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206/208

205,どんな未来が

ケネディの運命の日まであとわずか。

アメリカとキューバの関係の進展が深まってきます。

十一月十八日、ニューヨーク。


リサ・ハワードのアパートで、ウィリアム・アットウッドは電話の横に座っていた。


何度も使われてきた電話だった。


最初は一人の記者がハバナへかけた。


次にはカストロの側近である医師が折り返した。


その間に国連代表が入り、ホワイトハウスのスタッフが入り、ついには大統領本人の判断まで加わった。それでも、アメリカ側の実行者とキューバ側の実行者は、まだ直接一度も話していなかった。


リサが時計を見る。


「いると言っていたわ。」


「前にもそういう話を聞いた気がする。」


アットウッドが言うと、リサは睨んだ。


「今度は約束してる。」


「君を疑ってるわけじゃない。」


「電話を疑ってる?」


「最近はその方が合理的だ。」


リサは受話器を取り、ハバナの番号を頼んだ。


二人とも笑わなかった。


ここまで来ると、電話がつながるだけでも政治になる。


やがて声が返ってきた。


リサの表情が変わった。


「レネ?」


少し話す。


確認する。


それから受話器の口を手で覆い、アットウッドを見た。


「いる。」


アットウッドは立ち上がり、差し出された受話器を受け取った。


「ドクター・バジェホ?」


一瞬だけ間があった。


「はい、サー。」


その丁寧な呼び方が意外で、アットウッドはわずかに眉を動かした。


「ウィリアム・アットウッドです。ハワードさんから、これまでのお話は聞いています。」


「こちらも名前は聞いています。昔、フィデルに会っていますね。」


「一九五九年に。」


「覚えていました。」


それだけのやり取りで、二人の間にあった抽象的な距離が少し縮んだ。


アットウッドにとって、電話の向こうにいるのは「カストロの側近」ではなくなった。バジェホにとっても、「アメリカ政府の誰か」ではない。


それぞれが、相手の声を知った。


「カストロ首相が我々と話したいということは理解しています。」


アットウッドが本題へ入った。


「フィデルは今もそう考えています。」


「そして、私たちをキューバへ招待している。」


「何度でも確認します。安全は保証できます。方法についても、あなたたちが望む形に合わせる用意があります。」


アットウッドは手元の紙へ視線を落とした。


十一月十二日にケネディが決めた方針が書いてある。


直接キューバへ行く前に、まず何を話せるのか確かめる。


「我々としては、カストロ首相と直接会う前に、予備的な話が必要だと考えています。」


バジェホは黙った。


「何を確認したい。」


「実際に話し合えるものがあるのかです。」


アットウッドは言葉を選んだ。


「我々には問題だと考えている政策があります。そちらにも同じように問題があるでしょう。カストロ首相と会って、最初から互いの立場を言い合うだけで終わるなら、秘密会談をする意味はありません。」


ハバナ側で、バジェホが椅子へ腰を下ろした。


これは拒絶ではない。


カストロも同じことを考えていた。


相手がキューバの体制そのものを変えることしか考えていないなら、会談は成立しない。


アメリカ側もまた、カストロが一歩も動かないなら、自国の政府関係者を秘密にキューバへ送り込む意味がないと考えている。


二人の政府は、反対側から同じ扉を押していた。


「ニューヨークへ来られませんか。」


アットウッドが訊いた。


「今は無理です。」


「近いうちに?」


「約束はできない。」


また一つ、道が塞がったように見えた。


リサは少し離れた場所からアットウッドの顔を見ていた。


だがバジェホは、そこで電話を終わらせなかった。


「あなたたちが先に何を話すか知りたいというなら、別の方法がある。」


「聞きましょう。」


「レチューガに指示します。」


カルロス・レチューガ。


ニューヨークの国連にいるキューバ代表であり、表ではアメリカを激しく批判しながら、この秘密接触では最初から公式側の細い窓口を担ってきた外交官だった。


「レチューガと話してください。フィデルと会う時に何を話すのか、先に二人で決めればいい。」


アットウッドは鉛筆を止めた。


「議題を?」


「そうです。議題を。」


アットウッドはその単語を紙へ書いた。


AGENDA.


九月には、カストロに本当に話す意思があるのかを探していた。


十月には、カストロ本人から会談の申し出が来た。


十一月には、その会談で何を話すかを決めようとしている。


接触。


会談。


そして議題。


「分かりました。レチューガからの連絡を待ちます。」


「こちらから話しておきます。」


「ありがとう、ドクター。」


「どういたしまして、サー。」


電話が切れた。


アットウッドはしばらく受話器を持っていた。


リサが訊いた。


「どうだった?」


彼は受話器を戻し、メモを見た。


「進んだ。」


「どのくらい?」


アットウッドは鉛筆の先で一つの単語を指した。


「一語分。」


リサが覗き込む。


「議題。」


「そうだ。」


「たった一語?」


アットウッドは首を振った。


「いや。外交ではかなり大きい。」


リサは紙に書かれた文字を眺めた。


彼女が春にハバナへ行った時には存在しなかった言葉だった。


その頃には、相手の顔すら見えていなかった。


いまは二つの政府が、会うかどうかではなく、会った時に何を話すのかを考え始めている。


リサは笑った。


安心から出た笑いだった。


アットウッドも、少し遅れて笑った。


二人とも、まだ何一つ解決していないことは分かっていた。


それでも、自分たちがつないできた糸が、ようやく二つの政府の重さに耐え始めていることだけは分かった。


※※※※※※※※※※


翌十九日、ハバナ。


ジャン・ダニエルは、ようやく待つことを諦めかけていた。


ケネディと会ってからキューバへ来たものの、カストロ本人にはなかなか会えなかった。政府関係者、知識人、革命について語りたがる人間にはいくらでも会えるのに、自分が最も会わなければならない男だけが姿を見せない。


それもカストロらしいと言えば、らしかった。


国家の日程で動いているのか、自分の思いつきで動いているのか、外からはよく分からない。


ダニエル自身も、自分が何を急いでいるのか分からなくなる時があった。


正式な使者ではない。


期限を与えられているわけでもない。


ケネディから書簡を持たされたわけでもなく、返答を持ち帰る義務もない。


それでも、十月二十四日のホワイトハウスで聞いた言葉が、頭から離れなかった。


アメリカにもキューバ革命を生んだ責任がある。


しかし、カストロがソ連の軍事的な前線になることは受け入れられない。


もしカストロが自分で選べる人間なら、何を変えられると思っているのか。


ダニエルには、その質問をまだ誰にも渡せていなかった。


その日の夕方、連絡が来た。


カストロが会う。


最初は聞き間違いかと思った。


「今日?」


「今日です。」


「何時?」


相手は少し笑った。


「首相が着いたら。」


時刻になっていなかった。


その答えまでカストロらしかった。


夜になってから現れたカストロは、待たせたことをさほど悪びれていなかった。


長い軍服姿で部屋へ入ると、最初にダニエルの顔を見て、握手をした。


「ずいぶん待ったらしいな。」


「帰ろうかと思っていました。」


「帰らなくてよかった。」


カストロは椅子へ腰を下ろした。


ダニエルも向かいに座った。


最初はキューバについて話した。


革命。


経済。


封鎖。


ソ連。


アメリカ。


カストロは一つの質問に答えると、その背景まで説明しようとし、話はすぐ別の国へ飛んだ。ダニエルも途中で何度か遮りながら、ようやくケネディの名前を出せるところまで持っていった。


「私は、キューバへ来る前にケネディ大統領と会いました。」


カストロの動きが止まった。


驚いたというより、その言葉を待っていた人間の顔だった。


「本人と?」


「ホワイトハウスで。」


カストロは少し身体を前へ寄せた。


「何を言っていた。」


短い質問だった。


ダニエルは、十月二十四日の会話を思い返した。


「あなたが期待しているようなことだけではありません。」


「それでいい。」


「大統領は、アメリカがバティスタを支えたことについて、自分たちにも責任があると考えていました。キューバ革命が起きた理由を、全部モスクワの陰謀として説明することはできない、と。」


カストロの顔から表情が消えた。


ダニエルは続けた。


「ただし、革命後のあなたの政策については非常に厳しい。ソ連との軍事的な関係も、去年ミサイルを受け入れたことも、西半球へ革命を広げようとしていると見えることも、別の問題だと言っていました。」


「なるほど。」


カストロは椅子へ深く腰を下ろした。


「つまり、バティスタを支えたのは間違いだったが、その後の俺が正しいとは言っていない。」


「そうです。」


「それなら筋は通ってる。」


ダニエルは意外に思った。


もっと反発するかと思っていた。


「腹は立たない?」


「立つさ。」


カストロは笑った。


「ピックス湾は誰の時代だ。封鎖は誰の時代に強くなった。秘密工作も続いている。俺がケネディに感謝する理由はない。」


笑いはすぐ消えた。


「だが、自分たちに責任があると認めるアメリカ大統領は珍しい。」


ダニエルは黙っていた。


そこがケネディ自身もカストロに知ってほしかった部分なのかもしれない。


カストロはしばらくテーブルの上の灰皿を見ていた。


「フルシチョフも、ケネディは話のできる男だと言っていた。」


「信じますか。」


「去年よりは。」


「去年より?」


カストロはダニエルを見る。


「ピックス湾の頃のケネディは若かった。自分の政府がどう動くのかも分かっていなかったんじゃないかと思う時がある。ベルリンを経験した。十月を経験した。核戦争がどんなものか、本当に自分の机の上で見た。」


一度言葉を切った。


「人間は、あそこまで行けば変わる。」


それはカストロ自身にも当てはまった。


キューバ危機の前と後で、彼も同じではない。


自国の上に核兵器を置き、自国の外でその撤去を決められ、モスクワで初めてトルコのミサイルまで取引に入っていたことを知った。


大国の論理を、理論ではなく自分の国土で経験した。


ケネディもまた、別の側から同じ危機を見た。


「彼は、あなたがソ連から離れる可能性を気にしています。」


ダニエルが言った。


カストロはすぐに首を振った。


「それを条件にされたら無理だ。」


「完全に?」


「アメリカから独立するために革命をして、今度はワシントンの許可でモスクワとの関係を決めるつもりはない。ただ、ソ連の言うことなら何でも聞くつもりもない。」


ダニエルはその答えを覚えようとした。


「では、アメリカとの関係を変える余地はある?」


カストロは少し考えた。


「アメリカが俺たちを倒すことをやめるなら。」


「それだけ?」


「簡単に言うな。」


カストロは笑った。


「侵攻をしない。秘密工作をやめる。封鎖について話す。キューバが自分の体制と外交を自分で決めることを認める。そこまで行けば、俺たちだって考えるものはある。」


「革命の輸出は?」


カストロの表情が少し硬くなった。


「アメリカは、ラテンアメリカで自分たちの都合のいい政府を支える。それを政治と呼ぶ。俺たちが革命を支援すれば破壊工作と呼ぶ。その議論は簡単には終わらない。」


「だから話す価値がない?」


「逆だ。」


返事は速かった。


「終わらないから話すんだろ。」


ダニエルはそこで初めて、十月二十四日にケネディと話した時と似たものを感じた。


立場はまるで違う。


歴史の読み方も違う。


相手への怒りもある。


それでも二人とも、すべてに同意できなければ話す意味がないとは考えていない。


ダニエルは訊いた。


「ケネディにもう一度会えたら、何と伝えればいい?」


カストロはしばらく答えなかった。


窓の外には夜のハバナがあった。


「俺は、あいつに責任がないとは言わない。」


やがて口を開いた。


「むしろ責任はある。だが、この数か月で多くのことを理解したようにも見える。」


ダニエルは黙って聞いた。


「もしケネディが、資本主義の国と社会主義の国が、この大陸でも互いを潰さずに存在できるというところまで行けるなら、大きな大統領になる。」


カストロはそこで少し笑った。


「アメリカ人が喜ぶような言い方をするなら、歴史に残る大統領になれるかもしれん。」


「かなり高く評価するんですね。」


「まだ評価じゃない。可能性だ。」


その区別は、カストロにとって重要だった。


「俺はあいつを信用したと言ってるんじゃない。話してみる価値があると言ってる。」


ダニエルは頷いた。


それだけで十分だった。


ケネディが知りたがっていた答えの一つが、目の前にあった。


カストロは話すつもりがある。


条件はある。


譲れないものもある。


しかし、最初から扉を閉じてはいない。


「もう一度ケネディに会うつもりです。」


ダニエルが言った。


「なら伝えてくれ。」


カストロが身を乗り出した。


「俺はまだ、あいつがその男になれる可能性を捨てていない。」


一瞬の沈黙のあと、急に表情を崩した。


「再選が必要なら、ゴールドウォーターを俺の友人だと発表してやってもいい。」


ダニエルは思わず笑った。


「それは逆効果じゃないですか。」


「アメリカ政治は分からん。」


「その発言だけは記事にしたくなります。」


「やめろ。せっかくの話がそこで終わる。」


二人は笑った。


その夜、会話は六時間近く続いた。


互いの国が突然好きになったわけではない。


一つの条件について合意したわけでもない。


それでもダニエルには、自分がキューバへ来る前とは何かが違って見えた。


ケネディは、カストロが何を動かせるのか知りたがっていた。


カストロは、ケネディなら話せるかもしれないと答えた。


二人の言葉は、まだ互いには届いていない。


その間にいる自分だけが、両方を知っていた。


※※※※※※※※※※


同じ十一月十九日、ワシントン。


ゴードン・チェイスはアットウッドからの電話を受けた。


前夜、バジェホと直接話せた。


カストロの招待は今も生きている。


バジェホ本人はニューヨークへ来られない。


その代わり、レチューガへ指示し、将来カストロと会う場合の議題をアットウッドと事前に話させる。


チェイスは一つずつ確認しながら書き取った。


「議題、と言ったんですね。」


「本人がそう言った。」


「レチューガへ指示を出す?」


「そうです。」


「分かりました。バンディに上げます。」


電話を切ったチェイスは、メモを持ってマクジョージ・バンディのところへ向かった。


大統領が十一月十二日に求めたのは、まさにこの一歩だった。


カストロがただ会いたがっているだけなのか、それとも実際に何かを話し合う余地を持っているのか。


キューバ側は、自分たちから「議題」という言葉を出してきた。


まだ中身はない。


だが、議題を作ろうという意思はある。


バンディは報告を読み終えると、机へ置いた。


「進んだな。」


「はい。」


「レチューガから具体的な話が来たら、アットウッドをこちらへ呼ぶ。」


チェイスは頷いた。


その先は決まっていた。


大統領と相談する。


何をカストロへ伝えさせるのか。


アットウッドを本当にキューバへ行かせるのか。


もはや、カストロとの接触を続けるかどうかだけを考える段階ではなかった。


※※※※※※※※※※


翌日、ケネディの机へ持ち込まれた報告は短かった。


バンディは詳細な経緯から話さず、結論だけを伝えた。


「バジェホとアットウッドが直接話しました。」


ケネディが書類から顔を上げた。


「それで?」


「バジェホはニューヨークへ来られません。しかし、レチューガに指示して、カストロとの将来の会談についてアットウッドと議題を詰めると言っています。」


ケネディの手が止まった。


「議題?」


「はい。」


ほんのわずかに口元が緩んだ。


「そこまで来たか。」


大きな喜び方ではなかった。


歓声を上げるような話でもない。


封鎖は続いている。


カストロはソ連と同盟している。


CIAの秘密工作も、政府の中から消えたわけではない。


まだ、会談の日付すらない。


それでもケネディには、その一語の意味がよく分かった。


議題があるということは、会談を前提に何を話すか考えているということだ。


大統領に就任して以来、キューバはいつも逆の姿で机へ上がってきた。


最初は、前政権から引き継いだ侵攻計画だった。


自分が十分に理解しないまま承認し、ピックス湾で失敗した。


その後は失った威信を取り戻そうとして、秘密工作を拡大した。政策の全体を把握しようとするほど、CIAや軍、亡命者、周辺国の思惑が絡み合い、どこまでが自分の命令なのかさえ曖昧になることがあった。


そして一九六二年十月には、キューバから世界が終わる可能性まで現れた。


どの段階でも、キューバは「次に何をしなければならないか」を迫ってくる問題だった。


侵攻するのか。


封鎖するのか。


空爆するのか。


核戦争を避けるために何を譲るのか。


選ばなければ、もっと悪い選択を現場が勝手に始める。


そんな問題だった。


だが今、机にある紙には別の言葉がある。


議題。


ケネディは椅子へ背を預けた。


「これなら、話せるかもしれないな。」


バンディは安易に同意しなかった。


「まだ中身を見てからです。」


「分かってる。」


ケネディは笑った。


「君は最近、私より慎重だ。」


「そのためにいます。」


「そうだったな。」


バンディが部屋を出たあとも、ケネディはしばらくキューバのメモを机に残していた。


解決したわけではない。


だが、解けるかもしれない問題にはなった。


その違いは大きかった。


ソ連とは、去年の十月に核戦争の瀬戸際まで行った。


今年は核実験禁止条約を結んだ。


フルシチョフが友人になったからではない。


アメリカとソ連が同じ世界を望むようになったからでもない。


互いに譲れないものを持ったままでも、破滅を避ける一点なら合意できた。


キューバにも、その方法が使えるのかもしれない。


カストロを倒さなくても、キューバを毎年戦争の入口へ戻す国ではなくすことができるなら、それは敗北ではない。


大統領になったばかりの自分には、その考え方ができなかった。


敵へ逃げ道を残せば、自分が弱く見えると思った。


一度決めた政策を変えれば、判断を誤ったことを認めることになると思った。


ピックス湾で失敗し、ベルリンでフルシチョフと向き合い、十月には核兵器の使用を求める声を拒み続けて、ようやく分かった。


強さとは、相手を壁まで追い込むことではない。


自分にも相手にも、次の選択を残しておくことだった。


キューバについて、それを試せるかもしれない。


もし成功すれば、単に一つの外交問題が消えるだけではない。


自分が大統領になってから最も長く失敗と危機を繰り返してきた問題を、自分が学んだ方法で終わらせることになる。


そこまで考えた時、ケネディは少し可笑しくなった。


大統領に就任した頃には、二期目という言葉はもっと単純だった。


勝つ。


父が望んだものを完成させる。


兄が生きていれば立っていたかもしれない場所に、自分が立ち続ける。


だが今は、その先にやることが見えている。


机の端には、キューバとは別の書類が置かれていた。


公民権。


六月、アラバマ大学の門をめぐる混乱を受けて国民へ語りかけた時、ケネディは初めて人種差別を単なる法秩序や州と連邦の権限の問題ではなく、国そのものの道徳の問題として語った。


法案は議会へ送った。


しかし、まだ成立していない。


南部の抵抗は強い。


議会で通すには政治力がいる。


そして、その政治力を最大まで使えるのは、おそらく再選後だった。


キューバが動く。


次は公民権だ。


その次にも、いくつもある。


ケネディは机の上の予定表を見た。


テキサス。


再選に向けて、避けられない州だった。


一九六四年を勝つ。


そして、もう四年。


今度は、勝つために何をするかではない。


やるべきことを終わらせるために、もう一度勝つ。


※※※※※※※※※※


十一月二十一日。


エアフォース・ワンはワシントンを離れ、テキサスへ向かった。


ジャクリーンが同行していた。


八月に生まれた次男パトリックを失って以来、彼女にとって初めての本格的な公務旅行だった。まだその死を話題にしたがる記者もいたが、空港へ降りれば人々は歓声を上げ、彼女の服や帽子を見て笑顔になる。


サンアントニオ。


ヒューストン。


その日の最後はフォートワースだった。


ケネディは群衆の中へ入るたびに機嫌がよくなった。


ホワイトハウスの机では、政策は紙と数字になる。


選挙の現場では、人間が目の前にいる。


手を伸ばせば握り返す。


冗談を言えば笑う。


批判する人間も、支持する人間も、自分の顔を見て声を上げる。


彼はもともと、その距離を嫌いではなかった。


夜、ホテル・テキサスの部屋へ戻った頃には遅くなっていた。


ジャクリーンは靴を脱ぎ、椅子へ腰を下ろした。


「疲れた?」


ケネディが訊いた。


「あなたほど握手してないもの。」


「その代わり、みんな君を見てた。」


「あなたに会いに来た人たちでしょう。」


「今日は半分くらい君だ。」


ジャクリーンは笑った。


その笑顔を見ると、ケネディも少し安心した。


八月以来、二人の間には言葉にしなくても分かる沈黙が増えていた。


パトリックの死を消すことはできない。


公務へ戻ったから乗り越えたということにもならない。


それでも、二人は再び同じ場所へ出てこられるところまで戻ってきていた。


ケネディは上着を脱ぎながら、何気ない調子で言った。


「キューバが少し動いてる。」


ジャクリーンが顔を上げた。


「いい方に?」


「たぶん。」


詳しい話はしなかった。


秘密接触の人物名も、電話の経路も言わない。


ただ、カストロ側と何を話すか考えられるところまで来た、とだけ説明した。


ジャクリーンはしばらく聞いていた。


「あなたが大統領になった時から、ずっとキューバね。」


ケネディは苦笑した。


「そうだな。」


「最初はひどかった。」


「よく覚えてる。」


「忘れると思う?」


ピックス湾のあと、彼がどれほど沈んでいたかを、ジャクリーンは知っていた。


外では責任を取ると言い、側近には次の政策を考えさせながら、夜になると自分の判断を何度も振り返っていた。


「今度は違う?」


彼女が訊いた。


ケネディは少し考えた。


「違うと思う。」


「何が。」


「俺が。」


ジャクリーンは黙った。


ケネディは窓の方へ歩いた。


外にはフォートワースの夜景が見える。


「大統領になった時は、父さんが作ったところへ俺が座ったような気がしてた。」


ジャクリーンには、その意味が分かった。


ジョセフ・ケネディ。


息子たちの未来を政治の中に描き、長男ジョーを最初の期待として育て、そのジョーが第二次世界大戦で戦死すると、次男ジャックへ期待の重心を移した父親。


ジャック自身も、そのことを知らずに生きてきたわけではない。


ジョーが生きていたら。


父が違う人生を望んでいたら。


自分はここにいたのか。


大統領になってからも、その問いは完全には消えなかった。


「ジョーが生きていれば、あいつがここにいたんじゃないかって、ずっとどこかで思ってた。」


ジャクリーンは何も否定しなかった。


否定すれば嘘になる。


「でも最近、少し違う。」


ケネディは振り返った。


「父さんが望んだ大統領とか、ジョーの代わりとか、そういうものじゃなくて、自分がここにいる理由が分かってきた気がする。」


ジャクリーンは彼を見た。


「キューバ?」


「それもある。」


ケネディは笑った。


「最初に失敗した。次に怒って、もっと悪くした。最後には世界を終わらせかけた。ずいぶん高い授業料だ。」


「あなたらしい学び方ね。」


「もっと安くできればよかった。」


二人とも少し笑った。


ケネディは椅子へ戻った。


「でも今なら、違うやり方ができる。ソ連とも一つは条約を作れた。キューバとも話せるかもしれない。」


そして少し間を置いた。


「公民権も。」


ジャクリーンの表情が変わった。


「あれは簡単じゃないわ。」


「知ってる。」


「南部を失うかもしれない。」


「それも知ってる。」


「それでも?」


「それでもやる。」


六月にテレビで国民へ話した時から、その点については以前ほど迷わなくなった。


公民権を政治的にどこまで進めれば選挙に有利かという問題ではない。


国が、自分で掲げている自由を自国民に認められるかという問題だった。


「一期目じゃ足りなかった。」


ケネディは言った。


「キューバも、公民権も、まだ途中だ。ベトナムもある。だからもう四年いる。」


ジャクリーンが笑った。


「ずいぶん勝つ気ね。」


「負けるつもりで選挙に出る大統領はいない。」


「昔は、勝つことの方が好きだったでしょう。」


その言葉にケネディは少し黙った。


否定できなかった。


父親もそうだった。


選挙は勝つもの。


政治は力を手に入れるもの。


ケネディ自身も長くそう考えていた。


「今は違う?」


ジャクリーンが訊いた。


ケネディは答える前に、彼女の顔を見た。


「勝った後にやることの方が面白くなった。」


ジャクリーンは、それを聞いて微笑んだ。


ケネディも笑った。


胸の奥から、説明しにくいものが込み上げてきた。


父に認められたいという感情でもない。


戦死した兄に勝ちたいという感情でもなかった。


むしろ、その二人と競わなくてもいいところまで、ようやく来たのだと思った。


父が描いた人生を完成させる必要もない。


ジョーが生きられなかった人生の続きを、自分が代わりに生きていると考えなくてもいい。


自分には、自分が失敗し、自分で学び、自分で選んだ仕事が残っている。


「あと四年あれば。」


ケネディが言った。


ジャクリーンは待った。


「かなりやれると思う。」


それは大統領の演説ではなかった。


夫が妻へ言った言葉だった。


ジャクリーンは立ち上がると、彼の肩へ手を置いた。


「なら、まず明日のテキサスを終わらせて。」


「現実的だな。」


「誰かが現実を担当しないと。」


ケネディは彼女の手を握った。


父ジョセフの手を握った時とは違った。


あの時には、長く追いかけてきたものをようやく手放せた。


今は、これから行く場所を誰かと共有している。


その違いが、ケネディには心地よかった。


※※※※※※※※※※


十一月二十二日、フォートワース。


朝まで残っていた雨は、次第に弱くなった。


ホテルの外には早い時間から人が集まっていた。


ケネディは予定より先に外へ出ると、濡れた路面の向こうにいる群衆へ近づき、握手をした。


その後の朝食会では軍事力と国家の責任について話し、会場を出れば再び政治の日程が待っていた。


テキサス民主党内部の対立をまとめること。


一九六四年に州を落とさないこと。


ジョンソンとの関係。


コナリーとの関係。


南部で公民権政策への反発が強くなる中で、どこまで支持を残せるか。


問題はいくらでもある。


それでもケネディの機嫌は悪くなかった。


前の日にも群衆は多かった。


ジャクリーンの評判もよかった。


選挙は簡単ではないが、戦える。


そしてワシントンへ戻れば、仕事がある。


レチューガから議題が来れば、アットウッドを呼ぶ。


キューバへ何を伝えるのか、自分で決める。


ダニエルも、そのうちカストロの反応を持って帰ってくるはずだった。


公民権法案については、議会への働きかけを続ける。


一つずつだった。


大統領になったばかりの頃には、すべてを同時に動かそうとしていた。


今は、一つの問題に出口を作れば、次の問題へ政治力を使えることを知っている。


車列がカーズウェル空軍基地へ入った。


エアフォース・ワンが待っている。


フォートワースからダラスまでは、わずかな飛行だった。


ケネディは車から降りると、集まった人々へ手を振った。


ジャクリーンが隣へ来る。


風が少しあり、彼女が髪を押さえた。


「次はダラス?」


「ああ。」


「その後は?」


「昼食。それからまた移動。」


「その後。」


ジャクリーンが笑って訊いた。


ケネディも意味を理解した。


テキサスの次。


選挙の次。


大統領として、その先に何をするのか。


「ワシントンへ帰る。」


まずそう答えた。


「仕事が山ほどある。」


「四年分?」


「五年分くらいある。」


「それなら急がないと。」


二人は笑った。


ケネディはタラップへ向かい、途中でもう一度群衆へ手を振った。


歓声が返ってくる。


父が望んだ場所には、もう立った。


戦死した兄が生きていれば歩いたかもしれない人生についても、答えを出す必要はなくなっていた。


ここから先にあるのは、誰かから引き継いだ未来ではない。


ピックス湾で失敗した自分がいる。


核戦争を拒んだ自分がいる。


公民権を道徳の問題だと国民へ語った自分がいる。


そして今、かつて倒そうとしたカストロと、何を話せるか考え始めている自分がいる。


それらは全部、自分が選んだ時間だった。


ケネディはエアフォース・ワンの入口でジャクリーンを待ち、彼女が追いつくと先に機内へ入れた。


そのあとに続きながら、次の四年なら、まだ途中にあるものをかなり先まで運べると思っていた。


キューバも。


公民権も。


そのほかの、まだ名前すらついていない仕事も。


エアフォース・ワンはフォートワースを離れ、ダラスへ向かった。

ダラスへ飛び立つ大統領専用機エアーフォースワン。

次回運命の日当日です。


更新は、水・金・日の夜です。

次回は1週間お休みいただいて来週の金曜日の夜更新予定です。


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