方で、大地は顔を引きつらせる。夏合宿の話は、織田が夏休みの予定表を作成している段階ですでに聞いていた。それは八月の上旬に行われ、早朝稽古から始まり、夜稽古で終わる、剣道三昧(ざんまい)の合宿なのだと言う。


「一年はまずそこで徹底的に鍛える。今回の練習試合で航や浬にも課題を見つけたからな。三人が潰れないように、お前はしっかりサポート頼むぞ」

「潰れないようにって……、こわぁ……。壮一さん、鬼だね」

阿呆(あほう)。それくらい乗り越えてもらわなきゃ困るんだよ。みんなが上を目指して頑張ってるんだ。県内で上位に上がって来る高校で、頑張ってない奴なんか一人もいないんだぞ。その中で戦うってのに、生易(なまやさ)しい稽古やってる奴が、テッペンなんか取れるわけないだろ」

「なるほど……」


 大地は納得して、織田とともに海岸へ向かう。みんな、同じように頑張っている。上を目指して、稽古を日々積んでいる。アスリートにとってはまず、それが当たり前なのだ。その中でさらに上を目指すためには、質が良く、且つ厳しい稽古を誰よりも積みながら、日々、限界を超えて、自らを鍛えていかなければならない。だからこそ、やり直しのきかない一度きりの試合で、限界ギリギリの力を、実力のすべてを、その瞬間に出し切ることができるのだろう。


 もっと言えば、そこには意識の違いも関わってくる。嫌々、あるいはただ言われたことをそのまま考えもなしに稽古を積むのと、常に自分の中で意識を高めながら、考えながら稽古を積むのとでは、おそらく結果としては絶対的な違いが出てくるものなのだ。その厳しさを想像して、大地は肩をすくめた。

 

 アスリートってのはみんな不感症なのかな……。オレには真似できねえや……。


 ただし、大事な幼馴染や友人が必死になってその道を行くなら、そのサポートを大地は全力でしたいと思う。それなら自分にもできる。そして今、最もそれを必要としているのは楓なのではないか、と大地は思うのだ。


「意識……か」


 楓と航、浬の違いはそこにあるのだろうか。だが、楓がなにも考えていないとも思えない。以前、彼は航を倒すために密かに特訓をしていた、という話も、大地は浬から聞いて知っている。しかし、織田は言った。


「ただ……、楓は意識的に考えてはいるんだろうけど、猪突猛進タイプだからなぁ。頑張り方、間違えそうなんだよな……」

「うん。なんか、わかる気がする」

「大地、サポートしてやってくれな」

「任しといて!」


 織田と話しながら海岸までやってきて、大地はTシャツを脱いだ。普段から運動も特にしていない大地の体は細身だし、自覚してもいるが、それを見て織田はけらけら笑っている。


「なに……?」

「お前……! なんだよ、あいかわわらず、ひょろっひょろだな!」

「うっさいなぁ。オレはアスリートじゃないんだからいいじゃん」

「あぁ、そうだな。ガキっぽくてかわいいよ」


 大地はジトッと(にら)みつけるが、織田はまだ笑っている。もっとも、こういうことは親戚で集まればよくあることだった。彼は昔からよくこうして、大地を揶揄(からか)って遊ぶのだ。可愛がられていると知ってはいるが、高校生にもなるとそれがちょっとだけ鬱陶(うっとう)しいというのはある。


「もういい。オレみんなと泳いでくる」

「あぁ、ちょい待ち。あと……そうだな。十分(じゅっぷん)くらいしたら声かけるから、そしたら全員一度浜に上がって、ここに集合するようにって、イチに言っといてくれ」

「いいけど、なんで?」

「息抜きついでに、トレーニングをするんだよ」


 織田はニヤリと口角を上げて言う。大地は(まゆ)を上げた。思いがけない海水浴のせいでここまで部員たちに大はしゃぎさせておいて、わずか十分後にトレーニングとはあんまりではないか。ますます航たちには同情したが、しかし。付け足すように織田は続ける。


「お前も参加してくれ」

「は……?」

「聞こえただろ。トレーニング。お前も参加してくれな」


 ……嘘だろ、おい。


「ちょっと待って……。なんで? オレ、マネなんだけど……」

「いいんだよ、メンツ多い方が楽しいから」

「いや、俺は別に楽しくなくていいからさ……」

「なに言ってんだ、みんなで楽しい方がいいに決まってんだろ。ほれ、さっさと行った、行った」


 息抜きのついででトレーニングを楽しめるようなアスリートと一緒にされても困る。だが、どうやら異議を唱えても無駄なようだ。聞く耳など持たない織田に(うなが)され、大地はふくれっ面で海へ向かう。それを見つけたのか、浬が海から上がってきて、大地の手を取って引いた。彼の癖の強い髪は、すでに海水でびしょびしょに濡れている。


「大地、早く! 水すっごい綺麗だよ!」

「あぁ、うん……」

「大地ー! なにやってんだよ、早く来いよ!」


 航も呼んでいる。楓が手を振っている。羽柴も斎藤も、三年生の市鷹たちもみんな、実に楽しそうだった。青い海に白い砂浜。どこまでも続くような気持ちのいい空。目に入ってくるなにもかもがキラキラと輝いて見える。しかし、その中ではしゃぐ彼らはまだ知らない。このあと、十分後にトレーニングが待っているということを。


 うおぉ……。なんか、すげえ言いづれぇ……。


 いくらアスリートといえど、トレーニングと聞けば誰もがげんなりしそうなものだ。まず間違いなく、浬はがっかりするだろう。だが、マネージャーとして今、彼らにそれを伝えるのは仕事だ。大地は一度、咳ばらいをしてから、意を決して市鷹を呼んだ。


「あー……。あの、イチ先輩!」

「ん? なに、大地」


 市鷹は将鷹と腹の辺りまで海に浸かり、プロレスごっこを始めていたが、大地の声に振り向いた。


「十分後、先生が声かけたら一度、浜から上がってください! みんな、先生んとこ集合っす!」

「集合?」

「ト、トレーニングするらしいんで!」


 途端に、体中には文句ありげな視線が一斉に刺さる。大地は思わず肩をすくめ、まだ浜にいる織田に目を向けるとジトッと(にら)んだ。


「よーし、全員集まったな」


 十分後、織田の呼ぶ声を聞いて浜に上がった大地たちは、やや緊張した面持ちで織田の前に集まっていた。海水浴だと信じて疑わなかった彼らの気の沈みようと言ったらない。特に浬は不服そうに下唇を突き出して、(むく)れている。だが、部員たちのその様子に構いもせず、織田は話し始めた。


「いいかー。これからちょっとしたトレーニングを始める。まずはチーム分けだ。全員でグッパーして二チームに分かれろ」


 ったく……。なんでオレまで……。


 大地もまた仏頂面(ぶっちょうづら)で、グー、パー、グー、パーと適当に手を握ったり開いたりを繰り返した。なぜマネージャーである自分までもトレーニングに参加しなければならないのか、やはり理解も納得もできない。運動してくたびれるのも、汗を()くのも、大地は好きではないと、織田は絶対に知っているはずなのに、承諾を得ることもなくトレーニングに参加しろとはあんまりではないか。


「おっ、決まったんじゃね?」


 不意に全員の手元を見渡して将鷹が言う。見れば、十一人いる部員は綺麗にグーとパーで分かれている。大地はグーを出していた。同じグーチームのメンバーは、市鷹、将鷹、斎藤、雑賀、航。大地も入れると六人になる。一方でパーチームは、毛利、羽柴、佐伯、浬、楓の五人だった。

 大地がトレーニングのメンバーに入ることで十一人と奇数になったため、当然、人数には(かたよ)りが出てしまっている。やっぱり自分が入らない方が良かったじゃないか、と大地は鼻を鳴らした。


「先生、人数、オレたちの方が一人多いですけど……」

「あぁ、いいんだ。毛利のチームにはオレが入るから」

「え……?」

「言ったろ。みんなでやった方が楽しいって」


 そう言うと、織田は毛利や羽柴のそばに寄る。彼もまたトレーニングに参加するということだろうか。大地が首を傾げ、なにげなく航を見れば、彼もまた大地を見つめて(まゆ)をしかめていた。


「よし。じゃあお互いに代表者決めて、またジャンケンだ。買った方が泥棒か警察か、好きな方を選べ」

「え、泥棒か警察? それって……」

「まさかドロケイ……?」


 大地は航と再び顔を見合わせ、織田は深く頷いた。泥棒チームと警察チームに分かれるといえば、それしか思い浮かばない。


「まぁ、鬼ごっこみたいなもんだけど、ドロケイの方が全員の運動量が多くなるだろうからな。いいか、だいたいの範囲を決めるから、そこから出たらアウトだ。それから、沖に出過ぎてもアウト。せいぜい胸が浸かるところまでだだな。それ以上深い所に入ったり、泳いで逃げた奴には罰則を与える! 腕立て伏せ五十回な!」


 みんなが、呆気(あっけ)にとられて織田を見つめている。ここにいる誰もが、これから行われるトレーニングがつらい筋トレでも海岸を走るランニングでもなく、ドロケイだったということを信じられないでいるのだ。

 それでも織田に(うなが)されて、市鷹と毛利が戸惑いながらジャンケンをする。勝ったのは毛利だった。毛利が選んだのは泥棒。つまり、彼らに対する大地たちは、警察として泥棒チームを捕まえなくてはならない。


 警察かよぉ……。


 どちらかと言えば泥棒の方が良かった、と大地はため息を吐く。逃げるのは嫌いじゃないが、追いかけるのは面倒だ。ところがその横で、隣の航はやけに張り切って準備運動を始めている。


「ノリノリだね、航」

「うん。俺、ドロケイは好きだからさ」

「あ、そう……」


 やがて、毛利チームのメンバーは全員が海へ向かって駆けていった。もちろん、その中には織田の姿もある。大地は生徒たちの中に混ざってはしゃぐ織田を眺めながら、笑みを引きつらせた。


「壮一さん……。あの人いい(とし)こいて……、怪我すんぞ……」

「おーい、集合!」


 市鷹、将鷹が手招きをして航や大地、それに雑賀と斎藤を呼んで集めた。大地たちは円形になって彼らのそばへ寄る。


「作戦立てるぞ、よく聞いとけよ」

「オレたちにいい考えがある。いいか、まずは先生をだな……」


 見れば、ふたりの瞳は幼い少年のように輝いている。こく、と頷いた雑賀や斎藤、航もまた目をらんらんとさせている。仕方なく、大地も頷いて、耳を(かたむ)けるしかなかった。




「おい、大地! 浬そっち行った! 挟み込むぞ!」

「はいはーい、了解」


 それから約四十分ほど、大地たちは延々と泥棒チームを追いかけて、砂浜を駆けたり海に入ったりを繰り返した。大地と航は二人一組になって、泥棒チームの浬と楓を徹底的にマークして捕まえ、浜にラインを引いただけの牢に入れ、逃げられてはまた捕まえる。ただし、それを繰り返すうちに意外なことに気付いた。砂浜や浅瀬では足を取られて、思っていたよりも走りにくい。普通にランニングをするよりも太ももやふくらはぎにはかなり負荷がかかっているようだった。


 たしかに、これって結構なトレーニングになってんのかもな……。


 それだけではない。逃げる相手がなにを考えているか。追い詰めたときにどう逃げようとしているか。それを想像して探ることはどこか剣道と似てるかもしれない――とこれは、航が話していたことだった。遊びの中にもトレーニングとして、課題は組み込まれているのかもしれない。大地もまたそれを感じていた。

 トレーニングという名のドロケイが行われた時間は四十分ほどだったが、終わったあと、泥棒チームも警察チームもくたくたになっていた。


「だあぁーっ、疲れたぁ……!」


 砂浜に寝転がって、体を砂だらけにしながら、浬は胸を上下させて言う。彼だけではない。航も楓も市鷹や将鷹もみんなが砂浜にしゃがみ込み、あるいは浬のように寝転がっている。もちろん、その中には織田の姿もあった。大地も砂の上にしゃがみ込む。言わずもがな、アスリートたちの中に混ざってやるドロケイは、実にハードだった。


「だめだぁ……。明日オレ、筋肉痛決定だわ……」

「結構、結構。大地はもやしだからな。もうちょっと筋肉いじめて、マッチョになった方がかっこいいぞー」


 きひひ、と歯を見せて笑いながら、そう言ったのは織田だ。大地は即座に振り返って織田をジトッと(にら)む。しかし、彼は大地のその反応を少しも気にしていないようだった。


「よぉーし、ひと休みしたらそろそろ上がるぞ。みんな、ホテル帰ったら、よくストレッチとマッサージしとけよ。ノート提出は九時まで」


 織田が声をかけ、市鷹たちがそれに少々くたびれた返事をする。やがて、それぞれが立ち上がり、海岸の入り口にあるシャワーで体を流してからバスへと戻った。

 こうして遠征三日目は、半日の練習試合のあと、ちょっとハードな海水浴兼、ドロケイトレーニングで幕を閉じたのだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

よろしければ、続きをお楽しみいただけますと嬉しいです。


いなば海羽丸

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