183,カリブ海からの報告
前政権からの置き土産、CIAによるキューバへの本格工作、ピックス湾事件が始まります。
一九六一年四月十五日 ワシントン
最初の報告は、成功という言葉から始まった。
夜明け前、キューバ空軍の標識をつけた八機のB-26爆撃機が、島内の飛行場を攻撃した。サン・アントニオ・デ・ロス・バニョス、シウダ・リベルタ、サンティアゴ・デ・クーバ。カストロ軍の爆撃機や戦闘機を地上で破壊し、上陸部隊を脅かす航空戦力を取り除くための攻撃だった。
ホワイトハウスへ運ばれた電文には、多数の敵機を破壊した可能性があると記されていた。
「多数とは何機だ。」
ケネディは尋ねた。
バンディが、中央情報局から届いた紙と国防総省の報告を見比べた。
「最初の報告では、かなりの損害を与えたとあります。飛行場の煙で確認できない機体もあり、正確な数はまだ集計中です。」
「破壊したのか、確認できないのか。どちらだ。」
「攻撃そのものは成功しています。」
返答したCIAの連絡担当者は、言葉を選びながら続けた。
「少なくとも、カストロ軍の航空能力へ大きな打撃を与えました。」
ケネディは、机の上に置かれた二枚の紙を見た。
一枚には、敵航空戦力の大半を無力化した可能性があると書かれている。もう一枚には、地上で炎上する機体を何機確認したかという欄があり、数字の横に疑問符が並んでいた。
作戦会議で聞いた「成功に必要な条件は整っている」という言葉が、紙の上では「大きな打撃を与えた」に変わっていた。
失敗したとは、誰も言っていない。
成功したとも、数字では証明できていない。
ケネディは机の引き出しを開け、ハバナ産の葉巻を取り出した。先端を切り、火をつける。煙を口の中へ含むと、甘い香りが広がった。
その葉巻を作った島では、いまアメリカが用意した爆撃機が飛行場を焼いている。
ただし、その機体にはキューバの印が描かれていた。
「マイアミへ着陸した機体の準備は。」
ケネディが尋ねた。
バンディは別の報告書を差し出した。
「予定どおりです。操縦士は、カストロ軍から離反し、自国の飛行場を攻撃して脱出したと説明しています。」
マイアミの空港では、銃弾を受けたように見せかけたB-26が滑走路へ降りた。操縦士は軍服を着て記者の前へ現れ、カストロに反対する空軍兵が蜂起したのだと語った。
用意されていた物語だった。
同じ型の爆撃機をキューバ空軍も保有している以上、遠目には成立する。写真を見ただけの者には、キューバ軍内部の反乱に見えるかもしれない。
ケネディは、空港で撮影された機体の写真を手に取った。
機首にはキューバ空軍の印がある。
だが、塗装の下に何があるかを自分は知っている。
「これが、われわれの爆撃機か。」
バンディは一瞬、答え方を迷った。
「キューバ軍から離反した機体、ということになっています。」
「何ということになっているかではない。」
ケネディは写真を机へ戻した。
「誰が用意した機体かと聞いている。」
「中央情報局です。」
バンディは答えた。
ケネディは葉巻の煙を吐いた。
写真の中では、筋書きどおりにすべてが整っていた。
現実の飛行場で、何機が破壊されたのかだけが分からなかった。
※※※※※※※※※※
同日、国際連合本部
アメリカ国連大使のアドレー・スティーヴンソンは、キューバ政府からの非難へ反論した。
カストロ政権は、アメリカがキューバの飛行場を爆撃したと訴えていた。
スティーヴンソンが受け取っていた説明では、攻撃はキューバ空軍内部の反乱だった。マイアミへ逃れた操縦士の写真も、その証拠として渡されている。
彼は国連の席で、アメリカ軍が攻撃したという主張を否定した。
意図して嘘をついたのではなかった。
政府から与えられた情報を信じ、アメリカを弁護した。
ワシントンでは、スティーヴンソンの発言が記録され、新聞社へ送られた。
ホワイトハウスへ届いた報告書には、国連での説明は無事に行われたと書かれていた。
ケネディは、その一文を読み、写真へもう一度目を落とした。
「無事というのは、誰にとってだ。」
部屋にいた者は答えなかった。
※※※※※※※※※※
一九六一年四月十六日 ハバナ、ワシントン
ハバナでは、前日の空爆で死亡した者たちの葬儀が行われた。
棺の周囲に群衆が集まり、革命軍の兵士と民兵が銃を掲げている。カストロは演壇へ立つと、空爆をアメリカ帝国主義による攻撃と断じた。
そして、革命の性格を初めて明瞭な言葉で宣言した。
これは、貧しい者の、貧しい者による、社会主義革命である。
映像はワシントンにも届いた。
ケネディは無音の画面を見ながら、通訳の読み上げる演説を聞いた。
群衆はカストロの言葉に応じ、腕を上げて叫んでいる。
爆撃によって政府の弱さが露呈し、軍や民衆が離反し始める。ダレスたちは、そのように説明していた。
画面の中で起きているのは逆だった。
死者の棺が並び、空爆の跡が残る中で、カストロは革命へ新しい名前を与えた。昨日まで明言していなかった社会主義という言葉を、アメリカから攻撃された翌日に掲げた。
それは思想の告白であると同時に、武器だった。
自分たちは独裁者を倒しただけではない。
アメリカに立ち向かう革命を守っているのだ。
その物語が、葬儀に集まった人々を一つにしていた。
「彼が以前から社会主義者だったかどうかではない。」
ケネディは画面から目を離さずに言った。
「なぜ、昨日まで使わなかった言葉を、われわれの爆撃の翌日に使えたのかということだ。」
バンディは返答を探した。
「攻撃を、革命の正当性へ結びつけたのだと思います。」
「われわれは亀裂を広げるつもりだった。」
「そのはずでした。」
「では、広がった亀裂はどこにある。」
画面の中では、革命軍の兵士も民兵も、民衆も同じ方向へ腕を上げていた。
カストロがもともと何を信じていたのかは分からない。
しかし、アメリカからの空爆が、彼に社会主義革命を宣言する舞台を与えたことだけは見えた。
ケネディは映像を止めさせた。
画面の中央で、カストロが片腕を上げたまま静止した。
革命直後、アメリカのテレビに映った若い英雄と同じ顔だった。
違って見えるのは、男が変わったからなのか。
それとも、見る側が別の名前を与えたからなのか。
ケネディには、まだ分からなかった。
※※※※※※※※※※
その日の午後、追加空爆をめぐる協議が始まった。
上陸部隊が海岸へ到達する前に、残存するキューバ軍機を破壊する。当初の計画では、二度目の航空攻撃が予定されていた。
ところが、最初の空爆によって国際的な疑いは強まっていた。
マイアミへ着陸した機体の説明にも、不自然な点があると記者たちが気づき始めている。国連ではキューバ側がアメリカの関与を繰り返し訴え、スティーヴンソンは与えられた説明をもとに否定していた。
二度目の大規模攻撃を行えば、キューバ軍内部の反乱という筋書きは、さらに維持しにくくなる。
国務長官ディーン・ラスクは、政治的な危険を説明した。
「最初の攻撃だけでも、アメリカの関与を疑う声は強まっています。上陸と同時に再度空爆すれば、われわれが侵攻を準備したと受け取られるでしょう。」
ビッセルは、軍事上の必要性を訴えた。
「残存機を地上で破壊しなければ、輸送船と上陸部隊が攻撃されます。最初の攻撃で大きな損害を与えましたが、すべてを破壊したという確認はありません。」
ケネディは、そこに含まれた言葉を拾った。
「すべてではない。」
「正確な残存数は確認中です。」
「昨日は、航空戦力へ大きな打撃を与えたと報告された。」
「その評価は変わっていません。」
「大きな打撃を与えたが、輸送船を攻撃できる機体は残っている。」
ビッセルは頷いた。
「その可能性があります。だからこそ、追加攻撃が必要です。」
ラスクが口を挟んだ。
「しかし追加攻撃を行えば、政治的な偽装はほぼ失われます。大統領が示した条件に反します。」
必要だという説明と、行えば作戦の条件を壊すという説明が、同じ机に並んだ。
ケネディはビッセルを見た。
「追加攻撃を中止すれば、作戦は実行できないのですか。」
ビッセルは即答しなかった。
軍事作戦に絶対はない。
前の会議で何度も使われた言葉が、今度はCIA側を縛っていた。
「危険は大きくなります。」
「実行できるかと聞いている。」
「難しくなりますが、上陸そのものは可能です。」
その答えで、決定の形が整った。
追加空爆は、作戦にとって重要である。
だが、それがなければ絶対に実行できないわけではない。
後に失敗すれば、必要だったと言える。
いま中止しても、作戦は継続可能だと言える。
ケネディは、二度目の大規模空爆を認めなかった。
その決定はバンディからCIA側へ伝えられた。
電話の向こうで、ビッセルと中央情報局副長官チャールズ・カベルは再考を求めた。カベルは空軍大将を務めた経験があり、航空支援を削る危険を理解していた。
「大統領へ直接、軍事上の影響を説明できます。」
ラスクは、必要ならケネディへ連絡を取ると伝えた。
しかし協議を重ねても、政治的条件が変わる見込みは薄かった。CIA側も、追加攻撃がなければ作戦そのものが成立しないとまでは断言しなかった。
最終的に、攻撃中止の命令は覆らなかった。
上陸部隊は、カストロ軍の航空戦力がどれだけ残っているのか分からないまま、キューバへ向かい続けた。
誰も、作戦を止めようとは言わなかった。
※※※※※※※※※※
一九六一年四月十七日 ピックス湾
夜明け前、反カストロ亡命者で編成された上陸部隊が、キューバ南岸のピックス湾へ近づいた。
部隊には第2506旅団という名が与えられていた。
輸送船から上陸用舟艇が降ろされ、兵士、弾薬、車両、通信機材が海岸へ運ばれる。だが暗い海面の下には、航空写真では十分に確認されていなかった珊瑚礁が広がっていた。
舟艇は進路を妨げられ、上陸は予定より遅れた。
それでも最初の部隊は海岸へ到達し、プラヤ・ヒロンとプラヤ・ラルガ周辺に橋頭堡を作り始めた。
ワシントンへ届いた最初の報告には、上陸成功と記されていた。
少し遅れて、橋頭堡確保という言葉が加わった。
ケネディは報告を読むと、葉巻へ火をつけた。
「国内の蜂起は。」
「まだ確認されていません。」
バンディが答えた。
「上陸を知れば動くのではなかったのか。」
「情報が島内へ広がるまで、時間が必要かもしれません。」
「では、革命軍の離反は。」
「そちらも確認中です。」
作戦の成功を示すはずだった二つの反応は、どちらもまだ起きていなかった。
代わりに、別の報告が届いた。
キューバ軍のT-33練習機とシーフューリー戦闘機が、上陸海域へ向かっている。
最初の空爆を生き残った機体だった。
「航空戦力は、大きな打撃を受けたのではなかったのか。」
ケネディが尋ねた。
CIAの担当者が答えた。
「数は限られています。」
「限られている機体が、いま輸送船を攻撃している。」
返事が届く前に、新しい紙が運ばれてきた。
輸送船ヒューストン被弾。
別の電文には、リオ・エスコンディド炎上とある。
リオ・エスコンディドには弾薬、燃料、通信機材が積まれていた。船内で爆発が起き、黒煙を上げながら沈んでいく。ヒューストンは海岸近くへ逃れたが、上陸部隊へ運ぶ予定だった物資の多くは失われた。
CIAからの報告には、橋頭堡は維持されていると書かれていた。
海軍からの報告には、輸送船が退避を始めたとある。
現地から届く通信には、弾薬不足と記されていた。
国防総省の紙には、揚陸作業継続中という表現が残っていた。
ケネディは、四枚の紙を机の上へ並べた。
「これは同じ戦闘の報告なのか。」
バンディは答えられなかった。
当時のホワイトハウスには、世界各地の軍事・外交情報を一か所へ集約する常設の状況室がなかった。
中央情報局、国防総省、海軍、国務省から、別々の経路で報告が届く。発信時刻も受信時刻も異なり、現地から中継される間に情報の鮮度は失われていった。
橋頭堡を確保したという報告を書いた時点では、輸送船がまだ燃えていなかったのかもしれない。
揚陸継続中と書かれた時には、現地ではすでに船が退避していた可能性もある。
一枚ごとには、間違っていない。
四枚を並べると、どれが現在なのか分からなかった。
「橋頭堡は維持されています。」
担当者が繰り返した。
「どれだけの弾薬で。」
「確認中です。」
「何隻の船が残っている。」
「確認中です。」
「カストロ軍は、どこまで接近している。」
「確認中です。」
ケネディは葉巻を灰皿へ置いた。
成功という言葉と、確認中という言葉だけが、確実に増えていた。
※※※※※※※※※※
同日午後
ダレスがワシントンへ戻った。
作戦開始時、彼はプエルトリコにいた。計画は承認され、実行の機構も整っていると考えていたため、以前から決まっていた予定を取り消さなかった。
ホワイトハウスへ入った時には、最初の成功報告はすでに修正され始めていた。
「輸送船の一部が退避しています。」
ビッセルが状況を説明した。
「残存するカストロ軍機による攻撃が続き、物資の揚陸に支障が出ています。」
ダレスは地図へ目を落とした。
「橋頭堡は。」
「維持しています。ただし、プラヤ・ラルガ方面では圧力が強まっています。」
「国内蜂起は。」
「大規模なものは確認されていません。」
ダレスは眼鏡を外し、布でレンズを拭いた。
「時間が必要だ。」
「時間を作るための弾薬が足りません。」
ビッセルの言葉に、ダレスは手を止めた。
「海軍は。」
「輸送船の護衛海域にいます。大統領の承認なしに、キューバ軍を攻撃することはできません。」
「なら、承認を求める。」
ビッセルは一瞬、黙った。
「大統領は、アメリカ軍の直接介入を認めないと明言しています。」
「その時は、上陸部隊が海岸へ到達する前だった。」
ダレスは眼鏡を掛け直した。
「状況が変われば、判断も変わる。」
それは、彼が最初から考えていたことだった。
艦隊を近くへ置く。
作戦が順調なら使わない。
危機に陥れば、訓練し、武器を与え、送り込んだ部隊を見殺しにできるのかと大統領へ問う。
計画上の予備手段が、現実の必要へ変わり始めていた。
※※※※※※※※※※
一九六一年四月十八日 ホワイトハウス
夜までに、橋頭堡は狭まっていた。
カストロは正規軍と民兵を動員し、戦車と砲兵を南岸へ向かわせた。道路が限られているため、上陸部隊もキューバ軍も同じ狭い地域へ集中していく。
国内の大規模蜂起は起きなかった。
革命軍の集団離反も確認されていない。
CIAが期待した内部の亀裂は、外から見える形では動かなかった。
会議室へ入ったダレスは、航空支援の拡大を求めた。
「亡命者部隊だけでは、残存する敵航空機と地上部隊を抑えられません。海軍航空機による援護が必要です。」
ケネディは、地図ではなくダレスの顔を見た。
「援護とは、何をするのです。」
「敵機を排除し、上陸部隊と輸送船を守ります。必要な場合には、地上の軍事目標も攻撃します。」
「それはアメリカ軍の参戦だ。」
「限定的な航空措置です。」
「アメリカ海軍の操縦士が、アメリカの空母から飛び、キューバ軍を攻撃する。言葉を短くしても参戦であることは変わらない。」
ダレスは声を荒らげなかった。
「大統領、このままでは、われわれが訓練し送り込んだ部隊が壊滅します。成功のために必要な支援を拒めば、作戦全体を失います。」
「最初の説明では、アメリカ軍を使わずに成功できる作戦だった。」
「追加空爆が中止され、状況が変化しました。」
「中止しても実行できると報告された。」
「実行はできました。成功させるためには、現在の状況に応じた措置が必要です。」
ケネディは椅子の背から身体を離した。
「最初から、こうなる可能性を考えていたのですか。」
ダレスは問いの意味を測った。
「軍事作戦には、あらゆる事態への備えが必要です。」
「艦隊を近くへ置き、亡命者を上陸させる。うまくいけばキューバ人の反乱で、失敗すれば大統領に星条旗を出させる。それが備えだったのか。」
「作戦を失敗させないための予備手段です。」
「私には、承認を後から広げさせる仕組みに見える。」
部屋が静かになった。
マクナマラは資料を閉じ、ダレスと大統領を交互に見た。
ダレスは、声の調子を変えずに続けた。
「われわれは、カストロ政権を排除する必要性について合意しました。いま問題になっているのは、すでに戦っている人間を救い、目的を達成するために必要な範囲です。」
「目的が正しければ、最初に引いた線は消えるのですか。」
「状況が変われば、線を引き直す必要があります。」
「その線の向こうには、アメリカ軍によるキューバ侵攻がある。」
ケネディの声は低かった。
「われわれは、キューバ人が自分たちの政府を変える作戦だと説明した。国連では、空爆にも関与していないと主張している。その翌日に、海軍機を飛ばしてキューバ軍を焼くのか。」
「敗北すれば、アメリカの関与が疑われないとお考えですか。」
ダレスは問い返した。
「世界はすでに、われわれを疑っています。証拠が明らかになるのも時間の問題でしょう。いま手を引けば、アメリカは介入を企てながら、最後まで遂行する意思もなかった国として記憶されます。」
「だから、疑われた以上は、実際に戦争を始めるべきだと。」
「関与が隠せないなら、結果を作らなければなりません。」
ダレスは机上の地図へ手を置いた。
「成功すれば、カストロ政権は倒れ、ソ連は西半球の足場を失います。亡命者は自国へ戻り、暫定政府を作る。国際社会が方法を批判しても、危険そのものは取り除かれます。」
「勝てば、方法は後から正当化できる。」
「歴史は、多くの場合そうやって書かれます。」
ダレスの言葉は、脅しではなかった。
彼が長年見てきた国家の現実だった。
イランでも、グアテマラでも、成功した秘密工作は、終わった後に安全保障上の必要として整理された。途中の偽装や圧力より、残った政府によって評価された。
失敗だけが、方法を罪に変える。
ダレスはそう知っていた。
「われわれの関与が明らかになるなら、なおさら勝たなければならないのです。」
ケネディは、地図の上に並ぶ小さな記号を見た。
海岸には、アメリカが訓練した亡命者がいる。
沖合には、アメリカの艦隊がいる。
国連では、アメリカは関与していないと説明している。
その三つを結びつける線だけが、紙の上には描かれていなかった。
勝てば、線は見えなくなる。
少なくとも、ダレスはそう考えている。
ケネディは顔を上げた。
「勝ったとしても卑怯者ではないか。」
その言葉が落ちると、部屋の中から紙をめくる音まで消えた。
ダレスの表情が、初めて明確に動いた。
怒りというより、聞き違いを疑うような顔だった。
「何とおっしゃいましたか。」
「自分たちは戦っていないと世界へ言い、キューバ人だけで勝てると亡命者へ言い、負けそうになった瞬間にアメリカ軍を出す。」
ケネディは、ダレスから目をそらさなかった。
「それでカストロを倒せたとしても、われわれは勝者になるだけだ。正しい国になれるわけではない。」
「国家の安全保障は、個人の名誉ではありません。」
ダレスの声から、それまでの柔らかさが少し消えた。
「敵が足場を築こうとしている時に、卑怯かどうかを気にして敗北すれば、守られる国民は一人もいません。」
「名誉のために負けろと言っているのではない。」
ケネディは言った。
「何を守るために勝つのかを、忘れるなと言っている。」
「西半球の安全を守るためです。」
「自由を守ると言いながら、自分たちが選んだ政府を他国へ押しつける。真実を守ると言いながら、国連大使に嘘を語らせる。約束を守ると言いながら、最初に示した条件を、戦況が悪くなるたびに広げていく。」
ケネディは、机の上の報告書を指先で押さえた。
「そのやり方で勝った時、われわれが守ったものの中に、アメリカは残っているのか。」
誰も口を挟まなかった。
ダレスは、若い大統領を見つめていた。
世界は、そのようにできていない。
大国は、守るべき価値と、生き残るための手段を完全には一致させられない。誰かが裏側を引き受けなければ、表側で自由や法を語ることもできない。
それを理解しない者が大統領の椅子に座っている。
ダレスには、そう見えた。
裕福な家に生まれ、父の金と人脈に守られ、清潔な言葉を選ぶ余裕を与えられてきたお坊ちゃまが、国家の汚れを引き受けてきた者へ卑怯者という言葉を向けている。
青臭い。
ダレスは心の中でそう切り捨てた。
だが、ケネディの顔に、判断から逃げる者の迷いはなかった。
亡命者が海岸で敗れることも、アメリカが屈辱を受けることも理解している。その責任を避けるためではなく、自分が越えてはならないと決めた線を守るために、敗北を引き受けようとしていた。
甘いが、臆病ではない。
その事実が、ダレスをさらに苛立たせた。
説得が足りないのではない。
二人は、勝利という言葉の意味から違っていた。
「条件を守って作戦を失えば、カストロはさらに強くなります。」
ダレスは最後に言った。
「アメリカが支援した者たちは捕らえられ、ソ連は、われわれが最後まで戦えない国だと判断するでしょう。その結果も、大統領が引き受けるのですか。」
ケネディは短く息を吐いた。
海岸の兵士たちを見捨てたいわけではない。
敗北を望んでいるわけでもない。
だが、彼らを救うためにアメリカ軍を投入すれば、最初に説明された作戦とは別の戦争になる。
その線を越える決定だけは、専門家の言葉へ預けることができなかった。
「引き受ける。」
ケネディは言った。
「それでも、答えはノーだ。アメリカ軍による全面的な攻撃は認めない。」
ダレスは黙って大統領を見た。
勝ったとしても卑怯者ではないか。
その言葉は、会議が先へ進んだ後も、棘のように彼の内側へ残った。
※※※※※※※※※※
全面攻撃は拒否された。
それでも、何もしないという決定にもならなかった。
マクナマラが、限られた航空援護を提案した。
「大統領、上陸部隊のB-26が再度出撃する際、海軍戦闘機に一定時間だけ護衛させることは可能です。地上目標への攻撃は認めず、キューバ軍機から爆撃機を守る任務に限定します。」
ケネディは条件を確認した。
「海軍機は、キューバ軍の地上部隊を攻撃しない。」
「はい。」
「敵飛行場も攻撃しない。」
「護衛任務だけに限定します。」
「機体からアメリカ軍の標識は外す。」
マクナマラは一瞬間を置いたが、丁寧に答えた。
「そのように手配できます。」
「時間も限定する。」
「一時間の援護を設定します。」
全面介入ではない。
地上を攻撃せず、亡命者の爆撃機を敵戦闘機から守るだけである。
ケネディは、限られた航空援護を認めた。
その決定が、海軍、中央情報局、プエルト・カベサスの航空基地へ伝えられた。
命令書には、作戦開始時刻と護衛時間が記された。
ただし、「現地時間」という言葉が、どの場所の時刻を指すのかは明記されていなかった。
亡命者部隊のB-26が飛び立つニカラグアのプエルト・カベサス。
海軍機が発進する空母。
目標となるキューバ。
命令を中継するワシントン。
同じ作戦に参加する者たちが、同じ時計を見てはいなかった。
※※※※※※※※※※
一九六一年四月十九日
B-26編隊は、指定されたと理解した時刻にプエルト・カベサスを飛び立った。
機体は長い海上飛行を経て、ピックス湾へ向かう。
亡命者の操縦士だけでは人員が足りず、CIAと契約したアメリカ人操縦士も搭乗していた。
彼らがキューバ上空へ近づいた時、護衛するはずの海軍戦闘機は、まだ指定空域に到着していなかった。
空母側は、別の時計によって命令を読んでいた。
海軍機が合流地点へ到達した時には、B-26はすでに攻撃へ入り、カストロ軍機との戦闘が始まっていた。
護衛を受けられなかった爆撃機が撃墜された。
それだけで作戦が崩れたわけではない。
輸送船は失われ、弾薬は不足し、橋頭堡は狭まり、国内蜂起も起きていなかった。
それでも、残された数少ない機会まで、違う時計を見た者たちの間で失われた。
ホワイトハウスへ報告が届いた時、ケネディは命令書を取り寄せた。
「なぜ一時間ずれた。」
バンディは、海軍とCIAから届いた説明を読み比べた。
「作戦命令の『現地時間』を、異なる場所の時刻として解釈したようです。」
「現地とは、どこだ。」
「それが書かれていません。」
ケネディは紙を見た。
大統領の承認。
国防長官の条件。
海軍の命令。
CIAの指示。
一つずつ読めば、どれも意味を持っている。
最後に「現地」という二文字が残り、爆撃機と戦闘機を別々の空へ飛ばした。
「人間を戦場へ送る命令で、場所が書かれていないのか。」
誰も答えなかった。
※※※※※※※※※※
昼が近づくにつれ、ピックス湾から届く通信は短くなった。
弾薬が残り少ない。
戦車が接近している。
負傷者が増えている。
海上からの補給を求める。
最初は軍事報告の形を保っていた文章が、次第に人間の声へ近づいていった。
われわれをここへ送った者へ伝えてほしい。
救援がないなら、どう戦えばよいのか。
通信兵が受け取った言葉は英語へ訳され、紙へ打ち直され、中央情報局を経てホワイトハウスへ運ばれた。
その間にも、海岸では戦車が前進し、弾薬が減っていく。
ケネディは、最後の電文を読んだ。
地図上の部隊ではなかった。
自分たちが訓練し、武器を与え、成功できると信じさせ、島へ送り込んだ人間の声だった。
全面介入を命じれば、彼らを救える可能性がある。
同時に、アメリカ軍によるキューバ戦争が始まる。
命じなければ、彼らは海岸に残される。
どちらの責任も、大統領の署名から逃げることはできなかった。
やがて通信が途切れた。
バンディは、切れた時刻を書き込んだ。
ケネディは何も言わなかった。
灰皿には、前日に途中で消した葉巻が残っている。
その焦げた先端からは、もう香りが出ていなかった。
アメリカからの工作は結果としてより強固な社会主義キューバ政府を誕生させます。
ケネディはこの事態の収集に苦慮していきます。
更新は、水・金・日の夜です。
次回は金曜日の夜更新予定です。
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