145,言葉をなくした日々
キューバ革命後、ヘミングウェイは世間に向けてキューバのことをほとんど語らなくなります。
キューバ革命後のアメリカとキューバの関係をふりかえます。
一九五九年、キューバのヘミングウェイ邸、フィンカ・ビヒア。
革命の報せを聞いた夜、ヘミングウェイは少し酔っていた。
酒のせいだけではなかった。バティスタが去り、シエラ・マエストラから降りてきた若者たちがハバナへ入った。キューバは、美しいだけの島ではなくなった。外から来た金と、警官と、マフィアと、腐敗した独裁に飾られていた島が、ようやく自分の声で話し始めたように思えた。
泥にまみれた若者たちは、ハバナのネオンよりも明るかった。破れた服、汚れた靴、傷ついた顔。だが、その汚れには意味があった。カジノの光が人間の欲望を隠すためのものなら、彼らの汚れは、島が自分自身を取り戻すためのものだった。
ヘミングウェイは、そこに自分の若い頃を見た。
第一次大戦で人間が壊れることを知り、スペインで自由のために銃を握る人間を見た。その後に辿り着いたキューバで、彼は自然と人間の古い営みに救われた。海へ出れば、名声も批評家も祖国も役に立たない。魚はノーベル賞を知らず、波は愛国心を尋ねない。
その島が、思想としても愛せる島になろうとしていた。
彼は、そう思った。
※※※※※※※※※※
翌朝、陶酔は消えていなかった。
ただ、形を変えていた。
フィンカ・ビヒアの窓から入る光は、いつもと同じだった。庭には湿気があり、犬の気配があり、机には紙があった。原稿用紙は白く、ペンもそこにあった。書こうと思えば、何かは書けるはずだった。
キューバ革命について。
カストロについて。
島が、ようやく自分の声で話し始めたことについて。
だが、彼は書かなかった。
少なくとも、アメリカの新聞へ向けて、キューバ革命を語ることはしなかった。
書けば、言葉はすぐに旗に変えられる。支持か、裏切りか。愛国か、反米か。祖国の紙面は、彼の曖昧さを許してはくれない。キューバの新聞もまた、彼の言葉をそのままにはしておかないだろう。革命に好意的なアメリカ人作家。そういう見出しは、あまりにも使いやすい。
だが、彼の心は見出しほど単純ではなかった。
彼はアメリカ人だった。
そして、キューバを愛していた。
その二つは、少し前まで大きな矛盾ではなかった。アメリカに生まれ、アメリカの言葉で書き、キューバの海で暮らす。それでよかった。海は国境を尋ねず、魚は政治を知らなかった。
しかし革命のあと、その二つは少しずつ離れ始めていた。
キューバを愛していると言えば、アメリカを裏切ったように読まれる。アメリカ人であることを強く言えば、今度は愛した島を裏切るように見える。書くことは、どちらかを選ぶことになりかねなかった。
スペイン内戦なら書けた。第一次大戦なら小説にできた。海なら寓話にできた。
けれど、キューバ革命は近すぎた。
それは政治ではなく、彼の庭の向こうにある朝だった。思想ではなく、コヒマルの漁師の手だった。外交問題ではなく、ピラーの甲板に残った塩だった。
だから、彼は書かなかった。
だが、去りもしなかった。
それが、彼にできる唯一の答えのように思えた。
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一方で、革命は勝った瞬間から、別の仕事に変わっていた。
山では、敵が見えた。バティスタの兵士がいて、警察がいて、銃声があり、逃げる道があった。勝つか負けるかは単純ではなかったが、少なくとも戦う相手は目の前にいた。
しかし、ハバナへ入ったあとの敵は、もっと見えにくかった。
砂糖の価格。土地の所有。役人の腐敗。学校の不足。病院の不足。港と銀行と外国資本。勝利の歓声が消えたあと、革命は国家運営という、もっと鈍く、もっと長い戦いに変わっていった。
フィデル・カストロは、その新しい使命に燃えていた。
彼は、勝利者として酔っているだけの男ではなかった。むしろ、勝ったからこそ、急に時間が足りなくなったように見えた。演説は長くなり、移動は増え、話す相手も増えた。農民、学生、労働者、記者、外国人、軍人、役人。誰もが、革命の次に何が来るのかを知りたがっていた。
カストロ自身も、それを知りたかったのだろう。
キューバはいきなり完全に自立できる国ではない。砂糖を売る相手がいる。機械を買う相手がいる。学校も足りない。病院も足りない。道路も、技術者も、時間も足りない。
アメリカと話せるなら、話すべきだった。
ただし、話すことと従うことは違う。
この違いを、彼は分からせたかった。
そして一九五九年四月、フィデル・カストロはアメリカへ向かった。
それは、敵国へ乗り込む旅ではなかった。
少なくとも、カストロ自身はそう考えていた。バティスタの時代へは戻らない。キューバはもう誰かの農園ではない。アメリカ資本のための夜の遊び場でも、軍人独裁のための島でもない。だが、だからといって、アメリカと永遠に敵対したいわけではない。
まだ、そうだった。
カストロには青さがあった。
その青さは、無知ではなかった。むしろ、国を作るには時間がいることを分かっている青さだった。銃で独裁者は倒せる。だが、銃だけで国民を食わせることはできない。山から降りてきた若者たちは、勝利者になった瞬間から、砂糖の価格と、土地の所有と、学校の数と、医師の不足に向き合わなければならなかった。
アメリカへ行くことは、その現実に向き合うためでもあった。
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アメリカは、彼を歓迎した。
少なくとも、街はそう見えた。
ニューヨークやワシントンで、人々は彼を見た。髭。軍服。疲れを知らない声。若さ。独裁者を倒した男。新聞は彼を面白がり、カメラは彼の表情を追い、群衆は彼に手を振った。
カストロは、その視線に高揚しなかったわけではない。
山にいた時、彼らは世界から忘れられているような存在だった。泥にまみれ、弾を数え、夜の音に耳を澄ませていた。その自分たちの戦いが、いま海を越えた国の大都市で語られている。人々が笑い、手を伸ばし、彼の名前を呼ぶ。
それは、若い革命家にとって悪い気分ではなかった。
アメリカの大衆は、カストロをひとつの物語として消費した。山から降りてきた革命家。腐敗した独裁を倒した若い英雄。古い映画の登場人物のようであり、同時にテレビの時代の新しい顔でもあった。
カストロも、それを分かっていた。
人々は彼を見ている。ならば、見せればいい。キューバは野蛮な島ではない。怒りだけの革命でもない。自分たちは、独裁を倒しただけではなく、国を作ろうとしている。アメリカ人にそれを見せられるなら、この旅には意味がある。
だが、街の歓迎と、政府の対応は同じではなかった。
ワシントンの空気は、群衆のそれとは違った。
アイゼンハワーは会わなかった。
その日程が、はじめから決まっていたものなのか。あるいは、会わないために作られたものなのか。そこにどれほどの作為があったのか、外からは分からない。
ただ、カストロの目に映った事実はひとつだった。
大統領は、彼と会わなかった。
その一方で、ゴルフへ行った。
ゴルフ。
カストロは、その軽さに一瞬、言葉を失った。
もちろん、国家の予定は一人の感情で動くものではない。大統領にも日程がある。儀礼がある。安全保障上の判断もある。そう説明することはできる。
だが、革命を終えたばかりの若い指導者にとって、それは理屈ではなかった。
自分は、島の命運を背負って来た。
土地と砂糖と学校と病院と主権の話をしに来た。
アメリカと敵にならずに済む道があるなら、それを探しに来た。
その自分は、大統領の一日の中で、ゴルフよりも優先順位が低い。
そう受け取らざるを得なかった。
怒りより先に、悲しみが来た。
その悲しみは、すぐに屈辱へ変わった。
副大統領ニクソンが対応した。
それだけで、すべてが決まったわけではない。大統領が会わないからといって、ただちに敵になるわけではない。外交には都合があり、距離があり、儀礼がある。
それでも、カストロは感じた。
アメリカ人は自分を見ている。
だが、アメリカ政府はキューバを見ていない。
大衆は英雄を見ている。
政府は資産の危機を見ている。
高揚は、そこで冷えた。
彼は、アメリカを敵にしたくて来たのではない。関係を作りに来た。話せるなら話そうと思っていた。だが、ワシントンの目には、彼の言葉の奥にあるものが最初から疑わしいものとして映っているようだった。
従属しないこと。
それが、彼らにはすでに敵対の始まりに見えている。
カストロは、そのことに苛立った。
だが、同時に学んだ。
アメリカの大衆と、アメリカ政府は同じではない。新聞の歓声と、執務室の沈黙は同じではない。手を振る人々の国と、キューバの土地や砂糖を計算する国は、同じ旗の下にありながら、まったく別の顔を持っている。
その発見は、彼の中に小さな棘として残った。
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帰国したカストロは、沈黙しなかった。
むしろ、彼の言葉はますます具体的になっていった。
それは、ただの反米演説ではなかった。怒りはあった。失望もあった。だが、彼が語り始めたのは、もっと生活に近いことだった。
土地を誰が持つのか。砂糖を誰が売るのか。小作人は、いつまで他人の土地で働くのか。労働者は、いつまで外から来た会社の都合で人生を決められるのか。子どもは学校へ行けるのか。農民は病院にかかれるのか。島は、誰のものなのか。
それは、キューバの農民や労働者にとっては、あまりにもまともな問いだった。
だが、アメリカ資本にとっては、そのまともさこそ危険だった。
革命がただの旗の交換なら、まだ扱える。独裁者が逃げ、別の指導者が宮殿に入り、写真が変わるだけなら、やり方はある。新しい権力者に近づき、新しい契約を結び、新しい夜を作ればいい。
しかし、カストロの言葉はそこへ向かっていなかった。
土地を国有化し、耕す者へ戻す。砂糖を刈る者が、砂糖によって飢えない国にする。学校と病院を、都市の飾りではなく、島の奥へ運ぶ。主権を、旗や演説ではなく、生活の形へ変える。
それは美しい言葉だった。
そして、危険な言葉だった。
なぜなら、その言葉が現実になれば、誰かが持っていたものを失うからだ。
ヘミングウェイは、それを理解していた。
フィンカ・ビヒアでラジオを聞き、新聞を読み、酒場の噂を聞きながら、彼はカストロの言葉が持つ正しさを感じていた。小作人や労働者が搾取されない国を作ろうとするなら、土地と資本の問題を避けて通ることはできない。反帝国主義を本気で言うなら、所有に触れないわけにはいかない。
それは、あまりにも筋が通っていた。
だが、筋が通っているからこそ、アメリカは受け入れがたい。
正しい問いは、いつも歓迎されるわけではない。とくに、その問いが誰かの利益に触れる時、人は問いそのものを危険思想と呼ぶ。キューバで語られているのは、民衆にとっては生活の問題だった。アメリカにとっては、資産と支配の問題だった。
同じ言葉が、立つ場所によって別の意味になる。
ヘミングウェイは、その裂け目を見ていた。
そして、また書けなくなった。
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一九五九年五月、農地改革が進み始めた。
ヘミングウェイには、その意味が分かった。
キューバの土地は、誰のものなのか。汗を流して耕した者が、なぜ自分の土地を持てないのか。砂糖の島で、なぜ砂糖を刈る者が貧しいのか。
問いは、まっすぐだった。
戦後の日本で行われた農地改革のように、地主と小作人の関係を変え、農民に土地を与える。そう言えば、アメリカの良識ある読者にも分かるはずだった。独裁を倒した国が、土地の所有を変えようとしている。それは、革命という言葉を抜きにしても、歴史の中で何度も現れた正義だった。
だが、キューバの土地にはアメリカ資本が絡んでいた。
そこが問題だった。
キューバの農民にとっての正義は、アメリカ企業にとっての損失になる。キューバの主権は、アメリカの影響力の後退になる。小作人が土地を持つことは、外から来た資本が島を持ち続けることの終わりに近づく。
同じ改革が、見る者によって解放にも略奪にもなる。
ヘミングウェイは、そこに戦争より厄介なものを見た。
戦場では、少なくとも弾は音を立てる。砲弾は、遠くから来ても、最後には爆発する。だが資本と主権の争いは、もっと静かに人を裂く。契約書、新聞、外交文書、輸出入、銀行、土地台帳。そこでは、血の代わりに数字が流れる。
そして数字は、血より冷たい。
カストロの言葉は、ますますまともになっていた。
まともになればなるほど、危険になっていた。
ヘミングウェイは、そのことを誰かに説明したかった。説明すれば、少しは自分の中の重さが減る気がした。だが、誰に向けて書けばいいのか分からなかった。
アメリカへ向けて書けば、祖国を責めることになる。
キューバへ向けて書けば、革命の側に立つことになる。
自分自身へ向けて書くには、問題が大きすぎた。
結局、彼は書かなかった。
ただ、フィンカ・ビヒアに残った。
窓を開け、海の匂いを探し、犬の声を聞き、ピラーの手入れをし、コヒマルの漁師たちと同じ朝を見た。
それは政治的発言ではなかった。
だが、完全な沈黙でもなかった。
キューバに暮らし続けること。
それ自体が、彼の答えになり始めていた。
※※※※※※※※※※
それでも、その答えは立派なものではなかった。
ヘミングウェイは、自分でそう感じていた。
若い頃なら、もっと単純に怒れたかもしれない。スペインでは、危うさを知りながらも共和国側に心を寄せた。戦う者の側に立つことを恥じなかった。ファシズムを憎み、自由のために銃を握る人間を書いた。
では、今はどうなのか。
彼はキューバ革命を理解している。カストロの言葉に知性を感じている。農地改革の正しさも分かる。アメリカ資本がその正しさを恐れる理由も分かる。
それなのに、書かない。
いや、書けない。
名誉があった。生活があった。祖国があった。出版社があり、読者があり、新聞があり、政府の目があった。アメリカ人としての自分を捨てきれない。キューバでの生活も失いたくない。愛した島を守りたいのに、祖国に背を向ける勇気もない。
彼は、その中途半端さに苛立った。
自分は、いつからこんな男になったのか。
若い革命家たちは、泥にまみれながら島を変えた。カストロは、アメリカへ行き、冷たく扱われても、なお土地と砂糖と学校と病院を語っている。危うい。青い。だが、少なくとも言葉を引っ込めてはいない。
それに比べて、自分はどうだ。
フィンカ・ビヒアに残ることを答えだと言いながら、ただ安全な形の沈黙を選んでいるだけではないのか。生活を守り、実利を守り、名誉を守り、そのうえで心の中だけで革命に酔っているのではないか。
そう考えると、彼は自分に失望した。
だが、それでも言えなかった。
言葉にすれば、もう戻せない。
その言葉は、新聞へ行く。ワシントンへ行く。ハバナへ行く。誰かの耳へ行き、誰かの書類へ入り、誰かの敵意になる。
だから彼は、言葉を飲み込んだ。
しかし、飲み込まれた言葉は消えない。
それは、胸の奥で熱を持ったまま残る。
いつか、海の上で、本人を前にした時、その熱が、彼の理性を越えてしまうかもしれない。
その時のヘミングウェイは、まだそれを知らなかった。
ただ、フィンカ・ビヒアの朝に立ち、遠くの海を見ていた。
キューバは美しかった。
そして、その美しさはもう、政治から逃げられなくなっていた。
キューバ革命は世界に歓迎されたもののアメリカの態度は冷たいものでした。
アメリカとの関係は革命政府の人気とは反比例して冷え込んで行きます。
※更新は、月・木・土曜日(朝・夜)二回の週4話です。
次回は、木曜日の夜、投稿予定です。
【お知らせ】長編のエピソードになると思わず連載を開始したので、今、前半を大幅改稿しています。
改稿後はボリュームが二倍以上になり背景もわかりやすく史実に寄せてます。(初めはヒューマンドラマを描く予定でした。)
改稿したものはタイトルに改稿としています。ぜひお読み下さい。(日本編の前まで改稿です!)
ジャンルもヒューマンドラマから歴史へ。
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