第三話 異形との戦い
「おおおおっ!」
夜の森へレイガの声が響く。
巨大な獣へ向かって一直線。
異形の獣もまた咆哮を上げながら突進していた。
ガアアアアアアアアッ!!
地面が砕ける。
巨体とは思えない速度。
真正面からぶつかればひとたまりもない。
だがレイガは直前で地面を蹴った。
身体を捻る。
獣の爪が鼻先を掠めた。
「うおっ!」
風圧だけで頬が切れる。
しかしレイガはそのまま近くの木へ飛び乗った。
幹を蹴る。
さらに枝へ。
そしてもう一度。
獣の頭上へ跳躍した。
「もらった!」
鉈を振り下ろす。
狙うのは首。
急所だ。
ギィンッ!!
鈍い金属音が響いた。
「え?」
レイガの目が丸くなる。
確かに斬った。
だが深く入らない。
分厚い毛皮の下に鉄板でも仕込まれているようだった。
血は出ている。
しかし傷は浅い。
「硬っ!?」
獣の赤い瞳がぎらりと光る。
次の瞬間。
巨体があり得ない速度で反転した。
「うお――」
言い終わる前だった。
巨大な前脚が横薙ぎに振り抜かれる。
ドゴォッ!!
まともに直撃した。
レイガの身体が吹き飛ぶ。
木を一本。
二本。
三本。
次々となぎ倒しながら森の奥へ叩き込まれた。
轟音が響く。
普通なら死んでいる。
骨どころか全身が砕けてもおかしくない一撃だった。
やがて土煙が晴れる。
倒れた木々の中。
レイガは地面に転がっていた。
「ぐっ……」
数秒。
沈黙。
そして――
「いててて……」
むくりと起き上がる。
肩を回す。
腕を曲げる。
足も動く。
どこも折れていない。
本人は当然のような顔だった。
「なんだあいつ……めちゃくちゃ力強いな」
首を傾げる。
自分が生きていることを不思議に思わない。
幼い頃からそうだった。
崖から落ちても平気。
木から落ちても平気。
動物に突き飛ばされても平気。
だから今回も同じだと思っている。
だが普通ではない。
レイガの身体の表面では。
薄く。
本当に薄く。
月明かりに溶けるような何かが揺らめいていた。
本人には見えない。
当然、自覚もない。
ただ無意識のうちに身体を守っている。
それが何なのか。
レイガは知らない。
獣が再び唸り声を上げる。
グルルルルルル……。
赤い瞳がこちらを睨んでいた。
先ほどまで獲物を見る目だった。
だが今は違う。
警戒している。
まるで理解できない生き物を見るように。
レイガは鉈を握り直した。
口元が少しだけ吊り上がる。
「いいな」
琥珀色の瞳が輝く。
「こういうの初めてだ」
目の前の異形。
強敵。
未知の存在。
恐怖よりも先に胸が高鳴る。
獣が地面を蹴る。
レイガもまた前へ踏み出した。
グルルルルル……。
異形の獣が低く唸る。
赤い瞳はレイガを捉えたまま離さない。
先ほどまでの獲物を見る目ではない。
目の前の存在を危険だと判断し始めていた。
対するレイガは鉈を肩に担ぎながら笑う。
「やっぱ強ぇな、お前」
森の中で何度も獣と戦ったことはある。
だがこんな相手は初めてだった。
その時だった。
獣が再び地面を砕きながら突進する。
ドォン!!
巨大な前脚が振り下ろされる。
だがレイガはもう真正面から受けない。
横へ跳ぶ。
直後。
地面が爆発したように抉れた。
「おっと」
さらに二撃目。
薙ぎ払い。
レイガは倒れた木へ飛び乗る。
そのまま駆け上がる。
三撃目。
牙による噛み付き。
首を傾けるだけで回避。
鼻先を牙が掠めた。
「なるほどな」
琥珀色の瞳が細くなる。
戦いながら見ていた。
脚の動き。
肩の揺れ。
重心。
癖。
獣が攻撃する前にどこへ力を入れているか。
なんとなく分かってきた。
レイガはそういう人間だった。
考えるより先に身体が理解する。
獣が咆哮する。
再び前脚を振り上げる。
「それだ」
レイガは先に動いた。
攻撃が来る前に懐へ飛び込む。
鉈を振る。
ヒュッ――
刃が月光を反射した。
その瞬間だった。
鉈の周囲を淡い光のようなものが包む。
本当に一瞬。
夜の闇に溶けるほど微かな輝き。
当然レイガは気付かない。
ただ無意識のまま振り抜く。
ザシュッ!!
今度は違った。
獣の肩口が大きく裂ける。
鮮血が飛び散った。
ガアアアアアッ!?
獣が苦痛の叫びを上げる。
レイガは目を見開いた。
「おっ!」
さっきまで浅かった。
だが今のは明らかに深い。
筋肉まで届いている。
「今の入った!」
思わず声が弾む。
理由は分からない。
だが手応えはあった。
獣が怒り狂ったように暴れる。
大木が薙ぎ倒される。
岩が砕ける。
しかしレイガは止まらない。
むしろ動きが冴えていく。
左へ。
右へ。
前へ。
後ろへ。
巨大な爪の軌道を紙一重で避ける。
まるで森そのものを利用するような身のこなしだった。
木の幹を蹴る。
枝へ飛ぶ。
空中で体勢を変える。
着地と同時に鉈を振る。
ザシュッ!!
今度は脇腹。
獣が吠える。
さらに回り込む。
足首を斬る。
血が飛ぶ。
獣の動きが少しずつ鈍くなる。
「見えてきた」
レイガは笑った。
最初は巨大な化け物だった。
だが今は違う。
強い。
危険。
それでも戦える。
そんな確信が芽生え始めていた。
そして気付かぬまま。
レイガの身体から漏れ出る見えない力もまた、少しずつ強まっていた。
激しい衝突音が夜の森へ響く。
◇
少し離れた場所。
銀灰色の髪を持つ青年が木の上から戦場を見下ろしていた。
青灰色の瞳が静かに細められる。
「……なんだあれは」
最初に目へ入ったのは暴走獣だった。
だが次に視線が向いたのは鉈を持つ少年。
普通の人間ではない。
そう断言できた。
暴走獣の一撃を受けて生きている時点で異常。
さらに。
青年は目を細める。
少年が振るう鉈。
その刃の周囲。
淡い衝気が纏わり付いていた。
「衝気を武器へ纏わせている……?」
思わず呟く。
未熟だ。
粗い。
効率も悪い。
だが確かに衝気だ。
暴走獣の外皮を斬れている理由もそれで説明がつく。
青年は短く息を吐く。
「あの歳であれだけ扱えるなら界徒か」
そう判断するのが自然だった。
だが違和感もあった。
戦い方があまりにも雑だ。
型がない。
訓練の痕跡も薄い。
経験だけで戦っているように見える。
「……危ないな」
少年は確かに押している。
しかし紙一重だった。
一歩間違えれば死ぬ。
そんな戦い方を平然と続けている。
案の定。
暴走獣が怒り狂ったように突進した。
ドゴォォォン!!
大木が何本も吹き飛ぶ。
少年は回避したが、その余波だけで身体が弾かれる。
青年は眉をひそめた。
「これ以上は面倒になる」
助ける義理はない。
本来ならそのまま通り過ぎてもいい。
だが放置すれば周囲へ被害が出る。
何より。
暴走獣を討伐する方が早かった。
青年は木の枝から飛び降りる。
地面へ着地。
そのまま右手を前へ突き出した。
静かに呟く。
「――《兵装設計図》」
空気が震えた。
淡い光が右手の周囲へ集まる。
無数の線が走る。
まるで見えない設計図が空中へ描かれていくようだった。
円。
直線。
歯車。
構造式。
幾何学模様にも似た光の線が幾重にも重なっていく。
やがて。
設計図が立体化する。
光の粒子が収束。
圧縮。
固定。
青年の手の中へ、一振りの黒い拳銃が構築された。
金属光沢。
引き金。
照準器。
実在する兵器そのもの。
まるで最初からそこに存在していたかのように完成する。
青年は慣れた動作で銃を構えた。
視線の先。
暴走獣が再び少年へ飛び掛かろうとしている。
「悪く思うな」
青灰色の瞳が標的を捉える。
引き金へ指が掛かった。
そして夜の森へ、新たな戦いの幕が上がろうとしていた。




