11【帰ってきた先輩】~小笠原浬~
休部していた先輩が戻ってくるお話。
浬視点で、お送りします。
「やったぁーっ! 三位入賞っ!」
浬は八重木高校との試合が終わると、嬉しさのあまりに拳を振りかざした。すると、大地が一緒になって「カイちゃん、カイちゃん! イェーイ!」とはしゃいで両手で拳を作り、目の前に差し出す。ふたりはどこかの有名プロ野球チームのように、拳と拳をコツン、と合わせて、自チームの勝利を喜んだ。それを見て、楓は呆れた目を向けている。
「お前らなぁ……。野球じゃねえんだよ……」
「楓も! イェーイ!」
「オレはやんねぇ」
「いいじゃん、勝ったんだよ! 三位だよ!」
浬にとってはなにもかも初めてだった。自分が所属しているチームの応援がこんなに楽しいのも、彼らの活躍がこんなに嬉しいことも。初戦が始まる前はとても緊張したが、トントン拍子に勝ち上がって三位入賞。あと二回勝てば優勝だ。インターハイへの切符が手に入る。しかし――。
「もう少しだね! このまま頑張ってほしいなぁ!」
「あぁ……」
「楓? ……さっきからどうしたの?」
浮かれる浬の隣で、楓は表情を曇らせ、不安そうな顔をしていた。極度の緊張でこわばっているようにも見えるし、どこか寂しそうにも見える。いったいどうしてしまったのか。浬は楓の顔を覗き込んだ。ちょうど同じタイミングで、大地も楓の覗き込む。
「なんだよ、お前ら……」
「だって、怖い顔してんだもん」
「ねぇ?」
まだこのあとも、試合は準決勝へと続き、優勝しなければインターハイへは行けない。それでも三位入賞は喜ぶべきことのはずではないか。浬には楓の『怖い顔』の理由がわからなかった。楓はあいかわらず眉をしかめているが、やがてふうっと息を吐くと、一番上座の会場で試合を行っているチームに目を向け、顎をしゃくった。
「今さ、あそこでやってるチームいるだろ」
「どれどれ? ――あぁ、あれ?」
「県立兜山高校っての。次の対戦チームだよ」
兜山高校――。確かそこは、今日の試合が始まる前に佐伯が話していた高校だ。彼らは去年もインターハイへ行っていて、しかも去年活躍した選抜メンバーが今年は三人も残っているという。彼らは今年の優勝候補、だとも言っていた。
「知ってるよ。強いんだよね」
「あのな……。強いって言っても、その強さが普通じゃないんだよ。あそこは千葉県の王者なんだ」
「王者?」
「兜山高校の次鋒、秋山先輩と、中堅の横田先輩。それと――大将、武田先輩。あの人たちはみんな鴨川南中の出身なんだよ。ここ数年は毎年全国行ってる強豪中学のな」
「あれ、武田……って――」
「ほら。去年、朝比奈と決勝で当たって勝って、個人で全国行った武田真之介っていたろ。武田先輩は、あれの兄貴だよ」
そうだ、武田……!
まだしっかりと覚えている。あの夏の日、会場中の応援を浴びて航に勝利した武田という少年。悔しいが、彼は強かった。いや、航だって間違いなく強かったのだ。しかし、彼には力及ばなかった。その武田の兄が今、第一試合場で戦っている兜山高校の大将だと聞けば、確かに。そう大喜びもしていられない。
「そっか……。その、やっぱり兄ちゃんも強いんだ?」
「強いなんてもんじゃないと思う……。武田の兄貴は特に」
「へえ……」
浬は弱々しく相槌を打つ。ほかにどういう返し方をすればいいのかわからなかった。きっと大地も同じだったに違いない。大地は観客席の柵にもたれかかり、第一試合場を眺め始めた。――と、そこに三人の会話を聞いていたであろう佐伯が口を挟んだ。
「三人とも、そう怖がるなよ。イチ先輩たちだってめちゃくちゃ強いし、兜山との戦績はなにも負けばっかじゃないんだぞ」
「そうなんですか――!」
「……まぁ、勝ったこともないけどね」
すぐさま期待の眼差しを向けた浬に、佐伯は頬を掻きながら困り顔で答える。つまり、兜山高校とは良くて引き分け――ということだろうか。
「やっぱりそんなに強いんだ……。兜山高校……」
「でもさー、そんなのやるまでわかんないじゃん」
「そうだよね……! おれもそう思う!」
不服そうに大地が言った言葉を全肯定して、浬は返す。しかし、彼が言ったのは前向きな言葉だったはずなのに、半分はただの強がりのように聞こえた。なにも知らないフリをして、絶望感をひたすらに排除しているような感じだ。自分も大地も、本心は明らかに違っている。
「思う、けど。でも――」
すると、その時だった。
「佐伯!」
不意に誰かが佐伯を呼んだ。
知らない声だ。浬は顔を上げて振り向き、その声の主を探す。
「え――。うそ……、なんで……?」
佐伯の声が若干、震えて聞こえた。彼の視線の先には浬たちと同じジャージを着た背の高い青年が立っている。彼はひな壇になった観客席の一番上から、ゆっくり下りて近づいてきた。
「うす。ごめんな、先にお前に連絡しようかと思ったんだけど、きっと忙しいだろうと思ったからさ。直接来た方がいいと思って」
佐伯は呆気に取られているのか、口を半開きにしたまま首を横に振っている。それがどういう意味の返事なのか、浬はよくわからなかった。たぶん、本人もあまりわかっていなかったと思う。
「織田先生には今、会って来たよ。勝手に休んでた分、稽古はとびっきり厳しくするってさ」
「じゃあ……、帰ってくるの……?」
「うん。今まで本当にごめん。次の稽古からまたよろしくな」
青年がそう言った途端、佐伯はもう一度首を横に振ったかと思うと、勢いよく彼に抱きついた。青年も佐伯を受け止め、ぽんぽん、と頭を撫でてやっている。
「んだよお、もう……! ずっと待ってたんだからな……!」
「ごめんな、ほんと……。あ――……」
「ど、どうも……」
佐伯にそう返しながら、苦笑している彼と目が合って、浬は頭を下げる。すると青年は、柔らかな笑みを浮かべた。彼こそが雑賀貴一。市立船戸剣道部、四人目の二年生だった。
浬、楓、大地はやや緊張しながら、それぞれ自己紹介を済ませた。雑賀は吊り上がった目が線のように細く切れ長で、いかにも厳格そうな印象だったが、浬たちにはとても優しかった。彼は強豪校に関しての情報はなんでも知っていて、細かく、しかもわかりやすく教えてくれたし、ほかの高校の試合を見ながら、解説までしてくれた。彼のカバンの中には大会のパンフレット、剣道雑誌、大学ノートなどが入れられているのが見える。それらの様子から、彼はやはりストイックで人一倍、真面目なのだ、ということはすぐに理解できた。
「そうか。次は兜山とやるのか……」
「そうなんだよ」
「厳しい試合になりそうだな。今年も猛将軍団って言われてるらしいし……」
やはり、雑賀もそれを口にした。なんでも剣道雑誌にそう書いてあったらしい。浬もそれを見せてもらったが、まるで優勝することが決まっているかのように、兜山高校は特集を組まれていた。
「猛将軍団……かぁ」
「去年、兜山はインターハイ三位。んで、当時のメンバーが今年は三人も残ってる。今年こそ千葉県がてっぺん狙えるんじゃないかって、そりゃあ騒がれるよな」
メディアもまた、県内一番の実力を持つ彼らに注目しているようだ。なんでも剣道界では、ダントツで九州勢が強く、過去の全国大会の結果を見ても、九州の強豪校が八割方その名を連ねているらしかった。
九州の学校に優勝カップを持っていかれるのも、ここ数年は当たり前になってしまっている。だが、今年こそは、我が千葉県の強豪がてっぺんを勝ち取ってくれるのではないか、と彼らにはこれまでにない、期待の目が向けられているわけだ。
「伊達先輩、マサ先輩と……イチ先輩は特に苦しくなるな……。相手が元鴨南の連中じゃあな」
「やっぱり、兜山には勝てないですかね……」
しょぼくれるしかない情報ばかりにため息を混じらせて、浬は呟いた。しかし、雑賀は言う。
「そうは言わないよ。っていうかな、そもそもここまで勝ち上がってきて、苦しくない試合なんか絶対あり得ないんだ。桂浜や市立葛と当たってたとしてもそれは同じだよ」
「そうだけど……」
浬がまたため息を吐く。それに釣られるように大地と楓も揃ってため息を吐いた。兜山高校の存在を知らなかった大地も、知っていた楓も気持ちはきっと同じだ。市立船戸高校が優勝して、インターハイへ行くことを夢見ている。けれど、それが途方もなく難しいこともまた知っているのだ。ところが不意に、雑賀が「あっ」となにかを思いついたように声を上げた。
「よし、じゃあちょっと希望の見える話をしようか」
「希望の見える話?」
「そう。格上の相手に勝つ方法だ」
勝つ方法――。それを聞けばわずかに、だが、無条件に期待が湧いた。
「あるんですか……! 勝つ方法!」
「そりゃあるさ」
浬と大地は顔を見合わせて頷いた。その間で、楓は疑わしいと言わんばかりに眉をしかめている。
「いいか、兜山高校は今、レベル二十だとして、うちが十だとしよう。レベル的にはうちの方が低い。たとえばそうだな……、ゲームならまず勝てないよな」
「十もレベルが違ったら、まぁー……、無理っすね」
大地が頷く。彼はテレビゲーム全般をこよなく愛するゲーマーだ。その差がどれだけのものかは、きっと深く理解できていたに違いない。――とは言っても、幼い頃から剣道ばかりやらされてきた浬だって、ゲームくらいは多少やったことがあったので、雑賀の言うそれは、なんとなく理解できた。
「だろ。でもオレたちは現実の世界にいる。ここじゃ実力ってのはレベルのほかに、個人やチームのコンディションってのに、結果が左右されることが圧倒的に多いんだよ。調子が良ければ、いつも以上の実力が出るし、調子が悪けりゃ、本来の実力の半分も出せなかったりする」
雑賀の隣で、佐伯は腕組みをして、うん、うん、と頷きながら話を聞いていた。彼はこの話の終着点をすでに理解しているようだった。
「つまりさ、本来レベル二十の兜山高校は、ちょっと調子が狂えば十五程度の実力しか出せないかもしれない。逆にレベル十のオレたちがうまいこと勢いづけば、十五くらいまで実力を上げることだってできる可能性があるんだ」
「そっか……! そうなったら勝てるかもしれない!」
「そういうこと」
たしかに、これは希望の見える話だ。相手がどんな強者でも、勝つ可能性があれば、不安も恐怖も少しは軽減する。応援の士気だって上がる。雑賀の話には、楓も期待の眼差しを向け始めた。
「そんなことできるんですか……?」
「できる。ただ、それだけの勢いってのは選手だけの力じゃ作れない。応援サポート組もみんなが同じ方向いて、全員が必死になってやっとだ。オレたちの応援ってのは先輩たちの勢いとかいい調子を押し上げるためにあるようなもんだろ、だから、ここにいるオレたちが先に諦めたら絶対、だめなんだ」
浬と大地、楓は揃って頷いた。諦めるにはまだ早い。どんなに強い相手であっても可能性は絶対にある。たとえそれがわずかでも、そのわずかな可能性を勝ち取った方が勝者なのだ。そもそもこのレベルまで勝ち上がってくれば、簡単に勝たせてくれる高校なんかない。全員が一丸となって死に物狂いで戦わなければ決して勝てないのだ、と雑賀は言った。
わずかな可能性だけど――、でも、それを勝ち取ることはできるんだ。
思えば以前、そういう場面を見たことがある気がした。浬はハッとする。去年の夏の総体で、武田と戦う航の姿を思い出したのだ。
そうだ……。航もあのとき、同じ気持ちだったのかもしれない……。航なら武田がすごく強いヤツだって知ってたはずなのに、それでも航は信じて戦ってた……。諦めないで、自分を信じて、可能性に懸けてた――。そういう航に、おれは憧れたんだ――。
「雑賀先輩……!」
「ん?」
「お……っ、おれ、応援頑張りま――」
「浬……! わかったから、お前もうちょっと静かにしろよ……」
咄嗟に声を張り上げた途端、背後から手が伸びてきて、楓に口をふさがれる。佐伯や雑賀は浬の声の大きさに苦笑いを零した。
「声、響いちゃってるだろ」
「……ごめん、つい」
「ったく……」
やがて観客席には、市鷹、将鷹の両親をはじめとした保護者たちもやってくる。向かい側には観客席を広く陣取る、千葉県立兜山高校の応援組や、関係者の姿が見えた。おそらく、この会場にいるどこのチームよりも彼らは大人数だ。いよいよ準決勝が始まる。
「兜山対、船戸高か――」
「まぁ、今年も兜山で決まりだろうなぁ……」
「バカ……! 聞こえるって……!」
周囲からそんな声が聞こえてくる。けれど、気にしない。楓はちら、と声のした方を睨みつけたあと、鼻を鳴らす。大地はそれを見て満足げに笑う。佐伯と雑賀は拳を握りしめ、準決勝の準備が行われている、第一試合場を見つめていた。
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いなば海羽丸




