第十四話 『ギーメルの追憶 後編』
『よくぞ来てくれた。歓迎するぞ』
玉座の間――ではなく王の私室へと案内された私は、まるで夢のような歓待を受けていました。室内を美しく魅せるインテリアに、風流を感じさせる絵画や彫刻。差し出される豪奢な料理の数々は、どれも見たことの無いようなものばかりだったのです。
『どうした、緊張しておるのか?』
優しく、しかし威厳を感じさせる声色で。そう声を掛けてきた人物こそが、リヴァリエ王国 第二十一代国王「ヨハン・ディア・リヴァリエ」その人。
数々の苦難を乗り越えてきたことの窺える鈍色の髪に、未だ冷めやらぬ柘榴石色の紅眼。
かつて戦場を駆け回っていた時の雄姿を感じさせる引き締まった身体は、一国の主だけが纏うことを許される神聖なマントに包まれていました。
「いえ、お初にお目にかかります。私はマインツ村出身、ギーメル・スキエンティアと申します」
『そう畏まるでない。お主は今日から、儂の娘なのだからな』
国王様はそう言って笑うと、手に持っていたグラスをこちらに差し出してきました。中に入っているのは赤紫色のワイン……でしょうか。
『故にこれからは「ギーメル・ディア・リヴァリエ」を名乗るがよい』
「はい、ありがたき幸せに存じます。国王陛下」
『すぐには無理だろうが、お義父さんと呼んでくれるのを待っているぞギーメル。それとグラスに入っているのは葡萄の果汁だ、アルコールは入っとらん』
「左様でございますか。では頂戴します――、おとうさま」
意を決して言われた通りにお義父様と、そうお呼びしました。
こうして欲しいと言われているのに、それを実行しないのは失礼に当たると、そう両親から教育を受けていましたので。
私は葡萄特有の酸味と甘みの調和を味わいながら、国王様の様子を流し見ます。
『そ、そうか……。呼んでくれるか。いやな、我が愚息共は下手にプライドだけ高くてかなわんのだ』
少し面食らったように、それでも嬉しそうに国王様は言いました。その柔和な面持ちは、何処か父を彷彿とさせるものがあります。
「お義父様のお望みなら、いつでもお呼び致します」
『事務的なものではないのだがな……。まあいい、いずれ本心から呼んでもらえるよう、儂も努力するとしよう。ところでギーメルよ、王城に入ってからも研究は続けるのだろう?』
「はい、お許しいただけるのであれば、是非」
『そうかそうか。お主の研究には、城の研究者たちも一目置いておったからな。是非とも切磋琢磨してくれたまえ』
少々苦笑いといった様子で。国王様はそう言うと、グラスに入った果汁を一気に呷りました。
国王様の激励を聞いていると「頑張らなければ」、自然とそう思えてしまうのだから不思議です。
「差し支えなければ、一つ質問をよろしいでしょうか?」
『何だ? 遠慮せず、何でも聞くがよいぞ』
それから少しの雑談を交え、訪れた会話の幕間。タイミングを見計らっていた私は、抱えていた最大の疑問を国王様に投げ掛けます。
「何故、私のような平民を養子として取り立ててくださったのですか?」
『そんなの決まっておろう。才能があるからだ』
それを聞いた国王様は、さもありなんといった様子で短く答えると、尚も続けて――。
『正直に言おう、我が愚息共は王の器ではない。とはいえ、王家の血を継がぬ者を国王に据える訳にもいかん。例えばギーメル、お主を国王に据えたらどうなると思う?』
「王子派の貴族たちが反発するでしょう。恐らく暗殺を企てるかと……」
当然です。これまで一家総出で王子様に尽くしてきたというのに、突如現れた平民風情が王の座を横取りするのですから。
殺してでも取り戻そうとするのが、人間の性というものでしょう。
『そういうことだ。儂とてお主を危険に晒すのは本意ではない。ゆえに愚王でも政治が立ち行くように、陰ながらサポートしてやってほしいのだ。第一王子のレイアスは馬鹿だが弁は立つ。表に据えるのには打って付けだろうて』
国王様はそう言うと、少し寂しそうに俯きました。口では色々と言いながらも、息子たちのことを案じているのでしょう。
「分かりました。その役目、全うさせていただきます」
『年端も行かぬ少女に国の命運を託さねばならぬとは、儂も老いたものよな。どうか頼んだぞ――、ギーメル』
つい先程まで平民であった少女に課すには、あまりにも重過ぎる責務。
期待するように――いえ、何処か懇願するようにそう溢した国王様は、その後臣下に私を部屋へと案内するよう命じました。
*
結論から言うと、王子様の補佐という立場にはなれそうもありませんでした。
というのもやはり、平民が王族と同じ席に座っているというのが耐えられないようで、お義母様やお義兄様方は疎か、貴族の方々や果てには女中にまで疎まれる始末。
研究者の方々は仕事に関するやり取りはして下さいましたが、目を付けられるのを嫌ってか、それ以外の場面で話しかけて下さることはありませんでした。
そんな中でもお義父様だけは毎日のように私を気にかけて下さり、時には王国の歴史や歩むべき将来について語って下さいました。
そしてその時、お義父様は決まってこう言うのです。
『済まぬな……。儂が養子にするなどと言ったばかりに、お主に嫌な思いをさせてしまっている』
正直なところ見当違いな謝罪ではあったのですが、それを指摘したところで「気を遣っている」と捉えられてしまうのが関の山でした。
ゆえに私はそれを聞いていることしか出来なかったのです。
私はそもそも、王城での暮らしに不満を持っている訳ではありませんでした。
食事も研究設備も、城下町で暮らしていた時より遥かに質の良いものでしたし、批難の声も視線も私にとってはどうでもよいものでした。
何せ有象無象の戯言よりも、敬愛するお義父様からの賛辞の方が余程心に響くのですから。
唯一心残りがあるとすれば友人の存在ですが、彼女は私など居なくともあっという間にSランクまで駆け上がって行くことでしょう。
それが嬉しくもあり、少し寂しくもある、そんな複雑な感情を抱いていました。
私は王城における数年間の生活を通して、お義父様の考える理想の王国像について知ることが出来ました。
それは――。
『誰も傷つけることのない、平穏な王国』
私は初めてそれを聞いた時、お義父様は何と傲慢で強欲なのだろうと驚愕しました。
『誰も傷つくことのない、平穏な王国』
それであるならば強力な軍隊を形成し、迎える敵を皆殺しにすれば可能かもしれません。まあその場合、精神的な傷を負うリスクは避けられないでしょうが。
ですが「傷つけない」となるとどうでしょうか。
他国に攻め入られた時点で、一切の反撃が許されないということになります。仲間がやられていくのを、ただひたすら見ていることしか出来ない。
そうなると、待っているのは滅亡です。死=救済=平穏と捉えるなら話は変わってきますが、お義父様はそういった死生観をお持ちではないようです。
ゆえに現実的ではない空想の産物であると、そう笑い飛ばすことは容易だったでしょう。ですが、私は不思議とそれを否定する気にはなれなかったのです。
実際、お義父様は『オーラヘイム帝国』からの侵攻を交渉と政策のみで退けていますし、これまでの戦争における死者数も他国と比べて、驚くほど少なく抑えられています。
〝賢王〟たるお義父様であれば、そんな馬鹿げた理想郷をも実現してしまうのではないか。そして私もそれに携わりたい、そんな希望にも似た願望が芽生え始めていたのです。
――そんな矢先、お義父様は病気に罹りました。
それは私が丁度、世界で四人目のSランク研究者へと昇格したその日のことでした。
「お義父様、お義父様‼ 気を強くお持ちになって下さい‼ あなたはこんな所で……、こんな所で亡くなってよいお人ではありません‼」
私は霞む視界もそのままに、ベッドに横たわるお義父様へと必死に治癒魔法を掛け続けました。
『ギーメルよ……。この世に死んでもよい人間など存在しない……。そう、たとえ何百人もの人間を殺めた殺人鬼であったとしてもだ……』
「そんなの……、矛盾しているじゃないですか‼ 『誰も傷つけることのない王国』に、殺人鬼は必要ありません‼」
『儂はな……、傷つける人間を排除するのではなく、そいつが誰も傷つけなくていい、そんな〝世界〟へと変えていくべきだと思っておるのだ』
「世界、ですか……?」
『そうだ……。だが流石の儂も、自身の力で世界を変えられるなどとは思っておらぬ。だがな……、求めることをやめた時点で、それはこの世界に屈したのと同義。ゆえに手の届く範囲――、王国だけでもと思ったのだが、やはり現実は甘くな……、ゴホッ……ゴホッ』
「お、お義父様!!」
お義父様は息も絶え絶えといった様子で、しかし私の伸ばした手を取ることはせず、尚も続けて言います。
『ギーメル……。お主は幸せになってくれ、王城に居てはそれも叶わん』
「いいえ、私の幸せはお義父様の描く理想の世界を実現させること。それにはこの場所が必要です‼」
『お主が我が妻や愚息共の批難を意に介しとらんのは理解しておる。だがな、ギーメル……。誰かに嫌われてもよいなどという、そんな寂しい生き方をしてほしくはないのだ』
お義父様は俯きながらも、はっきりとそう言い切りました。
「ですが、私の幸せは既にお義父様と共にあります……。ならば――、お義父様がそう臨むのであれば、お義母様やお義兄様方とも懇意になって見せましょう!!」
お義父様が言いたいのはそういうことではない、そんなことは理解していました。
『お主が儂を追いかけても辛くなるだけだ……。だったらいっそ、儂を忘れてしまうというのもよいかもしれぬな』
「私の幸せの定義を勝手に決めないで下さい!! お義父様、あなたがただ一言――『儂の意思を継げ』とそう言って下されば……」
私の意思は既にお義父様の意思。
ですが、そのお義父様は私に意思を継ぐなと言います。
「私は……、私はどうすれば良いのでしょうか……?」
どうして母もお義父様も、去り際になって私の幸せを求めるのでしょうか……?
あなたたちが生きていてくれる――、それだけで私は幸せだったというのに……。
『後は任せた……とは言わぬ。お主は自分の意思で自分の幸せを掴みなさ――――』
「おとうさま――‼」
それがお義父様の、最期の言葉でした。




