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ゲバラとカストロ ~革命は二人で始まり、一人で終わる~  作者: 相馬ゆう
引き裂かれる星条旗【後編】~肌とベトナム~
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129,忠誠心の定義

※5/4月曜日予約投稿のミスでゴールデンウィーク最終日に投稿です。


ベトナム戦争が持たないというマクナマラに対してジョンソン大統領はそれを分かりつつ答えがでないまま――

前の面会から数日後、マクナマラ長官はふたたびホワイトハウスへ呼ばれた。


前回は、まだ政策の話だった。文書、数字、比較、損失、選択肢。そういう言葉で、かろうじて会話は保たれていた。


だが、今回は違う。


私は、長官の横顔を見ながらそう感じていた。


紙の中身ではない。

その紙を出した人間の話になる。


ロバート・マクナマラ長官は、いつも通り静かだった。だが、その静けさは前回より硬かった。もう説得できると思っている人間の顔ではない。けれど、撤回する人間の顔でもなかった。


ホワイトハウスの廊下は、いつもより近く感じた。


壁も、絨毯も、扉も、すべてが大統領の側にあるように見えた。


※※※※※※※※※※


リンドン・ジョンソン大統領は、机の向こうで紙を見ていた。


前回、長官が置いてきた文書だった。


それはまだ破られていなかった。捨てられてもいなかった。だが、大統領の机の上にあるそれは、政策案というより、処分を待つ危険物のように見えた。


「大統領。」


長官が言った。


「前回の提案について、お考えを伺いたいのです。」


ジョンソンは顔を上げた。


「考えたさ。」


声は低かった。


「何度も考えた。寝る前にも考えた。朝、目を覚ましても考えた。だがな、ボブ。考えれば考えるほど、この紙は厄介だ。」


長官は黙っていた。


「君は、俺に何をしろと言っている。」


「急に戦争を終わらせろと申し上げているのではありません。」


長官は静かに答えた。


「できるだけ衝撃を残さず、ゆっくりと、こちらがまだ選べるうちに戦争を小さくするべきだと申し上げています。」


ジョンソンの目が細くなった。


長官は続けた。


「兵力をこれ以上増やさない。爆撃を交渉の障害にしない。南ベトナム側へ負担を移す。最後は、南ベトナム自身の判断に見える形へ近づける。」


「アメリカが逃げたのではない、と。」


「はい。」


「南ベトナムが自分で立つ道を選んだのだと。」


「そう見える形に近づけるべきです。そのためには、今から準備しなければなりません。押し流されてからでは、撤退は計画ではなく処理になります。」


ジョンソンは、ゆっくりと紙を机に置いた。


「君は簡単に言うな、ボブ。」


声はまだ大きくなかった。


だが、部屋の空気が変わった。


「ゆっくり小さくしろ。衝撃を残すな。南ベトナムの判断に見せろ。そんなことができるなら、とっくにやっている。」


「簡単だとは思っていません。」


「思っていないだけでは足りない。」


ジョンソンは立ち上がった。


大きな体が、机の向こうで影になった。


「俺はテキサスの田舎からここまで来た。金持ちの家に生まれたわけじゃない。血のにじむような選挙を戦ってきた。地元の顔も、南部の怒りも、白人の恐怖も、貧しい者の恨みも知っている。」


長官は黙って聞いていた。


「一九六〇年には、あの若くて美しいケネディに負けた。あいつは光だった。俺は裏方だった。みんな、あいつを見る。あいつの笑顔を見る。あいつの家を見る。俺がどれだけ議会を動かしてきたかなんて、誰も見やしない。」


ジョンソンの声は、少しずつ熱を帯びていった。


「それでも副大統領を引き受けた。大統領になったのも、望んだ形じゃない。血のついた車列の後ろから、この椅子に座ったんだ。」


私は息を止めた。


その言葉には、怒りだけではないものがあった。屈辱、疲労、そして、拭いきれない劣等感のようなもの。


ジョンソンは続けた。


「それでも俺はやった。南部を相手にした。昔の仲間を敵に回した。公民権を前に進めた。投票権も通した。貧しい者のための政策もやった。学校も、医療も、仕事も、俺はこの国を少しでもましにしようとした。」


彼は机を指で叩いた。


「それで、何が悪い。」


長官は答えなかった。


「ベトナムまで、全部俺が悪いのか。」


その声は、怒号ではなかった。


むしろ、問いだった。


大統領が、誰かにではなく、自分自身に向けて投げている問いだった。


※※※※※※※※※※


私は、その場で初めてジョンソンを一人の人間として見た気がした。


これまで私は、長官の孤独を見ていた。


戦争の数字を読み、ドルの信用を見て、同盟の重さを見て、撤退の危険を見て、それでも誰にも理解されない場所に立っている人間。


ロバート・マクナマラは、歴史の流れの中で貧乏くじを引いた人なのだと思っていた。


だが、この部屋にはもう一人いた。


リンドン・ジョンソンもまた、同じだった。


彼は理性の側からではない。

政治の側から、同じ崩壊を見ていた。


長官には、数字が見えていた。


ジョンソンには、票が見えていた。南部が見えていた。兵士の母親が見えていた。共和党の攻撃が見えていた。同盟国の疑いが見えていた。


長官は、国家がどう壊れるかを見ていた月曜日


大統領は、自分の足元の床がどう抜けるかを感じていた。


どちらもアメリカを見ている。

だが、見ているアメリカが違う。


だから、同じ言葉を話せない。


※※※※※※※※※※


長官は、しばらく沈黙していた。


それから、静かに口を開いた。


「大統領。」


「何だ。」


「では、大統領は何をお望みなのですか。」


その問いは、部屋の奥へまっすぐ落ちた。


ジョンソンはすぐには答えなかった。


机の上の紙を見る。

窓の外を見る。

もう一度、長官を見る。


そして低く言った。


「忠誠だ。」


長官の眉が、わずかに動いた。


「私は、合衆国に対して忠実であるつもりです。」


「そういう話をしているんじゃない。」


ジョンソンの声が低くなった。


「俺が欲しいのは、ただの忠誠心じゃない。」


長官は、静かに聞き返した。


「意味が分かりません。」


その瞬間、ジョンソンの顔色が変わった。


怒りというより、何かを吐き出す前の顔だった。


「それじゃ、分かりやすく言ってやる。」


ジョンソンは、机の上の紙を指で叩いた。


「俺が間違っているかどうかを説明する忠誠じゃない。真っ昼間のメイシーズのショーウィンドウで、俺の尻にキスして、それをバラの匂いだと言える忠誠だ。」


部屋の空気が止まった。


私は言葉を失った。


あまりにも下品だった。

あまりにもむき出しだった。


だが、その下品さの奥に、大統領が本当に求めているものが見えた。


ジョンソンは続けた。


「俺の足元に穴があるとき、その穴を指さす男じゃない。そこに板を渡し、花を置き、誰にも穴を見せない男だ。俺が必要としているのは、そういう男だ。」


長官は何も言わなかった。


言い返す言葉がなかったのではないと思う。


言い返せば、この部屋にまだ同じ論理が残っていることになる。


だが、もう違っていた。


長官が差し出したものは、分析だった。比較だった。責任だった。誠実さだった。


けれど、この部屋では、それらは忠誠の不足として扱われていた。


私は、その沈黙を見ているのがつらかった。


怒れば、まだ傷は外に出る。

だが長官は怒らなかった。


彼は、その言葉を内側で受け止めてしまった。


※※※※※※※※※※


ジョンソンは椅子に戻った。


大きな体が沈むように見えた。


「君の紙は正しいのかもしれない。」


彼は言った。


「だから危険なんだ。」


長官は顔を上げた。


「正しすぎる紙は、人を殺す。政権を殺す。兵士の死を、何だったのかと問い直させる。」


「問い直さなければならない時もあります。」


「大統領は、毎日それをやっている。」


ジョンソンは即座に言った。


「だが、国民全員に毎朝それをやらせるわけにはいかない。母親に、あなたの息子は間違った計算で死にましたと言うのか。兵士に、お前が戦っている戦争は、もう政治的には持たないと言うのか。同盟国に、アメリカは最後まで守れないかもしれないと言うのか。」


長官は沈黙した。


「君は、穴があるなら見た方がいいと言う。」


「はい。」


「俺は、その穴の上に国が立っているのを知っている。」


ジョンソンの声は、少しかすれていた。


「だから、すぐに壊せない。」


その言葉で、私はようやく分かった。


ジョンソンは穴を見ていないのではない。


見ている。

見えている。


だからこそ、それを隠す忠誠を求めているのだ。


マクナマラは、国家の損失を見ていた。

ジョンソンは、その損失が政治の床を抜く瞬間を見ていた。


どちらが正しいのか。


その問いでは、もう足りなかった。


この国は、正しさだけでほどけるほど単純ではなかった。


※※※※※※※※※※


部屋を出るとき、ジョンソンは最後に言った。


「ボブ。」


長官が振り返る。


「俺は君を憎んでいるわけじゃない。」


「分かっています。」


「分かっているなら、少しは俺を助けろ。」


その言葉には、命令よりも疲労があった。


長官は短く頭を下げた。


「私は、助けようとしています。」


ジョンソンは何も言わなかった。


その沈黙が、答えだった。


私は、これで終わりだと思った。


だが、ジョンソンはもう一度口を開いた。


「ボブ。」


長官は、扉の前で足を止めた。


「世界銀行の話がある。」


長官の表情が、ほんのわずかに変わった。


「世界銀行、ですか。」


「ああ。ウッズの後任だ。推薦の話が来ている。財務も動いている。君には向いている。」


部屋の空気が、少しだけ別のものへ変わった。


先ほどまでの怒りとは違う。

だが、温かさとも違う。


長官は、すぐには答えなかった。


それが栄転なのか、退場なのか、私には分からなかった。長官にも分からなかったのかもしれない。


ジョンソンは続けた。


「二月までは国防長官として務めてくれ。君の手腕はまだ必要だ。戦争は続いている。俺も、君も、まだ途中で席を立てない。」


「大統領。」


「勘違いするな。」


ジョンソンは低く言った。


「これは罰じゃない。」


そこで少しだけ間が空いた。


「だが、ここに置き続けることもできない。」


長官は黙っていた。


ジョンソンは、机の上の紙に目を落とした。


「君は穴を指さす。俺には、それが必要な時もある。だが、毎日それをやられると、政権は歩けなくなる。」


「では、私は。」


「二月まで、国防長官だ。」


ジョンソンは言った。


「それまでは、君の仕事をしてくれ。」


長官は、短くうなずいた。


「承知しました。」


それ以上、二人は何も言わなかった。


廊下へ出ると、ホワイトハウスの空気は前より冷たく感じた。


長官はいつも通り歩いた。


だが私は、その横顔が少しだけ遠く見えた。


「長官。」


「はい。」


「今ので、決まったのですか。」


長官はすぐには答えなかった。


「何がですか。」


「この政権の中に、長官の居場所があるかどうかです。」


長官は前を見たままだった。


「居場所は、まだあります。」


私は顔を上げた。


「ですが、役割はもうないのかもしれません。」


その言葉は静かだった。


怒りではない。

侮辱への反応でもない。


もっと深いところから来る、判断だった。


自分が差し出せるものは、もうこの政権には必要とされていない。


必要とされているのは、分析ではなかった。

忠告でもなかった。

大統領の足元に開いた穴を、バラの匂いだと言える忠誠だった。


マクナマラには、それはできなかった。


けれどジョンソンもまた、マクナマラを落とさなかった。


同じ部屋には置けない。

だが、泥の中へ捨てることもできない。


それが温情なのか、政治なのか、あるいはその両方なのか、この時の私には分からなかった。


※※※※※※※※※※


十二月の終わり、ホワイトハウスはクリスマスの飾りに包まれていた。


普段のジョンソンは、無駄を嫌う人間だった。明かりも、食事も、人の時間も、必要以上に使われることを好まなかった。だが、この時期だけは少し違っていた。ホワイトハウスの部屋には緑の枝が飾られ、灯りはやわらかく、重い壁の内側にも家族の季節が入り込んでいた。


その年のクリスマスには、ワシントンにも雪が舞った。


厚く積もるほどではない。けれど窓の外の光は、いつもより少し白かった。


その夜、私は国防総省からの連絡役として、短い用件を終えたあともしばらく建物の中に残っていた。廊下の向こうから、かすかに笑い声が聞こえた。


外では、遠く反戦の声が聞こえていた。


大きな叫びではない。

壁を震わせるほどでもない。


だが、消えてはいなかった。


戦争を止めろ。

息子たちを帰せ。

嘘をやめろ。


その声は、冬の空気を通って、ホワイトハウスの厚い壁の向こうまで届いていた。


私は、扉の開いた部屋の奥にジョンソンの姿を見た。


大統領は、先日の部屋にいた男とは違って見えた。


足元には白い犬がいた。


ユキだった。


娘のルーシーが、テキサスのガソリンスタンドで拾ってきた犬だと聞いていた。白い毛を見た誰かが、日本語で雪を意味する名前をつけたのだという。


ユキ。


その名の通り、白い犬はジョンソンの足元に体を寄せていた。


ジョンソンは、その犬を抱き寄せた。


白い毛が、彼の大きな手の中で少し乱れた。その手つきは乱暴に見えるほど不器用だったが、犬は安心しきったように身を預けている。


ジョンソンは、しばらくユキを見ていた。


その白い犬の向こうに、何を見ていたのだろう。


ワシントンから見れば、極東のさらに奥にあるように感じられるジャングルで戦っている若者たちだったのかもしれない。母親の元へ帰れない兵士たちだったのかもしれない。あるいは、テキサスの埃の中から、何度も踏まれながらここまで這い上がってきた、自分自身だったのかもしれない。


北の名門の家に生まれた者たちとは違う。


美しい屋敷も、洗練された名前も、最初から開かれた扉もなかった。


自分の人生は、どこか野良犬のようだった。


拾われるのを待つのではない。

吠え、走り、噛みつき、自分の場所を奪い取るしかなかった。


それでも、ここまで来た。


テキサスから。

南部から。

南北戦争以来、長く疑われ、遅れ、軽んじられてきた土地の匂いを背負って、ホワイトハウスの椅子まで来た。


それは、彼にとって誇りだった。


だが、その誇りの上に、ベトナムが乗っていた。


大統領は、ユキの背を撫でたまま俯いた。


幸せなのか、不幸せなのか。

勝ったのか、負けたのか。

まだやるべきなのか、もう帰るべきなのか。


その境目が、彼自身にも分からなくなっているように見えた。


娘のルーシーが、そばに立っていた。


「お父さんは悪くないわ。」


その声は、家族の声だった。


大統領に向けたものではない。

父親に向けた声だった。


ジョンソンは笑おうとしたが、うまく笑えなかった。


「みんながそう思ってくれればいいんだがな。」


「だって、本当にそうよ。お父さんは逃げていない。みんなと向き合っている。夜も眠らずに仕事をしている。体のことだって、ちゃんと気にしようとしている。」


ジョンソンは、ユキの耳の後ろを撫でた。


犬は目を細めた。


部屋の中には、クリスマスの光があった。

外には、反戦の声があった。


その二つが、同じ夜に存在していた。


「もう一期やるべきなのかな。」


ジョンソンは、誰に言うでもなくつぶやいた。


ルーシーはすぐには答えなかった。


大統領は窓の方を見た。


「それとも、ワシントンから離れて、テキサスの牧場に戻るか。」


声は小さかった。


「みんなで。静かに。」


ルーシーは少しだけ笑った。


「牧場なら、ユキも喜ぶわ。」


ジョンソンは、ようやく少し笑った。


「こいつはどこでも喜ぶ。」


そう言って、ユキの背を撫で続けた。


その姿を見て、私は胸の奥が痛くなった。


この人は、世界で最も強い国の大統領だった。


そしてその夜、ただ疲れた父親の顔をしていた。


※※※※※※※※※※


ジョンソンは、マクナマラの話を理解していなかったわけではない。


むしろ、理解していた。


このままでは持たないことも、どこかで戦争を小さくしなければならないことも、押し流されてからでは遅いことも、彼は分かっていた。


ただ、それを受け入れるには、あまりに理不尽だった。


ベトナムは、彼一人が始めた戦争ではない。

ケネディの時代から広がり、自分の代でさらに大きくなってしまった戦争だった。


それでも、最後に責任を取るのは大統領である自分だった。


だからジョンソンは、戦争をゆっくり小さくしたかったのだと思う。


アメリカが逃げたのではない。

南ベトナムが、自分で立つ道を選んだのだ。


そう見える形を、どうにか守りたかった。


だが、その形はあまりに脆かった。


翌年一月。


それは、テレビの画面の前で破れることになる。

クリスマスが終わり1967年が終わります。

そして、1988年アメリカを揺るがす事件が始まります。


※更新は、月・木・土曜日(朝・夜)二回の週4話です。(予約投稿のミスで5/2の投稿ができなくてすいません。)

次回は明日、木曜日の夜投稿予定です


【お知らせ】長編のエピソードになると思わず連載を開始したので、今、前半を大幅改稿しています。


改稿後はボリュームが二倍以上になり背景もわかりやすく史実に寄せてます。(初めはヒューマンドラマを描く予定でした。)


改稿したものはタイトルに改稿としています。ぜひお読み下さい。(日本編の前まで改稿よていです!)


ジャンルもヒューマンドラマから歴史へ。


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