第十一話 『王族暗殺計画 後編』
――アレフ視点――
秀麗・可憐・艶美・端正・純潔・美姫。数多の美辞麗句を連ねても表し切れない、絶世の美女。
美しく整えられた長髪は透き通るような金色を湛えており、柘榴石色の紅眼は全てを吸い込んでしまいそうなほどの魔性の魅力を放っている。
その身を包む純白のドレスは彼女の清さを最大限に引き立て、何処か幼さを残した立ち居振る舞いは見る者の心を強く揺さぶる――。
「やはり、そうだったか……」
彼女は俺の存在に気が付くと、憂いを帯びた瞳を瞬時に切り替え、お誂え向きの綺麗な表情でこちらを見つめてきた。
「初めまして……、ではありませんね。どうやら、気付かれていらっしゃるようで」
俺たちの命を救ったフードの人物、その正体は暗殺目標たる王女様であった。
「改めまして。私はリヴァリエ王国第一王女『ギーメル・ディア・リヴァリエ』と申します」
実に洗練された所作で行われるカーテシー。それと共に紡がれる美しく澄んだ声は、聴いているだけで心が浄化されるようだ。
「亡命したのでは無かったのか?」
「あの時は共に戦ってくれる有志を募っていたのです。まあ、全員に振られてしまいましたが……」
彼女――、ギーメルはそれだけ言うと、少し寂しそうに俯いた。
と、訪れるはずの沈黙を拒絶するかの如く、部屋の外が騒がしくなってくる。どうやら俺を見失った兵士たちが、三階へとやってきたようだ。
「どうぞ、こちらにお隠れになってください」
一先ず離脱せんと、バルコニーへ向かいかける俺の前に差し出されたのは、ギーメルの小さな手の平。彼女が何を言っているのか理解できず、俺は一瞬硬直する。
何故だろうか。
俺と彼女は敵同士、これは罠であると考えた方が自然だ。頭ではそう理解しているはずなのに、心と身体は既に彼女へと傾いている。
一種の洗脳の類だろうか。だが、あの全身を支配されるような不快な感覚は無い。寧ろ心地よい光の奔流に身を包まれている、そんな感覚さえ抱くほどだ。
半ば引き込まれるように。俺はギーメルの手を取ると、為されるがままベッドへと押し倒された。離れる手の温もりを少し残念に思いながら、天蓋のカーテンを閉める彼女の姿を見つめる。
(何が目的なのだろうか……)
ギーメルとて既に暴れ回っている俺を懐柔しようなどとは考えていないはずだ。だが彼女の声も、体温も、その存在全てが。悪意からなるものではないと、そう確信するのに十分過ぎるほど清らかであった。
『こちらに侵入者が来ませんでしたか?』
兵士の一人が、軽くノックをすると部屋の扉を開けた。
「いいえ。どなたもお見えになっておりません」
だが、やはり俺を差し出す気はないらしい。
『そうですか。王女様もお気を付けください。外の見張りを増やしておきますので』
「はい。ありがとうございます」
軽く会話を交えると、兵士は別の部屋へと向かっていったようだ。
「こうしていると、昔遊んでいた時のことを思い出します」
天蓋のカーテンを開きながら、ギーメルは微笑みを湛えてそう言った。「昔」とは養子に入る前のことだろうか。いや、今は考えるだけ時間の無駄だろう。
「何故、俺を匿ったんだ?」
そんなことよりも。現在、俺が抱える最大の疑問を彼女に投げ掛ける。
「私がそうしたいと思ったから……、でしょうか?」
「戯言はいい。真面目に答えてくれ」
人差し指を頬に当て、そう嘯いて見せるギーメル。どうにも掴み所のない女だな。気を抜くとペースを握られてしまいそうだ。
「分かりました。ですがその前に……」
小さく首肯したギーメルは、その手を俺の顔へとゆっくり伸ばすと――。
聖女の祈りは慈愛の抱擁
聖女の涙は慈悲の雨
生神女の現身たる我が命ずる
この者を蝕む辛苦の根源を、今ここに撃滅せよ
〝解放〟
相も変わらぬ美声で紡がれる、四節の詠唱文。それを最後まで聞き遂げると、焼き切れていたはずの左目は本来の機能を取り戻していた。
「――――、助かった。礼を言う」
「いえ、このくらい造作もありません」
何故かバツの悪そうな表情を浮かべるギーメルは、しかしすぐに顔つきを真剣なものへと変えると、真っすぐに俺を見つめ直し、続けて言った。
「貴方を匿った理由は一つだけです。どうか――、この国の民をお救い下さい」
「どういうことだ。命乞いでもするつもりか?」
今の言葉で何となく察しは付いたが、念のため問いを重ねておく。
「いえ、そうではありません。このままでは王国は戦に敗れ、帝国の支配下に置かれることになるでしょう。彼の国の圧政は聞き及んでおります。異常な額の税を巻き上げ、逆らう者は制裁という名の見せしめにする。それはもはや、統治ではなくただの拷問です‼ 罪無き民に拷問を受ける責任はありません。しかしこの国には、それを止められるだけの力が無い……。ですが、あなたたちならば‼ 私たち王族の首を持ち帰った英雄たるあなたたちならば‼ いくら帝国といえども、耳を傾けてくれるかもしれません‼」
ギーメルは今までの冷静な態度を一変させ、必死さの伝わる声でそう懇願した。
「どうかお願いします……。罪無き人々が、これ以上苦しまないよう――」
「蛮族共が耳を貸すかはさておき、俺たちに何のメリットがあるんだ?」
「――――っ‼」
それを聞いての率直な疑問に、彼女は口を噤んでしまう。
そりゃあそうだ。俺たちにとってやるべきことは何一つ変わらないし、滅びゆく王国に差し出せる物などありはしない。唯々、帝国からの心証が悪くなるだけだ。
「じゃあ質問を変えよう。――それはお前にとって、何のメリットがあるんだ?」
「――――⁉」
その時初めて、彼女の仮面が剝がれ落ちる音がした。
「お前は目の前の国民を慮っているようでいて、その実全く別の方角を見据えている。嘘は憑いていないようだが、本心からの言葉じゃないみたいだな」
「どうして、それが……?」
「いつも俺の隣にいる奴と全く同じ目をしている。疎外感を覚えるからやめてほしいんだがな……」
しばし絶句していたギーメルは、しかし俺の言葉を聞くと、何処か諦めたような表情で語り出した。
「私自身もよく分からないんです……。お義父様が亡くなってから、私は彼の望む世界を実現しようと、そう考えるようになりました」
尊敬していた人物の死後、その人物の意思を受け継ごうとする。良くある話だ。
「ですが、最愛のお義父様の描く王国の未来は夢物語のようで、たとえ〝賢王〟であっても実現出来ないようなものでした」
現実主義者と夢想主義者は、得てして相容れない存在である。
「それに……」
ギーメルは一瞬の逡巡を見せた後、少し俯き――。
「お義父様が愛したものを、私も同じように愛そうと努力しました。ですが――、それは叶いませんでした」
「当たり前だ。お前はお前であって、義父親ではないのだからな。そんなことは理解していただろう?」
「はい。お義父様が好きだったものを、私も同じように好きになれる道理はありません。お義母様やお義兄様たち、そして守るべき国の民でさえも、私にとっては有象無象――、でしかないのだと思います」
やや歯切れは悪かったが、はっきりとそう言い切った。
「国民からは〝聖女〟として崇められていたと記憶しているが。実際、スフォルツァの方まで〝リヴァリエの聖女〟の噂は届いている」
スフォルツァだけでなく、大陸全体に轟いていると言っても過言ではないだろう。彼女によって救われた命は数え切れないと聞く。
「私だけ何故か、回復系統のスキルが多く発現するのです。本当にただそれだけで……。騙しているようで非常に心苦しいのですが……」
「それに何の問題がある? たとえ助けた側にどんな背景があって、どんな心情で事を成したのだとしても、恩恵を授かった側は等しく感謝するのが道理じゃないか? 大切なのは、内面よりも上辺だ」
「そんなことは……。彼らも私の本性を知れば、きっと失望するはずです……」
ギーメルは尚も俯いた姿勢で、空虚な言葉を刻む。
「お前……、相当面倒な女だな」
面倒、実に面倒だ。要は、どうでも良い奴の内面評価まで気に掛けているということだろう。
「なっ――⁉ 殿方にそんなことを言われたのは初めてです……」
思わず口を衝いて出た言葉に、彼女は目を丸くした後、やや傷ついた様子でそう言った。
「なら、同性からは言われたことあるんだろ? お義父様とやらだって、内心そう思ってたかもしれないぜ?」
「っ――‼ よく知りもしない人の心の内を、勝手に決めつけるのはどうかと思います‼ あ、あなたみたいな人殺しに、何が分かるって言うんですか⁉」
ギーメルの逆鱗にでも触れたのだろうか。彼女は激昂した様子で、荒々しく言葉を投げつけてきた。試しに煽ってみたのだが、意外と優等生でないようで何よりだ。
「何も。だから有象無象の言うことなんて、適当に聞いてる振りして流しときゃいいんだ。お前にとって都合の良い部分以外は、な」
「――――」
ギーメルは一瞬だけ面食らったような表情をしていたが、すぐに切り替えると、何か考えるような仕草を見せる。
「自分に都合の悪い事実は捻じ曲げ、誤魔化し、そうやって人は生きているんだ。じゃあ、お前にとって都合の良い事実は何だ?」
「――お義父様の意思、そのものです」
怒り慣れていないのだろう。肩で息をする彼女は、悩みながらもはっきりとそう言い切った。
「ですが、私の意思を捨ててお義父様の理想を目指すのは、本当に正しいことなのでしょうか?」
「さあな。ただ妄信と依存は別物だ。それが無いと生きていけないってものは誰しもが持っている。何かを拠り所にするっていうのは、悪いことじゃないだろ?」
自己完結している人間など存在しない。人は全ての拠り所を失ったとき、必ず死を選ぶからだ。
丁度、昔の俺がそうであったように。
「結局、お前はどうしたいんだ? さっきのまま考えは変わらないか?」
「いいえ。――――――」
「ハッ、そいつは随分と傲慢だな。上辺が全く繕えてないぞ?」
「何のことでしょうか? 都合の悪いことは、記憶に残さない性分ですので」
本当に何を言っているのか分からない、そんな表情だ。
「やはり、お前は食えない女だ」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めたつもりはないんだがな……」
「強かな女性はお嫌いですか?」
そんな益体のないやり取りに、ギーメルはいたずらっぽい笑みを浮かべると、すぐに表情を真剣なものへと変え、俺の顔を真っ直ぐに見つめてくる。
「まあいい、俺に考えがある。お義父様の意思とやら、完璧に遂行してやるよ」
「後のことは、お任せします」
彼女はそれだけ言うと嬉しいやら寂しいやら、何処か儚げな表情を浮かべた。
「少し、目を瞑っておけ」
迷っている時間など、ありはしない。俺は懐から小さなナイフを取り出すと――。
『ドシュッッ――‼』
噴き出す鮮血が、俺の視界を真っ赤に染め上げた。




