第七話 正体と試験
「何者って言われてもなぁ……」
レイガは頭の後ろを掻いた。
困ったように笑う。
「俺にも分かんねぇよ」
「ずっとこの森で暮らしてきただけだし」
ゼクトは黙ったまま聞いていた。
だが内心では整理しきれていない。
衝気を知らない。
界徒を知らない。
それなのに衝気を扱う。
どう考えても不自然だった。
「……本当に何も知らないんだな」
「だからそう言ってるだろ?」
レイガは苦笑する。
ゼクトは少し考え込んだ後、別の角度から質問した。
「なら親はどうだ」
「親?」
「お前の親なら何か知っていたはずだ」
「衝気は別に秘密の力じゃない」
ゼクトは椅子にもたれながら続ける。
「界徒は社会の中にもいる」
「治安維持をする者もいるし、危険区域の調査をする者もいる」
「企業や研究機関に所属している界徒も珍しくない」
「知らない人間もいるが、存在自体は一般的に知られている」
レイガは「へぇー」と感心したような声を漏らした。
本当に初耳らしい。
ゼクトはますます頭が痛くなる。
そんなレベルの話ではない。
普通なら子供の頃に一度は耳にする話だ。
「だから親から何も聞いていないのかと思ってな」
そう言った瞬間だった。
レイガはあっさり答えた。
「ああ、俺親知らないぞ」
「……は?」
ゼクトが目を瞬かせる。
レイガ本人は気にした様子もない。
「俺が小さい頃に病気で死んだらしいからな」
さらりと言った。
まるで天気の話でもするように。
「らしい?」
「覚えてねぇんだ」
レイガは肩を竦める。
「小さすぎて顔も覚えてない」
部屋に少しだけ沈黙が落ちる。
ゼクトは何と言うべきか迷った。
だがレイガは気にせず続ける。
「それからロウガンに育てられたんだ」
「ロウガン?」
「俺のじいちゃんみたいなもん」
少しだけ懐かしそうに笑う。
「森のこととか、魚の捕り方とか、色々教えてくれた」
「でも死んだ」
その言葉にゼクトは表情を曇らせた。
なるほど。
だから一人で暮らしているのか。
だからあの墓に通っていたのか。
ようやく繋がった。
「……そうか」
短く呟く。
そして少し視線を逸らした。
「悪い」
「聞くべきじゃなかったな」
するとレイガはきょとんとした。
「なんで?」
「いや……」
「別に気にしてないぞ?」
あっさりした返答だった。
レイガは笑う。
「もう何年も前の話だしな」
「ロウガンもよく言ってた」
『死んだ奴より生きてる奴の心配をしろ』って」
その言葉を口にする時だけ、少しだけ優しい表情になる。
ゼクトは黙る。
レイガは本当に気にしていないのだろう。
無理をしている様子もない。
ただ受け入れている。
それが分かった。
「……そうか」
今度は先ほどより自然な声だった。
レイガは椅子の背にもたれながら大きく伸びをする。
「だから俺のこと聞かれてもなぁ」
「森で育って」
「魚捕って」
「飯食って」
「たまにロウガンの墓参りして」
「それだけだ」
あまりにも普通の答え。
だがゼクトは思う。
(普通じゃない)
衝気を知らないまま衝気を扱う少年。
常識を知らないほど閉ざされた環境。
そして親のこともほとんど分からない。
偶然とは思えなかった。
何かがある。
だが今は情報が足りない。
ゼクトは静かに息を吐いた。
そして改めてレイガを見る。
「……お前については、まだ分からないことだらけだな」
レイガは笑った。
「俺もだ」
その返事に、ゼクトは思わず小さく苦笑した。
レイガとゼクトはその後もしばらく雑談を続けていた。
森の話。
魚の話。
畑の話。
なぜか話題が食べ物に偏っていたが、レイガは楽しそうだった。
「そういえばさ」
不意にレイガが顔を上げる。
「なんだ」
「ゼクトはここで何してたんだ?」
「ん?」
「たまたま森にいたわけじゃないんだろ?」
その言葉を聞いた瞬間。
ゼクトが固まった。
数秒。
沈黙。
そして。
「……あ」
「どうした?」
「忘れてた」
「何を?」
ゼクトは額を押さえた。
完全に頭から抜け落ちていた。
暴走獣。
レイガ。
衝気の説明。
予想外の出来事が多すぎたせいで、本来の目的を忘れていた。
「そうだった」
「俺は元々ここを通過する予定だったんだ」
「どこ行くんだ?」
ゼクトは答える。
「界徒試験だ」
「界徒試験?」
聞き慣れない言葉だった。
レイガが首を傾げる。
ゼクトは苦笑した。
「そうなるよな」
「お前、さっき界徒を知ったばかりだし」
レイガは素直に頷く。
「うん」
「何それ?」
「だと思った」
ゼクトは椅子に座り直した。
そして説明を始める。
「まず前提として」
「衝気は便利な力だ」
「人間を強くする」
「能力も使える」
「だからこそ危険でもある」
レイガは黙って聞く。
「例えばだ」
ゼクトは分かりやすい例を考える。
「能力で異常に足が速くなる奴がいるとする」
「おう」
「ある日、目の前に瀕死の人間がいた」
「近くに病院はない」
「救急車も来られない」
「だが能力を使えば遠くの病院まで数分で運べる」
レイガは即答した。
「使うだろ」
「ああ」
ゼクトは頷く。
「そういう人命救助のためなら許可されることもある」
「なるほど」
「だが」
ゼクトの表情が少し真面目になる。
「能力を好き勝手使われたらどうなると思う?」
レイガは考える。
数秒後。
「あー」
「街とか壊れる?」
「正解だ」
ゼクトは頷いた。
「能力者同士が喧嘩する」
「金儲けに悪用する」
「一般人を脅す」
「犯罪に利用する」
「そんなことが起きれば社会はめちゃくちゃになる」
レイガは納得したようだった。
「確かに」
「だから衝気能力には法律がある」
ゼクトは続ける。
「正当な理由もなく能力を使えば問題になる」
「場合によっては処罰される」
「そしてそれを管理しているのが――」
少し間を置く。
「界律機関だ」
「かいりつきかん?」
「界徒を管理する組織だ」
「能力犯罪の取り締まり」
「危険区域の調査」
「暴走獣への対応」
「色々やっている」
レイガは感心したように声を漏らした。
「へぇー」
「じゃあ警察みたいなもんか?」
「近い」
ゼクトは頷く。
「かなり近いな」
そして机を指で軽く叩く。
「界徒試験は、その界律機関から正式な資格を得るためのものだ」
「資格?」
「能力を公的に扱うための許可証みたいなものだな」
レイガの目が少し輝く。
新しい話ばかりだからだ。
知らない世界。
知らない仕組み。
それら全部が好奇心を刺激している。
「面白そうだな」
その一言に。
ゼクトは嫌な予感を覚えた。
そして案の定。
レイガが前のめりになる。
「俺も行っていいか?」
「……」
ゼクトは無言になった。
数秒後。
静かに頭を抱える。
(絶対そう言うと思った)
そんな心の声が表情に出ていた。
レイガが身を乗り出しており、琥珀色の瞳は期待で輝いていた。
ゼクトは思わず額を押さえる。
普通なら断る。
今日会ったばかりの相手だ。
しかも衝気も界徒も知らない。
常識もない。
放り込めば間違いなく問題を起こす。
だが――。
(こいつをこのまま放置するのも危険なんだよな……)
ゼクトは今日の戦いを思い出す。
暴走獣を相手に正面から突っ込んだ少年。
しかも無自覚で衝気を扱っていた。
もし別の界徒に見つかったらどうなるか。
最悪の場合、危険人物と判断されてもおかしくない。
知らないでは済まされない世界なのだ。
しばらく考え込んだ末。
ゼクトは小さく息を吐いた。
「……分かった」
「本当か!?」
レイガが勢いよく立ち上がる。
椅子がガタッと鳴った。
「やった!」
「まだ最後まで聞け」
即座に制止される。
レイガは素直に座り直した。
「しかし条件がある」
「条件?」
「ああ」
ゼクトは真面目な表情になる。
「お前は衝気について何も知らない」
「うん」
「その状態で外へ出るのは危険だ」
レイガは首を傾げる。
いまいち実感がないらしい。
ゼクトは少し考えた。
そして分かりやすい例えを探す。
「例えばだ」
「おう」
「お前に斧を渡したとする」
「斧?」
「使い方を教えないままな」
レイガは頷く。
「それで?」
「木を切ろうとして振り回した結果、自分の足を切ったらどうなる」
「あー……痛いな」
「痛いで済めばいいがな」
ゼクトは呆れた顔になる。
「衝気も同じだ」
「力そのものは便利だ」
「だが仕組みも危険性も知らずに扱えば、自分や周囲を傷付ける」
レイガは少しだけ真面目な顔になった。
「なるほど」
「お前は今、その斧を持っている状態だ」
「しかも自覚なしで振り回している」
「だからまずは基礎を覚えろ」
ゼクトは指を一本立てた。
「衝気とは何か」
「どう扱うのか」
「どう制御するのか」
「最低限そこまでは理解してもらう」
「修行ってことか?」
「まあそんなところだ」
レイガの顔が明るくなる。
「面白そうだな!」
「遊びじゃない」
「でも修行だろ?」
「だから遊びじゃない」
ゼクトはため息を吐いた。
この反応も予想通りだった。
レイガはすでに楽しそうである。
「勘違いするなよ」
ゼクトは釘を刺す。
「俺が教えられるのは基礎だけだ」
「高度な技術や秘伝みたいなものは教えられない」
「俺自身、まだ学んでいる途中だからな」
「十分だろ」
レイガは笑った。
「だって今の俺、何も知らねぇし」
その言葉にゼクトは少しだけ納得する。
確かにその通りだった。
何も知らない状態よりは遥かにいい。
「まずは基礎だ」
ゼクトは立ち上がった。
「明日から始める」
「おう!」
レイガも勢いよく立ち上がる。
「よろしくな、先生!」
「先生じゃない」
「じゃあ師匠?」
「違う」
「ゼクト先生」
「戻っただけだろそれ」
レイガは声を上げて笑った。
ゼクトは再びため息を吐く。
だが少しだけ。
本当に少しだけだったが、口元が緩んでいた。
こうして。
衝気も界徒も知らなかった少年の修行が始まることになった。
そしてそれは、レイガが世界へ踏み出す最初の一歩でもあった。




