194,三番の女
アメリカで、初めて女性ジャーナリストでテレビの司会をレギュラーでつとめたリサは、三大ネットワークの三番目のABCのニュースキャスターでした。
新編スタートです。
一九六二年十二月二十一日。
ハバナにも、クリスマスは来ていた。
革命から四度目の年末だった。
革命政府とカトリック教会との関係は、すでに穏やかなものではなかった。革命に反対して島を去った聖職者もいれば、革命政府を公然と批判する者もいる。その一方で、シエラ・マエストラではギジェルモ・サルディーニャス神父のように、オリーブ色の服をまとい、革命軍と一緒に山を歩いた聖職者もいた。
信仰と革命は、新聞記事のようにはっきり二つに分かれていたわけではない。
カストロ自身は神を必要とする男ではなかったが、それと、キューバ人がクリスマスを迎えることは別だった。
十二月も下旬になると、ハバナの街には年末の匂いが戻っていた。
店先に小さな飾りが吊られ、菓子や酒を抱えた人間が通りを歩く。ノチェブエナをどこの家で過ごすか、豚肉は手に入るか、遠くの親戚は戻ってくるのか。教会へ行く者も、行かない者も、年末になれば似たような話をした。
十月には、その十二月が来るかどうかさえ分からなかった。
アメリカの偵察機が島の上空を飛び、海の向こうには軍艦が並び、ソ連から運び込まれたミサイルには核弾頭が用意されていた。
病院では輸血の準備が進み、軍人は海岸へ向かい、市民は米や缶詰を買い足した。ワシントンとモスクワでは、一つ判断を誤れば世界そのものを壊しかねない言葉が交わされていた。
あれから二か月。
ミサイルを載せた船は去った。
爆撃機も島を離れた。
ソ連兵の一部も帰国を始めていた。
アメリカ軍は上陸しなかった。
それだけを見れば、キューバは生き残った。
だが、カストロたちの頭越しにミサイル撤去を決めたのはモスクワだった。禁輸は残り、グアンタナモにはアメリカ軍がいる。ケネディは侵攻しなかったが、キューバが望んだ五つの条件を受け入れたわけでもない。
核戦争は避けられた。
キューバが大国の狭間から抜け出せたわけではなかった。
それでも、季節だけは政治より律儀だった。
十二月になれば十二月の風が吹き、クリスマス前になれば、子どもは世界革命より菓子を欲しがった。
その日の午後、秘書のセリア・サンチェスは革命宮殿の玄関前に立ち、腕時計を見た。
予定時刻を一時間十九分過ぎている。
二十分になったところで、ようやく黒い車が敷地へ入ってきた。
「一時間二十分。」
車から降りたカストロに、セリアは挨拶より先に告げた。
軍服の裾には乾いた土がついていた。午前から首都近郊の農場と集荷施設を見て回っていたためである。
カストロは空を見、それから自分の腕時計を確認した。
「一時間十五分だ。」
「五分はどこへ消えたんです。」
「ここまで歩く時間だ。」
「いま車から降りたでしょう。」
カストロは答えず、建物へ向かって歩き出した。
セリアもその隣についた。
左腕には厚さの違う書類が何冊も抱えられている。歩きながら上から順番に抜き取れるよう、すでに並べ替えてあった。
「誰がいる。」
「全員です。」
「全員じゃ分からん。」
「大統領。」
カストロが横目を向ける。
「ドルティコスまで待たせているのか。」
「あなたが呼んだんです。」
「そうだったな。」
「ラウル。ゲバラ。カルロス・ラファエル。それから必要ならロアにも連絡できます。」
廊下へ入る。
外の明るさから陰へ移ったため、カストロが一度目を細めた。
「いつからだ。」
「ドルティコスは四十分前。ラウルは五十分前。カルロス・ラファエルは一時間前。」
「ゲバラは。」
「二十分前です。」
カストロが少し安心した顔をした。
「さすがゲバラだ。」
「違います。あの人も別の会議に遅れてきただけです。」
カストロが笑った。
セリアは笑わなかった。
こういう男たちだった。
共和国大統領のオスバルド・ドルティコスは法律家で、待たされても声を荒らげず、その時間で書類を読み直す。
ラウルは軍の報告書を持ち込み、待っている間に別の指示を書き終える。
カルロス・ラファエル・ロドリゲスは革命以前から共産主義運動に身を置いてきた男で、政治というものが熱狂だけでは続かないことを知っていた。議論が熱くなるほど、むしろ声を低くする。
そしてゲバラは、たいてい誰より多く数字を持ってきて、数字の話から一番遠いところまで議論を運んでいく。
工場の生産高から社会主義とは何かという話へ行く。
輸入部品の不足から、ラテンアメリカ全体の革命へ行く。
三枚の表を見せるために呼ばれたはずなのに、気がつけば世界地図が必要になる。
セリアは、そういう時のために地図を片づけすぎないことを覚えていた。
まだ誰も、それを迷惑だとは思っていなかった。
少なくとも、いまは。
四年前まで、彼らは同じ場所へ集まるだけでも苦労していた。
山には道がない。
連絡も届かない。
敵がいる。
雨が降れば予定など消えた。
革命に勝つと、事情が変わった。
大統領も、大臣も、軍の責任者も、一つの部屋へ集められる。
その代わり、一人の予定が一時間延びるだけで、国家の中枢にいる何人もの時間が止まった。
革命は勝ったことで、妙なところが不便になった。
「悪いことをしたな。」
カストロが言った。
セリアは少し驚いて横を見た。
「誰にです。」
「待っている連中にだ。」
「珍しいですね。そういう感覚があったんですか。」
「俺を何だと思っている。」
「答えると、会議がもっと遅れます。」
カストロは鼻で笑った。
二人はそのまま廊下を進んだ。
窓の外には、冬の午後のハバナが広がっている。
冬といっても北の国のように街が白くなるわけではない。陽射しは強く、空も青い。ただ風だけが少し乾き、日が傾くと肌に触れる空気が軽くなった。
向かいの建物の窓辺に、小さな星形の飾りが掛けられていた。
その下を、紙袋を両腕に抱えた女が歩いている。
どこか遠くで鐘が鳴った。
カストロも窓の方を見た。
「もうクリスマスか。」
「あと四日です。」
「今年は長かったな。」
それだけだった。
十月を口にする必要はなかった。
セリアにも分かった。
二か月前、この男は何日もほとんど眠らず、電話と地図と報告書の間を歩き続けていた。
ソ連人が来た。
アメリカの飛行機が飛んだ。
軍から電話が来た。
国連から連絡が来た。
モスクワから暗号電報が届いた。
世界の終わりについて話している最中にも、食堂からは食事をどうするかという連絡が来た。
その後にはミコヤンがやって来て、撤去する兵器、残す兵器、査察、不侵攻、ソ連兵、そしてモスクワがキューバに相談せず決めたことの説明が続いた。
十一月は、ほとんどそれだけで消えた。
セリアは、ふと思い出した。
「あ。」
カストロが足を止めた。
「何だ。」
「もう一つありました。」
「今日の議題か。」
「いいえ。」
セリアは抱えていた書類を胸の前で持ち直し、一番下から薄い封筒を引き抜いた。
英語だった。
上部に印刷された文字をカストロも読んだ。
ABC NEWS.
「取材の申し込みです。」
「誰に。」
セリアは一瞬だけ黙った。
「あなたに決まっているでしょう。」
カストロが封筒を受け取った。
「いつ来た。」
「十一月一日。」
歩き出しかけたカストロが、もう一度止まった。
今度は完全にセリアの方を向いた。
「十一月一日?」
「はい。」
「今日は十二月二十一日だぞ。」
「知っています。」
「なぜ報告しなかった。」
セリアはしばらく彼の顔を見た。
本気で言っているらしい。
「翌日にミコヤンが来たじゃないですか。」
カストロの眉が少し動いた。
「そのあと毎日、ミサイルを何本積み出す、爆撃機をどうする、核兵器はどうする、ソ連兵を何人残す、国連には何と答える、査察を入れる入れないとやっていたでしょう。」
セリアは指を折るのを途中でやめた。
「その横で、『アメリカのテレビ局がインタビューしたがっています』と報告すればよかったんですか。」
数秒考えてから、カストロは頷いた。
「それは後でいいな。」
「だから後になったんです。」
カストロは封筒の日付をもう一度見た。
十一月一日。
フルシチョフがミサイル撤去を表明してから、まだ数日しか経っていない頃だった。
危機が終わったのを待っていたような日付にも見える。
あるいは、本当に終わったのか確かめに来たようにも見えた。
「誰だ。」
「リサ・ハワード。」
「知らんな。」
「私も知りませんでした。」
「何者だ。」
「アメリカの記者です。」
「それは見れば分かる。」
セリアは小さく息を吐いた。
執務室の扉はもう数歩先だった。
その向こうには共和国大統領と三人の革命家が、カストロ一人を待っている。
「あとで話します。」
「少しだけ教えろ。」
「中へ入ってください。」
「気になるだろう。」
「一時間二十分待たされている人たちの方が、あなたが来るかどうか気になっています。」
セリアが扉を開けた。
待っていた男たちが、一斉にこちらを見た。
※※※※※※※※※※
「遅かったな。」
最初に言ったのはゲバラだった。
長い卓の一方で、彼は書類を広げたまま椅子を後ろへ傾けていた。
「農場の牛が俺を帰してくれなかった。」
カストロが答える。
ゲバラは時計を見る。
「牛を閣僚にした方がいい。少なくとも時間は守りそうだ。」
「お前よりはな。」
ラウルが書類から顔を上げずに笑った。
ドルティコスも口元だけを緩める。
カルロス・ラファエルは鉛筆を置いた。
セリアは全員の前に必要な紙があることを確認し、カストロの席へ残りの書類を置いた。
机の端には、誰かが開けた菓子の箱があった。
トゥロンがいくつか欠けている。
「それ、誰が開けたんです。」
セリアが訊いた。
ラウルがゲバラを見る。
ゲバラがドルティコスを見る。
共和国大統領は困ったような顔をした。
「私ではありません。」
「誰でもいい。」
カストロが大きめの一片を取った。
セリアがその手を見る。
「それ、全員分です。」
「五人しかいない。」
「私は数に入っていないんですか。」
カストロは一瞬だけ止まり、少し小さい方へ持ち替えた。
「これならいいだろう。」
セリアは何も言わず、会議用の帳面を開いた。
十月には、この部屋で世界の終わりについて話していた。
十二月には、トゥロンの分け方でもめている。
それを平和と呼ぶのかどうか、セリアには分からなかった。
ただ、悪いことではなかった。
「始めましょう。」
ドルティコスが促した。
セリアは最初の書類をカストロの前へ滑らせる。
ピックス湾捕虜の解放。
一年八か月前、彼らは銃を持って島へ上陸した。
千人を超える男たちが捕虜となり、その扱いは革命政府にとって軍事の問題から外交の問題へ、さらに人道と取引の問題へ変わっていた。
ジェームズ・ドノバンとの交渉はほぼまとまっている。
医薬品。
医療用品。
食料。
現金ではない。
キューバが必要とする物資と引き換えに、捕虜を家族のもとへ返す。
「ここだけ確認してくれ。」
ドルティコスが文面を指した。
カストロは目を通す。
「いい。」
署名する。
次。
ソ連軍が残していく通常兵器。
防空。
訓練要員。
ラウルが説明する。
「装備だけ残されても運用できなければ意味がない。技術者の訓練は予定どおり続けてもらう。」
「人数は。」
「ここです。」
カストロが確認して頷く。
次。
砂糖。
石油。
部品。
カルロス・ラファエルが数字を示す。
「軍事的な危機が去っても、経済は危機の前には戻りません。アメリカ市場はありません。石油も機械部品も、今後ますますソ連圏との関係に左右されます。」
ゲバラが手元の紙をめくった。
「つまり、ミサイルは持って帰られたが請求書は残った。」
カルロス・ラファエルが眉を上げる。
「請求書というより、生活費だな。」
「同じようなものだ。」
「生活費を払わない革命は、三日で終わる。」
ゲバラは笑った。
「三日は短いな。五日は持たせてくれ。」
「君が工場の生産計画を守れば、一週間にはなる。」
部屋に小さな笑いが起きた。
セリアは帳面に目を落としたまま、それを聞いていた。
この二人は、まだこんなふうに話していた。
ゲバラが理念を言えば、カルロス・ラファエルは数字を返す。
カルロス・ラファエルが数字を言えば、ゲバラは、その数字が何のためにあるのかを問い返す。
どちらも相手を黙らせようとはしない。
カストロも、二人のどちらかを止めようとはしなかった。
むしろ楽しそうに聞いていた。
「問題はそこだ。」
カストロがトゥロンを飲み込みながら言った。
「アメリカに頼らずに生きるためには、ソ連が必要だ。」
ゲバラがすぐに答える。
「それを自由と呼ぶには、少し説明が長くなりそうだな。」
ラウルが椅子にもたれた。
「銃がなければ自由を説明する前に上陸される。」
「分かっている。」
ゲバラは言った。
「だから笑っているんだ。」
ドルティコスが書類を閉じた。
「少なくとも、危機で一つは変わりました。アメリカは、キューバへの侵攻が世界規模の問題になることを知った。以前のように、この島だけを相手にすればいいとは考えられない。」
「それは勝利だ。」
ラウルが言った。
「軍事的にはな。」
カストロが答えた。
「政治では、まだ途中だ。」
部屋が少し静かになった。
窓の外から、車のクラクションが聞こえた。
夕方が近づいていた。
「我々は生き残った。」
カストロは続けた。
「だが、世界から見れば、ソ連が守った島でもある。そう見られ続ければ、今度は別の意味で弱くなる。」
カルロス・ラファエルが頷いた。
「存在感を保つ必要があります。モスクワとの同盟を保ちながら、キューバ自身の政策があることも見せなければならない。」
ドルティコスが言う。
「首脳同士で一度、関係を整理する必要はあるでしょう。」
ラウルが兄を見る。
「モスクワへ行けということだ。」
カストロは椅子の背へ体を預けた。
「歓迎されると思うか。」
「歓迎はされる。」
ゲバラが言った。
「問題は、何のために歓迎されるかだ。」
カストロが笑う。
「また始まったな。」
「大事なことだろう。」
ゲバラは気にせず続けた。
「フルシチョフは我々を必要としている。アメリカの鼻先に社会主義国が生き残ったという象徴として。こっちはソ連を必要としている。石油も武器も市場もいる。お互い様だ。」
「ずいぶん冷たい友情だな。」
ラウルが言う。
「国家の友情なんて、そんなものだ。」
ゲバラが肩をすくめる。
「結局、大国に頼らないために、大国へ会いに行く。」
カストロが声を上げて笑った。
「なら、もっと小さい国を探してくれ。」
「どこだ。」
「知らん。お前は世界に詳しいだろう。」
「小さくて石油も武器もくれる国か。少し時間がいる。」
今度は全員が笑った。
セリアは、帳面の端に時刻を書いた。
この部屋にいる男たちは若かった。
カストロは三十六歳。
ゲバラは三十四歳。
ラウルは三十一歳。
革命そのものも、まだ四年しか経っていない。
それでも、彼らがここでどの港から石油を入れるか、どの国へ誰を送るかを決めれば、ワシントンやモスクワの机にも報告書が積まれた。
ほんの数年前まで、世界の大半は彼らの名前すら知らなかった。
いまは、無視する方が難しい。
問題は、目立つことではなかった。
一度手にした存在感を、自分たちのものとして保ち続けることだった。
「では、モスクワについては正式な話が来たら検討する。」
カストロが言った。
「それでいい。」
ドルティコスが答える。
セリアは最後の承認事項を差し出した。
それも数分で終わった。
ラウルが書類を閉じる。
カルロス・ラファエルも鉛筆を胸ポケットへ戻した。
ゲバラは残ったトゥロンへ手を伸ばした。
セリアがその手を叩いた。
「それは私のです。」
ゲバラは素直に手を引っ込めた。
「社会主義なのに私有財産か。」
「この箱についてだけは認めます。」
「革命が後退している。」
「工業省へ帰ってから演説してください。」
ドルティコスが笑いながら立ち上がろうとした。
その時、カストロが言った。
「ところで。」
セリアは嫌な予感がした。
全員の動きが止まる。
カストロが軍服の胸ポケットから、先ほど廊下で渡した紙を取り出した。
「面白い話がある。」
セリアは目を閉じそうになった。
本日の議題は、すべて終わったはずだった。
※※※※※※※※※※
「リサ・ハワード。」
カストロが名前を読んだ。
誰からも反応がない。
「知っているか。」
ラウルが首を振る。
ドルティコスも知らない。
カルロス・ラファエルがセリアを見る。
「誰です。」
「アメリカの記者です。」
「それだけなら面白くないだろう。」
ゲバラが言った。
カストロが口元を緩めた。
「元女優らしい。」
ゲバラが手を止めた。
「女優?」
セリアは小さく息を吐いた。
始まった。
「元です。」
「何に出ていた。」
「そこまでは調べていません。」
ラウルが紙を覗き込む。
「女優から記者?」
「ええ。」
「どうして。」
ゲバラが訊いた。
セリアは眉を寄せる。
「本人に聞いてください。」
「会わないと聞けない。」
カストロが言う。
「だから今、話している。」
セリアは四人の顔を見回した。
数分前まで、世界で社会主義国家がどう生き延びるかを話していた男たちである。
「続けていいですか。」
「頼む。」
カストロが言った。
セリアは紙に目を落とした。
「女優の仕事をやめたあと、ラジオの報道へ移っています。海外取材もするようになって――」
「待て。」
ラウルだった。
「誰が雇った。」
セリアは資料を確認する。
「最初はミューチュアル系のラジオです。」
「政府との関係は。」
「そこまでは分かりません。」
「調べた方がいい。」
ラウルは真顔だった。
セリアは先へ進む。
「それから、一九六〇年にフルシチョフへインタビューしています。」
今度は全員が黙った。
カストロの表情が変わる。
「フルシチョフ?」
「はい。」
「単独でか。」
「大きな取材だったようです。」
「どうやって。」
カルロス・ラファエルが訊いた。
「どうやって、とは。」
「女優をやめて何年だ。」
セリアは紙を見る。
「それほど長くありません。」
「それでソ連首相まで行ったのか。」
カルロス・ラファエルの声は低かった。
ラウルが椅子を前へ戻す。
「誰かが扉を開けている。」
「そう決めつける必要はない。」
ドルティコスが言った。
「ただ、確認は必要だな。」
ゲバラは少し面白そうだった。
「大した女かもしれない。」
ラウルが見る。
「あるいはスパイだ。」
「大したスパイかもしれない。」
「笑い事じゃない。」
「笑ってない。」
ゲバラは笑っていた。
セリアは続きを読んだ。
「そのフルシチョフ取材で注目されて、ABCニュースへ移っています。」
「なるほど。」
カルロス・ラファエルが言った。
「順番としてはきれいすぎるな。」
「何が。」
カストロが訊く。
「女優から報道へ。フルシチョフを取る。名前が売れる。大手テレビ局へ入る。」
「努力したんじゃないか。」
ゲバラが言った。
「努力だけでフルシチョフに会えるなら、外交官は苦労しない。」
ドルティコスが静かに返した。
それにはゲバラも反論しなかった。
カストロは紙を受け取り、自分でも目を走らせる。
「ウィーンにもいたのか。」
セリアが頷く。
「一九六一年の首脳会談を取材しています。」
「ケネディとフルシチョフ。」
「はい。」
カストロの指が紙の上で止まった。
ほんの少し前まで、彼にとってその二人は人間というより国家だった。
フルシチョフは同盟国の指導者。
ケネディは敵国の大統領。
片方はミサイルを島へ運び、片方は海を封鎖した。
そして最後には、その二人がキューバのいないところで話をつけた。
だがリサ・ハワードという女は、その二人を同じ場所で見ている。
「実際に近くで見たのか。」
「取材班として現地にいます。」
「二人とも。」
「そうでしょうね。」
「どういう男だったか知っているかもしれないな。」
ラウルが兄を見る。
「誰の話だ。」
「両方だ。」
部屋の空気が少し変わった。
セリアはその変化を感じ取った。
カストロが興味を持っているのは、もう女優でもテレビでもなかった。
「ケネディは、どんな男だと思う。」
突然の問いだった。
誰に向けたのかも分からない。
ドルティコスが少し考えた。
「敵国の大統領です。」
「それは知っている。」
「なら、質問が広すぎる。」
ゲバラが椅子を少し前へ寄せた。
「ピックス湾をやった男だ。」
「最後には爆撃を増やさなかった。」
カストロが言った。
「マングースもやった。」
「侵攻もしなかった。」
「どちらも同じ男だな。」
ゲバラの言い方に棘はなかった。
むしろ興味があった。
カストロは紙を見た。
「この女は、その男を見た。」
ラウルが腕を組む。
「だから会うのか。」
「まだ何も言っていない。」
「顔に書いてある。」
セリアは思わずカストロを見た。
確かに、書いてあった。
「それで。」
カストロはセリアへ紙を返した。
「この女は有名なのか。」
セリアは資料をめくった。
「それなりには。」
「それなりとは。」
「テレビに出ています。」
「人気は。」
「だから、それなりです。」
カストロが不満そうな顔をした。
「数字はないのか。」
ゲバラが笑う。
「工業省へ来れば視聴率まで要求されそうだな。」
「ABC自体はどうなんだ。」
カストロが訊く。
セリアはそれなら調べてあった。
「アメリカの大きなテレビ網は三つです。CBS、NBC、ABC。」
「それで。」
「ニュースではABCは前の二つより弱いそうです。」
「何番目だ。」
セリアは少し間を置いた。
「三番目です。」
カストロが笑った。
「三番目か。」
ゲバラが横から見る。
「そこがそんなに気に入ったのか。」
「悪いか。」
「理由が分からん。」
カストロは椅子へ深く腰を下ろした。
「一番のテレビ局の、最初から新聞記者だった男がフルシチョフに会ったと言われても、面白くない。」
「女だから面白いのか。」
ドルティコスが訊く。
「それだけじゃない。」
カストロは紙を指で叩いた。
「女優から始まって、報道へ行って、フルシチョフまで辿り着いて、三番目のテレビ局へ入った。」
ゲバラが口元を緩める。
「なるほど。」
「何がなるほどなんだ。」
ラウルが訊く。
「こいつは一番から始まる人間が嫌いなんだ。」
「嫌いとは言っていない。」
「好きじゃない。」
「それも言っていない。」
「同じことだ。」
セリアは男たちの顔を順番に見た。
妙な話だった。
彼らは、女性が男ばかりの報道界を登ってきたことに感心していた。
その男たちを時間どおり一つの部屋へ集め、必要な紙を順番に渡し、食事を忘れれば食べさせ、電話をつなぎ、予定を組み直しているのも女だったが、そのことについては誰も特に驚いていない。
セリアは別に腹を立てなかった。
もう慣れていた。
ただ、リサ・ハワードという女には少し興味を持った。
海の向こうにも、こういう女がいるらしい。
「アメリカでは女がそんなに簡単に上まで行けるのか。」
ラウルが訊いた。
ドルティコスが首を振った。
「簡単ではないだろう。女性参政権が憲法上保障されたのだって、まだ四十年ほど前だ。」
カルロス・ラファエルが続ける。
「南部では黒人市民が投票することすら、今も簡単じゃない。」
カストロは紙を見たままだった。
女性。
元女優。
フルシチョフ。
ケネディ。
ウィーン。
三番手のテレビ局。
それぞれなら小さな情報だった。
並べると、一人の人間の物語になった。
「会ってみたいな。」
とうとうカストロが言った。
セリアは思った。
やはりそうなった。
ラウルがすぐに首を振る。
「俺は反対だ。」
「早いな。」
「早くない。フルシチョフに食い込めるアメリカ人が、危機の四日後にお前へ取材を申し込んできた。警戒しない理由がない。」
ドルティコスも同意した。
「本人が情報機関の人間である必要さえありません。首相の発言は一人の記者との会話では済まない。編集され、放送され、ワシントンにもモスクワにも読まれる。」
カルロス・ラファエルが言う。
「それに、いまは時期が悪い。危機の後始末はまだ終わっていない。モスクワとの関係も整理している途中です。こちらがアメリカとの接近を求めていると取られれば、それだけで余計な意味を持つ。」
ゲバラだけが黙っていた。
カストロが見る。
「お前は。」
「会ったくらいで革命は崩れない。」
ゲバラは答えた。
「だが、会っただけでアメリカの政策が変わるとも思わない。」
「つまり。」
「面白い女だとは思う。」
「それだけか。」
「今のところは。」
カストロが笑った。
「役に立たんな。」
「お前が会いたい理由も、今のところ面白いからだけだろう。」
それはその通りだった。
部屋に少し長い沈黙が落ちた。
外では日が傾き始めていた。
遠くでまた鐘が鳴った。
クリスマス前のハバナでは、夕食の買い物を終えた人間たちが家へ帰り始めている。
この部屋では、核戦争を生き延びた男たちが、一人のアメリカ人女性記者を島へ入れるかどうかで、今日一番長く話していた。
セリアは帳面の時刻を見た。
捕虜交換は十五分。
ソ連軍の装備移管は十二分。
砂糖と石油は十八分。
リサ・ハワードは、もう三十分を超えている。
カストロがようやく紙を机へ置いた。
「分かった。」
ラウルが目を上げる。
「会わない。」
セリアは確認した。
「断りますか。」
カストロは少し考えた。
「いや。」
「では。」
「いまは入れない。」
その違いを、セリアは聞き逃さなかった。
「保留ということですね。」
「そうしてくれ。」
セリアは紙を受け取った。
ゲバラが立ち上がる。
ドルティコスも椅子を戻した。
カルロス・ラファエルはコートを手に取る。
ラウルだけが、兄を一度見てから何も言わずに書類をまとめた。
会議は終わった。
今日決めたことは多い。
捕虜を帰す。
兵器を引き継ぐ。
ソ連との関係を続ける。
モスクワ訪問の可能性を探る。
そして、一人の女記者には会わない。
セリアはリサ・ハワードの紙を、ほかの書類と一緒に重ねようとした。
「セリア。」
カストロが呼んだ。
「はい。」
「それは別にしておけ。」
セリアが振り返る。
カストロはもう別の書類を手に取っていた。
「また何か来たら、持ってこい。」
「会わないんでしょう。」
「今日はな。」
セリアは数秒だけ彼を見た。
それから何も言わず、リサ・ハワードの紙だけを別の封筒へ戻した。
十一月一日に届き、核兵器と爆撃機とソ連兵の書類の下に埋もれていた紙だった。
今度は、埋もれない場所へ置くことにした。
窓の外では、クリスマス前のハバナに夕暮れが降り始めていた。
世界は二か月前より少しだけ安全になっていた。
その代わり、キューバがどちらを向いて生きるのかという問いは、以前よりずっと複雑になっていた。
そしてその日の会議で、誰もまだ重要だとは思っていなかった一枚の紙だけが、次の年へ持ち越されることになった。
キューバ危機以来冷え込んだキューバとアメリカをつなぐ1本の糸は三番目の女リサの取材がきっかけになります。
更新は、水・金・日の夜です。
次回は金曜日の夜更新予定です。
よろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。




