19,勝利そして【3/27大幅改稿】
【大幅改稿しました】
伝説的な勝利でキューバ革命が成功します。
しかしその裏では
【1959年1月 ハバナ】
サンタ・クララのあとは早かった。
あまりにも早かった。
バチスタが逃げたからだ。
あれほどの兵士も、あれほどの武器も、あれほどの列車も、最後には誰も命がけで祖国を守ろうとはしなかった。
バチスタ自身が、命を懸けて守る気のない国のために、兵士たちだけが死ねるはずもなかった。
だから終わりは、勝利というより崩落に近かった。
一九五九年一月一日。
キューバは、あっけないほど一気に傾いた。
そして、その傾きを待っていたみたいに、民衆の熱は一気に噴き上がった。
※※※※※※※※※※
ハバナの通りは、人で埋まっていた。
道の両側だけじゃない。
窓。屋根。電柱のそば。ベランダ。
人が立てる場所なら、どこにでも人がいた。
歓声が上がる。
花が飛ぶ。
国旗が揺れる。
紙吹雪が風に舞う。
ジープが進むたび、道が割れるように人の波が揺れた。
「カストロ!」
「ゲバラ!」
「自由を!」
「革命万歳!」
その声は、鼓膜を通り越して骨を鳴らす。
生きている人間の声だった。
昨日まで怯えていた人間たちが、今日は自分の声を持っている。
それだけで、この国はもう別の国だった。
カストロは立ったまま、群衆へ手を上げた。
笑っていた。
少なくとも、笑って見える顔をしていた。
だが、その隣でゲバラは、どこか居心地が悪そうだった。
愛用のベレー帽を少し深くかぶり、群衆の熱から半歩だけ身体を引いている。
歓声を嫌っているわけではない。
ただ、それをまっすぐ受け取るには、まだ身体の中に戦場が残りすぎていた。
「……うるさいな。」
ゲバラが言った。
カストロは前を見たまま答える。
「生きてる人間の声だ。」
沿道から花束が飛ぶ。
若い女が泣きながら名前を叫ぶ。
子どもが肩車の上で旗を振る。
世界がこの瞬間を見ていた。
記者たちが走る。
写真が撮られる。
フィルムが回る。
十二人の英雄が祖国を取り戻した――。
そういう神話が、もうこの瞬間から、キューバの外へ向かって走り始めていた。
だが、神話というのは、だいたい余計なものを削って作られる。
泥。
血。
飢え。
名前を呼ばれない死者。
そういうものは、最初に神話から落ちる。
カストロは、ジープの後ろをちらりと見た。
本当なら、そこに誰かが座っていてもおかしくなかった。
小柄な身体を丸めて、煙にむせながら笑う少年が。
戦場の路地を猫みたいに抜けた十六歳が。
だが、そこには弾薬箱と毛布しかない。
ゲバラも、同じものを見ていた。
「……なあ、カストロ。」
「なんだ。」
「名前、覚えてるか。」
カストロは少しだけ目を細めた。
「ああ。」
「キャットだろ。」
ゲバラは頷いた。
それきり黙る。
沿道の少女が、鮮やかな赤い花束を投げ入れた。
花束はジープの床に落ちる。
その赤が、一瞬だけ、別の赤に見えた。
カストロはしゃがみ、花束を拾い上げた。
そして何も言わず、誰も座っていない後ろの席へそっと置いた。
歓声は止まらない。
革命は勝った。
国は取り戻した。
それは、たしかに事実だった。
だが、その事実と同じ重さで、失われたものもここにいた。
「命も、使い切れば終わりか。」
ゲバラが、誰にも聞こえない声で言った。
カストロは少し考えた。
答えというより、言葉になりそうなものを探した。
「さあな。」
「だが、少なくとも俺たちの命よりは、重い使い方をしたはずだ。」
ゲバラは何も言わなかった。
それで十分だった。
ジープは進む。
群衆は熱狂する。
だが、二人には、その熱の真ん中にぽっかり空いた穴が見えていた。
※※※※※※※※※※
パレードが終わったあとで、二人は墓地へ向かった。
喧騒が嘘みたいに遠くなる。
さっきまで国じゅうの声が押し寄せていたのに、ここには風と足音しかない。
共同墓地は、祝いの外側にあった。
それでいて、この国の勝利は、たぶんここからしか正しく見えなかった。
キャットの名は、石に刻まれるにはまだ早い。
土も新しい。
花も少ない。
墓というより、急いで作られた約束みたいだった。
カストロは、さっきの花束をそこへ置いた。
パレードで投げ込まれた、祝福の花だった。
祝福のための花を、死者のために置く。
それが、この革命の形なのだと、ゲバラは思った。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
遠くでまだ歓声が聞こえる。
ハバナは勝利に酔っている。
世界はここから、英雄の国としてこの島を見るだろう。
だが、墓の前では、英雄という言葉は妙に軽かった。
カストロが、ようやく口を開く。
「国は取り戻した。」
ゲバラは頷いた。
「……ああ。」
「だが、こいつは戻らん。」
ゲバラは土を見たまま答える。
「そうだ。」
風が少し吹く。
花弁が揺れる。
祝福の色が、墓の土の上でやけに鮮やかだった。
「世界は、十二人で国をひっくり返したって話にするだろうな。」
カストロが言う。
「十二人じゃない。」
ゲバラが短く返した。
「何百だ。」
「名前も残らないやつまで入れれば、もっとだ。」
カストロは小さく笑った。
笑ったが、その顔は少しだけ疲れていた。
「そうだな。」
墓の前で、二人はようやく、勝利を正確な大きさで見た。
国は取り戻した。
だが、それは伝説が語るみたいに、きれいな奇跡ではなかった。
無数の小さな命の上に、ようやく立っているだけだった。
ゲバラが、土の上に目を落としたまま言う。
「キャットは、勝った顔を見たかっただろうな。」
カストロは答えなかった。
その代わり、土の前でほんの少しだけ背筋を伸ばした。
それは敬礼ではなかった。
もっと個人的な、もっと不器用な礼だった。
「見せたさ。」
「遅れたがな。」
ゲバラは、その言葉にだけ頷いた。
遠くで、また歓声が上がる。
革命は、もう誰にも止められない。
体制は崩れた。
世界は拍手する。
写真は残る。
神話も残る。
だが、カストロとゲバラにとって、この日の勝利は、最後まで祝祭にはなりきらなかった。
勝った国の空の下で、
彼らはただ、
取り戻したものと、
取り戻せなかったものを、
同じ重さで見ていた。
よろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。




