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ゲバラとカストロ(仮)  作者: 相馬ゆう
モータサイクル・ダイアリーズ
3/12

二話 喘息

チェは、自分の過去を「物語」にして話さない。

飾りを置かない。置くと息が乱れるのかもしれない。あるいは、飾れるほど自分を許していないのか。


「息を奪われるのが怖かった。」


そう言って、チェはグラスに口をつけた。水を飲む動きが慎重だ。勢いよく飲めば咳が出る。咳を出せば、話の流れが途切れる。途切れるのが嫌なのだろう。


「怖かったから、無茶した。

勉強したし、走った。

……ラグビーもやった。」


「馬鹿だな。」


俺が言うと、チェはわずかに笑った。

笑いというより、息の調整だ。喘息持ちの笑い方をしている。


「自分でもそう思う。肺が焼けるのに、わざわざ焼きに行ってた。」


彼は自分を責めるでも、誇るでもない。ただ、そういう少年だったと言う。

それが逆に、俺には重い。


「本は好きだった。」


チェは言う。


「本なら、次がある。次のページがあるって決まってる。

息は、そうじゃない。」


俺は何も言わなかった。慰めたくない。慰めると言葉が軽くなる。

軽くしてはいけないときがある。


「医者になった。」


チェが続ける。


「理由? 負けたくなかった。息に。運に。

……俺の外側にあるもの全部に。」


外側、という言い方が妙に引っかかる。敵の輪郭を描く言い方だ。

敵は掴めないから、掴めないまま内側が削れる。


「友達に誘われた。バイクで旅に出ようって」


「それが気まぐれか?」


「気まぐれだ」


チェは即答した。

だが、そのあと少しだけ言い直す。


「少しの食料と燃料、それから

――お気に入りのニコンS2。」


俺は眉を動かした。

銃じゃない。医学書でもない。

カメラだ。


「記念旅行だった。卒業の、な。」


そう言って、チェは肩をすくめる。


「世界を祝うつもりだった。

……最初は。」


そこで言葉が止まった。

止め方が自然だ。無理に切らない。

次の呼吸を、ちゃんと選んでいる。


俺は待つ。

待つのが苦手な人間ほど、ここで口を挟む。

だが俺は挟まなかった。


チェの指が、無意識に胸元をなぞる。

カメラが入っていたはずの場所だ。


「シャッターを切るたびに、分かった。」


静かな声だった。


「これは記念じゃない。

……記録だ。」


俺はそのとき初めて理解した。

チェは“変わるため”に旅に出たんじゃない。

変わってしまう世界を、逃さないために旅に出た。


「戻れなくなったのは、そのあとだ。」


チェはそう言って、ようやく俺を見た。


チェはそこでいったん言葉を止めた。止め方が自然だ。止めて、次の呼吸を選んでいる。

俺は待つ。待つのが苦手な人間ほど、ここで口を挟む。俺は挟まなかった。


「笑い方が変わった。」


チェが言った。


「景色を見ても、景色だけじゃ済まなくなった。……それが一番嫌だった。」


嫌だった、という素朴な言葉が出たのが意外だった。

理想でも、正義でもない。嫌だ、という個人の感情。そこが一番強いことがある。


「三つ話す。」


チェが言い直した。話の順番を決めるみたいに。


「炭坑。隔離病棟。焼き印。」


「順番は決まってるのか?」


「決まってない。

……でも俺の中ではこうだ。」


チェは、指で机の結露を拭う。拭っても跡が残る。残る跡を見ている。


「まず身体が削られる。次に距離で削られる。最後に、名前で削られる。」


名前、と言ったとき、俺は少しだけ背筋を正した。

紙の上で世界を切り分けるのが名前だ。俺はそれを知っている。


「聞くか?」


「聞く。」


チェはわずかに口角を上げる。合図だ。

ここから先は、眠れない。

代表作ゲームチェンジャーの横で大好物の男の子同士の友情を描いてます。

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