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――正確には、目的地の周辺だった。
それだけロカの実家は、山深いところにあるようだった。
少し目線を上げれば、前方に雪を被った山々の峰がそびえている。
(天虚が迫害されているのって、あながち嘘じゃないのかも……)
自分の意思でならともかく、追いやられて、秘境の地に住まなければならないのなら、こんなに可哀想な話はない。
(調査はお願いしていたけれど、聞くと見るのとでは、違うんだな……)
「まさに、聞くと見るのとでは違いますね。まさか、ここまで山奥だったとは……。正装で来るところではありませんでしたね。配慮が足りませんでした」
ハルアは心底申し訳なさそうに、ユラに片手を差し出した。
ユラのことを魔物だと分かっていて、護衛にしているくせに、どうしてこういう時、彼は急に紳士になるのだろうか?
(……この人の自然に出てくる手って、一体?)
やはり、王子様はドレス姿の女性を連れて歩くことに慣れているのだろう。
魔物だと分かっていても、つい手が出てしまうのは、悲しい王子としての習性なのだ。
(……変なの)
今までユラは、トワ以外に、こんなふうに気遣われたことなんてなかった。
自分は「雷帝」だ。
きっとこの先も、気遣うことはあっても、誰かに気遣われることなんてないだろう。
―――そんなふうに、複雑な心情でいたら
「……ああ、そうだ。ユラさん、いっそ、ここで普段着に着替えましょうか? 何でしたら、私も手伝いますから」
至極真面目に問われて、ユラは足場の悪い山道でよろけそうになった。
「いえ、大丈夫です。いつも、もっと動きにくい格好していますから」
今までの煩悶を返してほしい。
顔をひきつらせながら答えたユラは、今後おかしな気の遣い方をされないように、天境界でも馴染み深い自然の中を、一人でずんずんと前に進んだ。
少し寒いが、木漏れ日が差し込む森の中は、気持ちが良かった。
鳥の声も耳に懐かしい。
これがユラの休日だったら、一日歩いていても楽しめそうだが、今日は遊びに来たわけではないのだ。
ほどなくして、ユラは異常に気が付いてしまった。
「……ああ、なんか、早々に囲まれているみたいですね」
歩みを止めずに、報告だけする。
ラトナは腰の剣に手を置き、ハルアは大欠伸をしていた。
「良かった。あちらから来てくれるのなら、探す手間が省けます。彼らに君のような力はないでしょうから、対策も講じやすいですし」
謎の余裕は、相変わらず健在のようだ。
「でも、ハルア様、私はずっと見られているっていうのは、気持ちが悪いんです」
すぐそこまで手がかりが来ているのだ。
こんな絶好の機会を待っているだけではいられない。
ユラは意を決すると、高い踵の靴で、わざと落葉を踏みつけた。
かさりと、乾いた音が静けさを打ち消せば、想像していたとおり、ユラの足元に勢いよく羽矢が刺さってくれた。
「全部で八体……か。近くにいるみたいですね」
「魔物でしょうか?」
「多分……」
よく見えなかったが、天虚だろう。
すばしっこさは、人間のものではない。
「近いなら好都合ですね。彼らは、私の声が聞こえる範疇にいますか?」
「……いると思います」
「ありがとう」
にっこり笑ったハルアは、ユラの前に立つと珍しく大声を発した。
「あのー……! 私、そちらのロカ君の雇い主のハルアと申しますが、彼のことでお話したいことがあるんですけど……!?」
深い森の中、彼の澄んだ声は、思いのほかよく反響した。
わずかな静寂を経て、何処からともなくひそひそ声が伝わってくる。
「……おい、ロカの雇い主って、もしかして?」
「嘘だ。だって、ロカの仕事先って、第二王子の所でしょ。王子がここに来るはずが?」
「でも、ロカ兄さんに何かあったのかもしれないよ」
「……だけど、あの晩のことがバレて、俺たちを殺しに来たのかもしれないぜ」
ざわめく声から、ユラは彼らがどこにいるのか、正確な位置を掴み取っていった。
会話の内容から、すでにあの晩のハルアの襲撃に参加していたことは自白しているのだ。
こちらから捕えに行っても良いはずだ。
(……でも、まだ子供っぽいんだよね)
「あの……? 君たちも、もう色々とバレバレなんですから、いっそここまで出てきたら、どうですか?」
ハルアも、彼らの幼い声を聞いていたのだろう。
いつもの柔らかな口調で言い放つと、一瞬の沈黙の後、天虚の一体が姿を現した。
「子供だねえ……。見るからに」
ラトナが剣にかけていた手をぱっと放した。
この人も、根っから悪い人ではないようだ。
「貴方がロカ兄さんの雇い主って、本当ですか?」
ロカより更に一回り小さい少年は、やはりロカと同じ、亜麻色の髪に、薄茶色の目をしていた。
唯一違っているのは、彼の頭にはロカが毎日巻いている特徴的なターバンがないことだった。
代わりに、白いふさふさの猫のような耳と長い尻尾が出ている。
「……君は?」
「僕はリエル。ロカ兄さんとは、子供の頃から一緒で、仲良いです。ロカ兄さんは、一年前にこの集落を出て行きました」
「そうだったんですか……」
ハルアが満面の笑みで応じた。
魔物好きというのは本当のようだ。妙に声が弾んでいる。
天虚の少年は、おずおずと数歩こちらに歩み寄ってきた。
「ロカ兄さんの職場の人が、どうして急にここに来たんですか?」
「どうしてって……」
ハルアは見極めるように、目を細めた。
「そちらの方がその理由を知っているのではないのですか? ロカ君は未だに皆さんと密に連絡を取っていますよね? 単刀直入に聞きますが、私は命を狙われまして、今日はその件でここに来たと……」
「おいっ!! リエル、伏せろ!!!」
「………………えっ?」
「なっ?」
あっという間の出来事だった。
瞬きをするより早く、嵐のように矢が飛んできた。
リエルとユラ、ハルアの足元に勢いよく突き刺さる。
「ちょっと、君たち!!」
矢は足元に集中している。
こちらの命までは狙っていないようだが、飛んでくる矢羽を避けるのも、面倒な作業だった。
「ユラちゃん、これどうにかならない?」
「どうにかって……」
弱り切ったラトナの言葉に応えてあげたい気持ちだったが、雷帝として力を使うのは集中力が必要なのだ。これくらいのことで使いたくはなかった。
「はははっ、子供の遊び道具としては、危ないと思うんですけどね。そう思いません? ユラさん」
「ハルア様、どうしてそんなに楽しそうなんですか?」
下手したら怪我するのは必定なこの状況で、ハルアはなぜか笑っている。
ひきこもりの芸術家の割に、意外な機敏さを発揮していることも、予想外だ。
「貴方は一体、どうして……?」
「おいっ! あんたが、第二王子のルフィアってことか!?」
年長らしき背の高い少年が雑木林から姿を現し、突然、声を張り上げた。
「あっ、はい、そうですけど? 何か?」
あっけらかんとしたハルアの回答に、彼らも対応に戸惑ってしまったらしい。
少し間を置いてから、再び雨のように矢が降り注ぎ、その音と重なって、少年の怒声が森一帯に響き渡った。
「こいつが第二王子のルフィアだ! 三千年前、こいつの先祖のせいで、天境王が嵌められて、俺たちはここに取り残されたんだって、あの方が言っていた……あのっ!」
「あの方って…………?」
大事なのは、そこだった。
どうせ暴露するのなら、名前を出してもらいたかった。
大体、天境王は嵌められた訳ではない。人間と神の連合軍に負けたのだ。たまたま人間代表のイラーナの女王と敗戦の条約を交わしただけのことだ。
少なくとも、ユラはそう聞いていたのだが…………。
………………しかし、ユラが本格的に聞き返す前に、両手を広げたリエルがユラの前に飛び出してきた。
「みんなやめてよ! 危ないって! この女の人は、僕たちと何の関係もないじゃないかっ!!」
「…………君?」
直後、飛んできた矢から彼を守ろうと手を伸ばしたユラだったが、リエル自身、自分めがけて飛んでくる吹き矢を避けようとして、後ろによろめき…………豪快にそのままひっくり返ってしまった。
「ちょっと、君!? リエル君……だっけ? 大丈夫なの? ねえ!?」
「ユラさん、動かすのはよくありません」
ハルアが落ち着いた様子で、リエルの前にかがみこむ。
ユラは為すすべもなく、ハルアの背後に回った。
子供たちも全員、動揺したのだろう。
矢の雨は、ぴたりと止んだ。
……………………今更、遅いのだ。
仰向けに倒れ、応答のない少年の姿なんて見てはいられなかった。
ユラは、薮の中でいまだに息を潜めている彼らのもとへ、高く跳躍した。




