207,手続き
一人の死と巨大国家を維持するための手続きが始まります。
パークランド記念病院の救急入口へ大統領専用車が滑り込んだ時、ダラスの空にはまだ青い部分が残っていた。
朝まで降っていた雨を追い払った日差しが、病院の白い壁と濡れた舗装を照らしている。ほんの少し前まで、その晴天をケネディは自分が始める伝説の一日目だと笑っていたが、車が完全に止まる前から警護官と病院職員が駆け寄り、後部座席へ担架が押し込まれると、空を見る者はいなくなった。
ジャクリーンは夫から離れようとしなかった。
クリント・ヒルに支えられながら車を降り、担架と一緒に救急入口を抜ける。自動扉が閉じると、外にあった太陽も、歓声も、車列も見えなくなり、代わりに白い壁と蛍光灯、消毒薬の匂い、床を叩く靴の音が彼女を囲んだ。
ケネディが運び込まれた時、医師たちはまだ死亡を確認してはいなかった。
脈は触れなかったが、呼吸と見える不規則な動きがあり、心臓にもわずかな活動が残っている可能性があった。救急医たちは、それだけで十分だった。
助けるための手順が始まった。
気道を確保するため口から管が入れられ、呼吸器がつながれる。首にあった傷を利用して気管切開が行われ、胸腔へ管を入れる準備が進み、静脈路が取られ、輸液と血液が用意された。心臓の活動を確かめるため機器がつながれ、医師の一人が胸を圧迫すると、その力で末梢には脈を作ることができた。
しかし、自発的な心臓の動きは戻らなかった。
それでも処置は続いた。
誰かが器具を求めれば別の誰かが差し出し、血液が必要だと言えば手配され、人工呼吸を続けながら別の医師が傷の状態を確かめる。そこには大統領だからという特別な手順はなく、救急医療で必要と考えられることが一つずつ行われていた。
ジャクリーンは一度処置室の中へ入り、邪魔になると外へ出され、また扉の近くへ戻った。
「まだ何かできるんでしょう?」
誰に向けたのか分からない問いに、はっきり答える者はいなかった。
医師たちは手を止めなかった。
そのこと自体が、彼女に残されている答えだった。
同じ病院の、いくつか廊下を隔てた部屋では、別の手順がもう始まっていた。
ジョンソンはシークレットサービスに囲まれ、外から見えにくい小さな部屋へ入れられた。副大統領警護の責任者ルーファス・ヤングブラッドはブラインドを下ろさせ、窓から離れた場所へジョンソンを座らせると、部下に周囲の警戒と通信の確保を命じた。
大統領だけを狙った事件なのかは分からない。
一人の狙撃者なのかも分からない。
次の銃撃があるのか、ワシントンや別の場所で同時に何かが起こっているのかさえ、その時点では誰にも判断できなかった。
ジョンソン本人の警護が強化され、妻レディ・バードの位置が確認され、二人の娘にも警護を付ける手配が始まった。ワシントンとの電話回線を確保する者がいて、今後の移動経路を考える者もいる。
「大統領は。」
ジョンソンが訊いた。
まだ処置中だという答えしか返らない。
少し前まで彼が考えていたのは、テキサス民主党のことだった。コナリーとヤーボローをどう同じ方向へ向かせるのか、翌年の選挙でこの州をどう残すのか、ダラスの群衆が予想より好意的だったことをどう生かすのか。その政治は、数十分前まで確かに存在していた。
今は、「大統領が助からなかった場合」という言葉を口にせずに、全員がその可能性へ備えている。
誰も冷酷なのではなかった。
むしろ、ケネディが助かることを願いながら、助からなかった時に国家まで止めることはできないというだけだった。
※※※※※※※※※※
十二時四十五分頃には、救命のためにできる大きな処置はほぼ施されていた。
胸を圧迫すれば血は流れる。
人工呼吸をすれば酸素は送れる。
けれど、自分で動き始める心臓の波形は現れなかった。
神経外科医のケンプ・クラークは、巨大な頭部損傷を確認していた。パークランド病院の脳神経外科を率いる医師として呼ばれた彼には、その損傷が回復できる範囲をはるかに越えていることが分かった。
医学は、身体を動かすことはできる。
しかし失われたものまで元へ戻すことはできない。
やがてカトリックの司祭が呼ばれた。
その姿が廊下を歩いてくるのを見た時、ジャクリーンは、それが何のためなのかを誰かに説明される必要はなかった。
ケネディは、アメリカで初めて大統領になったカトリックだった。選挙では教皇の命令を受けるのではないかと疑われ、信仰と大統領職を両立できるのかと繰り返し問われた。それでも大統領になった男の最後に、今度は一人の司祭が呼ばれている。
終油の祈りが行われた。
午後一時。
クラークは死亡を宣告した。
正確にいつ生命が失われたのかを決めることはできなかったため、時刻は一時とされた。
胸を押していた手が離れる。
人工呼吸を続けていた機器が止められる。
それまで次々と飛び交っていた医療用語が、少しずつ消えていった。
救命の手続きは、そこで終わった。
代わりに別の手続きが始まった。
死亡時刻。
死亡診断。
司祭の記録。
遺体の取り扱い。
司法解剖。
管轄。
それまで「患者」と呼ばれていた男について、誰かが初めて「遺体」という言葉を使った。
ジャクリーンが顔を上げた。
その言葉だけが、周囲の音から浮いて聞こえた。
夫は数分前と何も変わっていない。
同じ顔があり、同じ髪があり、ほんの前夜まで隣で話していた人間がそこにいる。
だが、病院と法律にとっては、午後一時を境に扱わなければならないものが変わっていた。
ジャクリーンだけが、変える理由を持っていなかった。
彼女にとっては、まだジャックだった。
※※※※※※※※※※
同じ時刻、数部屋先でも言葉が変わった。
ケネディの側近だったケネス・オドネルが、ジョンソンの待つ部屋へ入った。
オドネルはケネディの選挙運動時代から彼を支え、ホワイトハウスでは特別補佐官として、大統領の日程だけでなく政治判断にも近い場所にいた男だった。その顔を見ただけで、ジョンソンには結果が分かった。
「亡くなりました。」
それ以上の説明は必要なかった。
ジョンソンはしばらく返事をしなかった。
数十分前まで、自分は大統領専用車の二台後ろに座っていた。それだけだった。銃声がして、身体を押し伏せられ、病院へ運ばれ、その同じ服のまま、同じ椅子に座っている。
本人の身体には何も変化がない。
しかし周囲は、もう彼を同じ立場の人間として扱うことができなかった。
大統領が死亡すれば、副大統領がその職を継ぐ。
シークレットサービスの警護対象としての優先順位が変わり、通信の向こうではワシントンへどう戻すかが検討され、空軍基地には大統領専用機が待っている。
ついさっきまでケネディを守っていた国家の仕組みが、その死を確認した瞬間から、ジョンソンを守る仕組みへ組み替えられていく。
「ここを出ましょう。」
ヤングブラッドが言った。
まだ犯人が捕まったわけではない。
ジョンソン自身が次の標的である可能性を否定できない以上、病院に留まり続ける理由はなかった。
彼は立ち上がったが、すぐには歩かなかった。
「ケネディ夫人は?」
まだ夫のそばにいる。
そう聞くと、ジョンソンは一度だけ廊下の向こうを見た。
あちらでは妻が夫を失ったばかりである。
こちらでは、同じ死によって自分が大統領になった。
二つの出来事の間には壁が数枚あるだけだった。
けれど、時間の流れ方はもうまるで違っていた。
※※※※※※※※※※
ケネディの死亡が確認されると、パークランド病院では別の問題が持ち上がった。
大統領は銃撃によって死亡した。
殺人事件である以上、テキサス州の法律では現地の司法手続きを行い、遺体を検視しなければならない。
ダラス側の当局者には、その法律を守る責任があった。
一方、ケネディ側には、大統領の身体をこのままダラスへ残すという考えそのものが受け入れ難かった。シークレットサービスもホワイトハウスの側近も、ワシントンへ連れて帰ることを当然の前提として動いていた。
「ここで検視が必要です。」
「大統領をワシントンへ戻します。」
「州法です。」
「我々は出発します。」
廊下で言葉がぶつかった。
誰かが声を荒らげる。
電話が鳴る。
死亡診断書が用意される。
葬儀社へ連絡が入り、棺が運び込まれる。
ほんの少し前まで同じ人間を救うために協力していた場所で、今度は、その身体を誰がどの手続きで扱うのかをめぐって人々が対立していた。
ジャクリーンは、その議論には加わらなかった。
オドネルが彼女へ、先に休むよう勧めた。
彼女は首を横に振った。
「一緒に行きます。」
「飛行機で待つこともできます。」
「いいえ。」
それ以上は言わなかった。
夫を置いていかない。
その一点だけは、法律にも政治にも変えられなかった。
やがてケネディの身体が棺へ納められた。
蓋が閉じられる。
そこでもまた、周囲の言葉は手続きになった。
車を回せ。
出口を確保しろ。
空港へ連絡しろ。
飛行機の後部座席を外せ。
ジャクリーンは、棺が動き始めるとそのすぐ後ろを歩いた。
白い廊下に、車輪の音が響いた。
ダラス側の係官が前へ出る。
止めようとする者がいる。
シークレットサービスとケネディ側の人間が押し返す。
言葉の争いはやがて、人と人との押し合いにまでなった。
その中心を、棺だけが前へ進んだ。
ジャクリーンは真後ろにいた。
片方の手袋をした手を、棺へ触れたまま歩いていた。
誰が正しいのかを考えている様子はなかった。
州法も、大統領の権威も、その時の彼女には関係がない。
離したくなかった。
ただ、それだけだった。
自動扉が開いた。
外には、まだ午後の太陽があった。
朝、フォートワースで雨を上げ、ダラスへ着いた時には幸運のように見えた同じ日差しが、救急入口の前まで伸びている。
棺が車へ載せられ、ジャクリーンも乗った。
車はラブフィールドへ向かった。
※※※※※※※※※※
ジョンソンは、それより先に病院を出ていた。
狙撃が終わったという保証はまだなく、シークレットサービスは警察車両に先導させながらも、目立つサイレンを使わず空港へ向かった。ヤングブラッドはジョンソンへ、窓の高さより身体を低くするよう求めた。
大統領になって最初の移動で、彼は外から顔が見えないよう身を屈めていた。
つい一時間ほど前まで、この街では、顔を見せることが政治だった。
今は、顔を見せないことが国家の安全だった。
ラブフィールドでは、大統領専用機が朝と同じ場所に待っていた。
数時間前には、そこからケネディとジャクリーンが降りてきた。群衆が歓声を上げ、ジャクリーンの服を見て人々が喜び、ケネディは晴れた空を見て自分の伝説が始まったと冗談を言った。
いま機体の周囲には警備が増え、人々は電話と無線の間を行き来していた。
ジョンソンが機内へ入ると、政治ではなく手続きが彼を待っていた。
大統領としての宣誓はどこでするのか。
誰が宣誓を執行できるのか。
文言は何か。
ワシントンへいつ戻るのか。
ジョンソンは司法長官ロバート・ケネディへ電話をかけた。
弟にとって、数十分前に死んだ大統領は兄だった。
それでも電話は、大統領継承の手続きについての電話でもあった。
弔意を述べる。
そして宣誓の方法を確認する。
誰が執行できるのか。
憲法の文言は何か。
一つの会話の中で、家族の死と国家の継承を切り離すことはできなかった。
宣誓文がワシントンから確認され、ダラスにいる連邦判事を呼ぶことになった。
選ばれたのはサラ・T・ヒューズだった。
テキサスで長く法律と政治に関わり、ケネディによって連邦地方裁判所判事に任命された女性判事である。その日の昼、本来ならトレード・マートで大統領の演説を聞くはずだった彼女は、演説会場ではなくラブフィールドへ向かうことになった。
機内ではさらに準備が進む。
宣誓文を書き写す。
判事の到着を確認する。
写真を残すためホワイトハウス公式写真家を呼ぶ。
ワシントンへの連絡を続ける。
前方では、新しい大統領を公に確認する手順が一つずつ埋められていった。
後部では、死んだ大統領の棺を入れるため座席が外された。
同じ飛行機の中で、別々の手続きが同時に進んでいた。
「ケネディ夫人は?」
ジョンソンが訊いた。
まだ空港へ向かっている。
ジョンソンは時計を見た。
警護側には、できるだけ早くダラスを離れたいという事情がある。
ワシントンでも新しい大統領の帰還を待っている。
それでも彼は言った。
「待つ。」
ケネディの妻と、その夫の身体を置いて飛ぶつもりはなかった。
国家の時間が、そこで初めて家族の時間を待った。
※※※※※※※※※※
午後二時を過ぎて、滑走路の向こうから車が近づいてきた。
棺はエアフォース・ワンの狭い入口を通すのに手間取り、角度を変えながら機内後部へ運び込まれた。そこにはすでに座席が外され、ケネディを乗せる場所が作られていた。
ジャクリーンは、そのあとから機内へ入った。
朝にラブフィールドへ降りた時と同じピンク色のスーツを着ている。
けれど、もう同じ服には見えなかった。
血が付着している。
帽子はない。
髪も朝とは違っている。
着替えるものはあった。
それでも彼女は着替えず、機内後部へ行って棺のそばに残った。
そこだけは、病院から続いている時間だった。
前方では、サラ・ヒューズ判事が到着していた。
ジョンソンは、ジャクリーンにも宣誓へ立ち会ってほしいと頼んだ。
伝言を受けた彼女は、すぐには動かなかった。
後ろには夫がいる。
前では、夫が死んだために大統領になった男が待っている。
その二つの間を隔てているのは、飛行機の細い通路だけだった。
やがてジャクリーンは立った。
棺から手を離し、前方へ歩き始めた。
数十歩もない。
けれど、その短い距離を歩くことで、彼女は初めて、夫の死だけが存在する場所から、夫が死んだ後も動き続ける国の中へ足を踏み入れた。
狭い中央客室には、人が肩を寄せ合うように集まっていた。
ジョンソン。
その右に妻レディ・バード。
左にジャクリーン。
正面にはサラ・ヒューズ。
ホワイトハウス公式写真家のセシル・スタウトンがカメラを構え、政府関係者、議員、警護官がその周囲を埋めている。
宣誓に使うものが必要になり、機内で見つけられた一冊の本が持ってこられた。
カトリックのミサ典書だった。
ケネディが所有し、この飛行機に置いていたものだった。
聖書ではない。
ミサで使う祈りと聖書朗読を収めた本である。
その違いを気にしている時間はなかった。
朝までこの飛行機の大統領だった男の本の上へ、今度は別の男が手を置く。
午後二時三十八分。
ヒューズ判事が宣誓文を読み始めた。
ジョンソンが復唱する。
機内には、祝福する空気はなかった。
拍手もない。
選挙に勝ったわけではない。
誰かを倒して権力を手に入れたわけでもない。
つい数時間前まで副大統領だった男が、憲法に定められた言葉を一つずつ口にし、それによって国民の前でも大統領になるための手続きを終えていく。
スタウトンがシャッターを切った。
ジャクリーンはその隣に立っていた。
周囲の人々は、すでに次の時間を見始めていた。
ワシントンへ戻ったら誰に会うのか。
閣僚をどう集めるのか。
軍には何を確認するのか。
外国政府へ何を伝えるのか。
国民へいつ話すのか。
国家は未来形で動き始めている。
ジャクリーンには、その必要がなかった。
彼女の一日は、まだ夫が撃たれた午後十二時半からほとんど進んでいなかった。
宣誓が終わった。
誰も歓声を上げなかった。
ジョンソンの手が、ケネディのミサ典書から離れた。
ジャクリーンは求められた役目を終えると、前方に残らず、細い通路を再び後ろへ歩いた。
棺のそばへ戻った。
そこには、午後一時より前と同じ夫はいない。
けれど、彼女がいるべき場所だけは変わっていなかった。
※※※※※※※※※※
午後二時四十七分。
エアフォース・ワンは動き始めた。
朝、フォートワースからダラスへ飛んだ時には、機内にはケネディの側近とジョンソンの側近が別々の一行として乗っていた。
帰りの名簿では、その区別にもう意味がなかった。
前方には第36代大統領リンドン・B・ジョンソンがいる。
後部には第35代大統領ジョン・F・ケネディの棺があり、そのそばにはジャクリーンがいる。
政治家。
警護官。
秘書。
写真家。
妻。
未亡人。
新しい大統領。
死んだ大統領。
そのすべてを一つの機体へ載せて、エアフォース・ワンは滑走路を走り始めた。
窓の外には、まだ太陽があった。
ケネディが朝、今日から自分は太陽を連れてくる大統領になると笑った、その同じ空だった。
機体が地面を離れる。
ダラスの街が下へ遠ざかっていく。
国家は、もう次の大統領とともにワシントンへ向かっていた。
ジャクリーンだけは、夫と一緒に帰っていた。
暗殺された夫のそばで悲しみに暮れていたジャクリーンと淡々と進んでいく手続き。
人の死は意外にいつもそんなものなのかもしれません。その死の意味が大きければ大きいほどに。
更新は、水・金・日の夜です。
次回は水曜日の夜更新予定です。
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