186,ルールを作る側
私としたことが順番を間違えて掲載してしまいました。
大金持ちのケネディ一族にうまれ、はたから見れば大統領を約束されたイメージのあるケネディ。
しかし彼の人生は彼なりに偶然の連続ばかりでした。
一九六二年一月十九日 午後、ワシントン
運が良かったのか、悪かったのか・・・
ケネディには、ときどき、その区別がつかなかった。
どちらにせよ、自分は夢をつかんだ。だからいま、大統領執務室の椅子に座り、一つの島へ物が届かなくなれば、その国の政権が揺らぐかどうかという説明を聞いている。
机の中央には、前日の日付が入った極秘文書が置かれていた。
表紙には、簡潔に「キューバ計画」とある。
その計画をまとめたエドワード・ランズデール空軍准将は、フィリピンで共産系ゲリラへの対抗工作に携わり、軍事力だけでなく、宣伝、政治組織、農村の不満、指導者の評判までを戦場として扱ってきた男だった。
ピックス湾で失敗した外からの侵攻を繰り返すのではない。
島の内側に政治運動を作る。
秘密通信網を整備し、情報員を潜入させ、地下組織を育てる。ラジオと印刷物で政権への不満を広げ、小規模な破壊工作を抵抗運動の成果に見せ、やがてキューバ人自身による反乱へつなげる。
計画書には、そうした手段が省庁ごとに並べられていた。
「CIAが持っている既存の協力者については、再点検を始めています。」
ランズデールは、指で項目を追った。
「ピックス湾の失敗によって、島内外の反カストロ勢力は、われわれの能力と意思を疑っています。まず、アメリカが途中で見捨てないという信頼を回復しなければなりません。」
ケネディは書類から顔を上げた。
「その信頼を、何で証明するのです。」
「継続的な支援です。通信機材、資金、訓練、宣伝手段を与え、彼ら自身が行動できる状態を作ります。」
「反乱が失敗した場合は。」
ランズデールは、少し間を置いて次の頁を開いた。
「計画が十分に進めば、反乱側は西半球の自由諸国へ支援を求めることができます。」
「支援とは。」
「政治承認、物資、必要となれば軍事的支援です。」
ケネディの視線が止まった。
ロバートも同じ箇所を見ていた。前日、ランズデールから計画の説明を受けた弟は、関係者へ、これは政府の最優先事業であり、時間も資金も人員も惜しむべきではないと強く伝えている。
「ボビー。」
ケネディは弟を見た。
「最優先というのは、最後に米軍を出すことまで承認したという意味ではないな。」
「もちろんだ。そこは別の決定になる。」
「計画書では、一つの流れに入っている。」
ランズデールが説明しようとしたが、ケネディは手で制した。
「ピックス湾でも、最後の決定は別だと言われました。ところが部隊が海岸へ着くと、艦隊を動かすか、見殺しにするかしか残っていなかった。今度は、反乱を作ってから同じ質問を持ってこないでください。」
マクナマラが文書を引き寄せた。
「大統領のおっしゃるとおり、準備段階と、反乱を軍事的に支援する段階は分けて扱うべきでしょう。情報収集や政治工作を進めることが、将来の軍事介入を自動的に承認することにはなりません。」
「そのとおりです。」
ケネディはランズデールへ視線を戻した。
「キューバ人の運動を作る準備は進める。ただし、われわれの軍隊を必要とする地点まで勝手に時計を進めないでください。」
ランズデールは頷いた。
「承知しました。」
その返事に曖昧さはなかった。
少なくとも、声にはなかった。
ランズデールは次の項目へ移った。
経済戦。
キューバ政府が国民の必要とする物資を供給できない状態を作り、生活上の不満を政権へ向ける。外国との貿易を狭め、交換部品、輸送手段、外貨収入を減らす。心理工作によって、不足はカストロの経済運営と共産圏への従属がもたらしたものだと印象づける。
国務省の担当者が、別の文書を開いた。
「来週、プンタ・デル・エステで米州外相会議が始まります。キューバの現政権が米州制度と両立しないという決議が得られれば、残っている米玖間の貿易を全面的に停止する根拠になります。」
対キューバ輸出の大部分は、アイゼンハワー政権の時代にすでに止まっている。アメリカ製の機械、車両、工場設備、その交換部品は、食料と医薬品など一部の例外を除いてキューバへ入らなくなっていた。
今度の措置は、その反対側も閉じる。
砂糖、葉巻、鉱物、果物を含むキューバ産品を、アメリカ市場から締め出す。キューバを経由する商品も禁じ、アメリカ企業や運送業者にも協力を求める。
さらに米州諸国だけでなく、ヨーロッパの同盟国や日本にも取引の縮小を促し、労働組合、港湾関係者、輸送団体、企業組織へ働きかける。各国の学生団体、農村組織、知識人にも、カストロ政権はキューバ人を抑圧する共産圏の代理人だという説明を広げていく。
一国の貿易を止めるというより、世界の中でその国が使える入口を、一つずつ狭める計画だった。
ケネディは尋ねた。
「物が足りなくなれば、キューバ人はカストロへ怒るのですか。それとも、物を止めたわれわれへ怒るのです。」
国務省の担当者は、用意していた答えを返した。
「不足が政権の誤った政策によるものだと理解させるため、宣伝活動を組み合わせます。カストロが西側との関係を断ち、ソ連陣営を選んだ結果であると――。」
「われわれが止めた部品も。」
担当者は言葉を選んだ。
「最終的な責任は、キューバをその立場へ導いた政権にあります。」
ケネディは、椅子へ深く身体を沈めた。
責任の所在を決めるところまで、作戦に含まれている。
物を止める。
不足を作る。
不足の理由を説明する。
誰に怒るべきかを伝える。
父なら、この仕組みをどう見ただろう。
大統領執務室の天井は白かった。
広く、高く、何の染みもない。
その白さを見ているうちに、別の天井が降りてきた。
自分がまだ、父の顔を下から見上げることしかできなかった頃の天井だった。
※※※※※※※※※※
一九二〇年二月 マサチューセッツ州ボストン
白い天井は、熱が上がると近くなった。
少し眠って目を開けるたび、同じ場所にあった。
時折、看護師の帽子が横切り、医師の顔が現れ、やがて父が入ってくる。
三歳になる前のジャックには、猩紅熱がどれほど危険な病気なのか分からなかった。家族から隔離され、病院の部屋から出られず、喉が痛み、身体が燃えるように熱いことだけが分かっていた。
父ジョセフは、ほとんど毎日やってきた。
仕事の匂いをさせた服の上へ消毒されたガウンを着て、ベッドの横へ座る。医師には細かな質問を浴びせたが、息子の前では、悪いことなど何も起きていないように振る舞った。
「いつ帰れるの。」
ある日、ジャックが聞いた。
「医者がいいと言ったらだ。」
「お父さんが言えば帰れるんじゃないの。」
父は、ほんの少し笑った。
「ここでは医者が決める。」
ジャックには、それが信じられなかった。
父は家の中で何でも決めていた。誰と会うか、どこへ行くか、どの学校へ入るか。母とは違う声で話し、大人たちもその声を聞くと動いた。
その父より上に、医師の判断があるという。
「元気になったら、暖かいところへ行こう。」
父が言った。
「海のあるところだ。ここよりずっと暖かい。」
「明日。」
「元気になったらだ。」
父は息子の手を包んだ。
その時のジャックには、父が自分を失うことをどれほど恐れていたのか分からなかった。ただ、毎日現れる父の顔を見ていれば、自分はいつかこの白い天井の下から出られるのだと思った。
病気が治ったのは、父が決めたからではない。
だが幼い息子には、父が決めたことのように見えた。
※※※※※※※※※※
一九二〇年代半ば フロリダ州パームビーチ
数年後、父の約束は、南の海という形で実現した。
それが病院で交わした約束の旅行だったのか、後から自分が記憶をつないだだけなのかは分からない。
パームビーチの冬は、ボストンの春より暖かかった。
父の目の高さには、ホテルの白い壁、椰子の葉、日差しを返す海、磨かれた自動車、テラスで飲み物を手にする客たちが見えていた。
少年の目の高さには、別のものが見えた。
荷物を運ぶ腕。
車の泥除け。
客の靴。
紙袋を抱えた従業員。
ホテルの車寄せの外で、新聞を持ち、小銭を握った客を目で追う子供たち。
そのうちの一人が父へ近づいた。
「新聞はいかがですか。」
父は一部を受け取り、代金と硬貨を一枚渡した。
少年は礼を言い、次の客へ走っていった。
ジャックは父の横を歩きながら、何度も後ろを振り返った。
「あの子は、学校へ行かないの。」
「行っているかもしれない。家へ金を入れるため、休みの日に働いているのかもしれない。」
「どうして子供が働くの。」
「金が必要だからだ。」
学校の教師は、アメリカでは生まれた場所に関係なく、努力すれば誰でも成功できると話していた。
ジャックはそれを、そのまま父へ伝えた。
「じゃあ、あの子も大金持ちになれるんでしょう。」
父は歩みを止めなかった。
「なれる者もいる。」
「どの子。」
「それはまだ誰にも分からない。」
父は新聞を折り、脇へ挟んだ。
「上へ行くには才能がいる。人より働くことも必要だ。それに運もいる。」
「三つあればいいの。」
「もう一つある。」
「何。」
「どこから走り始めるかだ。」
ジャックは父を見上げた。
父は海の方を見ながら続けた。
「同じ速さで走っても、前から始めた者が先に着く。後ろから始めた者は、その分だけ速く、長く走らなければならない。」
「僕はどこ。」
「かなり前だ。」
父の答えには迷いがなかった。
「医者を呼べる家に生まれた。よい学校へ行ける。食べるために新聞を売る必要もない。お前はあの子より前から始められる。」
「お父さんも前だったの。」
父は口元を少し曲げた。
「私は、ボストンの古い家の息子たちよりは後ろだった。金を作る方法には早く気づいたが、金だけでは入れない部屋があることにも気づいた。」
「鍵がかかってるの。」
「鍵を持っている人間が、知っている者にしか開けない。」
ジャックは、新聞を売っていた少年を探した。もう車寄せの向こうへ消えている。
父は息子の視線に気づいた。
「昔、大勢の人間が金を探しに西へ行った。一番確実に儲けたのは誰だと思う。」
「一番大きな金を見つけた人。」
「土地を持っていた人間だ。つるはしを売った人間、掘った金を預かる銀行を持っていた人間も儲けた。そして最後に一番強いのは、誰がどこを掘ってよいか決める人間だ。」
「お父さんは、つるはしを売る人。」
父は笑った。
「そうなることは覚えた。だが、その上にいる人間もいる。」
ホテルの玄関で、制服を着た男が扉を開けた。
父は入る前に足を止め、息子を見た。
「お前は私より入口に近いところから始める。だから、金を掘るだけの人間になるな。道具を売るだけでも足りない。ルールを作る側へ行け。」
「新聞の子も、そこへ行ける。」
「才能があって、人より働いて、運にも恵まれればな。」
「それは公平なの。」
父は、すぐには答えなかった。
「公平ではない。」
ジャックが黙ると、父はホテルの中へ入った。
「だが、不公平だと言うだけでは、あの子の場所は変わらない。」
少年には、それ以上言い返せなかった。
父の説明は正しいように聞こえた。
正しい説明が、残酷さをなくすわけではなかった。
※※※※※※※※※※
一九三八年冬 フロリダ州パームビーチ
ハーバードへ入ったジャックは、休暇で父の家へ戻ると、大学で聞いた議論を食卓へ持ち込むようになった。
大恐慌の記憶はまだ近かった。
働いても職を失う人間がいる。工場を動かした労働者より、株を所有する人間が多くを受け取る。生まれた家の違いによって、学校も医療も人生の長さまで変わる。
大学には、資本主義そのものが失敗したと話す学生もいた。
ジャックは社会主義者にはならなかった。
ただ、生まれた位置をならし、教育や医療を与え、働いた人間へ生産物を分けるという理論の形には、美しさを感じた。
それを父へ話した夜、二人は海沿いの会員制クラブへ出かけた。
奥の部屋では、カードとルーレットに金が積まれていた。煙草の煙と酒の匂いの中で、勝った客が声を上げ、負けた客が次の札へ金を置く。
父は壁際に立ち、テーブルを眺めた。
「この部屋で、一番多く金を得るのは誰だ。」
「ディーラー。」
「違う。」
「一番勝った客。」
「それも違う。」
父は部屋全体を指した。
「この建物と台を持っている人間だ。客が誰に勝っても負けても、最後には取り分が入る。」
ジャックはグラスを持ち直した。
「資本家をなくして、国家が所有すれば、少なくとも取り分を皆へ配れる。」
父は笑わなかった。
「工場の鍵を誰が持つ。」
「政府の役人だろうね。」
「材料をどの工場へ回すかは。」
「政府が決める。」
「家を誰に渡す。」
「同じだ。」
「なら、台を持つ人間が消えたんじゃない。名前が変わっただけだ。」
「でも、その人間が公平に分ければいい。」
「分けることはできる。貧しい者へ以前より多く渡すこともできるだろう。」
父は、賭け金を集める係の手元を見た。
「だが、分ける側が、自分だけは何も取らないと思うか。」
ジャックは答えなかった。
「看板を替えても台は消えない。問題は、誰が台を持つかだ。それから、嫌になった時に別の台へ移れるかどうかだ。」
「では、アメリカンドリームも、客を座らせるための看板なの。」
父はそこで初めて、息子の方を見た。
「夢はある。嘘ではない。」
周囲で拍手が起きた。誰かが大きく勝ったらしい。
「才能があれば上がれる。働けば届くこともある。運がよければ、思っていたより遠くまで行ける。私もそれを使った。」
「でも、全員は勝てない。」
「全員が勝てるという約束ではない。勝つ機会があるという話だ。」
「スタートラインも違う。」
「そのとおりだ。」
父は少し考えてから、低い声で続けた。
「成功した人間は、運について話したがらない。自分の手柄が減るように感じるからだ。才能と努力だけでここまで来たと言いたがる。」
「お父さんは。」
「運がよかった。」
父は即座に答えた。
「それを使う頭もあった。働きもした。だが、運がなければ、この部屋の外にいた。」
ジャックはカードを配る手を見た。
父の説明では、自由も不公平も、同じ部屋の中に存在していた。
それがアメリカだった。
青年のケネディは、その答えにも完全には納得しなかった。
しかし、反論できる別の制度も知らなかった。
※※※※※※※※※※
一九四三年八月 南太平洋
日本軍の駆逐艦がPT109へ衝突した時、ジャックは自分が死ぬと思った。
木製の艇体は裂け、燃料が海へ流れ、夜の海に炎が広がった。
衝突した位置。
爆発の向き。
海流。
近くにいた仲間。
負傷者が生きていたこと。
自分が泳げたこと。
救助を求めて島々の間を動けたこと。
生還後、人々は勇気を語った。
ジャック自身も、自分が何もしなかったとは思わない。負傷した乗員の救命胴衣の紐を歯でくわえ、海を泳いだ。部下を残さず、生きて戻るためにできることをした。
それでも、生き残った理由を、勇気だけで説明することはできなかった。
才能。
努力。
運。
父が挙げた三つのうち、最後の一つが少し違っていれば、新聞に載ったのは英雄物語ではなく、死亡通知だった。
※※※※※※※※※※
一九四四年八月十二日 マサチューセッツ州ハイアニスポート
帰らなかったのは兄だった。
ジョー・ジュニアは、爆薬を満載した海軍機を離陸させ、無線操縦へ切り替えたあとに脱出し、機体だけを敵の施設へ突入させる秘密任務へ志願していた。
危険な任務だった。
しかし、脱出する前に機体が空中で爆発した。
知らせを受けた家の中では、誰も最初の言葉を見つけられなかった。
兄は父の最初の息子だった。
健康で、体格がよく、競争を好み、家族の期待を正面から受け止めてきた。政治家になり、いつか最初のカトリック大統領になるという未来を、冗談ではなく口にしていた。
父も、その未来を信じていた。
ジャックは兄の部屋の前を通り、閉じた扉を見た。
自分は生き残った。
兄は帰らない。
二人の違いを、才能や努力や勇気の量では説明できなかった。
兄にそれらが足りなかったわけではない。
むしろ多すぎたから、危険な任務を引き受けた。
ジャックの前には、兄が立っていた場所が空いた。
それを幸運と呼ぶことはできなかった。
不運と呼べば、自分が生きていることまで否定するように感じられた。
運が良かったのか、悪かったのか。
区別は、その時から曖昧になった。
※※※※※※※※※※
一九四六年春 マサチューセッツ州ボストン
戦争が終わると、ジャックは新聞や執筆の仕事を考えた。
政治に関心がなかったわけではない。議会や外交について書き、父の食卓で議論してきた。だが、自分が候補者となり、人前で握手を続け、家族の名を背負って票を求める人生を、少年の頃から夢見ていたわけではない。
父が下院選挙への出馬を持ち出した時、ジャックは窓際に立ったまま、しばらく振り返らなかった。
「ボストンの第十一選挙区が空く。」
父は机の上へ資料を置いた。
「退役軍人で、若く、名前が知られている候補者には機会がある。」
「誰の名前が知られているんだ。僕のか、あなたのか。」
「両方だ。」
父は隠そうとしなかった。
「金も組織も用意できる。だが、候補者はお前だ。演説するのも、選ばれたあとに議会へ行くのもお前だ。」
ジャックは資料へ触れなかった。
「ジョーが帰っていれば、僕にこの話はしなかった。」
父の顔が固くなった。
否定することもできたはずだった。
だが、しなかった。
「おそらくな。」
「では、僕は代わりか。」
「違う。」
父は椅子から立った。
「ジョーの人生を、お前にそのまま着せることはできない。あれはあれの人生だ。」
「それでも、空いた場所へ僕を入れようとしている。」
「場所が空いたことまで、なかったことにはできない。」
父は、机に置かれた資料を押した。
「お前には、お前の才能がある。戦争から戻り、人が話を聞く理由もある。道が開いたなら、歩くかどうかは自分で決めろ。」
「断ったら。」
「別の道を探せばいい。」
父の声には、断っても構わないという響きと、断るはずがないという確信が、同時にあった。
ジャックは資料を手に取った。
兄の夢を引き継ぎたいと思ったのか。
父に認められたかったのか。
自分ならできると感じたのか。
政治を通じて、書くだけでは変えられないものを動かせると思ったのか。
おそらく、すべてだった。
求めていなかった道だった。
だが、道が開いた時、歩かないとは言わなかった。
夢は、最初から自分の中にあるものだけではない。
家族が望み、死者が残し、偶然によって空いた場所へ、自分の才能と努力を持ち込むうちに、後から自分の夢になっていくことがある。
ジャックは選挙へ出た。
そして勝った。
※※※※※※※※※※
一九五七年 キューバ、ハバナ
上院議員となったケネディが見たハバナは、アメリカ人にとって快適な街だった。
ホテルの玄関には英語を話す従業員が立ち、カジノではドルが使え、バーにはアメリカの酒が並んでいた。大きな自動車が海岸通りを走り、砂糖、ホテル、電話、電力、鉱山に、アメリカ企業の名前がついていた。
アメリカ大使は、自分がキューバで二番目に影響力のある人物だと、冗談めかして語った。
ケネディは笑ったが、何が冗談なのか分からなかった。
キューバ人の国で、外国の大使が二番目に力を持っている。
ならば一番目は、バティスタなのか。
軍なのか。
砂糖とホテルとカジノを所有する者なのか。
雨が降り始めたのは、ホテルへ戻る途中だった。
玄関から少し離れた歩道で、一人の少年が傘を売っていた。
布は薄く、骨の一本が曲がり、開いても雨を完全には防げそうにない。
少年はスペイン語で値段を告げた。
ケネディは通訳に聞き、紙幣を渡した。
少年は傘を差し出すと、紙幣を見てからポケットを探り、硬貨を返そうとした。
「取っておけばいい。」
通訳が伝えた。
少年は首を振り、釣り銭をケネディの手へ押しつけた。
施しを受けた顔ではなかった。
粗末な商品であっても、自分で値段をつけ、売買を成立させた人間の顔だった。
ケネディは釣り銭を受け取り、傘を開いた。
肩へ雨が落ちてきた。
役には立たなかったが、ホテルへ着いても捨てなかった。
ロビーの先では、カジノの灯りがついていた。
父の声が、昔の煙草の匂いとともによみがえった。
この部屋で、一番多く金を得るのは誰だ。
台を持つ者だ。
ハバナの台を持っているのは、誰なのか。
少なくとも、雨の中で傘を売った少年ではなかった。
※※※※※※※※※※
一九六一年八月二十二日 ワシントン
グッドウィンがモンテビデオから持ち帰った報告書には、ゲバラとの三時間近い会話が記されていた。
社会主義化は撤回しない。
アメリカの勢力圏へ戻ることもない。
革命はキューバだけで終わらず、中南米の人々へ影響を与える。
一方で、接収した資産への補償、貿易、東側との政治関係、グアンタナモ、国外での活動については、話す余地がある。
ゲバラは冗談を理解し、笑い、譲らないことを隠さず、取引できることも言葉にした。
ケネディ本人は、その目を見ていない。
グッドウィンが同じ部屋で見たものを、報告書の文章から想像しただけだった。
「信用したのか。」
ケネディが尋ねると、グッドウィンは首を振った。
「いいえ。ただ、何を考えているかは分かりました。」
「話せば分かる男だった。」
「話せば、何が分かり合えないかが分かる男です。」
雨の中で傘を売った少年は、決められた値段の中で生きていた。
ゲバラは、値段を決める仕組みそのものを壊そうとしていた。
その思想に同意することはできない。
しかし、写真の中の男には、自分が正しいと信じている人間の顔があった。
ダレスのように、何を説明し、何を最後まで伏せているのか分からない目ではない。
ケネディはその時、侵攻を決める前に一度会ってみたかったと思った。
ゲバラの考えを変えられたとは思わない。
変わった可能性があるのは、自分の方だった。
しかし、その可能性はもう、過ぎた時間の中にしか残っていなかった。
※※※※※※※※※※
一九六一年十二月下旬 フロリダ州パームビーチ
父は生きていた。
ただ、以前のようには話せなかった。
十二月十九日、パームビーチの自宅で脳卒中を起こし、右半身が麻痺した。頭の中では周囲の言葉を理解しているようだったが、口から出る音は短く崩れ、家族でさえ意味を読み取れないことが多かった。
幼い頃、病院の白い天井の下から見上げた父は、何でも決められる人間だった。
その父が、今度はベッドに横たわっている。
ジャックは椅子を近づけた。
「キューバのことで、新しい計画を始めた。」
父の目が息子へ向いた。
「もう亡命者を浜へ送るつもりはない。島の中にいる人間を支える。経済と外交で圧力をかける。革命がほかの国へ広がるのを止める。」
父の左手が、毛布の上で動いた。
「戦争よりはいい。そうだろう。」
父は口を開いた。
音は出たが、言葉にはならなかった。
眉間にしわが寄った。
賛成なのか。
反対なのか。
説明が間違っていると怒っているのか。
ただ、自分の言葉が身体の外へ出ないことに苛立っているのか。
息子には分からなかった。
父の頭の中には、おそらく答えがある。
しかし、その答えを受け取る方法がない。
兄が死んだ時、父は新しい道を示した。
選挙へ出る時、金と組織を用意した。
大統領選では、勝つために必要な人間を集め、息子が躓けば、起き上がり方がよかったと褒めただろう。
大統領になったあとも、ジャックのどこかには、最後に父ならどう考えるかを確かめたい気持ちが残っていた。
その父は生きて、こちらを見ている。
それでも、もう答えてはくれない。
「今度は、僕が決めるよ。」
父の左手を握りながら、ジャックは言った。
それは決意というより、確認だった。
父へ伝えたのか。
自分へ言い聞かせたのか。
その区別も、分からなかった。
※※※※※※※※※※
一九六二年一月十九日 午後、ワシントン
白い天井が、再び大統領執務室の高さへ戻った。
誰も口を開かず、ケネディの返事を待っていた。
ランズデールの計画書。
国務省の禁輸案。
CIAが作った島内協力者の一覧。
米州外相会議の見通し。
すべてが机の上に置かれている。
自分は、運が良くも悪くも夢をつかんだ。
病気から生き残り、父によって早い位置から走り始め、戦争から帰り、兄が帰らなかったことで開いた道を歩いた。
才能がなかったわけではない。
努力しなかったわけでもない。
しかし、それだけでこの椅子へ来たのではない。
いま、その椅子に座る自分が、キューバ人のスタートラインをさらに後ろへ下げようとしている。
ケネディは文書を閉じなかった。
「われわれは、バティスタを自由の味方として扱いました。」
静かな声で話し始めた。
「彼がアメリカ企業の権益を守り、共産主義に反対している限り、キューバ人が自由な選挙を求めていることを後回しにした。われわれには、あの政府へ圧力をかけられるだけの力があった。それを十分に使わなかった。」
国務省の担当者が姿勢を正した。
ケネディは続けた。
「その結果、カストロは独裁者を倒した男としてハバナへ入りました。土地を持たず、教育も医療も得られなかった人々へ、何も変えない自由を説いても通じない。キューバ人が革命を支持した理由を、モスクワの命令だけで説明することはできません。」
ロバートは兄を見ていた。
これは会議用に準備された演説ではない。
ケネディは、相手を説得するというより、自分の中にある二つの事実を、同じ机へ置こうとしていた。
「しかし、カストロがバティスタより支持されたことと、キューバ革命をほかの国へ輸出させてよいことは別です。」
ケネディは、グッドウィンの報告書へ手を置いた。
「ゲバラは、キューバだけで終わるつもりがない。彼らは一つの島を変えただけではなく、大陸へ模範を作ったと考えている。アメリカに逆らい、資産を接収し、侵攻を退け、それでも政権を維持できるという模範です。」
「だから最優先なのです。」
ロバートが言った。
「分かっている。」
ケネディは弟へ頷いた。
「だが、最優先と白紙委任は同じではない。」
ランズデールの計画書を開き、軍事支援について書かれた箇所を指した。
「反乱を作り、最後に支援を求められれば米軍を出す。この流れを、いま承認するつもりはありません。まず情報を集める。島の内部に、実際にどれだけの反対勢力がいるのか確かめる。秘密通信を作り、政治組織を支援する。宣伝と外交工作は進める。」
ランズデールが聞いた。
「破壊工作については。」
「個別に持ってきてください。」
「小規模なものもですか。」
「規模を決めるのは誰です。」
ランズデールは少し考えた。
「担当機関が評価し、特別グループへ報告します。」
「では、その報告を省かないでください。港の設備を一つ壊すことが、現地の人間には小規模でない場合もある。」
マコーンが頷いた。
「CIAには、許可された情報活動と、追加承認を必要とする行動を区別させます。」
「そうしてください。」
ケネディは国務省の文書を引き寄せた。
「禁輸は進めます。米州外相会議で政治的な根拠を作り、残っている貿易を閉じる。ヨーロッパと日本にも協力を求める。ただし、食料と医薬品には許可による例外を残す。」
国務省の担当者が確認した。
「財務省と商務省へ、例外の運用を委ねます。」
「報告は受けます。」
「はい。」
「話す道も閉じないでください。」
その言葉に、数人が顔を上げた。
「共存交渉を始めるという意味ではありません。」
ケネディは説明した。
「グッドウィンが会った相手は、話せない人間ではなかった。こちらが圧力をかけることと、相手の言葉を聞かないことは同じではない。」
ロバートが尋ねた。
「話している間に、彼らが大陸へ組織を広げたら。」
「だから囲う。」
ケネディは弟を見た。
「攻撃して、もう一度英雄にすることはしない。放置して、成功の物語を輸出させることもしない。経済と外交で島を囲い、内部の情報を集め、反対勢力が実在するなら支える。」
そこで言葉を止めた。
ハバナで傘を売った少年にも、禁輸は届く。
工場の交換部品が入らなくなれば、その父親の仕事が止まるかもしれない。輸送が滞れば、食料の値段が上がる。許可制度で薬を通しても、必要なすべての人間へ届くとは限らない。
それでも、もう一度海岸へ兵士を送るよりはましだと考える。
「これは、正義と呼べるほどきれいな政策ではありません。」
ケネディは言った。
誰も否定しなかった。
「だが、もう一度浜へ人間を送り、負け始めてから米軍を要求するよりはましです。何もしないまま、別の国で同じ火がつくのを待つよりもいい。」
計画書をランズデールの方へ戻した。
「準備を進めてください。ただし次に、選択肢が一つしかないと言われる前に、私のところへ持ってくること。」
「承知しました。」
ランズデールは答えた。
部屋の全員が、その条件を聞いた。
ケネディも、全員が同じ意味で理解したと思った。
※※※※※※※※※※
一九六二年一月三十一日 夜、ワシントン
プンタ・デル・エステから、最終決議の報告が届いた。
キューバの現政権は、米州制度の原則と両立しない。
キューバを米州機構への参加から排除し、各国が個別または共同の防衛に必要な措置を取る。
アメリカが求めたすべての制裁が義務化されたわけではない。それでも、全面禁輸へ進むための政治的な足場はできた。
ラスクは、決議文を机へ置いた。
「大多数を得ました。ただし中南米の各国が、ただちにアメリカと同じ禁輸へ加わるとは限りません。」
「求め続けてください。」
ケネディは答えた。
「これはアメリカとキューバだけの争いだと思わせたら、カストロの説明を助けることになる。」
「ヨーロッパと日本にも、取引縮小を働きかけます。」
「反応は。」
「全面的な追随には慎重でしょう。自国企業の利益もあります。」
ケネディは苦笑した。
「自由世界にも、それぞれ台の所有者がいる。」
ラスクには、その言葉の由来が分からなかった。
ケネディは説明せず、禁輸布告の最終案を求めた。
※※※※※※※※※※
一九六二年二月二日 夕方、ホワイトハウス
布告文は、法律家の文章でできていた。
キューバ原産のすべての商品。
キューバから、またはキューバを経由して輸入されるすべての商品。
財務長官が必要と認める許可例外。
従来からの対キューバ輸出禁止の継続。
発効は、二月七日午前零時一分。
ケネディは文書を読みながら、ハバナ葉の葉巻を吸っていた。
ピックス湾の会議で、ダレスの前に置かれていた葉巻と同じ産地のものだった。あの時は引き出しに残っていた一本に火をつけただけだったが、その後、味を気に入り、何度も取り寄せていた。
煙を吐こうとして、ケネディの手が止まった。
「これが発効したら、この葉巻も入らなくなるのか。」
財務省の担当者は、何を聞かれたのか確かめるように、ケネディの指先を見た。
「キューバ産であれば、原則として輸入禁止の対象です。」
「薬ではない。」
「はい。」
「食料でもない。」
「はい。」
「人道上の例外になる可能性は。」
担当者は真面目な顔で答えた。
「葉巻を人道物資として許可するのは難しいと思います。」
ケネディは葉巻を見た。
会議では、共産主義、革命輸出、西半球の安全保障、経済戦という言葉を使った。
しかし禁輸とは、最後には一つの商品が税関を通れなくなることだった。
ハバナで買った、雨を防げなかった傘も対象になる。
ケネディは電話を取り、秘書へ報道官を呼ぶように伝えた。
ほどなくして、ピエール・サリンジャーが執務室へ入ってきた。
「呼びましたか、大統領。」
「君は葉巻に詳しかったな。」
「多少は。」
「Petit Upmannを集めてほしい。」
「何箱でしょう。」
「箱ではなく、千本。」
サリンジャーは、大統領が冗談を言っているのか見定めようとした。
表情からは分からなかった。
「千本ですか。」
「ワシントンで手に入るだけ集めてくれ。明日の朝までに。」
「理由を伺っても。」
ケネディは机の布告文へ目を落とした。
「入らなくなる。」
サリンジャーも文書を見た。
それ以上は聞かなかった。
「努力します。」
「努力ではなく、葉巻が必要だ。」
「分かりました。」
サリンジャーが部屋を出ると、ケネディは布告文と手元の葉巻を見比べた。
少年の頃、父はルールを作る側へ行けと言った。
父の言葉どおり、その場所まで来た。
そしてルールを作る者は、扉を閉じる時刻を知っている。
ケネディは葉巻の灰を落とし、布告文を引き出しへしまった。
まだ署名はしなかった。
※※※※※※※※※※
一九六二年二月三日 朝、ホワイトハウス
サリンジャーは、疲れた顔で執務室へ入ってきた。
一晩のうちに葉巻商へ電話をかけ、店を開けさせ、知人を動かし、在庫を集めて回った顔だった。
「どうだった。」
ケネディが尋ねた。
「確保しました。」
「千本。」
「千二百本です。」
ケネディの口元が緩んだ。
「千本と言ったはずだ。」
「不足するよりはいいと思いまして。」
「嬉しい誤算だ。」
ケネディは机の引き出しを開け、前夜しまった布告文を取り出した。
署名欄へペンを走らせる。
これで二月七日から、アメリカとキューバの間に残っていた貿易の扉が閉じる。
サリンジャーは、署名を終えた大統領と、廊下の先へ運ばれていく葉巻の箱を交互に見た。
「ほかに何かありますか。」
「いや。ご苦労だった。」
サリンジャーが出ていくと、ケネディは箱から一本を取り出した。
千本という命令は、一晩で千二百本になっていた。
今度の二百本は、歓迎できる方だった。
彼が大統領で得た特権はキューバの閉鎖前に煙草を買い占めることくらいだったかもしれません。
更新は、水・金・日の夜です。
次回は金曜日の夜更新予定です。
よろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。




