180,若き大統領の登場
ケネディの人生を振り返る幕間を描きます。
場面は大統領選挙前の初めてのテレビ討論会の前から始まります。
一九六〇年九月二十六日、シカゴ
「それで、いまは何をしているの。」
電話の向こうで、ジャクリーンが尋ねた。
ジャクリーン・ケネディは、七年前に結婚した妻である。ワシントンの新聞社で写真記者として働いた経験を持ち、文学や美術、フランス文化を好む彼女は、政治家一族であるケネディ家へ入ったあとも、夫の選挙を家族の使命としてだけ見ることはなかった。
ケネディは壁の時計へ目をやった。討論開始まで一時間を切っている。閉じたドアの外では、靴音と短い呼び声が絶えず行き交い、テレビ局の職員が機材を運ぶたび、廊下の床がかすかに震えていた。
「君と電話をしている。」
「それは分かっているわ。その前よ。」
「ネクタイを三本見せられて、二本を却下された。いまは残った一本を締めている。」
「誰が却下したの。」
「私以外の全員だ。」
ジャクリーンが笑った。声の奥で紙をめくる音がした。妊娠中の身体を気遣い、医師から移動を控えるよう言われていても、彼女は選挙から離れてはいなかった。支持者への手紙に目を通し、新聞の取材に答え、録音による選挙放送まで引き受けていた。夫よりも日程を覚え、夫よりも新聞の批評を気にしていないように見せるのがうまかった。
「あなたは昔から、人に服を選ばせるのが上手だったもの。」
「君と初めて会った夜は、自分で選んだスーツだった。」
「あの夕食会のスーツを覚えているの。」
「君が私に興味を示さなかったことは覚えている。」
「見ていたわ。テーブルの向こうで、聞かれてもいないのに自分の本について話している、痩せた議員がいたから。」
「君は読んでいなかった。」
「あなたも私の記事を読んでいなかったでしょう。」
ケネディは受話器を左手へ持ち替え、机の縁に腰を預けた。立ち続けると、背骨の奥へ差し込まれた金属が少しずつ熱を持つように痛んだ。
鏡の中には、濃紺のスーツを着た四十三歳の男がいる。新聞は若さを強調したが、近くで見れば目の下には疲れが残り、頬も選挙運動を始めた頃より削れていた。
それでも電話の向こうにいるジャクリーンと話しているあいだは、父の息子でも、民主党の大統領候補でもなく、ただの夫でいられた。
共通の友人が開いた夕食会で出会った彼女は、政治家を前にしても身を乗り出さなかった。ケネディが議会や外交の話をすれば、彼女はフランス文学や美術の話へ戻り、父ジョーの名を聞いても、他の女性たちのように一家の未来を先回りして褒めなかった。
自分が何者になるかではなく、いま何を読んでいるかを尋ねてきた。
父の計画表に書かれていなかった、数少ない出来事だった。
ドアが二度叩かれた。
「ジャック。」
ロバートの声だった。
ロバート・ケネディは、八歳下の弟であり、この選挙戦を実務面から取り仕切る責任者でもある。兄の魅力を信じていたが、魅力だけで選挙に勝てるとは一度も思っていなかった。
ケネディは受話器へ顔を寄せた。
「聞こえなかったことにする。」
「討論の直前なのに、ずいぶん余裕があるのね。」
「余裕があるように見せるのが、今夜の仕事らしい。」
ドアが開き、ロバートが顔をのぞかせた。兄よりも細く硬い顔には、夫婦の冗談へ付き合う余地がなかった。
「メイク室が待っている。」
「私は、人を待たせるために大統領候補になったんじゃないのか。」
「まだ候補者だ。大統領ではない。」
ロバートはそれだけ言って、ドアを閉めた。
ジャクリーンが電話の向こうで笑っている。
「本当にお化粧をするの。」
「しない。」
「その言い方は、もう説得されかけている時の言い方よ。」
「政策を話しに行くはずなのに、みんな私の頬の色を心配している。」
「政策より頬の色のほうが、居間からはよく見えるのかもしれないわね。」
ケネディは時計を見た。
まだ話していたかった。娘のキャロラインのことや、生まれてくる子供の名前について話し、討論も選挙も存在しない家の夕方を想像していたかった。
だが廊下では、ロバートだけでなく、ソレンセン、サリンジャー、オドネル、テレビ局の係員までが、残り時間を一分ずつ所有していた。
「もう行かないと。今から討論会なんだ。」
「知っているわ。」
ケネディは少し間を置いた。
「愛してる。」
ジャクリーンも、同じ言葉を返した。
受話器を置いてドアを開けると、待っていた人々が一斉に動き始めた。
報道担当のピエール・サリンジャーが胸元を見て、ネクタイの結び目をわずかに直した。新聞記者出身のサリンジャーは、候補者が何を語ったかだけでなく、翌朝どの写真と見出しで伝えられるかを考える男だった。
政策顧問で演説原稿を手がけるテッド・ソレンセンは、想定問答の束を抱えている。ケネディの考えを文章へ変え、まだ本人の中でも曖昧な理想に、先回りして形を与えるのが彼の仕事だった。
選挙日程と組織を管理するケニー・オドネルは、歩きながら今後の予定を確認していた。ロバートは腕時計を見たあと、兄の歩調が速すぎると言って速度を落とさせた。
ケネディは自分の足で歩いていたが、曲がる角も、入る部屋も、歩く速さも、周囲の人間が決めていた。
「ニクソンは、もう入ったのか。」
「少し前に到着しています。」
サリンジャーが答えた。
リチャード・ニクソンは、現職の副大統領であり、共和党の大統領候補だった。第二次世界大戦中に連合国軍を率いた将軍で、二期八年にわたり大統領を務めたドワイト・アイゼンハワーの後継者として、政権の安定と経験を背負っている。
「病院から出たばかりだと聞いた。」
「膝の感染症です。遊説を休んだぶん、体重も落ちています。」
「それでも来た。」
ロバートが資料から顔を上げた。
「来るさ。ニクソンは、這ってでも来る。あの男はそうやってここまで来たんだ。」
ニクソンは、ケネディ家とは違う種類の家から出てきた。
父親が経営する農園はうまくいかず、一家は食料品店とガソリンスタンドを切り盛りした。少年だったニクソンも、店を手伝った。兄弟を病気で失い、名門への入場券を父から渡されたのではなく、成績と奨学金と、目の前の相手を決して侮らない執念によって道を開いた。
下院議員になった年は、ケネディと同じ一九四六年だった。
だがその後、ニクソンは上院を経て副大統領となり、八年間、アイゼンハワーの隣に立った。海外を回り、冷戦の会議に加わり、怒った群衆に囲まれ、ソ連の指導者とも正面から論争した。
その背後には、世界大戦を勝利へ導いた将軍の威信がある。
対するケネディには、父の金と、海辺の大邸宅と、名門校と、よく整えられた笑顔があった。
「相手は老練だ。」
ロバートは隣を歩きながら言った。
「兄さんが一つ答えるあいだに、その答えが翌朝の新聞でどう使われるかまで考える。」
「君は私を励ましているのか。」
「間違えないようにしている。」
メイク室のドアが開いた。
鏡の周囲には白い電球が並び、台の上には刷毛、粉、瓶、櫛、ティッシュペーパーが整然と置かれていた。中央には、歯科医院のものにも似た椅子が一脚ある。
ケネディは入口で立ち止まった。
「討論へ来たはずなんだが。」
「そのための部屋です。」
サリンジャーが答えた。
「アイゼンハワーはノルマンディー上陸作戦の前にも、こんな椅子へ座ったのか。」
「将軍はフランスへ上陸しました。あなたは今夜、七千万の家庭へ上陸するんです。」
メイク担当の女性が笑いをこらえながら椅子を勧めた。ケネディは渋々腰を下ろしたが、背もたれを倒されかけた瞬間、腰に鋭い痛みが走り、右手で肘掛けを強くつかんだ。
女性が気づいて椅子を戻そうとした。ケネディは何でもないという顔を作ったが、サリンジャーは見逃さなかった。
「テレビでは、いまの一秒も映ります。」
「腰痛が外交政策に関係するとは知らなかった。」
「視聴者があなたを弱っていると感じれば、話を聞く前に、政策まで弱いと思います。」
女性が目の下へ薄く粉を置いた。
「大統領の資格は、頬の色で決まるのか。」
「決まりません。ただし、頬の色のせいで、資格について話を聞いてもらえないことはあります。ラジオなら声だけで済みますし、新聞なら記者が文章にします。テレビでは、考えている時間も、汗も、瞬きも、姿勢も、すべて回答の一部になります。」
「民主主義も、ずいぶん顔色を気にするようになったものだ。」
「国民は、自分たちの居間へ入ってくる男を選びます。今夜は政策だけでなく、どちらの顔を四年間見ても我慢できるかを決めるんです。」
ソレンセンが資料を開いた。
「それでは、我慢してもらうための答えを確認します。」
ロバートが椅子の横へ立った。
「向こうが攻めるのは三つだ。若い。金持ちだ。カトリックだ。」
ケネディは鏡越しに弟を見た。
「若さは今夜直せない。金は父に返せない。信仰は母が返させてくれない。」
「その軽口を本番で言わないこと。」
ソレンセンは鉛筆の先で紙を叩き、最初の質問を読み上げた。
「大統領に選ばれた場合、ローマ教皇の意向とアメリカの国益が衝突したなら、どちらに従いますか。」
「憲法とアメリカ国民に従う。」
「それだけでは、信仰を政治のために捨てるように聞こえる。」
ロバートが指摘した。
ケネディは、刷毛が額を動くあいだ鏡を見つめた。
「私はカトリックだから立候補したわけではない。しかし、大統領になるためにカトリックでないふりをするつもりもない。教会と国家は分かれている。私の信仰は私に属し、大統領の判断は国民に属する。」
ソレンセンが頷き、原稿へ短い印をつけた。
「南部では、それでも教皇の命令を受けると思われている。」
ロバートは譲らなかった。
「ヒューストンの演説だけで終わった問題じゃない。人気のある牧師たちが、毎週ラジオとテレビで同じ不安を繰り返している。」
「私が毎朝ローマへ電話すると思っている人間には、どんな答えも足りない。」
「その人間にも一票ある。」
母ローズは、九人の子供を育てた敬虔なカトリックだった。子供たちを日曜のミサへ連れていき、食前には祈らせ、誕生日も成績も病気も、一族の歴史として記録した。
父ジョセフ・ケネディは、株式投資や映画事業などで財を築き、かつて駐英大使も務めた実業家である。父が金と人脈で一家を押し上げる一方、母は祈りと規律で、競争好きの兄弟姉妹を一つの家族へ縫い合わせていた。
ケネディ自身は、母ほど敬虔な信徒ではない。だがカトリックであることは、教会へ通う回数だけで決まるものでもなかった。
それは、アイルランドから渡ってきた祖先の名前であり、ボストンで嘲られた祖父たちの記憶であり、金を稼いでも社交クラブの扉の前で足を止められた父の屈辱だった。
「父さんは、金があれば扉は開くと思っていた。」
ロバートが言った。
「実際、ほとんどは開いた。」
「名前と教会を聞いたあとで閉じる扉が残った。だから息子に、最後の扉を開けさせようとしている。」
ケネディは口元をわずかに歪めた。
「父は、息子の人生と家族の使命を区別しない。」
「今夜、国民も区別してくれない。」
メイク担当の女性が唇へ手を伸ばしたので、ケネディは少し顔をそむけた。
「そこには何もつけない。」
「照明で色が飛びます。」
サリンジャーが言った。
「飛ばしておけ。」
女性はサリンジャーを見た。サリンジャーは、ほんのわずかにするよう指で示した。
ケネディは見ていたが、止めなかった。
ソレンセンが次の質問へ進んだ。
「年齢と経験です。副大統領は八年間、アイゼンハワー政権の中枢にいた。あなたには最高行政機関を運営した経験がない。」
「私とニクソンは同じ年に議会へ入った。」
「それを最初に言ってください。そのあと、経験は役職に座っていた年月だけではないと続ける。」
ロバートが口を挟んだ。
「相手を軽く見るな。ニクソンは父親に選挙区を買ってもらっていない。家の店で働き、奨学金で学び、議席を一つずつ取った。苦労の話では勝てない。」
「苦労の多い者が自動的に大統領になるなら、候補者はもっといる。」
「それも言わないでください。」
ソレンセンが即座に止めた。
ケネディは椅子に身を預けた。
「今夜、私が自由に言えることはあるのか。」
「われわれが用意した範囲なら。」
ロバートが答えた。
長兄ジョー・ジュニアなら、こうした準備をどう受け止めただろうと、ケネディは思った。
父が最初に大統領へしようとしたのは、ジャックではない。健康で、父の期待を疑わず、正面から競争を引き受けたジョーだった。
その兄は戦争中、危険な航空作戦に参加して命を落とした。兄の死後も、一家の中から大統領を出すという父の望みは消えず、空いた役割だけが次男の前へ残された。
「父さんから伝言がある。」
ロバートが言った。
「今夜は君一人の討論ではない。ここまで来た全員を連れていけ、と。」
「死者までスタジオへ入れる気か。」
「父さんなら、全員分の席を買う。」
ケネディは笑った。張りつめていたメイク担当の女性も声を立て、部屋の空気がわずかに緩んだ。
ドアが開き、サリンジャーの部下が小声で何かを伝えた。
サリンジャーは頷いてから、ケネディへ向き直った。
「ニクソン副大統領は、本格的なテレビ用メイクを断ったそうです。」
ケネディは鏡の中の顔へ指を触れた。
「なら、私も落とそう。」
「このままで行く。」
ロバートが即座に決めた。
「相手がしないなら、こちらもしないのが公平じゃないのか。」
サリンジャーが首を横に振った。
「副大統領は八年間、国民に顔を知られています。あなたは今夜、初めて大統領に見えなければならない。」
ケネディは鏡を見た。目の下の影は薄くなり、頬にはわずかな血色が戻っている。長い療養生活も、腰の痛みも知らない男に見えた。
「時間だ。」
ロバートが告げた。
ケネディは立ち上がった。
化粧を落とすとも、残すとも自分では言わず、ソレンセンから最後の紙を受け取り、サリンジャーに肩の埃を払われて廊下へ出た。
スタジオが近づくにつれて、照明の熱が強くなった。係員が床に貼られた印を示し、その位置から外れないよう念を押した。
目の前には、少し痩せ、青白い顔をしたニクソンがいた。
膝の病気から十分に回復していない。それでも背筋を伸ばし、ケネディへ手を差し出した。握手は強かった。
「上院議員。」
「副大統領。」
ニクソンの目には疲れがあったが、怯えはなかった。
この男は、自分がここにいる理由を疑ったことがないのかもしれない、とケネディは思った。家族の長い計画によって運ばれた場所ではなく、自分の手で勝ち取った場所として、このスタジオへ立っている。
カメラの赤いランプが点灯した。
※※※※※※※※※※
司会のハワード・K・スミスが二人の候補者を紹介し、討論の規則を説明した。
スミスは、長く国内外の政治を取材してきたCBSの報道記者である。彼の左右には質問を担当する記者たちが座り、その正面で、民主党のケネディと共和党のニクソンが、アメリカ大統領選挙で初めてテレビを通じて直接向き合っていた。
その夜の中心は国内問題だった。しかしケネディは、学校、工場、農場、家庭の食卓を、ソ連との世界的な競争へ結びつけた。
経済成長は十分なのか。科学者と技術者を育てられているのか。教師は適切な給与を得ているのか。子供たちが学ぶ校舎は足りているのか。
開会声明の中で、ケネディはウェストバージニアで見た子供の話をした。学校給食の一部を紙に包み、家族のために持ち帰ろうとした子供だった。
ケネディは、その子の顔を正確には覚えていない。何人もの子供と会ったため、記憶の中では輪郭が重なっていた。ただ、小さな手でパンを隠す動作だけが残っている。
自分は、食べ物を家へ持ち帰るために学校へ通ったことがない。
病気になれば医師が来た。学校を休んでも本と家庭教師があり、大学へ進むかどうかを家計で決める必要もなかった。
貧困を知っているとは言えない。
それでも、知らずに育ったことが、見捨ててよい理由になるとは思わなかった。
ニクソンは、アイゼンハワー政権の八年間に積み上げた実績で応じた。学校も病院も道路も増え、家庭所得は伸び、戦争を避けながら繁栄を守ってきた。アメリカは立ち止まっていない。その成果を土台に、さらに前へ進めばよい。
彼の言葉には、政府の記録だけでなく、自分の手で暮らしを支えてきた者の確信があった。
二人の違いは、貧しい人を助けたいかどうかではない。
何を政府へ任せ、何を個人や企業や地域へ残すのかという違いだった。
共和党は、民間企業と州、地域、家庭の力を重視し、連邦政府が大きくなりすぎれば、税と官僚が自由を圧迫すると考える。
民主党は、大恐慌とニューディールを通じて、個人や州だけでは支えられない生活があると学んできた。
アイゼンハワー自身も、ニューディールの制度をすべて壊したわけではなく、巨大な州間高速道路網を連邦政府の力で築いた。それでも八年間の共和党政権は、急激な改革より、安定と民間の活力をアメリカの強さとして示してきた。
記者からの最初の質問は、ケネディの若さと経験へ向けられた。
ニクソン陣営は彼を世間知らずで、時に未熟だと批判している。副大統領ではなく、自分へ国家を任せるべきだと、何を根拠に主張するのか。
質問が終わると、スタジオの音が遠のいた。
ケネディの頭に、病院の白い天井が浮かんだ。少年時代、兄弟たちが外で競争しているあいだ、病室や療養先で本を読んだ。身体が自由にならないぶん、歴史の中で遠い国々へ行った。
父が駐英大使だった時代には、戦争へ傾いていく欧州を見た。
やがて海軍へ入り、南太平洋へ送られた。
ケネディが指揮していたのは、PT109号という小型の魚雷艇だった。高速で敵艦へ接近し、魚雷を撃ち込む木造艇で、十数人の乗組員が狭い船体の中で生活していた。
夜の海で、日本の駆逐艦の船首がPT109号へ迫り、木造の船体を真二つに裂いた。燃料の匂いと悲鳴が闇へ広がり、ケネディは海へ投げ出された部下を集めた。負傷して泳げない乗員の救命胴衣についた紐を歯でくわえ、仲間たちを島まで導いた時の塩辛さは、いまも口の奥に残っている。
選挙の噂は、安全な軍歴だったと言う。父が息子を守り、危険を避ける経歴を作ったのだと。
父は守ろうとしただろう。いつでもそうした。
それでも、あの海の冷たさまで取り除くことはできなかった。
ただし、一隻の魚雷艇と十数人の部下を預かった経験が、アイゼンハワーの軍歴と同じでないことも分かっていた。何百万もの兵士を動かし、世界大戦の作戦を決めた将軍と自分を並べるつもりはなかった。
ニクソンが八年間、行政府の中にいたことも事実である。
問いの中には、逃げられない真実が含まれていた。
司会者がケネディへ視線を戻し、回答時間を示すランプが点灯した。
ここから先は、内心ではなく、アメリカ中の家庭へ届く回答だった。
ケネディはカメラを見た。
「ニクソン副大統領と私は、ともに一九四六年に連邦議会へ入りました。」
二人はともに議会で政府の問題に関わってきた。経験とは、どの役職に何年座っていたかだけではなく、そこで何を判断し、国をどの方向へ進めようとしたかによって測られる。
話しているうちに、声が安定していった。
第二次世界大戦を知ることは重要である。しかし一九六〇年代には、核兵器、宇宙開発、ソ連と中国の伸長、植民地から独立していく新しい国々という、前の時代にはなかった課題がある。
過去を管理した経験だけで、未来を選ぶことはできない。
ソレンセンと磨いた答えだった。けれども口にしているうちに、それは防御のための文章ではなく、自分が信じたい言葉へ変わっていった。
ニクソンは短い反論を求められたが、ここでは必要ないと答えた。その節度が、かえって経験の差を感じさせた。
次の攻防では、政府の役割が問われた。
ニクソンは、民主党の公約を実行すれば連邦支出と税負担が増え、ワシントンの官僚が企業や州や家庭の自由を奪うと主張した。政府がすべてを行うのではなく、民間の創意を解放すべきであり、アイゼンハワー政権はその方法で繁栄を守ってきたのだと訴えた。
ケネディの頭には、再びウェストバージニアの校舎が浮かんだ。
老朽化した教室、足りない教師、二部授業、大学へ進む能力があっても家計のために働かなければならない若者。
自分にはなかった生活だった。
金がなくて治療を諦めたことも、給食を家族へ分けたこともない。彼らの事情を完全に理解したと言えば、それこそ欺瞞になる。
しかし、政府が手を引いた場所に、必ず自由が残るわけではなかった。
財産を持つ者だけが選べる社会では、自由は金の別名になる。
回答時間を示すランプが灯った。
ケネディは、今度はニクソンの側を一度見てから、カメラへ向き直った。
「問題は、政府が大きいか小さいかではありません。必要な仕事を、効果的に行うかどうかです。」
教育、学校給食、教師の給与、最低賃金、住宅、医療、科学技術は、個人や地方だけでは解決できない場合がある。
農民一人では市場価格を動かせず、高齢者一人では医療費を支えられず、財産税だけでは十分な学校を建てられない町もある。
子供がどの州、どの町、どの家庭に生まれたかによって、最初から未来を失う国を、自由な国とは呼べない。
さらに教育を、ソ連との競争へ結びつけた。教室で失われた才能は、国際社会でも失われる。アメリカの力は軍隊や企業だけでなく、学校と研究所と家庭の食卓から生まれる。
ニクソンは、目的には反対しないと応じた。違いは、民主党が連邦政府へ集めようとする権限の大きさにある。国家が国民を助けるつもりで、国民が自分で決める余地まで奪ってはならない。
その回答にも理があった。
ワシントンの官僚は、町の事情を知らないまま規則を作る。善意によって作られた制度が、別の場所では重荷になることもある。
ケネディは、ニクソンが単なる古い時代の代弁者ではないことを認めざるを得なかった。
第三の攻防は、明確な一つの質問から始まったわけではない。
討論が進み、「経験」「指導力」「最高責任者」という言葉が繰り返されるたび、選挙戦で貼られてきた札が、ケネディの背広へ一枚ずつ戻ってきた。
ニクソンは貧しい家庭から、自力で副大統領まで上がった。
アイゼンハワーは、世界大戦を勝利へ導いた将軍だった。
それに対してケネディは、父の金で名門校へ入り、政治家への道を用意され、軍歴さえ家族によって安全に整えられた御曹司ではないのか。
ニクソン本人は、そこまで露骨な言葉を使わなかった。
使う必要がなかった。
彼が自分の経歴を語るだけで、対比は成立した。
ケネディは、守られていたことを否定できなかった。
病気になれば最良の医師が来た。長く休学して療養することができ、失敗しても戻れる家があった。父の金と名前は、多くの扉を開いた。
ケネディ家という保育器の中で育った。
けれども、保育器は自由な場所ではなかった。
家族の中では、勝つことが愛情の言葉だった。何を学び、どこへ進み、どの選挙へ出るのか。父の期待、母の信仰、兄弟の競争が、人生の輪郭を先に作った。
長兄が戦争で死ぬと、空いてしまった役割は次男へ移された。
下院へ出ろ。
上院へ行け。
副大統領候補を狙え。
大統領になれ。
それぞれの階段の前には、父や弟や側近が立ち、次に踏む段を示した。
人は彼を幸運な男と呼ぶ。
その通りだった。
だが、幸運であることと、自由であることは同じではなかった。
その人生の中で、ジャクリーンだけは、自分で選んだものとして浮かんだ。
夕食会で出会った、ケネディ家へ完全には溶け込まない女性。夫が候補者の顔を作る時にも、その顔を本物だと信じ切らない妻。
彼女と子供たちと、海の近くで静かに暮らす人生もあったかもしれない。本を読み、船へ乗り、夕食の時間には家へ戻る生活。
しかし、その想像は長く続かなかった。
父に押されただけではない。
自分も勝ちたかった。
兄弟より先へ行きたかった。
歴史の本を読む側ではなく、その中へ名前を残す側になりたかった。
家族の野心と自分の野心は、とうに見分けられなくなっている。
司会者が、最後の回答を求めた。
ケネディは、自分も苦労してきたとは言わなかった。貧しい家庭に育ったふりも、アイゼンハワーの功績を小さくすることもしなかった。
スタジオへ戻り、カメラに向かって答えた。
「この選挙は、どちらの候補者がより苦労したかを決めるものではありません。」
与えられた機会を、何のために使うかが問われている。
前の世代は戦争に勝ち、アメリカを守った。その功績の上に立ちながら、次の世代は核戦争を避け、教育を立て直し、貧困と人種差別によって失われる才能を救い、科学と経済を伸ばさなければならない。
アジア、アフリカ、ラテンアメリカで新しく独立した国々が、モスクワや北京ではなく、もう一度アメリカを見ようと思える国を作る必要がある。
過去のアメリカを否定するのではない。
その続きを作る。
アメリカを、もう一度動かす。
メイク室で用意された言葉を話すだけだった男が、最後には、自分が何を言いたいのかを理解していた。
ニクソンが横からケネディを見た。
疲れた顔だったが、その目には簡単には奪えない自負がある。
この男は、負けたなら、自分の力が足りなかったと考えるだろう。
ケネディは負けた時、父の金、南部の牧師、カトリックへの偏見を理由にすることができる。
その違いを、少し羨ましく思った。
司会者が討論の終了を告げ、カメラの赤いランプが消えた。
スタジオの熱だけが残った。
ケネディはニクソンと握手を交わした。
「よい討論でした。」
ニクソンが言った。
「まだ結果を聞いていない。」
「私もです。」
二人は笑ったが、どちらも冗談だとは思っていなかった。
※※※※※※※※※※
舞台袖へ入ると、スタッフが一斉にケネディを取り囲んだ。水を渡す者、背中を叩く者、すでに地方から届いた反応を読み上げる者がいる。
「落ち着いて見えたそうです。」
「シカゴの交換台に電話が殺到しています。」
「ニューヨークでは、こちらが勝ったという声が多い。」
「ラジオだけで聞いた者は、ニクソンを評価しているらしいという話もあります。」
ケネディは水を飲んでから尋ねた。
「どれが調査なんだ。」
サリンジャーは肩をすくめた。
「まだ、どれも噂です。ただし選挙では、噂が調査より先に投票所へ着くことがあります。」
控室の電話が鳴った。
ロバートが受話器を取り、すぐに兄へ差し出した。
「父さんだ。」
ケネディは受話器を受け取った。
「どうだった。」
息子のほうから尋ねると、父ジョーは挨拶もせずに答えた。
「顔はよかった。ニクソンより健康に見えたし、落ち着いていた。今夜初めて、多くの人間がおまえを上院議員ではなく、大統領として見た。」
「政策についての感想は。」
「政策は明日の新聞が書く。今夜は絵だ。」
父の答えをサリンジャーが聞けば、喜ぶだろうとケネディは思った。
「それだけか。」
「ニューヨークの話がある。先月の演説は届いている。」
ジョーの声が少し低くなった。
「アイゼンハワーはスエズ危機で、イギリスとフランスだけでなく、イスラエルにも撤退を呑ませた。イスラエルの安全保障を重く見る人間には、まだあの時の苦みがある。こちらが立場を明確にすれば、支援へ動く有力者や団体がいる。」
一九五六年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化すると、イギリス、フランス、イスラエルが軍事行動へ踏み切った。アイゼンハワー政権は三国に撤退を求め、同盟国であるイスラエルにも圧力をかけた。その対応を、戦争の拡大を防いだ決断と見る者がいる一方、イスラエルの安全を軽んじたと感じる者もいた。
「イスラエル・ロビーが私を選ぶのか。」
「一つの秘密組織があるわけじゃない。献金者もいれば、労働組合もある。地域の指導者、新聞、団体もある。名前は何でもいい。選挙を助けられる人間がいて、相手はアイゼンハワーの後継者だ。」
「中東政策まで、選挙資金の帳簿へ入れるのか。」
「外交は外国で行う。しかし、大統領を選ぶのはアメリカ人だ。」
ジョーは間を置かずに続けた。
「選挙には金がかかる、ジャック。飛行機も広告も、州ごとの組織も、善意では動かない。勝てなければ、おまえの政策は演説原稿の紙にしかならない。」
父はいつでも、家族の宿命と会計を同じ声で語った。
アイルランド系カトリックの一家をホワイトハウスへ入れること。イスラエルへの姿勢を票と献金へ結びつけること。テレビで息子を大統領に見せること。
父にとっては、どれも一つの仕事だった。
ケネディは、その方法を好んでいなかった。
だが、その資金で用意された飛行機に乗り、その人脈によって民主党の候補となり、その広告に助けられて今夜の舞台へ立った。
「ロバートに相談してくれ。」
「もう話してある。」
父は当然のように答えた。
また、自分より先に話が進んでいた。
「今夜はよくやった。」
電話はそれで切れた。
ケネディは受話器を元へ戻し、弟を見た。
「父さんは何と。」
「君に聞けと言われた。」
ロバートはそれだけで内容を察したらしく、何も言わず別の電話へ向かった。
部屋の隅に置かれたモニターで、討論の録画が始まった。
ケネディは椅子へ座り、画面の中の自分を見た。
健康に見えた。
目の下の影はなく、腰の痛みも、長い病歴も映っていない。妻との電話を切りたくなかった男にも、死んだ兄の空席へ座らされた弟にも見えなかった。
画面の中の男は、自分が何をするべきかを、最初から知っているようだった。
対するニクソンは青白く、額には汗が浮かび、灰色の背景へ沈みかけている。語っている内容は緻密で、数字も経験もある。それなのにテレビは、彼が生涯をかけて身につけた粘り強さより、その夜の疲労を大きく映していた。
「テレビで見た者はこちら、ラジオで聞いた者は向こうだという話が出ています。」
サリンジャーが言った。
「もう調査したのか。」
「噂です。」
「君たちは噂が好きだな。」
「勝っているという噂なら、特に。」
ケネディは画面から目を離さなかった。
そこにいる男は偽物ではない。自分が答え、自分が考え、自分が選んだ言葉を話している。
だが、自分のすべてでもなかった。
テレビは嘘をついていない。
ただ、映すものを選んだ。
画面の中の男は、本人より先に、大統領になろうとしていた。
※※※※※※※※※※
十一月八日の夜、選挙地図には、長いあいだ色のつかない州が残った。
マサチューセッツ州ハイアニスポートの家には、電話機、紙コップ、灰皿、州ごとの集計表が持ち込まれ、部屋の空気は煙草の煙と人の熱で濁っていた。
最大の不安は南部だった。
長く民主党を支持してきた地域でありながら、カトリックの大統領を受け入れられないプロテスタントも多い。
テレビはケネディの若さと笑顔を全国へ運んだ。
しかし同じテレビは、人気宣教師たちの説教も家庭へ運び、ラジオの宗教番組や教会で配られる小冊子とともに、アメリカは本来プロテスタントの国であり、カトリックの大統領はバチカンへ忠誠を誓うという不安を広げていた。
ヒューストンでどれだけ教会と国家の分離を語っても、信仰への疑いは完全には消えなかった。
ロバートは州ごとの報告を受け、鉛筆で数字を書き直している。
「テキサスは。」
ケネディが尋ねた。
「ジョンソンの組織が踏ん張っている。ただ、まだ早い。」
リンドン・ジョンソンは、テキサス州出身の上院民主党院内総務であり、今回ケネディと組む副大統領候補だった。北東部のカトリックであるケネディに不足する南部の基盤と、議会での経験を補うために選ばれた人物である。
「ノースカロライナ。」
「読めない。」
「バージニア。」
ロバートは兄を見た。
「そこは期待するな。」
別の電話が鳴った。
父ジョーは都市部の投票率と、労働組合地区の数字を何度も確認していた。母ローズは人の出入りする部屋から少し離れ、指のあいだにロザリオを通している。
ジャクリーンは身重の身体で椅子へ座り、興奮して動き回る男たちを眺めていた。ときどきケネディと目が合うと、何も言わずに微笑んだ。
討論では、質問が終わるたびに答えることができた。
選挙では、投票箱が閉じたあと、候補者にできることはない。
州の名前が呼ばれるたびに誰かが歓声を上げ、別の誰かが、まだ確定ではないと抑えた。勝ったという電話の直後に、数字が違うという電話が来る。
父は資金と人脈を集め、ロバートは州ごとの組織を走り回り、ソレンセンは本人より先に候補者の言葉を整えた。ジャクリーンは手紙と放送を通じて家庭へ語りかけ、労働組合、都市の政治組織、カトリック教会、黒人教会、親イスラエルの団体、農民、教師、若者が、それぞれ異なる理由で同じ名前へ一票を入れた。
ジョン・F・ケネディ。
彼自身が大統領になると決めた回数より、彼を大統領にしようと決めた人々のほうが多いように思えた。
夜が明けても接戦は続いた。
やがて、数字が噂ではなく結果として積み重なった。
ロバートが受話器を置き、しばらく動かなかった。
「ジャック。」
部屋にいた者たちが弟の顔を見た。
「勝った。」
歓声が上がった。
誰かがケネディの背中を叩き、誰かが抱きつき、父からの電話が鳴った。母は祈りを終え、家の外では報道陣と支持者が叫び、カメラの光が窓を白く照らしていた。
ケネディは笑った。
勝ちたかった。
そのために何年も走ってきた。
それでも、勝ったと聞いた瞬間、喜びと同じ大きさの驚きが身体を満たした。
ジャクリーンがそばへ来た。
「本当に大統領になるのね。」
ケネディは妻の肩へ腕を回した。
「まだ現職がいる。」
「そういう意味ではないわ。」
部屋のテレビに、ケネディの顔が映っていた。
討論の夜よりも大きな文字が、画面の下へ出ている。
次期アメリカ合衆国大統領。
これまで父が言った。兄弟が言った。側近が言い、新聞も、いつか大統領になる男だと書いた。
ケネディは、その言葉を冗談にしながら、示された階段を一段ずつ上ってきた。
画面の中で、予言が現実になっていた。
※※※※※※※※※※
十七日後、ジャクリーンは男の子を産んだ。
病室の外には、選挙以来ケネディを追い続ける記者たちが集まり、廊下の電話は祝いの言葉と政権移行の連絡を同じ線で運んでいた。
室内は静かだった。
ジャクリーンは疲れた顔で枕へ身を預け、その隣の小さな寝台で、赤ん坊が目を閉じていた。
ケネディは、生まれたばかりの息子ジョン・ジュニアを抱き上げた。
選挙の勝利を告げられた時とは違い、その喜びには、腕で確かめられる重さと温かさがあった。抱き方を少し変えるたび、壊れやすい身体がかすかに動く。
「ずいぶん慎重ね。」
ジャクリーンが言った。
「大統領になるより難しい。」
「大統領には、まだなっていないわ。」
「この家では、君だけがそれを言う。」
赤ん坊の小さな手が、ケネディの指をつかんだ。
彼は笑った。
「おかしな秋だ。」
「何が。」
「大統領に選ばれて、息子が生まれた。」
ジャクリーンは目を細めた。
「どちらが嬉しいの。」
ケネディはすぐには答えなかった。
選挙の勝利には、父の野心、家族の使命、支持者の期待、国家の未来が含まれていた。
腕の中の子供にも、これから名を与え、家族の一員として育て、やがて自分の人生を選ばせなければならない。
大統領になる喜びと、子供が生まれた喜び。
片方を大きく語れば、もう片方が小さくなるようには思えなかった。
「同じくらいだ。」
ジャクリーンが笑った。
「選挙と赤ん坊を比べる人は、あなたくらいよ。」
「どちらも、ずっと待っていた。」
「赤ん坊は十か月よ。大統領はもっと長かったでしょう。」
「父に聞けば、生まれる前からだと言うだろうな。」
ジャクリーンの笑いに応えるように、赤ん坊が顔をしかめ、細い声を上げた。
ケネディは息子をあやしながら窓の外を見た。
この秋、国民は彼に一つの国を預け、ジャクリーンは彼に一人の子供を預けた。
どちらも待ち望んだ喜びであり、同じくらい恐ろしかった。
大統領になる。
父親になる。
どちらも、本当になってしまった。
ケネディと父親、弟との関係を軸に少し砕いた感じのケネディの成長譚を描いていきます。
更新は、水・金・日の夜です。
次回は金曜日の夜更新予定です。
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