15【託されたもの】〜朝比奈航〜
インターハイ予選、準決勝後の市立船戸高校チームのお話。
航視点でお送りします。
柔道場の中は静かだ。さっきまで他校チームがにぎやかなお喋りをしながら着替えていたので、騒がしかったが、今ここには航たち以外の人間は誰もいない。みんな、アリーナで決勝戦を観ているのだろう。
航は市鷹たちとともに着替えをして、防具や竹刀を仕舞った。それからアタッシュケースに襷が揃っているかどうか確認した。その間も、市立船戸高校の人間は誰ひとりとして喋らなかった。
「着替えが終わったら、みんなで先生のとこ集合な」
「あぁ」
「はい」
とても静かに市鷹が言ったのに対して、数人が返事をした。市鷹と将鷹。毛利、伊達。この四人は夏休みが来れば、現役を引退しなければならない。つまり、このチームで試合に出ることはもう二度とないわけだ。それを思うと、航は寂しくてたまらなくなる。この四人がチームからいなくなるなんて、とても考えられない。
また、羽柴は市鷹たちと同様、試合が終わってからはほとんど言葉を口にしていなかった。選抜メンバーであった彼はきっと、航以上につらい思いをしているに違いない。その表情は、今にも泣き出してしまいそうで、航は心配になって、時折、彼の顔を窺った。無理もない。彼は先の準決勝で一本を取られ、負けてしまったのだから。
きっと羽柴先輩は、自分を責めてるんだろうな……。
「羽柴先輩……」
「ん? なに、どうした?」
あまりに心配になって話しかけた。だが、こんな時にちょうどいい話題など見つかるはずもない。羽柴は弱々しい笑みを見せて、こちらに振り返る。
「いえ、なんでも……」
すると、羽柴は「そっか」と言って、航の頭をくしゃくしゃ撫でる。しかし、彼の笑みはやはり、どこか無理やりであるような気がした。
ジャージに着替えた後、レギュラー七人は[[rb:揃 > そろ]]って織田のそばへ集まり、ミーティングを行った。それはミーティングと呼ぶにはやや大雑把なものだった。
「……まぁ、こっちにも流れはあったが、うまく乗れなかったな。いいか、あれが全国レベルなんだからな」
「はい」
織田の言葉が航の胸に深く突き刺さる。彼らとはレベルが違う、お前たちはもっと強くならなければ勝てないんだ、と言われたような気がしたのだ。しかし。
「覚えておけ。お前たちは全国レベルの高校を相手にしても、あれだけ戦える力を持ってる。お前たちは絶対弱くない。結果は負けだったが、いい試合だったよ」
誰も返事をしなかった。いや、しなかったのではない。返事をしたくてもできなかったのかもしれない。航は伊達が目に涙を浮かべて、なにか懸命にこらえるような表情でいるのを見て、そう察した。
「……じゃあ、閉会式終わったら応援組と合流して撤収」
「はい」
最後の返事はおそらくその場にいる全員がしていた。だが、そのうちの数人の声は震えて聞こえた。
閉会式が終わると、各自、帰り支度をする。その後、航たちレギュラーメンバーは応援組の浬や大地たちと合流した。最後、織田のそばへ集合して、やはり簡単なミーティングが行われ、数分で終了した。
そうして、織田が運転するマイクロバスに乗り、みんなが学校へ着く頃、時刻は夕方六時を回っていた。
「明日は個人戦だ。出場する四人は頭切り替えろ。付き人はそれぞれしっかりフォローすること」
学校へ着いて解散する前に、織田が言った。明日は『インターハイ県予選、個人の部』が行われる。出場するのは地区予選個人の部で一位から三位までを総なめにした三年生全員だ。
市鷹には羽柴、将鷹には斎藤、伊達には航、毛利には浬が付き人としてフォローに入る予定である。付き人は常に選手とともに行動し、襷やスコアを記入するのが仕事である。そのほかにも、ドリンクを持ち歩いたり、選手の体調や精神的なサポートもしなければならない。言ってみれば、トレーナーのようなものだろう。
「今日は早く帰って、よく休め。解散!」
「はい、ありがとうございました! 失礼します!」
織田はセカンドバッグを抱え、駐車場の方へ去っていく。それを見届けてから、航たちは部室へ向かった。
「航……」
部室に荷物を取りに戻る途中、不意に浬に声をかけられる。その表情は不安でたまらない、といったふうだ。その背後にいる楓と大地もまた、似たような表情をしていた。たぶん、自分もまた今、彼らと同じ顔をしているのだろう。と、航は気付かされる。
「先輩たち、大丈夫かな……」
「うん……」
わからない。死力を尽くして戦い、敗れてしまった彼らには、悔しさも寂しさもあるだろう。航も中学時代、県の総体で武田に負けたときはそうだった。だが、ひとつだけ違うのは、彼らはチームで戦ったということ。当時、航は一人だったということだ。
三年間、切磋琢磨してきた部員で結成されているチームが負けてしまった悔しさがどれほどのものか、と航は想像する。信じ合い、ともに戦った大切なチームメイト。当然、一人で戦うよりも悔しさは倍増するはずだ。また寂しさもあるだろう。
部室へ戻って、帰り支度をしていても、部員たちはほとんどなにも話さなかった。今、ここには部員全員がいるというのに、本当に静かなものだった。各自、支度を終えると「お先に失礼します」と言って、やはり誰もが静かに部室を出ていく。航はその中で、ひとり、座り込んだままでいる羽柴を見つめていた。
羽柴先輩……。
不意に誰かに袖を引っ張られる。振り向くと、浬がまた、不安げな顔でそこにいた。おそらく彼も航と同じ、羽柴の心配をしている。
いつの間にか、大地と楓がいなくなっていることに気付いた。彼らはこの雰囲気に居たたまれなくなって、先に部室を出たのかもしれない。航は今にも泣き出してしまいそうな羽柴の横顔を見つめて、思わず声をかけた。
「羽柴先輩……」
「あ――……ごめん。なに? 航」
「あの……、今日、よ、よかったら一緒に帰りませんか……! うまいラーメン屋、見つけたんですよ、この前!」
「ラーメン屋?」
「そうなんです! なっ、浬!」
「え――っ」
浬は身に覚えがない、とでも言うように眉尻を下げている。もっとも、それは咄嗟の出まかせだった。航も同じく、そんなラーメン屋を見つけた覚えはない。けれど、羽柴をなんとか元気づけたくて、思いつく適当な誘い文句を口にしたのだ。すると、まだそこに残っていた市鷹が口を開いた。
「航。どこのラーメン屋?」
「え、えっと――、それはその、国道沿いの……」
「国道沿い……? もしかして麺道屋のこと?」
「あ、はい……! そうです、麺道屋です!」
見つけたもなにも、航はその店を元より知っている。いや、この学校の生徒なら知らない人間はいないはずだ。学校から自転車で数分走った先、国道沿いの非常に目立つ場所にその店はある。彼らだって一度くらい寄り道に使ったことはあるだろう。まだ一年生の航や浬ですら、経験があるのだから。
嘘まる出しの誘い方は、あまりに下手くそだった。航は恥ずかしくてたまらなくなる。背後にいる浬もきっと呆れているだろう。今、航が羽柴をラーメンに誘ったのは、明らかに気を遣って励まそうとしたことが理由だ、ということが露骨になってしまったのだから。
「なんかその……、すいません……」
なにを言ったらいいかわからず、ただ自分があまりに情けなくて謝った。すると、目の前で市鷹と将鷹がぶっと噴き出す。
「……っ、わかりやすい奴だな……!」
「航、お前……っ、サプライズとか絶対できないだろ!」
「はぁ……」
彼らの笑顔に羽柴も釣られたのだろう。羽柴はくす、と笑みを零す。だが、またすぐに目を伏せてしまった。市鷹はそんな羽柴を見て、笑うのをやめて言った。
「よーし。じゃあ、みんなで麺道屋行くか!」
市鷹、将鷹のあとを追うようにして、航と浬、そして羽柴は自転車を漕いだ。数分で国道に出て、麺道屋に到着し、すぐに座敷席へ案内される。夕飯どきの店内は混み合っていたが、席数の多い店であるせいもあってか、待つこともなく五人は席へ着くことができた。
麺道屋特製ラーメンを五つ、餃子を三皿注文して、五人はそれを綺麗に平らげた。さすがにラーメン屋は注文から出てくるまでが早い。死力を尽くした戦いのあと、空腹だった五人には非常にありがいことだった。
しかし、満腹になったあとでも、羽柴はあいかわらず覇気を失くしている。航は心配でたまらなかった。今日のチーム敗退は自分のせいだと、彼が明らかに自分を責めているのがわかるからだ。それには浬も気付いていて、さっきから不安そうに羽柴を気にしている。そして、航と浬が気付くくらいだ。市鷹と将鷹だって、とうに彼の様子には気が付いていただろう。
「羽柴」
不意に将鷹が呼んだ。浬はテーブルの上のピッチャーを取り、市鷹のグラスから順番に水を注いでいく。
「お前な、いつまでも反省したフリしてんじゃねーぞ」
将鷹の言葉に、思わず目を見開いた。なんてひどい言い方をするのだろう。浬はギョッとして水を注ぐのをやめ、羽柴は目を点にしている。元々、将鷹は口が悪かったが、これはそういう問題ではない。と、思ったところで市鷹が頬を緩ませ、口を開いた。
「そうだな……。それに、反省しなきゃいけないのは羽柴じゃない。俺たちだ」
「あぁ。なにしろ部長副部長ががん首揃えて戦って、一勝もできなかったんだからな」
航はおどけたふうで話すふたりを前に、なんと返したらいいかわからなかった。しかし、羽柴はかぶりを振る。
「一勝もできなくても、負けなければその先があったんです。でも、今日おれは……負けました。おれが負けなければ、イチ先輩はもしかしたら……」
「ばかやろ。もしかしたら、なんてのはない。イチは勝てなかった。オレも勝てなかった。それが結果だ。いくら取られてたって、取り返すことはできたのに、取れなかったのはオレらの実力が届かなかったってだけだ」
「そんなことはありません……!」
「そうなんだよ!」
羽柴には珍しく声を荒らげたと思ったが、それを超える威圧的な将鷹の返事に、羽柴はしゅんとしてしまった。航と浬も一緒に叱られたような気分になって顔を見合わせ、肩をすくめる。
「……羽柴はよくやったよ」
しばらく沈黙が続いたあと、将鷹が言った。それに市鷹も同調するように頷いている。
「おれもそう思ってる。お前がいなかったら、ここまでは来れなかった。ありがとうな……」
「いえ、おれは……」
「最後まで楽しかったよ、このチームで剣道できてさ。なぁ、マサ?」
「あぁ」
途端に羽柴は目を潤ませ、歯を食いしばり、膝の上で拳を強く握った。終わってしまったことが悔しいのだろう。彼はここで今日、ふたりにこんなセリフを言わせたくはなかったのだ。それは羽柴だけではなく、航も同じ。そして浬も同じ気持ちだったはずである。
「羽柴、夏からはお前のチームになる。頼んだぞ」
「副部長はちょっと頼りないかもしれねえけど、まぁ仲良くやってくれ」
「はい……」
市鷹と将鷹に言われて、羽柴はそう返事をしたあと、目元を拭った。
一方で、航は浬と再び顔を見合わせる。感動的なシーンではあるが、それよりも副部長の存在が気になって仕方なかったのだ。
航も浬も、羽柴が次期部長になる、ということはある程度予想していた。しかし、副部長のことまでは考えが及ばなかった。と、いうよりもふさわしい人物が思いつかなかった、と言った方が正しいかもしれない。
今現在の部長、副部長は、チームを引っ張る父と母のようなものだ。ふたりがいてくれるのは航たちに多大な安心感をくれる。しかし、今の二年生に羽柴とそういう関係になれる相手がいるかどうかは疑問だった。
佐伯は優しいが、まだ怪我の治療期間なので試合には出られないし、チームをぐいぐい引っ張っていくイメージもない。
雑賀は戻ってきたばかりで、半年のブランクがある。航は彼とまともに話したことがないし、どういう人間なのかも聞いた話でしか知らない。彼がもし、長期間休んでいなければもっと違ったのかもしれないが、戻ってきたばかりで副部長の任に就くことはやはり考えにくかった。と、いうことはやはり。斎藤だろうか。
斎藤先輩はたしかにちょっと頼りないかも……。でも……。
彼はチームのムードメーカーであり、おちゃらけているようで、案外まともなことを言ったりもする。今回に至っては航に多くのことを教えてくれた。ただし、剣道の調子にはややムラがあるので、そこは心配になるところだ。おそらくは羽柴も同様に感じているだろう。
「あいつとは、今度しっかり話をしようと思ってます」
「そうだな」
市鷹と将鷹はそれがいい、と言うように頷いた。それからもう一度、しっかりと羽柴に向かって言った。
「羽柴、おれらの気持ちはお前に託すよ」
「情けねーけどな。しょーがねぇ。頼んだぞ、羽柴」
帰り道、市鷹や将鷹と別れて、航は浬、羽柴と三人で帰路についた。自転車を漕ぎ、国道をひた走る。会話はほとんどなかった。さっきまでひどく落ち込んでいた羽柴は、いくらか元気になってきたようだが、それでも普段の彼とは違っている。初めて見る彼の落ち込む姿を心配するも、羽柴は寄る場所があると言って、いつもの帰り道とは違う方向へ曲がり、行ってしまった。
「笑ってたな……。イチ先輩たち……」
「そうだね……」
自転車を漕ぎながら、今一度、思い出す。羽柴に「お前らに託す」と言った市鷹と将鷹は、笑顔だった。あれは、すべてを出し切って負けたことへの悔しさよりも、すがすがしさが勝って表情に出たということだろうか。いや、思い出せば思い出すほど、それは違っているような気がする。今の彼らに、悔しさよりも勝るものなどないはずだ。やがて、国道の長い信号待ちの途中、浬が言った。
「……ねぇ、航。イチ先輩たち、本当は泣きたかったんじゃないのかな」
まさに今、航も同じことを考えていたところだった。彼らは泣きたくて泣きたくて、それをこらえるために笑ったのではないか。あるいは、羽柴を心配させまいとしたのではないか、と。
「そうかもな。でも、羽柴先輩や俺らのために堪えてくれてたのかも」
「うん……」
やがて、信号が青に変わる。自転車のペダルを思い切り漕いで、航はすぅっと息を吸う。
「くっそぉおおーー! 浬、俺たちが倒すぞ! 兜山高校も、もっと上の、全国レベルの高校も!」
「う、うん!」
「絶対、強くなってやる!」
「おれも……っ、すっごいいっぱい稽古して、もっと強くなって、先輩たちの分まで勝つ……!」
浬は、突然声を張り上げた航に驚いたようだったが、必死に航の言葉のあとに続いて言う。咄嗟に出た言葉だとしても、その口調はしっかりしていた。航は頷いた。
どんなに悔しくても、嘆いても、今日の結果が覆ることはない。市立船戸高校は今年、準決勝で兜山高校に勝てなかった。インターハイの出場権も得られなかった。結果は三位入賞。市鷹たち三年生が率いるこのチームは、夏休みが来ればそこで終わり。これが現実だ。
だが、彼らの気持ちはここに繋がっている。羽柴や、航、浬をはじめとした、一、二年生の部員全員にその思いは確かに託されている。今日の悔しさを誰もが原動力にするだろう。勝利を勝ち獲るため、そして、自分自身が強くなるために。
「絶対勝ぁあーつ……!」
「おれも、絶対勝つ……っ!」
航が自分に言い聞かせるように声を張れば、浬がそれに応えるかのように続いてくれる。しかし、浬はなにかを思い出したかのように「あっ」と声を上げた。
「浬、どうした?」
「おれも勝つ、けど……、でも、その前に……」
「その前に?」
「まずは、航に勝つ!」
これでもかというほど、浬が声を張り上げた。航は思わず吹き出して笑う。そうだ、その通りだと思った。チームメイトを相手に一本も取れずにいるようでは、全国大会に出場する強敵に太刀打ちできるはずがない。自分と同等の相手、またはそれ以上の実力を持つ相手に対して一本を取ること。試合に勝つこと。それができなければいけないのだ。
「俺も! 浬に勝つ!」
航は応えた。ふたりは拳をコツン、と合わせる。航の目に映った浬の眼差しには、熱がこもっている。それは勢いを増して燃え上がる、炎のようだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
よろしければ、続きをお楽しみいただけますと嬉しいです。
いなば海羽丸




