206,十一月二十二日
雪解けへ一歩一歩進んでいくなか運命の日がとうとうやってきます。
十一月二十二日の朝、フォートワースにはまだ雨が残っていた。
ホテル・テキサスの外には早い時間から人が集まり、傘を差したまま待っている者もいれば、雨具も着ずに前へ出ようとする者もいた。ケネディが予定より早くホテルの外へ出ると歓声が上がり、その少し後ろには、副大統領リンドン・ジョンソンの大きな身体も見えた。
ジョンソンにとって、この町も、この雨の中に集まる人々も、ワシントンから眺める選挙地図の一色ではなかった。
フォートワースは十九世紀半ば、北テキサスの平原に置かれた小さな軍の前哨基地から始まった。南北戦争が終わると、南からカンザスへ牛を追う長い道の途中に町が育ち、鉄道が来て、家畜市場と食肉工場ができた。「西部が始まる町」「カウタウン」と呼ばれた荒々しい記憶を残したまま、二十世紀になると航空機工場と空軍基地を抱え、牧場と軍需産業、古い西部と新しいアメリカが同じ土地の上に重なる都市になった。
テキサスそのものも、そういう重なりの上にできている。
一八六一年、この州は合衆国を離れて南部連合へ加わった。奴隷制を基盤とする南部社会の一員であり、戦争が始まれば多くの男が南軍へ入ったが、それでも全員が同じ方向を向いていたわけではない。共和国時代の英雄で州知事だったサム・ヒューストンは離脱に反対して職を失い、ドイツ系住民の多い地域には合衆国へ残ることを望んだ者たちもいて、そのために迫害され、命を失った者までいた。
戦争に敗れ、奴隷制が終わり、連邦政府による再建期を経験すると、白人社会の多くは民主党へ結集した。二十世紀半ばまで、テキサスでは民主党の予備選挙が事実上の本選挙と呼ばれるほど長い優位が続いたが、その民主党の中には南部保守派も、ニューディールを支持する農民も、都市の労働者も、石油業者も、リベラル派もいた。同じ党に属しているからといって、同じアメリカを思い描いているわけではない。
政治より古いところには、信仰があった。
広い土地に農家と小さな集落が散らばっていた時代、立派な教会堂より先に巡回説教師が馬でやって来た。メソジストは各地を回る説教師を送り、バプテストは一つ一つの地域教会が自分たちで信仰を守った。野外集会では何日も人々が集まり、聖書の言葉を聞き、罪と救いについて語り、日曜日には家族を教会へ連れていく。信仰は神学者だけのものではなく、家族、隣人、仕事、善悪の判断と近いところにあった。
もちろん、その信仰が全員を同じ政治へ導いたわけではない。
人種差別を聖書で正当化した者もいたし、同じ聖書を根拠にそれを批判した者もいた。禁酒法をめぐっても、教育をめぐっても、教会の中で争った。テキサスのプロテスタント文化は保守的ではあったが、ひとつの教義とひとつの政党へ人々を揃えるほど単純でもなかった。
ただ、遠くの権威よりも、自分の家族、自分の町、自分の教会、自分の良心を先に置く感覚は根強かった。
ワシントンから道路を造る金が来れば歓迎する。軍の基地も欲しい。農業政策も必要だった。しかし同じワシントンから、生き方まで命令されたと感じれば反発する。南北戦争と再建期の記憶、州権をめぐる政治、地域に根を張った信仰、そして冷戦時代の反共感情は、それぞれ違う歴史から生まれながら、ときに同じ言葉の中へ流れ込んだ。
ケネディの公民権政策を、黒人市民にも憲法上の権利を認めるために必要だと考えるテキサス人がいる。その一方で、連邦政府が州へ介入していると怒る者もいる。
カストロに弱腰だと考える者がいる。
核戦争を避けた大統領だと評価する者もいる。
北東部の裕福なカトリックを信用しない者がいる。
その大統領が自分の町へ来れば、朝から子どもを連れて雨の中で待つ者もいる。
ジョンソンは、その矛盾を矛盾だとは思っていなかった。
この州の学校教師から政治家になり、ニューディールの力を借りて自分の選挙区へ電気を引き、上院では南部保守派と北部リベラル派の間を歩きながら法案を通してきた男にとって、テキサスとは「保守的な州」という一語で片づけられる場所ではなかった。だから一九六〇年、北東部出身のカトリックであるケネディが大統領選挙を戦った時、自分が副大統領候補に入る意味も知っていたし、翌年の再選でも、この州を失ってよいとは考えていなかった。
この朝のフォートワースを見る限り、仕事はうまくいっているようだった。
雨の中でも人は集まり、ケネディが冗談を言えば笑う。朝食会を終え、大統領夫妻がカーズウェル空軍基地へ向かう頃には雨脚も弱まり、車の窓には低い雲の向こうから明るい部分が見え始めていた。
「ダラスでは晴れるそうよ。」
ジャクリーンが窓の外を見ながら言った。
ケネディも雨粒の少なくなったガラスへ目を向けた。
「それはいい。このまま来年の十一月まで晴れてくれれば、もっといい。」
「一年間ずっと?」
「選挙が終わるまででいい。そこから先は雨でも構わない。」
「ずいぶん都合のいい天気ね。」
「政治家に都合の悪い天気を選ぶ義務はないだろ。」
ジャクリーンが笑った。
ケネディは少し考えるように空を見てから、今度は真面目な顔を作った。
「いや、待てよ。毎回晴れる方がいいな。」
「毎回?」
「俺が遊説に行くと雨がやむ。パレードをすれば太陽が出る。そのうち、そういう大統領だったと語られる。」
「今度は天気まで選挙運動に使うつもり?」
「伝説というのは、そうやって作るんだ。」
ジャクリーンは呆れたように夫を見た。
「それで、その伝説の一日目はどこなの?」
ケネディは、雲の隙間から少しずつ明るくなっていく空を見た。
「ダラスさ。」
「今日から?」
「ああ。今日が一日目だ。」
「だったら、ちゃんと晴れてもらわないと困るわね。」
「大丈夫だ。もう晴れ始めてる。」
ケネディは満足そうに笑った。
「今日から僕は、太陽を連れてくる大統領になる。」
前夜には二人で、その選挙の先にある四年について話したばかりだった。キューバには初めて、会うかどうかではなく何を話すのかという議題が生まれようとしており、公民権法案はまだ議会にある。どちらも終わってはいない。だからこそ、次の四年にはやることがあった。
フォートワースからダラスまでは短い飛行だった。
エアフォース・ワンが上昇すると低い雲の切れ間が広がり、ダラスへ近づくにつれて光が地上へ落ち始めた。朝まで濡れていた翼の向こうには青い空まで見え、大統領専用車に用意されていた透明な雨除けも、晴れてしまえば使う理由はなかった。それは防弾のための装備ではなく、雨や風を避けるための覆いに近い。
雨だった朝が、遊説の時間に合わせるように晴れていく。
ケネディには、ただ運がよかった。
※※※※※※※※※※
その同じ朝、ダラスでは、別の紙も人の手を渡っていた。
一枚にはケネディの正面と横顔の写真が並び、警察の指名手配書を真似た体裁の上に、反逆罪を意味する言葉が大きく掲げられていた。共産主義への譲歩、外交政策、最高裁判所への姿勢などを非難する文言が並び、誰かが印刷し、何千枚も街へ撒いていた。
新聞売り場に積まれた『ダラス・モーニング・ニュース』にも、黒い太枠で囲まれた全面広告が載っていた。見出しだけなら大統領を歓迎しているように見えるが、その中ではケネディへいくつもの問いを突きつけ、政権が共産主義に甘いと非難している。
一か月ほど前には、国連大使アドレー・スティーブンソンがこの街を訪れた際、抗議する群衆に取り囲まれ、罵声を浴びせられ、身体を小突かれる事件まで起きていた。警察もシークレットサービスも、ダラスで政治的な抗議や混乱が起こる可能性を考えていた。
しかし、大統領への敵意があることと、大統領を殺そうとする人間がいることの間には、大きな距離がある。
そこから暗殺を予測する者はいなかった。
午前十一時四十分ごろ、エアフォース・ワンがラブフィールドへ降りた時、目の前に現れたダラスは、むしろその反対だった。
滑走路には雨の跡が残っている。けれど空は明るく、雲の間から日が差していた。少し前に到着していたジョンソン夫妻も出迎えの列へ加わり、大統領夫妻を待っている。
機体の扉が開いた。
ケネディが現れると歓声が上がり、その後ろから淡いピンク色のスーツと同じ色の帽子を身につけたジャクリーンが姿を見せると、声はさらに大きくなった。
タラップを降りながら、ケネディは妻へ顔を向けた。
「ほら。」
「何?」
「もう伝説が始まった。」
ジャクリーンが空を見る。
「ただ天気予報が当たっただけでしょう。」
「最初から奇跡にすると信憑性がない。これくらいから始めた方がいい。」
「あなた、本気で続けるつもりなのね。」
ケネディは笑った。
正式な出迎えを終えても、二人はすぐ大統領専用車へ向かわなかった。柵の向こうから差し出された手の方へ歩き、ケネディが握手をし、ジャクリーンも続く。子どもが身を乗り出し、写真機のシャッターが鳴り、警護官たちは前へ出たり横へ回ったりしながら、政治家と群衆の間にできる隙間を埋めていく。
その場所からは、朝刊の黒い広告は見えない。
街のどこかへ撒かれた指名手配書も見えない。
そこにいるのは、大統領夫妻を一目見るために何時間も待っていた人々だった。
ジョンソンには、それもまたテキサスらしく見えた。
政府に悪態をつきながら大統領を見に来る。政策には反対していても、本人が差し出した手なら握る。昨日までケネディを批判していた男が、今日は妻や子どもを連れて沿道へ立っていても不思議ではない。政治的な敵意と、人間を間近で見たいという好奇心や敬意は、同じ人間の中にも同居する。
やがて一行は車列へ分かれた。
大統領専用車の後部座席にはケネディとジャクリーン、その前の補助席にはテキサス州知事ジョン・コナリーと妻ネリーが乗った。コナリーはジョンソンに近い民主党政治家で、ケネディ政権では海軍長官を務め、現在は州知事として、保守派とリベラル派に割れたテキサス民主党をまとめなければならない立場にいる。
大統領車の直後にはシークレットサービスの警護車、そのさらに後ろにはジョンソンと妻レディ・バード、そしてコナリーとは長く政治的に折り合いの悪いリベラル派の上院議員ラルフ・ヤーボローを乗せた車が続いた。
保守派もリベラル派も、ケネディもジョンソンも、一つの車列に押し込む。
それも、このテキサス旅行の目的だった。
車列はラブフィールドを出た。
※※※※※※※※※※
空港周辺では沿道の人影が途切れる場所もあったが、交差点へ近づくたびに人が増え、学校の前には子どもたちが並び、商店の前では仕事の手を止めた人々が手を振っていた。ケネディは左右へ顔を向けながら応え、ときには群衆へ近づくため車を止めさせたため、そのたびに後方の警護車からシークレットサービスが前へ出て、大統領夫妻と人々との間へ身体を入れた。
二台後ろからその光景を見ているジョンソンにとって、ケネディがこういう場所で車を止めること自体は珍しくない。政治家はテレビの中だけにいても票にはならないし、今回の旅には、翌年の選挙を前にケネディ自身をテキサスの人間へもう一度見せる意味もある。
中心部へ近づくにつれて、群衆は増えていった。
一列だった人垣が二列、三列になり、建物の窓にも顔が並び始める。ジャクリーンが手を振れば歓声が強くなり、ケネディも次第に機嫌をよくした。
「悪くない。」
前に座るコナリーが少し振り返る。
「中心部へ入れば、もっといます。」
その言葉どおり、メイン・ストリートへ入ると街の様子は一変した。
道路の両側を何列もの人々が埋め、窓を開けた建物から会社員が身を乗り出し、カメラを構える者、子どもを肩車する父親、昼休みを早めて外へ出た者たちが、大統領専用車の来る方向を見ている。紙吹雪が舞い、旗が振られ、歓声は車列と一緒に通りを移動していった。
同じ街には、朝刊の黒い広告がある。
ケネディを反逆者と呼ぶ紙もある。
けれど、いま目の前にあるダラスは歓声で埋まっていた。
ネリー・コナリーが後ろを振り返った。
この訪問がどう受け止められるかを夫とともに気にしてきた彼女には、言わずにはいられないほどの光景だった。
「大統領、これでもダラスがあなたを愛していないとは言えないでしょう。」
ケネディは笑った。
「それは、もう明らかですね。」
ネリーは前を向いた。
その少し後ろの車でも、ジョンソンとレディ・バードは同じ群衆を見ていた。州内の民主党をまとめるという意味でも、翌年の再選を考える意味でも、ここまではうまくいっている。
昼食会を終えれば、ダラスで最も神経を使う部分は過ぎる。
車列はメイン・ストリートを西へ進んだ。
※※※※※※※※※※
高い建物に挟まれた通りでは、まだ歓声が車列を包んでいた。窓から手が振られ、紙吹雪が落ち、交差点には制服警官が立ち、警護官は人の手と窓と屋上へ視線を動かしていた。
見物人は大統領を見る。
別の者はジャクリーンを見る。
写真を撮る者は、ファインダーの中だけを見る。
十二時半が近づいていた。
メイン・ストリートの西端で、車列は右へ曲がった。
ヒューストン・ストリート。
歓声が少し背後へ残った。
建物の間を、一ブロック進む。
正面には赤煉瓦の大きな建物が立っていた。テキサス教科書倉庫。学校で使う教科書を保管し、各地へ出荷するための建物で、外壁には同じ形の窓が規則正しく並んでいる。
大統領車の二台後ろでは、副大統領警護を担当するシークレットサービスのルーファス・ヤングブラッドが、建物の上にある時計を見た。
十二時三十分。
予定より遅れていた。
あと少しで昼食会場だった。
ヒューストン・ストリートの先で道は途切れる。
左へ曲がる。
ヒューストンからエルムへ入るその曲がり角は鋭く、車列は大きく速度を落とさなければならなかった。
先頭車が左へ向きを変えた。
オートバイが続く。
大統領専用車も減速する。
ゆっくりと曲がる。
街の形が変わった。
さっきまで左右を建物と群衆に挟まれていた道が、そこで急に開けた。
左には芝生の斜面。
前には鉄道の高架。
右の後方には、いま横を通り過ぎた赤煉瓦の倉庫。
エルム・ストリートは緩く下っている。
メイン・ストリートほど人はいない。
歓声が薄くなった。
空が広く見えた。
木の枝がある。
芝生がある。
高架の下には影がある。
昼の日差しが、朝まで濡れていた路面に残っていた。
車列は時速十数マイルほどで坂を下っていく。
ケネディは右側の人々へ手を振っている。
ジャクリーンが隣にいる。
コナリー夫妻は前にいる。
その後ろには警護車。
さらにジョンソンを乗せた車が続く。
誰か一人の目だけでは、この場所の全部を見ることはできなかった。
後に残るのは、何本ものフィルムと写真、警察無線の記録、そして互いに少しずつ違う証言だった。
その時には、まだただの車列だった。
乾いた音がした。
最初から銃声だと理解した者ばかりではなかった。自動車のバックファイアだと思った者もいれば、爆竹のように聞こえた者もいる。
何人かが顔を上げた。
振り返った者がいた。
大統領専用車の中で、ケネディの両手が喉元へ上がった。
コナリーが右へ身体を回そうとする。
ジャクリーンが夫を見る。
また音がした。
さっきまで同じ方向へ進んでいた人間たちの動きが、いくつもの場所で同時に変わった。
コナリーの身体が崩れ、ネリーが夫を抱える。ケネディの身体にも大きな衝撃が加わり、ジャクリーンが夫の方へ身体を寄せた。
後続の警護車からクリント・ヒルが飛び出した。
ファーストレディの警護を主に担当していたシークレットサービスの捜査官だった。
走っている車へ追いつく。
後部へ手を伸ばす。
ジャクリーンが座席から後ろへ動く。
ヒルが車体へ飛びついた。
運転手がアクセルを踏んだ。
その二台後ろでも、ルーファス・ヤングブラッドがほとんど反射的に動いた。
「伏せてください!」
ジョンソンの肩をつかみ、座席の下へ押し込むように自分の身体を重ねた。
副大統領には、まだ何が起きたのか分からない。
誰が撃たれたのか。
どこから撃たれたのか。
ほんの数分前まで、テキサスの群衆がどれだけ大統領を歓迎しているかを見ていた。
いまは、自分の上にシークレットサービスの身体がある。
沿道では、地面へ伏せる者と、立ったまま周囲を見回す者が入り乱れた。警官が走る。赤煉瓦の建物を見上げる者がいる。芝生の方を見る者もいる。
誰も全体を知らなかった。
大統領専用車が鉄道高架の下へ入った。
速度が上がる。
警護車が続く。
副大統領を乗せた車も続く。
予定されていたトレード・マートへの経路は、そこで意味を失った。
無線が動き始める。
前方の警察車両が道を開ける。
さっきまで太陽の下を進んでいた車列は、パークランド記念病院へ向かった。
すべての人々の運命を変える一発の銃弾。
その銃弾の意味はそれぞれ違っていきます。
更新は、水・金・日の夜です。
次回は日曜日の夜更新予定です。
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