第38話 闇に消える声
今回の更新には残酷・暴力的な表現が含まれます。
ご了承の上、お読み進めください。
「きゃあッ!」
第三層に落ちてきたぼくは、無様に悲鳴をあげて地面の上に転がった。
巣穴の迷宮の天井の高さは、場所にもよるけれど大体2~3m。
柔軟で素早い身のこなしが欠かせない斥候なら、音も立てずに着地できてもいい高さだけど、今のぼくは万全というわけじゃない。
矢傷を受けた足が着地の瞬間にずきんと痛んで、バランスを崩してしまったんだ。
治癒の霊薬を飲んだ、といっても下級の霊薬なら血を止めて表面だけ傷をふさぐのがせいぜい。
それだけでもかなり助かりはするけど、すぐに全力で運動して高いところから着地して、傷が開かないわけもない。
「あいつつつ…… あーあ、ドジ踏んだぁ……」
しかも運の悪いことに、着地の瞬間に足首をひねってしまったらしい。
足首がずきりと傷んで、うまく立てそうになかった。
幸い、自前の霊薬はまだ一本残っている。
これを飲んで、少し休めば歩けるように……
「……あちゃあ」
バッグの底を漁ると、そこには割れたビンが入っていた。
着地の時に、下敷きにしちゃったかな……?
霊薬がこぼれて、バッグの底と地面を濡らしている。
アズマたちの助けは期待できない。
アズマはゴブリンを倒せないし、クロード一人じゃ第三層は無理だ。
それに、二人とも第三層に降りる道を知らない。助けに来れたとしても、かなり時間がかかるだろう。
アズマたちがぼくを見付けるのと、この階層をうろつくゴブリンにぼくが見付かるのと、どっちが早いかなんて考えるまでもない。
そもそも、助けになんか来ないよね。
ぼくは仲間になって日も浅いし、それにぼくがアズマの立場なら諦める。
どう考えても、一人で第三層に落ちた手負いの斥候なんて、死んだも同然だ。
……死ねない。
ぼくはまだ、死ねないんだ。
そのためには、足を治さなきゃいけない。
でも、そのための霊薬はない。
いや、ある。地面に染み込んでるけど。
じゃあ、どうすればいいかなんて、わかりきってるよね。
「……あぐっ」
ぼくは、治癒の霊薬が染み込んだ土を引っ掴んで、口の中に押し込んだ。
じゃりじゃりする。ひどい食感に、ぼくは顔をしかめた。
そのままだと飲み込めないから、革袋の水を取り出して強引に流し込む。
霊薬も革袋に容れれば割れずに済んだのに、って思うけど、迷宮でドロップした霊薬の瓶か、サンドゴーレムの砂から作ったガラス瓶でないと、霊薬の魔力を留めておけなくてただの水になってしまうんだってさ。
……おいしくないな。
そう思いながら、黙々と土を食べる。
ご飯が美味しかったのなんて、最後はいつだったろう。
思い返すと、今はもういない、ぼくが見捨てたみんなの顔が浮かんできて、ぼくはぐいっと目元を拭った。
霊薬の染み込んだ土を一通り飲み込むと、その甲斐あってか少し痛みが楽になってきた。
歩けるようになったら、できるだけ身を隠しながら外を目指そう。
途中で誰か、他の探索士に遭遇できたらいいんだけど。
ちょっと朧気だけど、巣穴の迷宮の地図はまだ覚えてる。
少し周囲を探索すれば、現在地も把握できると思う。
戦うのは……ちょっと不安かな。投げナイフは全部使いきってしまった。
普通のゴブリンくらいなら敵じゃないけど、第三層には魔法を使うゴブリンもいるし、そいつに率いられた10体前後の集団がいることもある。
足を怪我した状態で一人でその数を相手にするのは、かなり不安だ。
回復魔法が使えたら、良かったんだけど……
ぼくは魔法が使えない斥候だし、回復や強化の魔法は神官様しか使えない。
ましてぼくは神様なんてそれほど信じてないからね。
「っ……?」
通路の奥から、反響して何かが聞こえたような気がした。
息を殺して耳を澄ます。
……また聞こえた。
何かが落ちたり転がったり、自然に起きたような物音じゃない。誰かの声……何か、不明瞭な声で話しているような声。
探索士が誰か通りかかってくれた、なんて都合よくは考えない。
この巣穴の迷宮に挑む探索士は少なくはないけれど、その何十倍もの数のゴブリンが、この迷宮にはうろついてる。
それに、例え人間でも、決して味方とは限らないんだ。
ぼくは足を引きずりながら、どうにか照明の届かない暗がりに潜り込んだ。
身体を丸めて小さくなりながら、息をひそめて気配を断つ。
「ギャウ、ギャガァ」
「ギャッギャッ」
通路の向こうから姿を見せたのは、案の定ゴブリンだった。
数は、一、二…… 多い。九体もいる。
棍棒持ちが三体に短剣持ちも三体、剣持ちが二体で、最後の一体は杖持ち。
緑の肌に赤い顔料でぐるぐるした模様を描いて、木切れや何かの骨や鳥の羽を組み合わせたような短い杖を持っている杖持ちゴブリンは、火の玉を生み出してぶつけてくる魔法を使う。
威力はそれほとでもないけど、ゴブリンの中ではリーダー格になっていることが多い。
魔法は厄介だけど、まず取り巻きのゴブリンをけしかけようとするので、うまく不意を突けば魔法を使わせないで倒すこともできる。
奴らはまだぼくには気付いてないみたいで、のんきな足取りで近付いてくる。
足が動けば逃げられるんだけど、まだ霊薬の効果は十分に発揮されていない。
もっと効果の高い霊薬を用意しとけば良かったかな。すごく高いんだけど。
投げナイフを使いきってしまったのも痛い。
ぼくに残された武器は、短剣が二振りだけ。
これで、どこまでやれるか……
「ギィッ……?」
ゴブリンの一体が、ぼくの方を見て訝しげに首をかしげた。
……気付かれた? ゴブリンに限らず、魔物は夜目が利くのも多い。
そいつは仲間に何やら声をかけ、ぼくの方を指差す。
すると、杖持ちのゴブリンが一声鳴いて、三体のゴブリンがこっちに近付いてきた。
走れれば、まだここから先制攻撃ができるんだけど……
すっと立ち上がることはできたけど、足を踏み出すと捻った足がずきりと痛む。走るどころか、いつも通りに歩くのも難しい。
「ギャッ?」
「ギッ、ギイィッ!」
短剣を抜いて両手に構えると、刃が反射する光でぼくに気付いたのか、三体のゴブリンが騒ぎだした。
無造作に武器を構えてぼくを取り囲み、いやらしく笑いながら品定めするように目を細める。
ぼくが一人だとわかって、侮った態度だ。
じり、と後ろに下がるけれど、それだけの動きでも足首が鈍く痛む。
フットワークが使えないと、短剣はかなり不利だけど……
来てみなよ、後悔させてやる。
「ギャアッ!」
一番下っぱの棍棒ゴブリンが、無造作に棍棒を振り上げた。
痛む足首をかばいつつ、一歩踏み込んで逆手に構えた左手の短剣でゴブリンの手首を刺す。
邪魔なものをどけるようにその手を横にさばいて、無防備になった喉元に右手の短剣を真っ直ぐ突き刺した。
「ギギィッ!?」
慌てて武器を繰り出す短剣持ちだけど、棒切れと変わらない振り回し方じゃ当たってはあげられない。
すっと半身になって刃をかわしながら懐に入り込んで、横をすり抜けるようにしながら、首の後ろに短剣を突き込んで殺す。
既に武器を振り上げて攻撃寸前の三体目には、タックルするように飛び込みながら、心臓に刃を突き立てた。
瞬く間に三体を葬ったぼくだけど、優勢はここまでだった。
起き上がって顔をあげてみると、すぐそこに炎の玉が迫っていたからだ!
「きゃぁっ!!?」
ばーんと炸裂した炎の衝撃に、ぼくは後ろに吹っ飛びながら悲鳴をあげた。
杖持ちのゴブリンの魔法だ。やられた!
慌てて起き上がろうとするけれど、それよりも速くゴブリンが駆け寄ってきて、ぼくのお腹の上にどすんと飛び乗った。
「かはっ!」
子供の体格をしているゴブリンは軽いけれど、それでもお腹の上に無遠慮に落ちてこられても平気なほど軽くもない。
ぼくが息を吐いて目を白黒させている隙に、そのゴブリンはぼくの鼻先に棍棒を振り降ろす。
その時に出た悲鳴を、文字にして伝えたいとは思わない。
鼻の奥がつーんとする。息が苦しい。
ゴブリンは耳障りな声で喚き笑いながらもう一度棍棒を振り下ろそうとしたけれど、黙ってやられるのを待つわけもなく、咄嗟に掲げた短剣で受けとめた。
そして、お腹の上に乗ったゴブリンの腹に逆手に握った短剣を突き立てる。
「ゲギャアア!?」
そのゴブリンは刺されたお腹をおさえて大げさなくらいにのたうち回り、ぼくの上から退いたけれど、時間をかけすぎた。
残る5体のゴブリン達が、倒れたぼくに集ってきていたのだ。
一息つく間もなく、地団駄を踏むようなゴブリンたちの蹴りがぼくに襲いかかる。
「ゲッ、ギャッ!」
「ギギィッ!!」
「んっ、くぅっ……! この、やめっ……!」
あえて武器を使わないのは、殴る蹴るでぼくをなぶりものにする気だからだろう。
手足を振り回して抵抗するけれど、状況が悪すぎる!
手にした短剣もゴブリンたちにちょっとした傷を与える程度で、そのうちに蹴り飛ばされて弾かれてしまった。
何発もの蹴りがぼくの身体に叩き込まれ、そのうちの何発かは顔やお腹を無遠慮に蹴ってぼくに小さな悲鳴をあげさせる。
破り捨てるつもりなのか、ゴブリンの手が何度かぼくの服を引っ張ったけれど、蜘蛛の魔物の糸を紡いで鎖を仕込んだ装束は、ゴブリンの力くらいじゃ裂け目もできやしなかった。
高かったけどこの服買って本当に良かった、とこの時ばかりは思った。
だけど、蹴られた衝撃を完全に防いでくれるわけでもないし、ゴブリンたちをはね飛ばしてくれるわけでもない。
胸やお腹を杖持ちのゴブリンが杖で突いて押さえつけてくる。
次第にぼくの手足は押さえつけられて、蹴りあげた足も短剣持ちのゴブリンにがっちりと抱え込まれてしまう。
そして、そのゴブリンは手にした短剣をぼくの太ももに刺した。
「っああぁっ!?」
粗末な短剣による傷はそれほど深くはないけれど、あまりの激痛にぼくは悲鳴をあげ、全身を跳ねさせる。
その反応が面白かったのか、ゴブリンは引き抜いた短剣を、もう一度ぼくの太ももに突き刺した。
刺す、抜く、もう一度刺す。
刺す、抜く、もう一度刺す。
もう一度、もう一度、とゴブリンは何度もぼくを刺す。
ゴブリンたちはげらげらと笑いながら、ぼくを押さえつけ、痛め付けた。
あんまりにも痛くて、思わず涙が滲んでくる。
死ぬ。
このままじゃ間違いなく殺される、ということを今更ながらに実感して、胸の奥が寒くなる。
死ねない。……死ねないのに、死ぬ。
みんなの顔が脳裏に浮かぶ。
その顔は、こんなところで無意味に死ぬぼくを、恨めしそうに睨んでいるように思えた。
自分の命が失われることより、みんなにそんな顔で睨まれることの方が、ぼくには恐ろしい。
「ごめん、なさいっ……」
ぎゃあぎゃあと喚き散らし嘲笑うゴブリンから顔を隠すように腕でかばう。
「ごめんなさい、許して……っ、ごめん、なさい……」
ゴブリンはぼくの言うことなんておかまいなしに、むしろそれが面白いことのように笑いながら、ぼくを殴り付ける。
何度も刺された脚からはだらだらと血が流れ出て、だんだんと意識が遠くなってきた。
ぼくは、うわごとのように何度もみんなに謝り続ける。
「許して…… 助け、て」
みんなを助けなかったぼくの声は、みんなと同じように迷宮の闇のなかに飲まれて消えていった。
「ユズ―――っ!!!」
その時、迷宮の中に轟いた怒号に、ぼくははっと意識を取り戻した。




