第39話 おそれていたもの
走る。走る。走る。
ユズが落ちたであろう場所の方向を、大樹の迷宮でアンフィスバエナから逃げたときのように天龍にナビゲートしてもらいつつ、その場所に向けて迷宮の闇の中を走る。
既にかなり近付いてはいるけれど、ソナーで探ったそれらしき場所にはいくつかの反応が密集している。
ゴブリンたちに遭遇しているのだろう。もはや猶予はない。
「ちょっ……アヅマ、待っ……」
走る俺の後ろをクロードがなんとかついてくる。
クロードは頭の回転はいいし何かと器用なんだが、体力や敏捷といったステータスは俺よりも劣るらしい。
クロードに足りないのはお金と体力と、あとは、ええと、とにかく。
速さが足りない!
まあ、幸いにもクロードを振りきってしまうよりも先に目的地に着きそうだ。足を止めることなく、むしろ速度をあげて駆け付ける。
――見つけた!
一見、ゴブリンが集まっているようにしか見えない。
しかしその足元に誰かが倒れていて、その誰かの脇に表示されたユズの名前が天龍眼には見えている。
「ユズ―――っ!!!」
叫びながら、ゴブリンたちの、いやユズの元へと駆け付ける。
ユズの体力バーは残り2割もない。
ゴブリンたちにやられたのか、と思うと、かっと胸の奥が熱くなった。
「お前らぁっ……!!」
走りながら、腰の剣に手をかける。
斬るのか? 斬れるのか?
そんなことよりユズを助けるのが先だ!
「ギャッギャッ!」
杖を持ったゴブリンが、両手でその杖を掲げ持って、踊りでも踊るかのように跳びはねる。
すると、杖の先にみるみるうちに炎の玉が生み出された。
ゴブリンシャーマン 魔物 男性 Lv12
亜人系 無属性
俺が駆け付けるより、シャーマンの魔法が完成する方が早い。
ぶん、と杖を振ると、その勢いで炎の玉が飛んできた。
受ける? 避ける? それとも突っ込む?
『任せろ、ユート。三秒だけ開放するぞ!』
炎の玉が命中するきっかり三秒前に天龍眼が開放された。
1秒。なるほど、こいつは炸裂して炎と衝撃を撒き散らすのか。
2秒。しかも、任意で炸裂させることもできるらしい。
3秒。普通に避けても背中から煽られて吹っ飛ばされるだけだ。
どう切り抜けるか? その答えは3秒前から見えている。
「はぁっ!」
目の前の炎の玉を、居合で横一文字に切り裂いた。
炎の玉が炸裂する。
しかし、半分ずつに分割された炎と衝撃は、俺の身体を吹っ飛ばすほどのものではない。そのまま強引に突っ切る。
左目の奥に軽い痛みを残して、天龍眼の開放が終了した。
変わらぬ勢いで駆け寄る俺に、二体のファイターが慌てて剣を手に取り俺に向かってくる。
牽制して追い散らすか?
剣を両手に構え一気に間合いを詰めたその時。
ゴブリンたちに痛め付けられた、ユズの様子が見えた。
「おおぉぉッ――!!」
「グギャァッ!?」
「ゲブゥッ!?」
気付いた時には、激情のままに剣を一閃していた。
血塗れであちこちにアザを作り腫らしたユズの姿を見た瞬間、頭が真っ白になって剣を振った瞬間のことを覚えていない。
だが、指先に感じた感触だけははっきりと覚えている。
肉を裂き。
骨を断ち。
命を潰す。
その一撃で、二体のゴブリンは輪切りになって腰から上が泣き別れになり、絶命して魔力に還った。
ぞくぞくと、背筋が寒くなるような感覚がする。
命を奪った実感。倫理に背く嫌悪感。激情のもたらす興奮。
それは、たちの悪いことに、快楽にすら似ていた。
命という意味なら、今まで倒してきた魔物だって生きている。
しかしゴブリンを斬る感触は、しっかりとした肉と骨が刃に引っ掛かる、そんな実感を伴っている。
剣で、自分と同じ生きているものを殺すという実感。
「ギャアッ!?」
「ギィーッ!!」
だが、一度斬れば二度、三度と踏み越えてしまえる。
たった今、ユズをなぶるために手放していた武器を拾い上げ、襲いかかろうとしたゴブリンとゴブリンシーフを、それぞれ一刀の元に切り捨てたように。
殺すということに、慣れていく。
それはきっと、この世界で生きていくためには必要なことなのだろうけれど……
日本で生まれ育った俺という人格が、間違いなく揺さぶられる経験だった。
きっと、俺はおそれていたのだ。
平和な日本では踏み越えてはいけなかったその一線を踏み越えて、元の自分ではなくなってしまうことを。
あと残っているのは、シャーマン一体だけだ。
シャーマンは慌ててきょろきょろと左右を見回したが、もう仲間はいない。
剣を構えて一歩踏み出すと、奴は逃げ出そうとするかのようにじりっと後ろに下がった。
普段なら、逃げるなら逃がしても良かった。
少し間を置いて、俺の激情もその爆発力を失いつつある。
元々、怒りが長続きする質でもない。
だが。
ユズをこんな目にあわせたこいつを、俺は許せそうにない。
あえて、横たわるユズをちらりと見る。
まだ意識があるようで、茫洋と開いたユズの瞳と目があった。
涙で濡れて揺れる瞳と。
「せえぇぇぁっ!!」
「グゲァーッ!!」
かっ、と新たに燃えた怒りのままに、鋭く踏み込み脳天から股下まで一直線に斬りつけた。
今度は、自分の意思で。骨と肉を断ち割る感覚をしかと感じながら。
俺は、もう帰れない日本から、この世界へと、一線を踏み越えた。
左右に別たれたシャーマンは地面に倒れる前に魔力になって崩壊する。
手にしていた杖だけが残って転がり、からんと音を立てた。
消えていくシャーマンの死体を見届け、そして潜んでいる伏兵がいないかを注意深く確認する。
もう戦闘が終わったことを確認して、ゆっくりと息を吐きながら剣を鞘に納めた。
「……ユズ! 大丈夫か、しっかりしろ!」
倒れたユズのもとにひざまづいて声をかける。
ユズの怪我は、思わず目をそむけたくなるほど酷かった。
女の子に対してするような痛め付けかたじゃない。
特に酷いのは脚だ。いくつもいくつも穴のように傷が開いて、どくどくと血が流れている。
ユズの体力バーは残り1割近い。
……というか、今もじりじりと減り続けている!
血、血を止めないといけないのか? このままじゃ死んでしまう。
ええと、確か心臓に近い方を押さえるんだっけ……!?
「ぜぇ、は、やっと、追い付いたよ、アヅマ……」
慌てる俺の後ろに、ようやく遅れてきていたクロードが追い付いた。
すっかり息が切れて、ぜぇぜぇと肩で息をしている。
「クロード! ユズが、HPがやばいんだ、どうすれば……」
「えいちぴー? いいから落ち着いて、息くらい整えさせてくれ」
ええい、クロードはなんでそんなに落ち着いていられるんだ!
ユズの体力バーは今も減り続けて、今にもなくなってしまいそうだ。これを見て冷静に落ち着いてなんかいられない。
だがクロードは焦った様子もなく、しかしてきぱきとユズの怪我を確認し、背中のバックパックを下ろした。
さっと中から取り出したのは、飲み水を入れた革袋と、治癒の霊薬を容れたビンだ。
手早く革袋の口をあけてユズの脚の傷をざっと洗い流し、それでも新たに血をあふれさせる傷口にどばどばと霊薬を振りかけた。
「いっつ! ぅ~…… それ、染みるっ……」
霊薬を振りかけた途端、ユズの身体がびくんと跳ねる。
だが、傷口は明らかに小さくなって急速に血が止まりつつある。
減っていた体力バーも、ぐんと伸びて2割を越えた。
お、おお、治癒の霊薬ってすげえ……!
「痛みがあるならまだ大丈夫だ。
ほらアヅマ、もう一本は飲ませてやって。ゆっくりと、むせないようにね」
「あ、ああ」
クロードのバックパックから二本めの霊薬が出てくる。
それを受け取って、ユズの身体をそっと抱え起こした。
霊薬のビンを傾けて口元に近づけてやると、こくん、こくんと喉を鳴らして飲んでくれた。
減っていた体力バーが、じりじりと回復していくのが見える。
霊薬マジすげー。
クロードはその間にバックパックから包帯を取り出して、ユズの足の傷にくるくると巻いていた。
クロードの手際がいいのは今更だが、準備がいいな。
「クロードのかばんからは何でも出てくるな」
「むしろ僕は治癒の霊薬ひとつも用意してない君に驚くよ。
僕たちのパーティには神官がいないんだから、備えておかないと命に関わるよ?」
「あ、ああ、すまん……」
言われてみればその通りだ。
今まで順調で必要もなかったとはいえ、回復アイテムのひとつもなしに進むのは危険だ。
ゲームでも、MPや回復アイテムが切れてピンチに陥ったり、毒消しがなくて死にそうになったり、そんなことはよくある話だ。
今回も、クロードがいてくれなかったらユズを死なせていただろう。
この世界はゲームとは違って、死亡から復活する方法もなければ、コンティニューも存在しない。
わかっていた筈のことを、改めて強く実感して背筋が寒くなった。
だが、死にかけていたユズはというと、クロードに怒られている俺を見てくすくすと笑っていた。
どうやら、笑えるくらいの余裕が戻ってきたようだ。
体力バーも4割弱まで回復していて、勝手に減少していくということもない。
ほっとしながら確認していると、俺の視線に気付いたのか、ユズの手がさりげなく髪についた汚れを払った。
「それにしても……二人ともどうしてここに?
真っ直ぐ第三層に降りるスロープを回ってきたとしても、早いと思うんだけど……」
「それがアズマときたら、別の落とし穴に自分から飛び込んだんだ!
うまくユズを見つけられたからいいものの……」
呆れたようなクロードと、ユズの視線が俺に突き刺さる。
いや、あの時はそれが一番いい方法だと思ったんだが……
「そういう時は、一旦外に出て、他の探索士に助けを求めるんだよ。
探索士は助け合い、ってことになってるんだからね」
「いや、無計画ってわけじゃないんだ、ソナーを使えばなんとかなる、と思って……」
「いや、それでもやっぱり無謀だよ」
「うん、無謀だねぇ」
『らしくなく無謀だったな』
天龍もあわせて三人に言われ、ぐぬぬ、と唸るしかない。
「でも、アズマが来てくれなかったら危なかった。
……ありがと、アズマ」
「ああ。……無事で良かった」
ユズにお礼を言われると、妙に照れくさくて俺は視線を虚空にさ迷わせた。
そんな俺を見て、ユズは楽しそうに……いつものように、にこにこと微笑んでいる。
「さて、二人とも。いつまでもここにいるわけにはいかないよ。
宿に帰るまでが探索だ。……ユズ、立てるかい?」
「んっ…… なんとか、大丈夫。ありがと」
クロードの手も借りて、ユズを立ち上がらせる。
まだ体力バーが短いせいかふらふらしているし、怪我をした脚は痛むようだが、シャーマンのドロップした杖を使えばなんとか歩けそうだ。
とはいえ、この状態のユズを連れて探索の続き、なんてとてもじゃないけど言えないな。
今日のところは、大人しく迷宮から脱出するしかないだろう。
「アズマ、ソナーを頼む。戦闘はできるだけ避けていこう」
「この足じゃ、ぼくは戦えないかな……
でも、大丈夫だよ。アズマがゴブリンと戦えるようになったからね」
「おや、もう大丈夫なのかい?」
「……ん、ああ。……大丈夫、斬れる……と、思う」
軽く右手を握ったり開いたりして、調子をみながら答える。
その手は意思に反して小刻みに震えていたが、手の動作に支障はない。
おそらく、神経が一時的に昂っているだけだ。
きっと、いずれは何も感じることなくゴブリンを切り捨てられるようになるのだろう。
それも、そう遠い先のことではないに違いない。
人間は何にでも慣れていくものだ。
そうやって、この世界に順応して変わっていく。
……俺はいつまで、元の自分のままでいられるだろうか?
『何、気負うことはない。如何にあろうとお前はお前だ。
そして、お前以外の何者にもなれぬ。
そんなつまらぬことに悩むのは、天使か悪魔でも斬ってからにするがいい』
それはむしろ斬る機会があるかどうかも怪しいな!
「……アヅマ? 本当に大丈夫かい?」
「いや、大丈夫だ、クロード。ちょっと考え事をしてただけだ」
心配げに顔色を伺ってくるクロードに、軽く苦笑して返す。
そうだな、慎重なのはいいが怖れすぎても先に進めなくなる。
天龍の言う通り、人か天使か悪魔でも斬らないといけなくなった時に、また改めて悩むとしよう。
そう考えると、ほんの少しだけ、気が軽くなった気がした。
「よし、行こう。ユズはちょっと辛いだろうけど、俺たちは第三層の道がわからないからな。道案内を頼む。
ゴブリンとの戦闘は避けていくけど、やむを得ないときは俺とクロードで蹴散らすぞ」
「わかった、それでいこう」
「……あ、出発前にぼくの短剣を探してくれない?
ゴブリンに蹴飛ばされちゃって…… あと、ドロップアイテムも」
勿論、そんなものは天龍眼でざっと見渡せばすぐに見つかる。
ほんの2分もかからずに回収し終えて、俺たちは地上に向かって歩き出した。
それから、迷宮の外に出られたのは真夜中になってからだった。
途中でゴブリンとは二度ほど戦闘したが、もうゴブリンを斬ることに問題はなかった。
まだ多少感じる引っ掛かりも、数日もすれば消えていくだろう。
磨り減って消えていくその部分は、あるいは人間性の一部なのかもしれないが、もう俺は努めて振り返らないことにした。
協会の出張買取所も受付を終了し、懐の潤った探索士が夕食で腹を満たそうという頃合いのピークも過ぎた門前町は、人通りもなく閑散としている。
ぽつりぽつりと、こんな時間まで営業している酔狂ないくつかの宿や酒場の明かりが漏れでている程度。
とにかく疲労と汚れを全身にまとわせて、空腹も抱えた俺達は、何はともあれ手近な宿に雪崩れ込んで、宿のグレードにしては割高な宿泊費と食事の代金を支払う。
出てきた食事はドラゴンの大牙亭の店長の料理には遠く及ばなかったが、みんなものも言わずにがっついて平らげた。
そのあと、どうやって部屋まで行ったのかも記憶が定かじゃない。
剣も腰にさしたままで、俺はベッドに倒れこんでそのまま朝まで眠り続けたのだった。




