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19【火の如く】~朝比奈航~

九州遠征二日目。福岡海城学院高校での練習試合をするお話。

航視点でお送りします。

 翌朝、航たちを乗せたフェリーは福岡県、新門司港へ着港した。ここから練習試合を予定している福岡海城学院高校までは、またマイクロバスでの移動となる。航たちは再び織田の運転するバスに揺られ、約一時間ほどで福岡市内にある、福岡海城学院高校へ到着した。時刻は午前十時前だ。


 駐車場にマイクロバスが停まって間もなく、大柄な男がやってきて織田を迎えた。彼こそが、この福岡海城学院高校剣道部顧問を務め、今回の九州遠征に招待してくれた、織田の学生時代の先輩らしい。男は吉岡と名乗り、温厚そうな笑顔で「本当によく来てくれたなぁ」と言ってから、「あれが武道場だ」と教えてくれた。


 市鷹たちに続いて、航は自分の防具と竹刀を持って武道場まで歩く。すでに高くなった太陽の光は、千葉で感じていたそれよりもいささか強く感じた。気のせいか、気温も高いような気がする。砂が白く光るグラウンドの(すみ)を通り、武道場へ入ると、その玄関口には大勢の生徒たちがいて、航たちを出迎えてくれた。


「おはようございます!」


 声を(そろ)え、頭を深く下げた彼らはみんな、男子部員だった。胴着と(はかま)、それに防具までしっかり着けてそこにいる。見たところ、女子は一人もいない。男子ばかり、それも二十人近くはいるだろうか。


「福岡県立海城学院高校、剣道部です。本日は遠くから来ていただき、ありがとうございます!」


 そう言って、主将らしい男子生徒が声を張ってあいさつをする。()れネームには、『赤星』とあった。見たところ、彼が主将のようだ。しかし、練習試合をするのに他校へ(おもむ)くことは以前にもあったが、こうして改まってあいさつをされたのは初めてだ。航が呆気(あっけ)に取られていると、市鷹が言った。


「千葉県船戸市立船戸高校、剣道部です。本日から二日間、よろしくお願いします!」


 市鷹は彼らに応えるようにそう言って、頭を深く下げる。そのあとに続いて、航たちも「よろしくお願いします!」と言って、やはり頭を深く下げた。

 正直なところを言えば、驚いた。こんなあいさつがあるなどと聞いてはいなかったし、市鷹はなにも言っていなかったからだ。おそらくは咄嗟(とっさ)に返したのだろうが、彼は動揺をわずかにも見せなかった。さすがだとしか言いようがない。さらにその後、すぐに航たちが続いてあいさつができたのもまた、将鷹や毛利が自然と市鷹に続いたからだった。彼らの咄嗟(とっさ)の対応に、航は改めて感心させられていた。


 やっぱ三年生って……、大人だ……。





 航たちは武道場内へ入り、更衣室を借りて着替えをする。武道場内はどこも窓が開けられていて、風がよく(とお)っていたので、外よりは遥かに涼しく感じた。しかし、冷房が効いているわけではないので、それなりの暑さはある。着替えるだけでも、胴着の紐を結ぶ手指にはじんわりと汗が(にじ)んだ。


「着替えたら各自、外に出て面つけ。すぐアップな」


 市鷹が言う。フェリーの船室の中、慣れない寝床で寝て起きて、朝からバスに揺られてここへ来た航たちはまず、ウォーミングアップをする必要があった。それなりに緊張もしているので、そういう意味でも体を十分にほぐさなければならない。航たちは急ぎ、防具を着けて竹刀を取り出して整列すると、いつものように切り返しから基礎稽古、技の練習を済ませた。

 体を動かして数分もすれば、顔も体も汗だくになる。動き始めてから約二十分ほどでアップは終了した。筋肉はすでにほぐれているものの、打ち込む際に踏み込んだ感触は知らない武道場のもので、それには妙に緊張させられた。


 さて、アップ終了後は、淡々とした段取りで試合の準備が始められた。織田は第一試合目のメンバーを口頭で伝える。先鋒は毛利、次鋒が斎藤、中堅に将鷹、副将に羽柴、大将は市鷹が選ばれた。まずは一軍で勝負、といったところだろうか。


「はじめ!」

「せりゃぁあッ!」

「うらぁぁあああッ!」


 審判は交代制で、第一試合目には福岡海城学院高校の部員が立ってくれることになった。対峙する毛利の相手の()れネームには『黒田(くろだ)』とある。福岡海城学院高校もまた、一軍メンバーが選ばれて出てくるらしい。それを教えてくれたのは織田である。もっとも、練習試合の最初の試合に二軍を出すのは、相手を甘く見ている、失礼だ、と取られがちなので、たいていは一軍が出てくる場合が多かった。


「面りゃぁ――ッ!」

「おおっ!」

「いいとこですよ!」


 黒田は素早く攻め入り、面を打つ。応援している他の部員が一斉に声を上げ、拍手をする。毛利は体を反らすことで防いでいたが、間一髪だった。それを見ればまだ一年生である航にも理解できる。黒田の攻めは素早く、迷いは一切ない。だから毛利も防ぐのがやっとだったのだ。黒田は間違いなく強者だった。

 彼は彼は千葉県の大会でいえば、明らかに上位に上がって来るレベルだろう。航は毛利の試合をじっと見つめた。最初の試合だからか、相手が強いせいか。毛利はやや苦戦している。


「小手ッ――!」

「面だぁぁッ!」


 一足一刀の間合いから打ち合い、近間になり、鍔迫(つばぜ)り合いへ。そこから毛利は積極的に技を仕掛け、引き小手を打った。だが、それをまるで待っていたかのように、黒田はそれを竹刀で受け、追って面に飛び込む。やはり反応が速い。


「メンりゃぁあああッ!」


 道場内には黒田の声と共に、竹刀が深く打ち込まれた音が(にぶ)く響いた。


「面あり!」

「おおっ! いいとこー!」


 白い旗が上げられ、福岡海城学院高校の生徒からは拍手が一段と大きく湧き起こる。一本目を取ったのは黒田だった。

 今、航の心臓は緊張と興奮で高鳴っている。彼らは明らかに強いチームだ。あの桂浜や兜山高校にも引けを取らないどころではない。ひょっとすると負かしてしまうかもしれない。


「小手ッ、面だぁぁッ!」

「おおっ!」


 二本目が始まり、毛利は一本を取り返さんとして果敢に攻める。初戦で、先鋒が負けて帰ってくることがいかにチームにとって士気を下げてしまうか、彼は知っているのだ。しかし、黒田はそう簡単に一本を取らせてはくれないようだった。


「航、強いね……」


 不意に隣にいる浬が、航の袖を引っ張って言う。航は頷いたものの、試合から目を逸らせなかった。聞いていた通り、九州勢の強さは生半可なものではないのかもしれない。

 やがて「時間です!」という声がして、試合が終わる。練習試合の先鋒の試合は毛利の一本負けで、次鋒、斎藤へと引き継がれた。


 初戦の結果は三対一で、福岡海城学院高校の勝利となった。毛利が一本負けで試合を終えたあと、次鋒の斎藤は呆気(あっけ)なく二本を取られてしまい、その後、中堅の将鷹が見事な面打ちで一本を取り、そのまま守り切って勝ち点を一つ取り返したが、続く副将の羽柴は一本負け。大将の市鷹は引き分けで、三対一、という結果に終わったのだ。


 今、試合は二試合目に突入している。審判は赤星から市鷹に代わった。先鋒は佐伯、次鋒は浬。中堅は楓、副将は雑賀。大将を命じられたのは、なんと航だった。

 佐伯の試合を応援しながら、航は緊張と興奮で気がふれそうになる。佐伯の相手の()れネームには『川上(かわかみ)』とあった。先ほどの黒田ほどの勢いはなかったものの、彼もまたそれなりの実力を保持した剣士であることは確かだ。

 佐伯は怪我の治療を終え、夏休みから稽古に参加している。彼は見学中もトレーニングを毎日欠かさず行っていたからか、半年休んでいたとは到底思えない動きを見せていた。打突のスピードや強さは、川上にも劣らない。しかし、間合いの攻防になると途端に弱さが目立った。――いや、佐伯が弱いのではない。川上が強いのかもしれない。


 ダンッ、と足を踏み込まれ、安易に攻め入られ、佐伯が下がる。そこを逃さず、川上は距離を詰める。黒田と川上はおそらく実力で言えば違いがあるのだろうが、間合いの攻防に関しては同じだけの強さを感じた。


 そうか……。もしかしたら、俺たちはみんな、間合いの攻防で負けてるのかもしれない……。


「メーーーンッ! 面だぁぁあッ!」

「小手ぇぇッ!」


 航はハッと目を(みは)る。先に面を打ったのは川上だ。その出鼻を狙おうとしたのか、佐伯は小手を打った。しかしそれよりも速く、川上の面が命中した。


「面あり!」


 市鷹の声が響く。航は目を(つぶ)る。佐伯は明らかに間合いの攻防の段階で負けていたのだ。あのまま出鼻を狙って打っても潰されてしまう可能性は高かった。それは航にも理解できた。

 しかし、佐伯だってそれに気付いていなかったわけではないだろう。あの瞬間、彼にはほかに手立てがなく、小手を打つのが精一杯だったのかもしれない。圧倒的なプレッシャーで攻められ、どうすることもできず、苦しまぎれにしか技を出せなかったのだ。


「航、間合いで負けるな」


 不意に声が聞こえた。織田だ。彼はいつの間にか、航の背後に座って試合を見つめていた。


「立ち上がり、間合いの取り方が向こうは圧倒的に上手い」

「はい」

「先手を取ってお前がやりたいことをちゃんとできるようにしろ。じゃなきゃ、こいつらには勝てない」

「はい」


 心臓が高鳴って(わずら)わしく、返事をするのがやっとだった。しかし、織田が言ったことを理解はできる。やはりそうなのだ。彼らと航たちの違いは、間合いの取り方にある。


 間合いで負けない……。下がらない……。


 航は自分自身にそれを言い聞かせる。それがどれだけ難しいことなのかはやってみなければわからない。それでもとにかく、先に間合いを取ることを頭の中で何度もイメージした。重要なのは先手を取ることだ、と。

 やがて、佐伯の試合が終わる。一本負けだ。二試合目の先鋒も勝ち点を獲得した福岡海城学院高校は、明らかに勢いづいて見えた。航は危機感を覚える。どこかで流れを変えなければ、市立船戸高校は一勝もできないままだ。


 くそ……。浬、頑張れ……!


 心の中で彼にエールを送った。浬は今、試合場の(すみ)に立って、佐伯と入れ違いで試合場に入って行くところだ。対する相手は――『樺山(かばやま)』という背丈の高い剣士だった。


「はじめ!」


 市鷹の声とほぼ同時に、浬と樺山は立ち上がる。次鋒の試合は気合いの声もなく、静かに始まった。浬は立ち上がった次の瞬間にはもう前に出て、積極的に攻め始める。相手の背丈は――航と同じくらいあるかもしれない。しかし、そんなことなど彼はたいして気にもしていないようだ。

 一方で、樺山も負けてはいなかった。浬の剣先を執拗(しつよう)に払いながら攻め返している。間合いは一気に縮まる。すると、次の瞬間、浬が飛んだ。


「小手ッ、面――ッ!」

「うらぁぁッ!」

「せぇやぁああッ!」


 小手面を打ち、そのまま鍔迫(つばぜ)り合いになる。気合いの声を上げる。それから、浬はすぐに足を動かし、樺山をいなしたり、わざと引いたりしながら、しきりに技を出す機会を作り始めた。

 樺山は浬の動きを嫌がっているのか、懸命に離れようとしている。これはなかなかいい反応だ。嫌がっているなら、そこを狙わらない手はない。


 よし……。いいぞ、浬!


 航はグッと拳を握る。やがて、浬が引き面を打ったが、それは残念ながら一本にはならなかった。そのまま浬と樺山は再び遠間から仕切り直す。浬はやはり、すぐに攻めて前へ出る。樺山も負けじと攻める。互いに一歩も引かないまま、一足一刀での攻防が続いた。おそらく浬は気付いている。彼らより先に攻めなければ、一本を勝ち取れないこと。自分たちは、間合いの攻防で負けてはならないこと。


「小手――ッ!」


 浬が剣先を下げて、樺山の竹刀の下を潜らせるようにして小手を打ち込んだ。先ほどから、彼にしては技を出すタイミングが少し早い気がするが、それもまた考えあってのことだろう。一見、十分に攻め切れていないまま、飛び出してしまっているようにも見えるが、決してそうではない。浬は樺山よりも先手を取ることに集中し、(すき)を探しているのだ。


 浬の技を樺山は竹刀で受ける。ガシャン、と音がして、再び鍔迫(つばぜ)り合いになる。互いに技を狙い、相手の体勢を崩さんと足を使って体をいなすが、やがて離れた。


 さぁ、ここが勝負どころか、と思った次の瞬間。浬と樺山は互いに前に出た。樺山は浬がまたすぐに打ち込んでくることを予想していたらしく、それを竹刀で受けた上でできる(すき)を狙おうとしていたようだ。

 しかし、浬はすぐには打ち込まない。彼はそのままさらに半歩攻め込んで、ダンッ、と足を踏み鳴らす。すると、(しび)れを切らしたかのように樺山の手元が上がり、やや構えが崩れた。そこを浬は逃さなかった。


「面――ッ」

「ドォーーーーーーッ!」


 パァンッ! と乾いた音と、浬の技を決める声が道場内に響き渡る。浬は樺山の横腹に打ち込んで、彼の体をすり抜けるようにしてそのまま残心を取った。市鷹は赤い旗をすぐに上げる。これは文句なしの一本だった。


「おおっ!」


 織田や将鷹をはじめ、市立船戸高校の部員たちから歓声と拍手が起こる。航も夢中で手を叩いた。浬の攻め方と技の組み立て方が樺山の(すき)を作ったのだ。


「やるなぁ、浬の奴。最後にタイミングわざとずらしたのは、まさか偶然じゃないだろうな」


 織田は深く感心していた。浬は立ち上がりから、攻めるスピードと技を出すタイミングを速めておいて、樺山にその感覚を植えつけ、最後にあえてタイミングを外した。しかも、背丈の違いを利用し、小手を狙っているのだということも彼にうまいこと意識させた。その上で、どこに(すき)が出るのかを見定めていたのだろう。

 

 結果的に樺山が狙っていたのは小手返し面だった。小手返し面の場合、相手の打ってくる小手を受ける際には、たいてい構えが崩れて手元が上がる。ある程度のパターンを頭の中で展開させていたであろう浬は、小手返し面だった場合には抜き胴を打とう、とおそらくは決めていたのだ。


「二本目!」


 二本目が始まった。樺山は特段、焦りを見せることもなく浬に攻め込んでいるが、浬は決して引かず、守りには入らなかった。明らかに背丈の違う相手にも果敢に攻める強気な姿勢は、樺山にとってもいささかやりにくかったに違いない。浬もまた、相手が嫌がるポイントをしつこく攻めていたから余計だっただろう。

 ふたりは一歩も引かないまま、やがて時間切れとなり、次鋒、浬の試合は一本勝ちで中堅の楓へと引き継がれた。


「よぉし、よし!」


 九州勢から初勝利を得て、織田はご満悦だ。さて、中堅、楓の相手は『田原(たわら)』。彼は背はそう高くはない。確か、楓は百七十は優にあったはずだが、彼は楓よりも小さく見えた。彼は浬と同じくらいか、下手をすればそれよりも小さいかもしれない。ただし、動きがとにかく素早かった。攻めるスピードはもちろんのこと、田原は足をよく使うタイプらしい。タイミングもつかみにくいのか、楓はかなり苦労しているようだった。


「あぁ、だめだぞ。一緒になって合わせにいっちゃあ……」


 織田が言う。航は楓の試合を見つめながら、面を付け始めた。織田の言う通り、タイミングがつかみづらい相手と対戦する際、ただ合わせにいってしまっては相手の思うツボだ。実際に戦っていると、相手に影響されてつい自然とペースを合わせてしまいたくなるが、その場合、自分が不利な状況であっても気付かずに釣られて飛び出してしまうことがある。そのため、相手の動きやタイミング、スピードに考えもなく合わせてしまうというのは、あまり得策とは言えないわけだ。


 楓はああ見えて、案外と影響されやすいところがある。試合ではそれを利用され、フェイクに引っかかることも少なくなかった。

 今は彼なりに田原の動きに合わせてチャンスを作ろうとしているのだろうが、どうしても後手後手になってしまうようだ。もっとも、相手に合わせているだけでは、それより早くは動けないということになるので、当然である。

 ――いや、もしかしたら楓は、田原の動きに混乱させられ、彼のスピードについて行くのだけで精一杯になっているのかもしれない。そのうちに、間合いの攻防から攻められて飛び出し、楓は出小手を打たれてしまった。


「あのバカ……!」


 織田はため息を吐く。航は肩をすくめて、急ぎ面紐を結んだ。やがて二本目が始まったが、楓は一本を取られたことで焦ってしまったのだろう。相手の動きに合わせることすらできずに空回りして、そのうちに鍔迫(つばぜ)り合いになった瞬間を狙われ、見事な引き面を打たれてしまった。いい場面を一つも作れずに負けてしまった彼が、戻ってくるなり織田にこっぴどく叱られることになったのは言うまでもない。本人もそれがわかっていたのか、しゅんとしてうなだれている。彼はその注意を受けるのが初めてではなかったはずなので、無理もなかった。


「はじめ!」

「うらぁぁあああッ!」

「やぁさぁあああ!」


 一方で試合場では副将、雑賀の試合が始まっていた。雑賀の後は、いよいよ自分の出番だ。航は緊張する体を持ち上げるようにして立ち上がる。だが、その時だ。ふと、道場の壁に書かれている文字が目に入り、(まゆ)をしかめた。そこには『攻めは火の(ごと)く』とあった。


 攻めは火の(ごと)く……。


 航にはそれの意味はわからなかった。しかし、その教えが彼らの間合いの攻防の強さの秘訣なのではないか、と予想する。

 燃える火の(ごと)く、すべてを()み込むように相手を攻め、強いプレッシャーを与える。彼らの攻め方はまさにそういうものだったからだ。


 攻めは火の(ごと)く……。


 ならば、その火に立ち向かってやろう。航は武者震いをして、興奮と緊張を振り払おうと竹刀を振った。 


「小手ぇッ」

「面ッ! 面だぁあッ!」

「おーし、いいぞ!」


 織田が満足げに頷いて言う。雑賀の試合を見たのは今日が初めてではなかったが、彼が稽古以外で、しかも他校の剣士と戦っているのを見たのは、おそらくこれが初めてだった。

 雑賀の剣道は常に前に出て攻める特徴がある。もちろんそれは上段だということもあったが、攻めの姿勢を決して崩さない彼には、いつ、いかなる場合であっても例外はなかった。


 竹刀を面の位置に掲げて、左足から静かに距離を詰めていく。航は雑賀のその攻め方をじっと見つめた。雑賀の相手の()れネームには『大友(おおとも)』とある。背丈は高く――おそらく百八十センチほどあった。雑賀の身長はたしか――……百八十センチ弱なので、彼よりも小さいはずだ。しかし上段という構えのせいか、少しもそうは見えなかった。


 大友は足を使って、雑賀の左小手に剣先を向けて果敢に攻めている。だんだんと間合いを詰めているが、しかし、雑賀も決して引かない。雑賀は大友の動きをじっと見つめ、なにか狙っているようだった。ふたりのその攻防はしばらく続いていた――が、やがて大友が飛んだ。


「小手ぇッ!」

「面ッ!」

「胴ーーーッ!」

「おおっ!」


 逆胴――!


 雑賀が狙っていたのは小手抜き面だったようだが、その直後、手元が上がったところを、大友は狙っていたのだろう。タイミングは文句の付けようもなかった。危うく逆胴を打たれて一本を取られてしまうところだったが、打突の位置が少し外れていたせいで、一本はどうにか[[rb:免 > まぬが]]れた。


 今のように、相手の小手を(かわ)して打つ抜き技は、中段の相手と戦う場合、上段剣士にとっては使いやすい技である。しかし、大友にはそれを見透かされていたのかもしれない。彼は小手を抜かれたそのあとに続けて打つ技も(あわ)せて、技を組み立てていた可能性が高かった。強い――というよりも、やり慣れている感じだった。

 ふたりは鍔迫(つばぜ)り合いから離れて、再び遠間から攻め合う形となる。


「うらぁぁあッ!」

「やぁさぁああッ!」


 ふたりの気合いの声が響く。どちらも気迫十分で、一歩も譲らない、といったふうだ。その後も、雑賀と大友は互いに攻めの姿勢を崩さなかったが、どちらも一本を取るには至らず、やがて時間切れとなった。引き分けである。


 繋がった……! 大将の俺がポイントを取れば、チームで勝てる……!


 佐伯は一本負けだが、浬が一本勝ちで返したのでそこで五分。楓が二本負けをしてしまったものの、雑賀は引き分け。チームで勝つには大将の航が二本勝ちをしなければならない厳しい状況だが、とにかく繋がっている。いよいよ自分の出番だ。

 緊張と興奮で心臓がうるさくなっていくのを感じながら、気持ちを落ち着けて相手を見つめる。そこで初めて相手の垂れネームに気が付いた。そこには『赤星』とある。


 赤星って、さっきあいさつしてた部長っぽい人じゃないか……!


 彼が二年生の新部長候補なのか、それとも三年生の部長なのかはわからない。しかし、彼の雰囲気や風格は部長、主将と呼ばれても不思議ではなかった。

 航は赤星と息を合わせて試合場へ入り、礼をする。そのあと、三歩で試合開始線まで行き、蹲踞(そんきょ)をした。


「はじめ!」


 市鷹の声がかかる。航と赤星が立ち上がったのは、ほぼ同時だった。しかし次の瞬間、赤星はすっと攻め入り、打ち込んでくる。


「小手ッ、面――!」

「おおっ!」


 歓声と拍手が湧く。やはり早い。なんとか竹刀で彼の打ちを受け止めたものの、攻撃のタイミングはこれまでで見てきた剣士の中でも、群を抜いて早かった。


「せえりゃぁああああッ!」

「うらぁぁあああッ!」


 鍔迫(つばぜ)り合いになって、互いに気合いの声を上げる。赤星の瞳は、真っすぐにこちらに向けられている。航は拳を(ひね)って体をいなすが、赤星は決して体勢を崩さずに、こちらの動きを(うかが)っているようだった。

 こういうときは、安易に技を出すのは危険だ。航はなんとか鍔迫(つばぜ)り合いから離れ、遠間から仕切り直すことにした。互いの剣先が触れる位置まで距離を詰める。すると、すぐにまた赤星は打ち込んできた。面だ。


「面――ッ!」

「小手ぇッ!」


 面に飛び込んできた赤星の体を、鍔迫(つばぜ)り合いになった瞬間にいなして引き小手を打つ。すると、赤星はそれを追ってくる。航は先手を取ろうと技を出す。しかし、考えていたことは赤星も同じだったようで、互いに一瞬の(すき)を感じ取りながら、激しい打ち込みが始まった。

 間合いは近い。一瞬でも気を抜けば打たれるであろう距離だ。航は赤星の打ち込んでくる連続技を竹刀で受け、体で(かわ)しては負けじと技を繰り出した。打ち合いを続けるうちにだんだんと息が苦しくなるのにもこらえる。ここは体力勝負だ。


「面――ッ!」

「小手ぇええッ!」


 やがて互いに引き技を打ち、間合いが離れた。しかし、一本にならないとわかればまたすぐに攻める。ところが、次の瞬間だった――。


「メンりゃぁぁあああッ!」


 赤星の声とともに、脳天にずしん、と衝撃が乗った。


 航が打たれたことに気付いた時、すでに赤星は両手を面の位置まで高く掲げて、残心を取っていた。今さっき、確かにこの脳天には衝撃が乗ったのだが、それはあまりに一瞬のことだったので、それが現実だったのかどうかも疑いたくなるほどだった。しかし、市鷹の「面あり!」の声と上げられた白い旗。それに福岡海城学院高校の拍手が、否が応でも航に真実を教えてくれる。


 打たれた――!


 赤星はすでに開始線へ戻っている。構えてじっとこちらを見据(みす)え、二本目の声がかかるのを待っている。航も開始線へ戻る。二本目の市鷹の声を待つ。ところが、その時だった。


「間合いだぞ、航!」

「二本目!」


 市鷹の二本目の声よりもやや早く、織田の声が聞こえた。間合いで負けない。相手より早く、強いプレッシャーを与える。それはわかっている。しかし、航にはさっき赤星が打った面の衝撃がまだ残っていた。なかなか頭を切り替えられない。あの面はなんだったのだろう。遠間も遠間、まだ剣先も触れない辺りから、飛び込んできた面。それだけではない。あの一瞬、航の動きは確かに止まったのだ。


「面りゃぁぁああッ!」


 まただ。今度は何とか赤星の打ちを躱す。一瞬の間があった後、飛び込んでくる面は担ぎ面だった。要するに、一度小手を打つと見せかけて軽く振りかぶってから打ってくるフェイント技だが、そのタイミングが異様に早い。いや、掴みづらいのもある。振りかぶった、と思った次の瞬間にはもう打たれているのだ。

 

 くっそぉ……。一本取られたってことは、もうどう足掻(あが)いてもチームでは負けじゃないか。


 悔しさのあまり、奥歯を噛み締めた。このあと、航が二本取り返して赤星に勝ったとしても、本数差でチームとしては負けてしまう。チームの敗北は、さっき打たれたあの面、一本で決まってしまったのだ。だが、そうであってもこのまま、ただ負けるわけにはいかない。いや、負けてしまうとしても、せめて爪痕(つめあと)の一つくらいは残したいものである。


 しかし、一足一刀の間合いで攻防を計ろうとするも、赤星には(すき)が全く無かった。どこへ打ち込んでも、返されて打たれるような気分になってくるのだ。パンッ、と竹刀を払い、足を踏み鳴らして威嚇(いかく)しても、彼は反応をほとんど見せなかった。

 構えが全く崩れない。間合いは近づいているのに、打ち込むことができない。しかし、そこで気付いた。間合いは確かに近づいているが、これは自分が攻めているわけではない。攻められている。つまり、赤星の間合いだ。


 まずい……!


 このままではまた打たれてしまう。航は再び竹刀の剣先で赤星の竹刀を払い、一度大きく引いて間合いを切った。当然、赤星は追って攻め入ってくるが、航も体勢を直し、攻め返しながら赤星を観察する。


 考えろ……。赤星が出そうとしてる技。タイミング。


 さっきの(かつ)ぎ面を、彼はまた出してくるだろうか。(かつ)ぎ面は、本来その瞬間に反応できれば(かつ)いで手元が上がったところで小手を狙える。反応ができさえすれば、チャンスはあるはずなのだ。しかし、赤星の場合はスピードが早過ぎるし、そもそも再度、全く同じ技を同じタイミングで使うというのは考えにくい。


 もし、俺が赤星なら……、次に狙うところは……。


 必死に頭を巡らせて、航は負けじと攻める。間合いが少し近づいた。緊張と興奮で全身の肌がぶわっと粟立(あわだ)つ。次に打つべき技があるなら、思いつくそれは、たった一つだ。

 再び互いに半歩攻め入った。大丈夫だ。おそらく読みは間違っていない。間合いが近づいた。剣先が触れる。


 ここだ……!


「小手ッ、面ーー!」

「メンだぁぁああッ!」


 航はめいっぱい左足を蹴って飛び込んだ。ただ真っすぐに、シンプルに、鋭く竹刀の先を振って、体ごと赤星に向かって突っ込む。その直後に手の平、指先には深い打突の感触を受けた。間違いなく一本だ。航は必死に残心を取る。


「面あり!」


 市鷹が赤い旗を上げた。赤星が打ったのは小手面だった。思った通りだった。航は面に隠された頬を(ゆる)める。

 間合いの攻防で負けなかった。自分の一番の武器だった面技も通用した。


 よし! これで五分だ……!


「勝負!」


 ここからは一本勝負だ。さぁ、次はどう出てくるか、と航は胸を高鳴らせる。


「うらぁあああッ!」

「せぇりゃぁあああッ!」


 互いに声を上げ、攻め入る。互いの竹刀の先がわずかに触れ合う。しかし、赤星は先ほどのようにすぐには打ってこなかった。さすがに赤星も一本を取り返されて警戒しているのか、慎重になっているようだ。

 ダンッ、と足を踏み鳴らすと、赤星は鬱陶(うっとう)しそうに大きく下がり、間合いを切る。彼はこの時、初めて明らかな反応を見せた。この機会を航は逃せない。


 (はや)る気持ちを落ち着けて、間合いを詰める。ここでなにも考えずに安易に出てはもったいない。この機会をなんとか一本に繋げたいものだ。航は試しに、竹刀の下を潜らせるようにして、小手を狙うフェイクを見せた。


「小手ぇッ!」


 ガシャン、と音がした。赤星は手首を使って航の打ちを[[rb:躱 > かわ]]し、一瞬の内に(ふところ)に入るようにして距離を詰め、鍔迫(つばぜ)り合いになる。引き技を狙おうというのだろうか。と、次の瞬間だった。


「……面りゃぁあああッ!」


 耳の辺りに(するど)い痛みと衝撃が走る。だが、それにも構わずすぐに残心を取る赤星を追った。有効打突の場所は外していたが、距離を空けてはならない。

 横目でちら、と市鷹を見やる。市鷹の持つ紅白の旗が、下げられたまま左右に振られるのを確認する。内心ホッとしながらも、赤星の下がったところを追って右に振りかぶる。そのまま彼の腹を斜めに斬るようにして、竹刀を振った。


「胴ーーーーッ! 胴だぁあッ!」

「おおっ!」

「時間です!」


 パァンッ! と乾いた音が鳴り、歓声と拍手が湧く。しかし、それとほぼ同時に時間切れを告げる声が聞こえた。


「やめ!」


 市鷹の声がかかり、航は目を(つぶ)る。あと数秒あれば、と悔やみながら開始線へ戻り、構える。赤星の真っすぐな目と視線が合った。


「引き分け!」


 クッソぉ……。勝てなかった……。


 蹲踞(そんきょ)をして、試合場を去る。航は大将としての仕事を果たせなかった。一本を取られ、チームとしての敗北を決めてしまった。一本取り返したものの、個人としても勝てずに終わってしまった。

 しかし、この引き分けは必ずしも航にとって悪い結果だけではなかった。航の持つ武器、戦い方は全国でもレベルの高いと言われる九州勢にも通用する。自分には、十分に戦える材料がある。航はそれをこの試合で、自分自身で確認することができたのだ。


 練習試合は昼前まで続いた。(こな)した試合数は全部で五試合。一番最後の試合まで、織田はメンバーをあれこれ替えながら試合を組んでいたが、航は結局、その内の四試合に出場した。福岡海城学院高校はどの剣士と戦っても強かったが、全く歯が立たない、というほどではなく、そこに航はほんのわずかの自信を得ていた。ただし、間合いの攻防や、間合いの攻め入り方、技を出すタイミングが素早いことは全員共通していて、そこで負けてしまえば一本を取られるまではあっという間だった。

 彼らの攻め方は、やはり燃え盛る火のようだ。一度勢いを増してしまえば、彼らを止めることはとても難しかった。




「この後は、地稽古(じげいこ)をしますので、全員面を付けて、好きに組んでください。なるべく他校同士の方がいいかな」


 五試合目が終わると、そう吉岡が言った。地稽古は、試合稽古とよく似た稽古法である。好きな相手と組んで、試合形式で戦うのだ。ただし、地稽古が試合稽古と大きく違うのは、勝敗をつけないこと。一本を取られても、地稽古ではそのまま稽古を続ける場合が多く、審判もいなければ試合線も関係ない。そのため、自分の持っている得意技はもちろんのこと、磨いている最中の技など、いろいろと試すことができる。


 また、勝負をつけたければ、相手と相談して勝負することもできる。その場合、たいていは一本勝負が多い。なぜなら地稽古では、より多くの相手と稽古をする、ということも大事だからだ。

 剣士には様々なタイプがいて、通用する技も人それぞれである。だから、できるだけ多くのパターンを知っておいた方がいい。限られた時間の中で多くの経験を積むことができるのもまた、地稽古の良い所だ。


 航は福岡海城学院の数人と地稽古をした。試したいことはなんでもやって、その結果として真っ二つにされそうなほど打たれることもあった。しかし、それでいい。まだ自分の技の中で、発展途上なものと、十分に得意技と呼べるレベルのものを改めて区分するのは重要だ。それがわかっていないまま大会で技を出すのは、非常に危うい。絶対に負けられない試合で、見事に打たれて負けてしまう可能性がある。


 地稽古が昼過ぎまで行われたあと、その日のすべての稽古が終わり、九州遠征の最初の練習試合が終わった。




 午後一時を回る頃、織田の運転するマイクロバスに揺られて、一行は宿泊先のホテルに向かっていた。織田は試合での反省点をあーでもない、こーでもないと市鷹に話していたが、そのうち、それは徐々に思い出話に変わっていった。学生時代、織田は九州の大学に(かよ)っていたらしい。吉岡と最初に出会ったのは、高校の全国大会だったそうだ。


「当時はずいぶんと世話になったんだ。ただ、どうでもいいけど、あの人太ったよなぁ。もうちょっと痩せた方がいいんじゃないか?」


 織田はそう言って笑っている。市鷹はそれに笑みを返していたが、なんとなくわかる。あの笑顔はどう返したらいいかわからなくなった時の、とりあえずの笑顔だ。


 一方、浬は今、航の隣で肩にもたれかかり、静かな寝息を立てている。彼はバスに乗り込むなり、我先にと航の隣に座ったが、バスが走り出して気が付いたときにはもう眠っていた。宿泊先のホテルまで、それほど時間はかからないとわかっているはずだが、彼も慣れないフェリーの寝床で一晩過ごしたのと、初めて訪れる九州での練習試合で疲れているのだろう。

 そのうち、大地が不意に、航と浬の座席を(のぞ)き込んで「あれ、カイちゃんも寝ちゃってるの」と笑った。聞けば、楓も眠ってしまっているのだと言う。彼もきっと疲れているのだろう。今日の試合でいい結果を出せなかったのは、疲れと緊張が大きかったに違いない、と航は楓の試合を思い出していた。


「今日さ、楓すっげえ緊張してたみたいよ。さっきちょっと愚痴(ぐち)ってた」

「やっぱりな。北条は意外にガチガチになりやすいんだよ……。普段は強がりで意地っ張りのくせに」

「ほんと、ほんと。案外、小心者なとこあんのかもね。やっぱ楓はハリーっぽいわ」


 大地が笑う。それが楓に聞こえていたのかどうかはわからない。しかし、大地が笑った瞬間、楓の眉間(みけん)にはしわが寄った。

 やがてバスはホテルに到着する。時刻は午後一時半ちょうどだ。


「よーし、お前ら! 荷物持って降りろ! 荷物置いたらすぐロビーに集合。先にメシだ! メシ食いに行くぞ!」


 織田が声を張る。途端に浬が起きた。開口一番「ラーメン……?」と口走ったのには笑えたが、そのうちに航の腹の虫も盛大に鳴き出して、急に空腹を感じるようになった。


「……腹減ったな」

「うん、減ったぁ」

「昼メシ、博多ラーメンかな」

「かもね」


 ふたりの会話が聞こえていたのかもしれない。織田は運転席から「本場の博多ラーメン、食べさせてやるからなー」と再び声を張った。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

よろしければ、続きをお楽しみいただけますと嬉しいです。


いなば海羽丸

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