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ゲバラとカストロ ~革命は二人で始まり、一人で終わる~  作者: 相馬ゆう
【幕間】戻れない海~ヘミングウェイとキューバの海~
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147/214

146,発火点

アメリカとキューバの対立は次第に激しくなります。

サルトル編で描いたラ・クーブル号爆発事件を振り返ってみます。

一九六〇年三月、キューバ。


革命は、土地に手を伸ばしていた。


それは農民にとって、難しい理屈ではなかった。汗を流した者が、汗の対価を得る。土を耕した者が、収穫と生活を奪われずに済む。砂糖を刈る者が、砂糖によって貧しくならない。土地に生きる者が、土地から追い出されない。


それは、あまりにもまともな仕組みだった。


土地は、旗ではない。演説でもない。毎朝、足の裏につく土であり、刈り取った茎の重さであり、家族を食わせるための収穫だった。そこに汗を流した者が、そこから遠ざけられる。誰かの土地で働き、誰かの都合で賃金を決められ、誰かの契約で暮らしが揺れる。


カストロが語ったのは、その当たり前への異議だった。


キューバの土地は、キューバで働く者のものではないのか。砂糖の島で、なぜ砂糖を刈る者が貧しいのか。汗を流す者が、なぜ汗の対価ではなく、誰かの施しを待たなければならないのか。


その問いは、荒々しかった。


だが、狂ってはいなかった。


むしろ、まともすぎた。


だからこそ、危険だった。


※※※※※※※※※※


ハバナの夜には、別のキューバがあった。


ホテルのロビーには香水と葉巻の煙が漂い、カジノではルーレットの球が乾いた音を立てて回った。英語で笑う観光客がいた。白いスーツの男がいた。大きな指輪をした男が、ドアマンの手に紙幣を握らせた。警官はそれを見ても、顔色ひとつ変えなかった。


その光は、海の朝とは違っていた。


人間を照らすためではない。欲望を隠すための光だった。


アメリカ資本は、島を便利な楽園に変えていた。夜は売られ、女は飾られ、賭け金は積まれ、砂糖は海を渡った。そこには金があった。秩序もあった。契約もあった。だが、その秩序はキューバ人の汗の上に乗り、その金はキューバ人の生活から離れた場所で数えられていた。


だから、奪われることには正しさがあった。


土地が、本来の手に戻ることには正しさがあった。


汗を流した者が、土地と収穫を取り戻すことには、疑いようのない正しさがあった。


ヘミングウェイにも、それは分かっていた。


だが、正しさは、人間の顔を消してはくれない。


彼の周囲には、奪われる側の人間もいた。


ハバナのクラブで酒を飲んだ男。釣り仲間。農園や別荘を持っていた者。ホテルや輸出入に関わる者。弁護士。会計士。島で老後を過ごすつもりだった夫婦。


彼らの全員が悪人だったわけではない。


キューバを愛していた者もいた。漁師や使用人の名前を覚えていた者もいた。熱帯の朝を愛し、海を愛し、古い家の窓から入る風を愛していた者もいた。


だが、彼らの暮らしは、古い秩序の上に乗っていた。


契約書があった。権利証があった。銀行口座があった。弁護士がいた。ドルがあり、英語があり、アメリカの大使館があった。彼らにとって農地改革は、農民の正義である前に、自分たちの生活が揺らぐ知らせだった。


ヘミングウェイは、その両方を見ていた。


農民の正しさは分かる。


しかし、クラブの椅子に座っていた友人の顔も知っている。


犬を連れて島を歩いていた老夫婦も知っている。家の壁に家族写真を掛け、そこで暮らし続けるつもりだった者たちも知っている。彼らは、歴史の本に出てくる「外国資本」ではなかった。名前があり、声があり、酒の癖があり、船の話をする時の笑い方があった。


だから、正義は彼にとって簡単ではなかった。


キューバの農民にとって、農地改革は生活を取り戻すことだった。


ヘミングウェイの周囲のアメリカ人社会にとって、それは生活を失うことだった。


そしてアメリカ政府にとって、それはもっと大きな危機だった。


小さな島の土地政策では済まない。アメリカ資本が守られない。ラテンアメリカのすぐ近くで、従属していたはずの国が、自分の土地と砂糖と港を自分のものにしようとしている。もしそれが成功すれば、他の国も同じことを考え始める。


カストロの言葉は、過激になったのではなかった。


具体的になった。


土地。砂糖。学校。病院。主権。


まともな言葉だった。


そのまともさが、アメリカには危険だった。


※※※※※※※※※※


ヘミングウェイは、そのことを書けなかった。


アメリカへ向けて書けば、祖国を責めることになる。キューバへ向けて書けば、革命の側に立つことになる。自分自身へ向けて書くには、問題があまりに近すぎた。


彼は、フィンカ・ビヒアにいた。


窓を開け、海の匂いを探し、ピラーの手入れをし、コヒマルの漁師たちと同じ朝を見た。その暮らしは政治的発言ではなかった。だが、完全な沈黙でもなかった。


キューバで暮らし続けること。


それ自体が、まだ彼の答えになっていた。


しかし、革命のまわりには外国の目が集まり始めていた。新聞記者、外交官、知識人、観光客ではない旅行者。彼らは、島で何が始まっているのかを見に来ていた。


ジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールも、その中にいた。


サルトルは、ヘミングウェイと同じ戦争の世紀を生きた男だった。年齢も大きく離れてはいない。二人とも、人間が自由や死や責任にどう向き合うかを、それぞれの方法で書いてきた。


だが、書き方はまったく違った。


ヘミングウェイは、戦場と海と肉体で書いた。沈黙、傷、酒、恐怖、釣り糸を握る手、銃を持つ重さ。人間が耐える姿を、具体物の中に沈めて書いた。


サルトルは、思想の言葉で語った。自由、責任、選択、歴史への参加。人間が逃げられないものを、逃げられないまま名づけようとした。


ヘミングウェイは、その明晰さを信用しきれなかった。思想は時に、汗や血や酒の匂いを置き去りにする。大きな言葉は、人間の臆病さや嫉妬をきれいにしすぎる。


だが同時に、その明晰さを少し羨ましくも思った。


サルトルは、母国フランスの帝国主義も批判してきた男だった。フランス人でありながら、フランスの側にだけ立つことを拒むことができた。祖国を持ちながら、その祖国の暴力を思想の言葉で指さすことができた。


ヘミングウェイには、それが簡単ではなかった。


彼も祖国を批判できない男ではない。だが、キューバは思想の対象である前に生活だった。アメリカは批判対象である前に祖国だった。その二つが衝突した時、彼の言葉は鈍くなった。


※※※※※※※※※※


そのさなか、ハバナ港で一隻のフランス船が炎を上げた。


ラ・クーブル号。


それは単なる貨物船ではなかった。革命政府が自分たちを守るために必要としていた武器を積んでいた。キューバは、独裁者を倒したばかりだった。反革命派は残っている。亡命者もいる。アメリカとの関係は冷え、島の周囲には見えない手が伸びている。


だから、その武器はキューバ側にとって、防衛のための武器だった。


自分たちの島を、再び誰かの農園に戻さないための道具だった。


第一次大戦で、武器は人間を外から壊す力だった。


スペインで、武器は自由を守るために握られるものになった。


キューバでは、武器は革命を守るためのものになりつつあった。


その武器が、届く前に爆発した。


しかも、フランス人哲学者が革命を見に来ている時に、フランス船が爆発した。


誰かがそこまで計算したのかは分からない。偶然だったのかもしれない。だが政治の世界では、偶然も意味を帯びる。西側の知識人が島にいる。革命を見ている。キューバが何をしようとしているのか、ヨーロッパへ伝えることができる。その目の前で、革命政府の武器を積んだフランス船が爆発する。


それは、キューバ国内だけの事件では済まなかった。


港で爆ぜたのは、船だけではなかった。


キューバが自分で自分を守ろうとする意思が、世界の目の前で傷つけられた。


※※※※※※※※※※


音は港の空気を裂いた。


鉄が飛び、窓が割れ、煙が上がった。荷は崩れ、港の水に破片が落ち、叫び声があちこちから上がった。誰かが走った。誰かが名前を呼んだ。制服の袖に血がつき、担架が運ばれ、煙の向こうで人が倒れていた。


爆発は一度で終わらなかった。


救助に向かった者たちがいた。火と煙の中へ入った者たちがいた。港はまだ生きている者を救おうとしていた。


その時、二度目が来た。


一度目の爆発が惨事なら、二度目は意味だった。


救う者まで巻き込む爆発は、事故という言葉を遠ざけた。混乱の中で、人々はすぐに答えを探し始めた。なぜ爆ぜたのか。誰がやったのか。なぜ、この船だったのか。なぜ、武器だったのか。


港にいた者たちにとって、それは遠い国際政治ではなかった。


血があった。


焦げた鉄があった。


救助に向かった者の身体があった。


革命は、その瞬間から、もう勝利の余韻だけではいられなくなった。


※※※※※※※※※※


カストロは、驚きだけでその事件を受け止めなかった。


もちろん怒りはあった。死者が出ている。救おうとした者まで死んでいる。港で働く人々が吹き飛ばされ、革命を守るために買った武器が炎の中で失われた。その怒りは、個人的な感情で済むものではなかった。


だが、その奥に、別の冷たさがあった。


ついに来た。


そういう感覚だった。


「よくあることだ」


彼は低く言った。


近くにいた者が、顔を上げた。


カストロの声は怒鳴り声ではなかった。怒りがないのではない。怒りが大きすぎて、声がむしろ低くなっていた。


「これからは、もっと増える」


その言葉を聞いた者は、しばらく黙った。


カストロは、爆発を一つの点として見ていなかった。点ではなく、線だった。バティスタの時代にキューバを握っていた力。革命後に失われた利益。アメリカ資本の不満。反革命派の焦り。キューバが自分の手で防衛力を持つことへの恐れ。


その線の先に、港の爆発があった。


証拠はなかった。


少なくとも、新聞に載せられるような証拠はなかった。誰が命じたのか。誰が仕掛けたのか。どの書類に名前が残っているのか。そういうものは、簡単には出てこない。


だが、証拠がないことは、無実の証明には見えなかった。


むしろ、証拠を残さないことこそ、プロの仕事に思えた。


誰が、この武器を届かせたくなかったのか。


誰が、革命政府が自分の手で防衛力を持つことを恐れたのか。


誰が、傀儡だった島が本当に独立することを許せなかったのか。


答えは、法廷で言えるほど単純ではなかった。だが、疑う方角だけは、あまりにもはっきりしていた。


キューバは、ただ警戒している国ではなくなった。


襲われている国になった。


少なくとも、そう信じるだけの理由を持ってしまった。


※※※※※※※※※※


追悼式典に、サルトルは立った。


彼がそこに立った理由を、ヘミングウェイは正確には知らない。


フランス船が爆発し、フランス人として死者に弔意を示すためだったのか。革命を見に来た知識人として、目の前で起きた惨事から目を逸らさないためだったのか。あるいは、フランスでアルジェリアの独立を支持した時と同じように、帝国が小さな国を押さえつける構図そのものへ抗議するためだったのか。


たぶん、そのすべてが少しずつ混じっていた。


だが、ひとつだけ確かなことがあった。


サルトルは、立った。


自分の姿が政治的に読まれることを知りながら、その場に立った。西側の知識人が、革命政府の追悼式典に立つ。アメリカの影を疑う群衆のそばに立つ。それは、言葉にしなくても一つの態度になった。


ヘミングウェイは、式典には立たなかった。


少なくとも、彼がそこにいたと語れるだけのものはない。


彼は別の場所で事件を受け取った。


新聞。ラジオ。酒場の噂。フィンカへ届く人々の声。港で何が起きたかを語る者たちの顔。死者の数。二度目の爆発。カストロの怒り。サルトルがその場に立ったという話。


それらが、少しずつ彼の中で一つの形になっていった。


彼もまた、アメリカの影を見た。


見たくなかったわけではない。いや、見たくなかったからこそ、見えてしまったのかもしれない。キューバが自分の手で防衛力を持つことを誰が恐れるのか。革命政府に武器が届くことを誰が嫌がるのか。傀儡だった島が本当に独立しようとした時、誰がもっとも強く危機を覚えるのか。


答えは、彼の祖国の方角へ伸びていた。


そこが、サルトルとの違いだった。


サルトルにとって、それは自分の思想の延長だった。母国フランスの帝国主義を批判する時と同じように、アメリカの影にも背を向けない。彼は祖国を持ちながら、祖国の外側からものを見る姿勢を選べる男だった。


ヘミングウェイにとっては違った。


アメリカの影を指さすことは、自分の祖国を指さすことだった。


それは思想の姿勢である前に、自分自身を裂く行為だった。


彼はアメリカ人だった。アメリカの言葉で書き、アメリカの読者に読まれ、アメリカの名声を背負っていた。だが彼はキューバに暮らし、キューバの海で息をしていた。コヒマルの漁師たちの手を知っていた。フィンカ・ビヒアの朝を知っていた。バティスタ時代のハバナの腐敗も、その腐敗に自分の祖国の影があることも知っていた。


だから書けなかった。


革命を擁護する言葉も。


アメリカを疑う言葉も。


どちらも、彼の中では真実に近かった。


だからこそ、どちらも書けなかった。


※※※※※※※※※※


フィンカ・ビヒアの夜は静かだった。


港の煙はもう見えない。サイレンも聞こえない。庭には虫の声があり、犬が眠り、部屋の中には紙と本と酒があった。そこだけ見れば、いつものキューバだった。


だが、同じではなかった。


ヘミングウェイは、机の前で何も書かずにいた。


書くべきことはあった。


農地改革のまともさ。

そのまともさを恐れるアメリカ人社会。

港で爆発したフランス船。

サルトルが追悼式典に立ったこと。

カストロの怒りがなぜ自然に見えるか。

そして、自分がなぜそこに立てなかったか。


だが、どれも書けなかった。


小説家が、言葉を失っていた。


戦争なら書けた。海なら書けた。敗北する男の尊厳なら書けた。だが、祖国と生活が同じ事件の両側に立った時、彼の言葉は急に鈍くなった。


アメリカを責めれば、自分の母国を裂くことになる。


キューバを責めれば、自分の生活を裏切ることになる。


黙れば、自分自身を裏切ることになる。


彼は、どの言葉にも立てなかった。


サルトルは立った。


自分は立たなかった。


その事実が、酒よりも苦かった。


それでも、彼はまだ去らなかった。


フィンカにいた。海の近くにいた。キューバの朝を待っていた。沈黙は、まだ完全な逃亡ではなかった。彼にとって、そこに暮らしていることは、ぎりぎりの抵抗でもあった。


しかし、歴史はもう彼の沈黙を許さなくなっていた。


次に彼がカストロを見る時、そこには、ただの若い英雄はいない。


山から降りてきた勝利者でもない。


港の死者を背負い、攻撃された島を守ろうとする指導者がいる。


そして海の上には、笑顔があるだろう。魚がいるだろう。写真もあるだろう。釣り大会の明るい光が、すべてを穏やかに見せるだろう。


けれど、港で爆ぜたものは、もう消えていない。


それは海の底に沈んだのではなかった。


革命の中に沈んだのだ。


ヘミングウェイは、グラスを置いた。


夜のフィンカは静かだった。


その静けさの奥で、キューバは少しずつ硬くなっていた。

キューバに利権や権益があったアメリカと、キューバの土地をキューバで管理しようとするキューバ革命政府の対立は必然でした。


現在でフロリダを中心にキューバ移民の票田があり対立は続いています。


キューバ革命は世界に歓迎されたもののアメリカの態度は冷たいものでした。

アメリカとの関係は革命政府の人気とは反比例して冷え込んで行きます。

※更新は、月・木・土曜日(朝・夜)二回の週4話です。


次回は、土曜日の朝投稿予定です。


【お知らせ】長編のエピソードになると思わず連載を開始したので、今、前半を大幅改稿しました。


改稿後はボリュームが二倍以上になり背景もわかりやすく史実に寄せてます。(初めはヒューマンドラマを描く予定でした。)


改稿したものはタイトルに改稿としています。ぜひお読み下さい。(日本編の前まで改稿です!)


ジャンルもヒューマンドラマから歴史へ。


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