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ユラが一番驚いたのは、門番が字を書くことが出来るということだった。
しかも、なかなかの達筆だった。
彼らは仕事が早い。
すでに、ユラも犯人のロカに関しては、早々に門番から手書きの身辺情報を入手していた。
ハルアに確認した上で、対策を講じ、早急に解決してしまおうと考えていたのだが……。
……………………彼らは、ユラや門番のその上をいっていたようだ。
(いきなり、敵の本拠地に乗り込むなんて…………)
何も考えていないのか、何もかもどうだっていいのか。
「……何で、また急に、今日行動することに決めたのですか?」
「そりゃあ、君がいますからね。魔物絡みでも安心じゃないですか? 以前からロカに関しては調査済みで、いつ彼の親族に会いに行こうかと考えていたのです。でも、私自ら乗り込むのも色々危険ですしね。その点、今日は丁度いい機会じゃないですか……」
「まあ、護衛をやると言ったのは、私の方なので、それなりに頑張りますけどね……」
「それに、君との時間も長く取れますからね。友好も深められそうです」
「どういう意味ですか?」
「私だって、たまには本音を言いますよ」
分からない。
そんなに魔物のユラが珍しいのか?
(……いやいや、自分の命を狙っている魔物を近くに置いている人だよ。もはや、魔物を珍しいと思うとかそういう話じゃないよね。収集癖でもあるとか?)
ハルアがユラと友好を深めたいのは、ユラの能力を目の当たりにしたからだ。
あの晩、ユラの力を力を目にした彼は、並みの天虚を寄せ付けない雷帝としてのユラに興味を抱いている。
そして、ロカもその背後にいる黒幕も、ユラの敵ではないと思い込んでいるのだろう。
(私は、力に訴えるのは好きじゃないんだよ)
あからさまに、ユラの力目当てなのは良い気持ちがしないが、人間側からしたら、至極、真っ当な意見であることは間違いない。
未知の力に対しては未知の力で対策を取るのが一番なのだから……。
……けれど。
(やっぱりねえ、なんか、腹立たしいのよ…………)
坂道を上り続ける揺れた馬車の中、ハルアとラトナは隣り合って座り、ユラはその向かい側に腰を下ろしていた。
ラトナは雷帝として会った時と同じような簡素な装いで、貴族二人が庶民のような格好をしているのに対し、ユラだけが場違いなほど豪華なドレス姿だ。
良いように利用されているだけなのだとイラつくのは、これから黒幕の実家に行くのにも関わらず、彼らがへらへら楽しそうだからだ。
「いやー、ユラちゃん! 本当に良かったよ。護衛が僕だけじゃなあ……って、わりと本気で命の心配をしていたからさ。それなのに、ハルアの奴は、僕以外拒否するし……。こんな美人なお嬢さんが味方になってくれるなら、心底、心強いや」
「あの、ラトナ様、私は……」
「ああ、全部知っているから、大丈夫! 魔物なんて別に怖くなんかないからねー。王宮の方が人の皮を被った魔物が跋扈しているから。それに、小さいころから、ハルアという化け物のようなヤツを相手にしてきたんだもの。君なんて、かわいいほうさ。実際、本当にかわいいけどね」
「……はあ?」
嘘つけと軽く睨んだら、感情が露わになったらしい。
ラトナが早口で言葉を重ねた。
「いやいや、本当だよ。ユラちゃん、君は魔物らしいけれど、全然魔物っぽくないもの。最初会った時は、普通のお嬢さんが無理していたのかなあ……て感じだったし、むしろ、……ハルアに嵌められたとはいえ、通ってくれるなら、僕の仕事も楽になって、一安心さ」
これは多分、褒められているというより、バカにされているのだろう。
絶対、そうだ。
「…………つまり、ラトナ様も、最初から私の正体が分かっていたってことなんですよね?」
「えっ、当然でしょ?」
あっさり肯定された挙句、自分が知らないとでも思っていたのかと、疑問系な責めまでついてきた。
「あの変装、私にしては自信があったんですけど……」
がくりと肩を落としたユラを、ラトナはゆったりとした口調で追いつめていった。
「…………ああ、あれね。痛ましいことだけど、僕とかハルアは、あの程度の変装じゃ誤魔化せないんじゃないかな。むしろ、どれだけ、異世界はお人好しの世界なんだって、思っちゃったけどな」
「そんな」
今まで善かれとして行っていたことが、すべて裏目に出ているような気がする。
「私がバカでした……」
一層、落ち込んで、ずれ落ちた眼鏡を鼻先まで押し上げた。
その拍子にひょいと顔を上げたら、ハルア顔負けの胡散臭い笑みを浮かべているラトナの顔が飛び込んできた。
ラトナはハルアを化け物と評していたが、この二人は、親戚なのだろう。
嫌味な部分が、とてもよく似ているではないか……。
「いやだなあ、そんな顔しないでよ。僕が苛めているみたいじゃないか。君がそんな子だから、ハルアも僕も安心できるんだから」
「…………安心って、私はラトナ様の人間性が最初に会った時から、ぶれすぎて怖いんですけど」
初めに会った時はともかく、先日イシャナと会った時のラトナは、ハルアの敵側に立ち、彼に喧嘩を吹っかけるような言動の目立つ、嫌味な男だった……はずだ。
暢気な口ぶりは変わっていないが、ここまで陽気な男ではなかったように思えた。
「もしかして、君、まだ気づいていなかったんですか?」
ハルアはさも当然とばかりに、首をかしげた。
「何を……ですか?」
「この男の雰囲気が先日と違うのは、あの時この男がそういう芝居をしていたからです。兄上と一緒にいた時のラトナは、あえて兄上と足並みをそろえているふりをしていたのですよ……」
「…………芝居?」
「うん。あの場で、自分はハルアの味方だって主張したら、イシャナ王子は怒るでしょ。僕も陛下から大神殿の壁画はハルアにやらせるように仰せつかっていたからね。味方の素振りをしたのさ。その方が後々、あの王子からも情報も集めやすくなるかなって、思ってね……」
「そうだったんですか!?」
「凄いですね。今更、それを驚くなんて。世界は違えど、こういった駆け引きはよくあることだと思うんですが……」
…………その通りだ。
今まさに、単純なユラが高度な駆け引きをしなければならない状態になっている。
温かい風景画を売りにしている芸術家ハルアとは、真逆の鋭い指摘だ。
理路整然と完膚なきまでに逃げ場のない現実を突き付けてくる。
「私は、むしろ君の方が心配です。部下も抱えているようですが、そんなに真っ直ぐで、君は大丈夫なんですか?」
「……よ、余計なお世話ですよ」
よもや、今ここで天境界の事情をハルアに話す訳にもいかない。
そこまで彼のことは信用できない。
…………暗に、そう言っているつもりだったのに……。
「ええ、余計なお世話ですよね。でもね、言ったでしょう。私は君と仲良くなりたいので、何かと世話を焼きたいのですよ」
「仲良くって……ね?」
どういう種類の仲良さだろうか……。
ユラは、ただ一時的にハルアを護衛しているだけだ。
………………いくら、ハルアの絵が好きだからって……。
(大体、たった三回しか顔を合わせていないじゃないの?)
たった三回。
どうして、人間界の…………しかも、イラーナ国の王子なんかと知り合いになってしまったのだろう?
人間だったころ、大嫌いだった王族なんかに…………。
(皮肉なものよね……)
子供のユラが、そんな未来を知っていたら、どうしていただろうか……。
エンラに出会うまでのユラは、生きることに必死だった。
別に、ユラはお姫様になりたかったわけではない。
お姫様と王子様が出てくる童話を読むことのできる環境があるだけで、それで十分だったはずだ。
(私が好きだったのは、彼が描く平和で温かい風景画だった)
自分が味わうことのできなかった人としての幸福を、ハルアの絵の中に見ていた。
彼の人間性は、作品の中にはなかったのか……。
表面的な笑顔を、どこまで信用して良いのかなんて、ラトナの演技すら見抜けなかったユラが分かるはずもないのだ。
…………けれど、そんなユラの感傷を読み解くような絶妙な間合いで、ハルアはゆったりと口を開いた。
「まあ、そうですよね。…………顔を合わせるのは、まだ三回目。私が信用に足る人間かどうかも、君には分からないだろうし、第一住んでいる世界だって違うんですから、君が警戒するのはもっともなことだと思いますよ。……私はまったく、気にしていません」
「……はあ?」
(気にしているのは、私の方なんだけど……)
謎の前向きさに、言葉を失う。
そもそも……。
(……やっぱり変だわ、この人? まるで、私が思っていることとか、言いたいことを先回りしているかのような言葉ばかりを話している?)
そういえば、七日前に会った時も、ユラの感情がだだ漏れだとか言っていた。
偶然だろうが、しかし……。
(さっき国王陛下は、「お前には分かってしまう」って言っていたよね。あれは、どういう意味の……?)
「あの、ハルア様……」
「はい、何でしょう?」
怪しい満面の笑みが狭い車内で、ずいと眼前に迫ってくる。
ラトナがそんなハルアの横顔をニヤニヤ観察している。
何がそんなに嬉しいのか、俄然分からない。
(……て、いや、そうじゃなくて)
訊きたいことがある。
今度こそ、この違和感を払拭すべく、ユラが口を開きかけた瞬間――。
「………………あっ」
間が良いのか悪いのか、馬車が急停車した。
ラトナが窓を開ける。
……………………目的地に、到着してしまったのだ。




