14【高い壁】〜小笠原浬〜
ついに兜山高校、大将戦。主将同士の対決。
応援席にいる、浬視点でお送りいたします。
「まずいぞ……。イチ先輩が一本取れなかったら、ここで終わりだ……」
隣でそう呟いたのは楓だった。浬は口を尖らせ、鼻を鳴らす。そんなことはみんなわかっている。市立船戸高校が兜山高校に勝つためには、市鷹が勝つしかない。相手は兜山高校の主将、武田である。そして残念ながら、市鷹が武田に勝てる可能性はそう高くない。武田は強い。それは誰もが知っている事実だ。
「うん……」
「やっぱ強ぇな……。兜山高校……」
「うん……」
「勝てるかな……。イチ先輩――いッ」
浬は拳で楓の肩を殴った。思わず手が出てしまったのだ。もちろん、それなりに手加減はしたつもりだったが。
「ってぇな……。なにすんだよ、浬……」
「勝てるに決まってる! イチ先輩だってすごく強いんだから!」
楓は不貞腐れた表情で「そんなの、オレだってわかってる」と呟いて、再び試合場へ目を向ける。彼は唇をぎゅっと真一文字に結び、拳を強く握っている。
不安を口にしたくなるのもわからないわけではなかった。きっと楓だって、自チームがここで負けてしまうのが嫌で、けれど、兜山高校の強さを改めて感じて、不安でたまらなくて口にしたのだろう。
「イチ先輩はきっと取ってくれるよ」
「そうだよな……」
大地は試合場を見つめ、無言のままふたりのやり取りを聞いているようだった。彼は剣道経験こそないが、この試合で市鷹が勝つことがどれだけ難しいかは理解しているだろう。佐伯と雑賀は交代でビデオカメラを持って試合を録画しながら、やはり無言で試合を見つめている。
市鷹は今、第一試合場で武田と戦っている。ふたりの身長差はそれほどないはずだが、武田はやけに大きく見えた。
「面ッ、面だぁぁッ!」
「小手ぇッ!」
拍手が湧く。間合いの攻防から、先に面に飛び込んだのは市鷹だった。鍔迫り合いになろうというところで、武田は即座に引き小手を打って離れる。その後、ふたりはまた遠間から互いに攻め始めた。
「せぇやぁぁあッ!」
「うらぁぁあああッ!」
武田の竹刀の剣先を払うようにして、市鷹が攻める。一方で、武田は足を踏み鳴らして市鷹を威嚇しながら、少しずつ距離を詰めていた。
武田がパンッと市鷹の竹刀を弾く。まるで「鬱陶しい」とでも言うようだった。市鷹がそれをかわしてすぐ、半歩前へ進み、攻める。すると、武田が下がった。そこを市鷹がさらに攻め込む。
「よっしゃ、いい感じ!」
楓が声を弾ませる。だが次の瞬間、浬は咄嗟に身構えた。嫌な予感がしたのだ。
まずい……っ!
「面ーーーッ」
「ドォーーーーーッ!」
「おおーーっ!」
パァンッ、と乾いた音が会場内に響き渡る。市鷹の腹を真っ二つにするような勢いで打ち込み、これまでにないほどの歓声が沸き起こる。浬の予感は的中してしまった。
「胴あり!」
「取られた……」
主審、副審ともに赤い旗を上げている。実に模範のような、見事な抜き胴だ。文句のつけようもない。市鷹がここまで見事に打たれたのは、相手が将鷹であっても数えるほどしかなかった。
「すげえ……」
隣で呆然としながら楓が言う。声はいささか震えているような気がした。
「今、武田先輩は胴、狙ってたのかな……」
「狙ってたんだね」
「浬は今の、わかった?」
「うん……、でもイチ先輩が飛び出す直前だったから、おれもたぶん打たれてたよ」
「そっか……」
楓はため息混じりにそう答えて、肩を落とした。
武田先輩は今、イチ先輩を誘い出して打たせたんだ……。グイグイ攻めてから、わざと攻防に負けたフリして……。
相手が武田というだけで、有利な機会に恵まれれば、そこを攻めたくなる。彼ほどの強者と対戦する場合、チャンスはごく少なく、作っても訪れない場合が多い。
市鷹はこの試合で絶対に一本を取らなければならない。そうでなければ、チームは負けてしまうからだ。その心理を読み取り、武田は彼と激しい間合いの攻防をした後、わざと下がったのだろう。ここが好機とばかりに打ち込んできたその瞬間を、武田は狙ったのだ。
やっぱ、強い……。でも……!
「イチ先輩なら大丈夫! 取り返せるよ!」
浬はわざと声を張る。背後にいる市鷹や将鷹の両親にもしっかり聞こえるように。
楓が黙って頷き、大地は頰をほんの少しだけ緩ませ、笑みを見せる。浬は彼らに親指を立てて見せた。きっと大丈夫、我が市立船戸高校が、市鷹が、ここで終わってしまうはずがない。たとえ相手が武田であったとしても。再び試合に目を戻したとき、不意に背後で市鷹と将鷹の両親が口を開いた。
「引き技だぞ、イチ……。引き技を狙ってけ……」
その言葉に思わず反応して、頷いた。市鷹の得意技は引き技だ。鍔迫り合いになれば、きっと取り返せる。浬はそう信じた。
試合場では市鷹と武田が間合いの攻防の中で攻め合っている。だが、ほどなくして、ふたりは鍔迫り合いになる。浬はグッと拳を握った。これは好機だ。
イチ先輩……!
市鷹の鍔迫り合いは拍子抜けするほど柔らかい。剣士の中には、必要以上に拳でもって押してくるような鍔迫り合いをする者も多いのだが、市鷹は決してそれをしなかった。それなのに、打たれる瞬間は驚くほど呆気なく相手をいなし、体勢を崩してしまう。そして打たれ、「まずい」と気が付く頃、彼はもう残心を取っているわけだ。校内でも、あの鍔迫り合いと引き技を防げる者は少ない。彼を熟知しているはずの双子の弟の将鷹ですら、一本を取られてしまうくらいなのだ。ただし、そうは言ってもチャンスは多くない。
鍔迫り合いの最中、武田は離れたがって、やや乱暴に市鷹を振り放そうとしている。さすがの武田も市鷹の引き技を警戒しているらしい。浬はふたりを祈るような気持ちで見つめる。武田はどうにか市鷹から離れたようだ。
「あぁ、もう……!」
しかし、一度離れて互いに構えるかと思いきや、武田に対して市鷹はグッと攻め込んだ。一気に距離が近くなる。近間だ。しかもおそらく、市鷹が優勢だった。
これは危険だとばかりに、武田が市鷹の懐へ潜り込むようにして近づき、ふたりは再び鍔迫り合いになった。――すると、次の瞬間。
「メーーーンッ! 面だぁぁぁああああッ!」
響き渡るのは市鷹の声。同時にバクンッ、という鈍い音がした。一瞬のうちに、市鷹は残心を取りながら武田から離れる。ほんのひと呼吸あってから、白い旗が三本、一斉に上がった。
「面あり!」
「やったぁ……!」
主審の声が聞こえた瞬間、浬は思わず声を上げて、ガッツポーズをする。それからすぐに拍手を送った。手がジンジンと痛みを持つほどに拍手を送り、激励する。
「イチ先輩、すげえ! あと一本……! 一本取れば代表選だぞ!」
楓も隣で声を弾ませている。代表戦は、団体戦で先鋒から大将までの五人が対戦した結果、得失点差でも勝負がつかなかった場合に行われる。それぞれのチームから一人ずつ選ばれ、勝負がつくまでサドンデスで戦うのだ。
一応は三分間で区切られるが、ほとんど休憩はない。あっても数秒。主審に「息を整えて」と言われる程度のものだ。そうなったとき、選出されるのは当然、市鷹だろう。対して、兜山高校は武田を選出するはずだ。つまり、どこまで行っても、勝敗がつくまではこのふたりの戦いになる。ただし、それには市鷹があと一本を武田から取り、この試合で勝利する必要がある。そうでなければ、勝者数で市立船戸高校は敗退となるからだ。
頑張れ、イチ先輩……!
武田は強い剣士だ。間違いなく、彼の強さは全国レベル。しかし、今の試合の流れは決して悪くない。確実にいい風は吹き始めているはずだ。
「せえやぁぁああッ!」
「うらぁぁああッ!」
市鷹と武田は互いに相手を怯ませようと、気迫十分に声を張っている。鬼気迫るようなふたりの声に、浬は全身をぞわっと粟立たせた。また同時に、腹の中で滾るような思いがこみ上げてくる。それをグッとこらえて、浬は試合場を見つめた。
だが、武田はさすがだ。もう二度と攻め入らせまいと、彼は市鷹に対して果敢に攻めていた。勢いも先ほどよりあった。
「小手ぇぇーーッ! 面りゃぁぁああッ!」
「おおっ!」
武田が小手を打ったあと、すぐに引き面を打つ。市鷹はそれを避けたが、歓声は当然のごとく湧いた。距離を詰めるも、武田はあっという間に体勢を立て直してしまった。
「まずいな……。時間、もう一分切ってるぞ」
不意にそう言ったのは雑賀だった。ビデオカメラを持ち、この試合を録画していた彼は、残り時間の詳細が否が応でもわかってしまうのだ。不安を覚えながら、浬は画面を覗き込む。途端に体が冷たくなった。残り時間はすでに残り四十秒を切っているではないか。
「本当だ……」
だが、ここで自分たちが焦っていてもどうしようもない。戦っているのは雑賀でも浬でもない、市鷹なのだ。
刻々と過ぎていく時間を追いかけて、つかまえて、止めたくなる。もう少し待ってくれ、と言いたくなる。そして、武田が打ち込むたびに、歓声が大きくなっているのはおそらく気のせいではない。
「イチ先輩……!」
佐伯がもう我慢できないと言わんばかりに、懇願するように口にする。そのとき、不意に市鷹と武田は再び鍔迫り合いになった。
「おし……、ここがたぶん最後のチャンスだ」
雑賀が言う。浬も同感だった。ここで一本を取らなければ、市鷹と武田の試合は引き分けのまま終わってしまう。市立船戸高校は、敗退する。市鷹自身も、制限時間が迫っているのはわかっているはずだ。しかし、彼は落ち着いていた。その様子はいつもとなんら変わらない。
「うらぁぁあ!」
武田が気合を込めた声を張り上げる。と、その時。市鷹が瞬時に体を使って武田をいなした。
よし……っ!
「小手ぇーーーーーッ!」
「おぉっしゃ……」
バグッ、と鈍い音がした。楓が声を上げる。同時に浬も、握った拳に力を込めた。市鷹が残心を取っている。ピーッ、と機械音が鳴る。審判旗は下げられたまま左右に振られる。主審が両旗を上げた。
「やめ!」
心臓はバクバク鳴っている。襲い来る緊張で吐きそうになる。わずかな期待と落胆が入り交じる。しかし、次にやって来たのは絶望だった。
「引き分け!」
途端に割れんばかりの拍手と歓声が湧いた。全身から力が抜けていくのを感じる。それなのに体は、なにかに縛られているように固まって動けない。呼吸すら正しくできているのかどうかわからなかった。試合場からは、市鷹が去っていく。審判が三人横に並び、選手が向かい合わせで並び始める。みんなが座っていた畳の上には、顧問の織田、それに斎藤と航の姿があった。
航……。
彼も今、浬と同じ気持ちでいるはずだ。チームが負けてしまったことは事実だと理解しながら、信じたくなくて、感情の行き場を失くしている。
隣にいる楓や大地、雑賀や佐伯の様子を見ても、みんな心境は同じであるようだ。兜山高校は強い。けれど市立船戸だって強い。勝てる実力はある。誰もがそう信じていた。まだ動くことができずにその場で立ち尽くしていると、不意に背後で声がした。
「いやぁ、やっぱり強いなぁ。兜山高校はぁ……」
「ほんと。でも、よく頑張りましたよね」
「うん、みんな頑張った! 負けちゃったけどそれだって三位入賞だもん。すごいですよ!」
会話しているのは保護者たちだ。我が子の勇姿を目にして、声が震えている人もいるようだったが、みんな十分過ぎる結果だ、と口々に話した。それに異存はない。しかし、言いようのない悔しさを感じて、浬は奥歯を噛み締める。
「おい、隣も決まったぜ! 桂浜だ!」
「今年の決勝は桂浜と兜山かー」
「なー? やっぱおれの言った通りになったろ?」
「早くしろ、 決勝始まんぞ!」
そう言って颯爽と走り去っていくのは他校の部員たちだ。同時に舌打ちが聞こえた。振り返って見れば、楓が彼らを睨んでいる。浬は思わず声をかけた。
「楓……?」
「悔しいよな……。市立船戸が負けたのは当たり前じゃねぇよ……」
「うん……」
浬も楓と同様、悔しくてたまらなかった。彼らは今の試合を観ていたはずなのに、まるで、市鷹たちが負けるのが当然であるかのような言い方をしたのだ。兜山高校はなにも圧倒的な強さで勝利したわけではない。それは激しい接戦の末の結果だったというのに。
しかし、市立船戸高校が県立兜山高校に敗北したことはまぎれもない事実である。そして浬は改めて、彼らの強さを感じていた。
うちはぼろ負けしたわけじゃない。でも、勝てなかった。県立兜山高校――。あのチームはきっと、千葉県の壁なんだ。
大きくそびえ立つ壁。浬は彼らをそう感じている。それは思ったよりもずっと大きく、厚いものだった。もっとも、先ほど雑賀が話していた通り、強い相手にだって勝つ方法はきっとあるのだろう。しかし、接戦であろうが圧倒的であろうが、やはり勝つことができるというのは、チームとして強い証拠である。自分たちよりも同等、あるいは強いチームと戦った場合に勝つことができるかどうか。その違いは大きい。彼らは浬が思っていたよりも、ずっと高い壁だったのだ。
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いなば海羽丸




