第二一話 神隠しの夜
夜。
宿場町は静まり返っていた。
昼間の賑わいが嘘のようだ。
店の灯りも少ない。
人通りもほとんどない。
聞こえるのは風の音だけだった。
◇
「じゃあ行ってくる!」
レイガが元気よく言う。
「元気だな……」
ゼクトは頭を抱えた。
囮役。
普通なら嫌がる。
だがレイガは違う。
むしろ楽しそうだった。
「本当に大丈夫なんですか?」
エルフィスが聞く。
「大丈夫だ!」
レイガは胸を叩く。
「俺強いし!」
「そういう問題ではありません」
即答だった。
◇
今回の作戦は単純だった。
レイガが一人で夜道を歩く。
ゼクト。
エルフィス。
ヴェルド。
三人は離れた場所から監視する。
犯人が現れた瞬間。
一斉に動く。
それだけだ。
「無茶するなよ」
ゼクトが言う。
「分かってる」
「絶対分かってない」
「なんでだ?」
「お前だからだ」
◇
やがて。
レイガは一人で歩き始めた。
石畳の道。
薄暗い街灯。
静かな夜道。
宿場町の外れへ向かう。
「暇だな」
ぽつりと呟く。
囮。
もっと緊張するものかと思っていた。
だが。
何も起きない。
十分。
二十分。
三十分。
誰も現れない。
「本当に来るのか?」
レイガは首を傾げる。
◇
その頃。
屋根の上。
ゼクトが双眼鏡を覗いていた。
「異常なし」
通信機へ呟く。
『こちらも異常ありません』
エルフィスの声。
『つまらないなぁ』
ヴェルドの声も聞こえた。
「お前は黙ってろ」
ゼクトが即答する。
◇
その時だった。
レイガが歩いている路地の奥。
ふわり。
何かが揺れた。
霧。
いや違う。
人影。
黒い影が一瞬だけ見えた。
そして。
消えた。
「……ん?」
レイガが立ち止まる。
今。
何かいた。
確かにいた。
だが。
次の瞬間には姿がない。
◇
屋根の上のゼクトも気付いていた。
「今のは……」
双眼鏡を握る。
見失った。
一瞬だった。
本当に一瞬。
だが。
誰かがいた。
『ゼクトさん』
エルフィスの声が緊張を帯びる。
『私も見ました』
『うん』
珍しく。
ヴェルドも真面目な声だった。
『いるね』
『犯人かもしれない』
空気が変わる。
張り詰める。
レイガは足を止めていた。
「……なんだ?」
目の前。
路地の奥。
そこに違和感があった。
ほんの数秒前まで何もなかったはずだ。
だが今は違う。
そこには。
一枚の扉が立っていた。
◇
古びた木製の扉。
壁もない。
建物もない。
ただ。
扉だけが存在している。
まるで。
最初からそこにあったかのように。
「なんだこれ?」
レイガは首を傾げる。
夜道の真ん中。
こんな場所に扉などあるはずがない。
◇
屋根の上。
ゼクトも双眼鏡越しにそれを見ていた。
「……扉?」
思わず呟く。
おかしい。
あまりにも不自然だ。
さっきまで存在しなかった。
それだけは確かだった。
「エルフィス」
通信機へ話しかける。
『見えています』
即座に返事が来る。
『あれは明らかに異常です』
『ですよね』
ゼクトも同意した。
◇
別の建物の上。
ヴェルドが面白そうに眺めていた。
『いいねぇ』
『怪しいねぇ』
『絶対怪しいねぇ』
「お前は静かにしてろ」
ゼクトが言う。
だが。
ヴェルドの言葉も間違ってはいなかった。
怪しすぎる。
◇
ゼクトは扉を見つめる。
そして。
考える。
(間違いない)
普通の物ではない。
界徒の能力。
衝気。
能力によって作られた何か。
そう考えるのが自然だった。
(犯人か?)
失踪事件。
神隠し。
そして突然現れた扉。
偶然とは思えない。
(近くにいるはずだ)
能力で作った物なら。
使用者はそう遠くにいない。
周囲の建物。
屋根。
路地裏。
どこかで見ている可能性が高い。
ゼクトは神経を研ぎ澄ませた。
◇
しかし。
レイガは。
「おー」
感心していた。
「不思議な扉だな!」
「待て」
ゼクトが即座に通信する。
「近付くな」
『まず観察だ』
『触るな』
『絶対触るな』
◇
レイガは通信機を耳に当てた。
「なんでだ?」
『怪しいからだ!』
「確かに怪しい!」
『だったら近付くな!』
「なるほど!」
理解したらしい。
ゼクトが少し安心する。
だが。
次の瞬間。
レイガは歩き出した。
扉へ向かって。
『なんで近付いてる!?』
「怪しいから!」
『意味が分からん!!』
◇
エルフィスが額を押さえる。
『ゼクトさん』
『はい』
『あの人は本当に考えて行動しているんですか?』
『俺も知りたい』
心の底からそう思った。
◇
レイガは扉の前まで来る。
目の前で見ると。
ますます奇妙だった。
古い木目。
真鍮の取っ手。
傷だらけの表面。
本物にしか見えない。
だが。
そこに存在していること自体が異常だった。
「なぁ」
レイガが言う。
『なんだ』
「これ開けたらどうなると思う?」
『開けるな』
「なるほど」
『だから開けるな』
「うん」
◇
沈黙。
数秒。
レイガは扉を見る。
好奇心全開だった。
そして。
ゆっくりと。
取っ手へ手を伸ばした。
『レイガァァァァ!!』
ゼクトの絶叫が夜空へ響く。
その瞬間。
誰も気付かなかった。
遠くの屋根の上。
暗闇の中から。
誰かが静かにその様子を見つめていたことに。
まるで。
獲物が罠へ近付く様子を観察するように。
レイガの指先が。
ゆっくりと扉の取っ手へ触れる。
◇
その瞬間。
空気が変わった。
「!」
レイガの目が見開く。
目の前の景色が揺らいだ。
蜃気楼のように。
水面のように。
世界そのものが歪む。
「レイガ!」
ゼクトが叫ぶ。
屋根から飛び降りた。
エルフィスも動く。
ヴェルドも笑みを消した。
だが。
遅い。
◇
ガチャリ。
扉が開いた。
その先には。
何もなかった。
部屋ではない。
通路でもない。
ただ。
真っ黒な空間。
底の見えない闇。
「おお?」
レイガが首を傾げる。
「なんだこれ」
次の瞬間。
ズルッ――
何かに引っ張られた。
「お?」
レイガの身体が前へ傾く。
そして。
そのまま闇へ吸い込まれる。
「レイガァ!!」
ゼクトが飛び込む。
◇
しかし。
届かない。
レイガの身体は。
水の中へ落ちる石のように。
闇へ沈んでいく。
そして。
消えた。
完全に。
跡形もなく。
◇
バタン。
扉が閉じる。
静寂。
数秒。
誰も言葉を発しなかった。
「……消えた?」
エルフィスが呟く。
「そんな馬鹿な」
ゼクトは扉へ駆け寄る。
取っ手を掴む。
開ける。
だが。
何もない。
そこにはただの路地が続いているだけだった。
「消えた……?」
◇
その時。
ヴェルドがぽつりと言った。
「なるほど」
赤い瞳が細くなる。
「そういう能力か」
「分かったのか?」
ゼクトが聞く。
ヴェルドは扉があった場所を見る。
「完全には」
「でも予想はつく」
「転移系」
「もしくは空間系に近い能力」
「たぶんあの扉そのものが能力だ」
◇
エルフィスも周囲を見る。
「つまり」
「今までの失踪者も?」
「同じだろうね」
ヴェルドが答える。
「突然消えたんじゃない」
「連れて行かれた」
その言葉に。
ゼクトの顔色が変わる。
もしそうなら。
失踪者たちはまだ生きている可能性がある。
◇
その時だった。
コツ。
コツ。
コツ。
静かな足音。
三人が同時に振り返る。
誰かがいる。
路地の奥。
街灯の影。
そこに。
一人の人影が立っていた。
黒いロングコート。
細身の体格。
黒髪。
そして。
月明かりに照らされる古びた懐中時計。
男は穏やかに微笑んでいた。
「へぇ」
静かな声だった。
「まさか本当に引っかかるとは思いませんでした」
◇
ゼクトの全身に緊張が走る。
エルフィスの手がレイピアへ伸びる。
ヴェルドだけが。
面白そうに笑った。
「君か」
男は軽く会釈する。
「こんばんは」
礼儀正しい口調だった。
だが。
その瞳だけは異様に冷たい。
「初めまして」
「……」
「それとも」
男は微笑みながら続ける。
「神隠しの犯人と言った方が分かりやすいでしょうか?」
夜風が吹いた。
そして。
ついに失踪事件の黒幕が。
三人の前へ姿を現した。




