第十二話 『ギーメルの追憶 前編』
私の名前は、ギーメル・スキエンティア。
「マインツ村」――『リヴァリエ王国』北部に位置する、人口五百人程度の小さな村。私はその外れで、父と母と一緒に貧しいながらも幸せな生活を送っていました。
父は薬師で、母は薬学系統の研究者。と言っても天才と呼ばれる人たちとは異なり、ぎりぎり生活できる程度だったけれど。
私はそれでも良かったのです。
父も母も家にいてくれて、休み時間には一緒に遊んでくれました。ご近所との仲も良好で、二人は鴛鴦夫婦として知られていたほどです。
しかし、そんな幸せな日常も長くは続きませんでした。
始まりは村で発生した流行り病でした。流行り病といっても死に至るほどのものではなく、一ヶ月安静にすれば自然と快調する、そんな類のものでした。
とはいえ、逼迫した生活の中で一ヶ月身動きが取れないというのは、死活問題になります。そのため薬師である父には、病気を治す薬の調合が求められました。
その病気は新種という訳ではなかったのですが、あまりメジャーなものでもありませんでした。故に薬の材料から探しに行く必要があったのです。
父は王都のギルドに依頼を出し、護衛のための冒険者を呼び寄せました。
冒険者は三人組。
金髪蒼眼の真面目そうな青年。
赤髪黄眼の元気そうな少女。
黒髪黒眼の筋骨隆々な偉丈夫。
父との対話を見る限り悪い人たちではなさそうでしたし、冒険者ランクもCとそれなりの実力者でした。
本当は父に危険な場所へと行ってほしくはなかったのですが、冒険者に薬草の微々たる差異を見抜ける訳もありません。故に父の同行は必須だったのです。
私は不安な気持ちを押し殺しながらも、採集へと出掛ける父の頬に口付けをし、精一杯の見送りをしました。
――結論から言うと、父は帰って来ませんでした。
その報告に来たのは、ボロボロになった少女と偉丈夫の二人組。少女は泣きながら、偉丈夫は悔しさと申し訳なさの入り混じったような表情で、事の経緯を語ってくださいました。
薬草の採集までは順調だったようです。
流行り病に効くとされる成分を含む「光苔」と「天廻草」を多めに採集した後、下山の一途を辿った一行。
しかしそこで、山脈の表層部にはいるはずのない魔物『火焔獅子』に遭遇します。
彼らは必死に逃げました。Cランクといえども、山脈最強格の魔物には勝てないと判断したのでしょう。
しかし、高い敏捷力を誇る獅子から逃げられる道理はありません。すぐに追い詰められ、全員が獅子の餌にならんとしたその時――。
父が勇敢にも立ち向かった――――、というのです。
それを見た青年は、父を死なせまいと奮闘しました。右手に持った直剣を振るう青年と、高いステイタスと魔術で応戦する父。
二人は彼らの雄姿を、事細かに説明してくださいました。
そしてそれを見た二人も戦いに参加。少女は回復魔法、偉丈夫はその拳で獅子への反撃を開始します。ですがやはり、力量差は歴然。再びの窮地に陥ってしまいました。
このままでは時間の問題、そう考えたのでしょうか。父と青年は、囮として時間を稼ぐ案を打ち出した――――、らしいのです。
そんなことは出来ないと主張する二人。ですが父と青年の決意は固く、絶対に生きて帰ることを約束して、二人は薬草片手に下山を始めます。
――そうしておめおめと逃げ帰ってきた二人は、私たちの家へと恥ずかしげもなく押し入ってきたという訳です。
私が事の顛末を聞いて抱いた感想は一つだけ。
この二人は一体何を言っているのでしょうか。全く以って理解できませんでした。
強い悲しみと怒り、そして僅かに残された希望。そんな混濁とした感情の中で、私は二人の言葉を反芻します。
護衛が守るべき対象を囮にして逃げる……、はい? 言い訳にしてももっとマシなものを考えてほしいと、現実逃避気味にそう思いました。
母はショックで倒れてしまいましたが、起き上がってからも無言が続きました。
母は根っからの善人です。きっと、青年を失い悲嘆にくれる二人のことを慮ったのでしょう。特にこれといって、彼らを責めることはしませんでした。
それが私にとって悲しくもあり、同時に恨めしくもありました。
結局、最後まで父が帰ってくることはありませんでした。
冒険者の二人組は幾度かの捜索を行った後、物憂げな表情で謝罪を重ねると、王都へと戻っていきました。
この時ほど、謝罪の無意味さを痛感したことはありません。
――余談ですが、後に王都へと移り住んだとき、青年を交えた件の三人組が楽しそうに食事をしているのを見かけました。
――まあ、今となってはどうでも良い話ですけれど。
ともかくそんな経緯で、大好きだった父親が唐突に居なくなりました。母も精神的なショックから立ち直ることが出来ず、寝たきりの日々が段々と増えていきました。
そんな中、私たちを助けてくれたのが近所の方々です。彼らは事情を全て把握した上で、傷を抉らないよう細心の注意を払いつつ、色々とお世話をしてくださいました。
皆さんの御陰で何とか生命を繋いでいた私と母。そんな私たちのもとに、ある日一つの朗報が舞い込みます。
『父親を蘇生できるかもしれない』
私たちの家を訪れた数人の修道士たちはそう言いました。
はたから見れば、怪しいことこの上ないカルト集団。誰がこんな奴らに騙されるのかと、そう笑い飛ばす人もいるでしょう。あまつさえ「騙される奴が悪い」などという暴論が展開されるかもしれません。
ですが当時の私たちにとって、それは福音とも呼べるものだったのです。
実際彼らが口にした『ゾディアック教団』は、教皇様が蘇生の術を行使できるということで有名な、数多くの信者を抱える教団の一つです。
その時には既に毎日をベッドの上で過ごしていた母も起き上がり、真剣に彼らの話を聞いていたほどでした。
そうしてしばらく口頭による説明が為された後、母は彼らと共に教団の総本山たる『マルセイユ帝国』へ旅立つことを決意しました。
当然私も付いていこうとしましたが、母は「待っていなさい」の一点張りで、同行を許してはくれませんでした。
今にして思えば、母も本当は気付いていたのだと思います。
それでも一縷の望みにかけて行動せずにはいられないほど、精神を擦り減らしていたのでしょう。私は心底不安な気持ちで、靴紐を結ぶ母を抱き締めました。
本当は「行かないで‼」そう叫びたい気持ちを抑えて、何とか見送りと励ましの言葉を選びました。
その時の母の――、
「ギーメル、ごめんなさい……。あなただけは、幸せになってね」
そんな愛情と独善に満ちた言葉を、今でもはっきりと覚えています。
――結局、母も帰っては来ませんでした。
生きているのか死んでいるのかも分からず、唯々過ぎていく日々。何度死のうと思ったことでしょうか。
ですがその度、母の言葉が呪いのように私を縛り付けるのです。私はその時気が付きました。私は幸せになれない限り、死ぬことは許されないのだと。
何て酷い、矛盾した呪いなのでしょう。その日から私は、生ける屍と化したのです。
そんな私を見て近所の方々は、それでも優しく接してくれました。お金を稼がないどころか、唯々惰眠を貪るだけの少女。そんな私に温かい料理を作ってくれて、お風呂にも入れてくれました。最終的には家の子にならないかと、そう真剣な瞳で言われました。
しかし荒んだ私の心にも、申し訳ないという感情は残っていたのでしょう。私はその日を境に家を飛び出しました。
遠く、遠く。瘦せこけた脚で、出来るだけ遠くへ。
そうして辿り着いたのは、村の中心部。比較的人通りのあるその場所で、私は居場所を求めて彷徨いました。
ですが身寄りがない上、働いた経験のない私を受け入れてくれる場所など、そう簡単に見つかるはずもありません。私は悲嘆に暮れながらも、雇ってくれる人を必死に探しました。
そうして彷徨い始めてから丁度二日が経った頃。心も身体も薄汚れた失意の底で、一人の女性が話しかけてきました。
『あんた、うちの店で看板娘として働かないかい?』
彼女は私を雇うと、そう言ってくれたのです。
同情か打算か。そんな些細なことは、当時の私にとってどうでも良いことでした。とにかく誰かのために何かをして、自身の力で居場所を掴む、そんな感覚を欲していたのだと、後になってそう思います。
私は彼女の厚意に甘え、一心不乱に働きました。経験したことのない仕事の数々。時折来る客には、精一杯の愛敬を振り撒きました。
しかし日に日に重なっていく疲労と比例して、細かなミスが増えていきます。
そうして働き始めてから二月が経過した頃――、私は解雇を通告されました。
『マスコットとして雇ってやってたけど、こんなに仕事が出来ないとは思わなかったよ』
私に声を掛けてくれた女性は別れ際、冷たい瞳で見下ろしながらそう言っていました。
その時、私は特に何とも思いませんでした。
この人にとって私が必要でなくなった。ただそれだけのことだと、何処か他人事のように感じていたのでしょう。
「…………」
また一人。
再び居場所を失った私は、足早に村を去りました。
家に戻ることも考えましたが、近所の方々の優しさを受け入れる気持ちには、到底なれそうもありませんでした。
それに村の外に出れば、誰かが私を殺してくれるのではないか。そんな希望とも絶望とも付かない、複雑な感情を抱いていたのだと思います。
「…………」
とても人のものとは思えない、幽鬼の如き様相で。無限にも続く草原をひた歩いていると、突如一匹の魔物に遭遇しました。
『ギャギャ――』
円らな黒瞳を湛えるその魔物の名は『人食猿』。村の周辺で稀に出現する猿型の魔物は、その可愛らしい外見とは裏腹に、噛み付かれたら最後、骨まで残らないと言われているほどの凶悪な怪物です。
『人食猿』は私を視認すると、凄まじい勢いで突貫してきました。当然、麻の鞄一つを携えていただけの私に抗う術などありません。
でも、別に抵抗する意味なんてない。
寧ろ、可愛らしいお猿さんに人生の終止符を打ってもらえるのなら大歓迎だと。そんな限界の思考に浸りながら、自然の摂理に身を委ねようとした――。
その瞬間。
『ペシャッ――』
目の前にいたはずの『人食猿』が突如、薄さ一mmほどの屑切れと化したのです。
「ぇ――」
高々と舞い上がる血飛沫と、虚しく響く断末魔の残滓。
何が起こったのか分からず呆然としていると、突如として私の前に光の帯が現れ始めます。その光はしばらく空中を漂っていましたが、徐々にその形を歪め、整えると――、
神秘的な聖職衣に身を包んだ、一人の女性へと変容を遂げたのです。




