表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゲバラとカストロ ~革命は二人で始まり、一人で終わる~  作者: 相馬ゆう
モータサイクル・ダイアリーズ~ゲバの青春~
PR
4/164

3,銅山(3/21大幅改稿)

(3/21大幅改稿)

モータサイクル・ダイヤリーズは映画にもなっています。

物語が長編になったことをきっかけに、史実よりに物語を書き直しました。


チリの銅山でみたのはむき出しの人間が奪われる現実でした。

「まず、身体が削られる場所だ。」


ゲバラはそう言って、グラスを持ち上げた。

だが、すぐには飲まない。

冷たい水が指先にあることだけを確かめるみたいに、しばらく黙っていた。


「一九五二年。チリ北部。チュキカマタ銅山。」


カストロは、その固有名詞を頭の中で転がした。

南米でも有数の巨大鉱山だと聞いたことはある。

銅が出る。

利益も出る。

そして、そういう場所にはたいてい、別の話もついてくる。


「アルベルトと二人で、そこへ行った。」


ゲバラが言う。


「バイクは、まだ何とか動いていた。ラ・ポデローサⅡ。でかい名前のわりに、こっちの都合なんか少しも考えない代物だった。」


「機械はたいていそうだ。」


カストロが言う。


「人間より正直だ。」


ゲバラはわずかに笑った。


「そうかもしれない。エンジンは壊れる時、壊れる音を出す。制度はそうじゃない。」


その一言で、カストロは少しだけ目を細めた。

もう銅山の話は始まっている。


※※※※※※※※※※


一九五二年。チリ北部。


風は乾いていた。

乾いているくせに、空気は重かった。

砂漠の町は広い空を持っている。だが、そこに立つ人間の胸の中は狭い。

細かい粉塵が喉の奥へ入り込み、咳の種を置いていく。

目を細めても、頬を拭っても、取れない種類の汚れだった。


ラ・ポデローサⅡは、到着する頃にはもう、機械というより意地で走っているような有様だった。

エンジンは咳き込み、車体は荷物の重さにうんざりしている。

アルベルトはそれでも陽気だった。


「見ろよ、フセル。」


彼は乾いた大地の先を顎でしゃくった。


「世界の果てみたいだ。」


ゲバラは何も言わなかった。

その先に見えるものが、景色には見えなかったからだ。


山が割れていた。


最初はそう見えた。

だが、自然に裂けたのではない。

人間が掘り返し、削り取り、喰い破った巨大な傷口だった。

チュキカマタ銅山。

世界最大級の露天掘り銅山。

チリの山肌の下に眠る富を、まるごと北へ運び出すための穴。


「でかいな。」


アルベルトが言う。

感嘆というより、半ば呆れだった。


穴の底の方では、人間が蟻みたいに小さく見えた。

荷を運び、掘り、叫び、また動く。

規模が大きくなると、人間は逆に見えにくくなる。

そこがゲバラには不愉快だった。


「銅より先に、人が見えなくなる。」


彼はぽつりと言った。


アルベルトは肩をすくめる。


「旅人らしくない感想だな。」


「旅人だからだ。」


ゲバラは答えた。


「旅人は、景色だと思っていたものの中に、いつも誰かの生活が埋まっているのを見る。」


二人は歩いた。

地面は乾いているのに、靴の裏には妙な粘りが残る。

油と金属と汗が混ざった匂いがした。

遠くで金属音が鳴る。

さらにその奥で、誰かが咳をしている。


その咳は、奇妙に乾いていた。

病人の咳というより、労働そのものが肺を削っている音だった。


休憩に入った男たちがいた。

顔は若いのに、手だけが老いている。

節が歪み、爪の間は黒い。

洗っても落ちない黒だ。

汚れというより、仕事が皮膚に刺さっている跡だった。


一人がパンを噛み、もう一人が水筒を回す。

笑い声が短い。

長く笑う余裕がない。

食事の時間まで、労働の延長に見えた。


「賃金はどうなんだろうな。」


アルベルトが言った。

医者の目ではなく、旅人の素朴さがまだ少し残った声だった。


ゲバラは答えなかった。

代わりに、少し離れた場所の帳簿台を見た。

列。数字。受け渡し。無表情な手。

誰かが誰かの時間を、紙切れの厚みで測っている。


「軽い。」


彼は低く言った。


「何が。」


「全部だ。賃金も、命も、扱いも。」


アルベルトは黙った。

同じものを見ていても、ゲバラの方が一歩先で怒っているのが分かったからだ。


風が吹いた。

砂がわずかに舞い、二人の頬を打った。


その風の向こうに、北の国の名がある気がした。


――アメリカ。


電線を張り、工場を回し、都市を光らせる金属。

南米の山から掘り出された銅が、遠くの文明を明るくする。

だが、その文明の光が、この鉱山町の肺を守ることはない。


そこにあるのは、単純な貧困ではなかった。

仕組みだった。


ラテンアメリカの富が、ラテンアメリカの労働者を削りながら、別の場所へ積み上がっていく仕組み。

山そのものはチリのもので、穴を掘る腕もチリのもので、咳き込む肺もチリのものなのに、利益だけが別の国の言葉で数えられていく。


「身体が先に払わされる。」


ゲバラは低く言った。


「利益より先に、肺が払う。骨が払う。時間が払う。」


(まるで詩人だな――でも怒れる詩人だ...... 。)

アルベルトは、その軽口を返さなかった。


二人はその日、宿へ戻る途中で、一組の夫婦に会った。

男も女も痩せていた。

荷は少なく、靴はすり減り、だが目だけは消えていない。

銅山の近くには、そういう人間が集まる。

富があると聞かされ、だが自分の取り分はほとんどないと知りながら、それでも近づかざるをえない人間たちだ。


男は、自分たちが共産主義者だと隠さなかった。

いや、隠しきれなかったと言うべきかもしれない。

職を求めて流れ歩くうちに、信条そのものが顔つきに染みついてしまったような夫婦だった。


アルベルトが煙草を差し出す。

男は礼を言う。

女は礼を言わない。ただ先に夫へ渡す。

そういう癖を持つ夫婦だった。


「ここには仕事があると聞いて来た。」


男は言った。


「だが、あるのは仕事じゃない。順番待ちと、咳と、運が悪ければ墓だ。」


ゲバラはその言葉を黙って聞いた。

慰めの言葉は言わなかった。

言っても、何も軽くならないと分かっていた。


その夜、アルベルトは寝返りを打ちながら言った。


「ひどい話は、旅の途中でいくらでも聞く。」


「そうだな。」


「だが、お前は毎回、少しずつ本気で怒ってる。」


ゲバラは天井を見たまま答えた。


「怒るべきだからな。」


「その怒りで、胃を壊すなよ。」


「肺ならもう壊れかけてる。」


アルベルトは笑った。

ゲバラも少しだけ笑った。

だが笑ったあと、彼はまた黙った。


笑って済ませられないものが、あの巨大な穴の底にはあった。


彼はその時、まだ革命家ではない。

ただの旅の途中の若い医者だった。

だが、身体が削られていく現場を見てしまった以上、世界を以前と同じ角度から眺めることは、もうできなかった。


※※※※※※※※※※


酒場へ、夜が戻る。


ゲバラはようやく水を一口飲んだ。

飲み方は慎重だった。

勢いよく飲めば、咳が出る。

咳が出れば、話が途切れる。

途切れるのが嫌なのだろう。


カストロは黙っていた。

だが、黙り方が少し変わっていた。

聞いてやっている沈黙ではない。

すでに、自分の中でも同じ敵の輪郭をなぞり始めている沈黙だった。


「銅は、チリの山から出る。」


ゲバラが低く言う。


「だが、利益は別の場所に積み上がる。掘るのは南米の労働者だ。咳き込み、骨を削り、肺を擦り減らすのもそいつらだ。なのに、光るのはいつも別の国の街だ。」


カストロは、その言葉を急いで受けなかった。

急いで受けると、安い共感になる。


「お前は、そこで何を見た。」


ようやくそう聞く。


ゲバラは少しだけ目を細めた。

街で見た時と同じ目だった。

景色ではなく、その裏側を見ている目だ。


「資本だ。」


彼は言った。


「銃を持っていなくても、人間を削れる仕組みの方だ。」


ラジオが雑音を混ぜる。

誰かが笑い、誰かが皿を置く。

だが、その小さなテーブルの上では、もう別の話が始まっていた。


カストロは水差しを少しだけ寄せる。

前より自然に。

もう相手の呼吸の間合いが分かってきていた。


「その次は。」


ゲバラは答える。


「距離で人間が削られる場所だ。」


一拍置く。


「隔離病棟。」

ゲバラの思想の出発点の象徴的エピソードです。

次回は現実の医者と革命家の両立の出発点を描きます。


よろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ