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ゲバラとカストロ ~革命は二人で始まり、一人で終わる~  作者: 相馬ゆう
新体制とアメリカ~情熱と無関心~
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20,猫(キャット)はベルベットの上で眠る【3/27大幅改稿】

【3/27大幅改稿】

キューバ革命後国際社会は革命新政府を承認します。アメリカもその一員でした。

【1959年4月 アメリカ合衆国】


アメリカは、うるさかった。


銃声のうるささではない。

フラッシュのうるささだった。


光。声。笑い。ざわめき。

人の波が、ひとつの名前へいっせいに押し寄せてくる。


「カストロ、こちらを!」

「首相、ひと言!」

「革命政府の次の方針は!」

「あなたは共産主義者ですか!」


質問は雨のように降った。

答えを求めているようでいて、最初から答えなど待っていない声だった。

記者たちは、彼の言葉より先に、彼の姿を欲しがっていた。


髭。軍服。長身。

若い革命家。

熱帯の島から現れた勝者。

新聞の一面に載せるには、あまりにも都合のよい輪郭だった。


カストロは歩いた。

止まらず、怒らず、笑いすぎもせず、ただ歩いた。


彼らは自分を見ている。

それは間違いなかった。


だが、何を見ているのかは分からなかった。


祖国を取り戻した国を見ているのか。

飢えと腐敗の上に立ちあがった革命を見ているのか。

それとも、ただ売れる顔を見ているのか。


人気はある。

注目もされている。

歓迎の拍手も、笑顔も、握手もある。


だが、人気と尊重は同じではない。


その区別を、カストロは革命の前から知っていた。

群衆は英雄を持ち上げる。

そして、必要がなくなれば、すぐに見世物へ変える。

歓声は、理解の証拠にはならない。


アメリカの空気には、その危うさが最初から混じっていた。


※※※※※※※※※※


ホテルの窓から見える街は、明るすぎるほど明るかった。


ニューヨークの春は、磨かれた金属みたいに光っていた。

ガラス。広告。車。店先。

どれもが豊かさを隠そうともしない。


この国は勝った国なのだ、とカストロは思った。

ただ戦争に勝ったというだけではない。

自分たちの繁栄を、恥じることなく風景にしてしまえる国だ。


歓迎の電報が届く。

予定は増える。

会いたがる人間はいくらでもいる。

革命の英雄を見たい者は多い。


だが、その一方で、最も会うべき男は会わない。


アイゼンハワー大統領は多忙だという。

日程が合わないという。

別の予定が入っているという。

その不在のかわりに、窓口として示されたのは副大統領ニクソンだった。


失礼だとは思った。

もちろん思った。


だが、その感情より先に、もっと冷たい理解が胸の中で形になった。


これは礼儀の問題ではない。

単なる面子の問題でもない。


会わないということは、こちらを対等な相手として扱う必要がないと思っている、ということだ。

革命を国家の問題として受け止めていない、ということだ。

若い英雄として眺めることはできる。

珍しい現象として歓迎することもできる。

だが、主権を持つ政府として正面から向き合う気はない。


その温度差が、カストロにははっきり見えた。


この国は、こちらを面白がっている。

しかし、まだ本気では見ていない。


見世物にはする。

だが、対等な相手とは認めない。


その二重のまなざしは、バティスタ時代からキューバが何度も浴びてきたものと、よく似ていた。

島は近い。

だが、近いからこそ、隣国ではなく庭のように扱われる。


カストロは窓辺に立ったまま、しばらく黙っていた。


それでも、結論を急ぐ気はなかった。


アメリカは巨大だ。

豊かで、現実的で、気まぐれだ。

この国の内部にだって、ひとつの顔しかないわけではない。

もし出方しだいでは、衝突せずに距離を取り、主権を守りながら付き合う道が残っているかもしれない。


その可能性まで、ここで自分から捨てる必要はなかった。


怒るのは簡単だ。

軽蔑するのも簡単だ。

だが、国家を相手にする時、感情だけで決めるのは子供のすることだ。


見極めなければならない、とカストロは思った。


この国は、革命をどこまで理解できるのか。

あるいは、最初から理解する気がないのか。


その答えは、これから会う男の目の中に出るはずだった。


※※※※※※※※※※


ワシントンへ向かう空気は、ニューヨークより乾いていた。


車の窓の外を流れていく景色は、どこまでも整っていた。

よく刈られた芝生。

静かな並木。

磨かれた道路。

余計なものを最初から排除して設計したみたいな、秩序ある風景だった。


カストロはほとんど喋らなかった。


歓声の中にいた時より、こういう静かな場所の方が、むしろ相手の本音が見えることがある。

騒がしさは人を誤魔化す。

静けさは誤魔化さない。


通された部屋もまた、別の意味で静かだった。


床は厚い絨毯に覆われ、靴音すら吸い込まれる。

窓は大きく、光は十分に入ってくる。

だが、その光には熱がなかった。

外の世界とつながっているようでいて、実際には何も入ってこない。

人の声も、街のざわめきも、歴史の音も、ここへは届かない。


世界の外にある部屋だった。


ここでは、汗をかいた人間の呼吸も、泥の匂いも、銃を持って山を下りた者たちの記憶も、少しずつ薄められてしまう。

秩序とは、こういう部屋の中で作られるものなのかもしれない、とカストロは思った。


その時、足元をひとつの影が横切った。


猫だった。


太っていた。

毛並みはよく手入れされ、腹だけが妙に重たそうに見えた。

人の気配を恐れるでもなく、媚びるでもなく、ただ当然のように絨毯の上を歩く。

この部屋の空気も、この静けさも、自分のものだと最初から知っている足取りだった。


猫は一度だけカストロを見た。


警戒ではなかった。

興味でもなかった。

まして敵意でもない。

ただ、そこに見知らぬ人間がいると確認しただけの目だった。


そのまま猫は身体を丸め、ベルベット張りの椅子の下で眠るように目を閉じた。


明日の餌に困らない眠りだった。

明日の寝床を探さなくていい眠りだった。

何ひとつ賭けずに、最初から守られている者の眠りだった。


カストロは、その猫を見つめた。


頭に、別の猫が浮かんだ。


泥の中を走った小さな身体。

息を切らしながら伝令を運び、倒れるまで立ち止まらなかった十六歳。

勝利の夜さえ、安心して眠る時間を持たなかった少年。


キャット。


あの少年は、こんなふうに腹を見せて眠ったことなど、一度もなかっただろう。

眠る前に死んだのだ。

次の報せを運ぶ途中で、祖国のために走ったまま、死んだ。


同じ猫でも、ずいぶん違うものだ、とカストロは思った。


こちらの猫は、何ひとつ失わずに眠っている。

向こうのキャットは、何ひとつ持たぬまま、最後に命まで置いていった。


その差を、この部屋の人間たちは理解しないだろう。


理解しなくても困らないからだ。

困らない者は、遠い国の痛みを理屈としてしか見ない。

数字として見ても、傷としては見ない。

革命の死者も、農民の飢えも、国土の侮辱も、報告書の行間へしまってしまえる。


猫は眠っていた。

ベルベットの上で、柔らかく、重たく、無邪気に。


その姿が、この国そのものに見えた。


豊かで、無関心で、少しも悪びれない。

世界の中心にいることを疑わず、中心にいない者の切実さを想像する必要もない。

見てはいる。

だが、見たものを自分の痛みとしては受け取らない。


カストロは、ゆっくり息を吐いた。


この国は、キューバを見ている。

革命も見ている。

自分の髭も、軍服も、群衆の熱狂も見ている。


だが、見ていない。


土地を失った農民を見ていない。

売り渡された主権を見ていない。

走って死んだ少年たちを見ていない。

革命がなぜ起きたのか、その理由そのものを見ていない。


その事実だけが、はっきりと胸に残った。


扉の向こうで、人の気配がした。

会談の時間なのだろう。


猫はまだ眠っていた。

ベルベットの上で、世界に何も問われない者のように。


カストロは目を離した。


見ている。

だが、見ていない。


アメリカとは、そういう国なのかもしれなかった。

アメリカ世論は若き英雄をアイコンとして消費します。それに比べて政府の対応は決して暖かいものではありませんでした。次回カストロは決断します。


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