灰境
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第二章 灰境
第9話 灰境
前書き
人は、
知らない土地を恐れます。
地図の白い場所。
誰も帰ってこなかった道。
そこには怪物がいると、
誰もが信じています。
けれど、
本当に恐ろしいのは、
誰も知らなくなった場所なのかもしれません。
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旅立ちから十一日目の朝。
馬車はゆっくりと最後の街道を進んでいた。
舗装されていた石畳はとうになくなり、車輪はむき出しの土を軋ませながら進んでいく。
左右には深い森。
幹の太い古木が空を覆い、昼間だというのに薄暗い。
鳥の声も少ない。
代わりに風が枝を揺らす音だけが、静かに耳へ届いていた。
御者台で手綱を握るガルドが、小さく呟く。
「……着くぞ。」
その一言に、護衛兵たちの空気が変わった。
誰も冗談を言わない。
笑顔も消える。
槍を持つ手に自然と力が入っていた。
アルフレッドだけが、荷台から身を乗り出した。
「もう見える?」
「まだだ。」
「あとどれくらい?」
「十分も走ればな。」
「楽しみだなぁ。」
その言葉に若い兵士が苦笑した。
「普通は怖がるものなんですがね。」
「そうなの?」
「灰境ですよ?」
「うん。」
「魔物が出るんですよ?」
「話には聞いた。」
「それでも楽しみなんですか?」
アルフレッドは少し考えた。
「知らない場所だから。」
「え?」
「見たことがない景色って、少しわくわくしない?」
兵士は返事ができなかった。
普通なら恐怖を覚える。
しかしこの少年は、本当に知らない世界を見に行く子どものような目をしていた。
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森を抜けると、視界が一気に開けた。
護衛兵たちが思わず馬を止める。
その先に広がっていたのは――
灰色だった。
山。
岩肌。
崩れた石壁。
枯れた木々。
煙のような朝霧。
そして遠くに見える、朽ち果てた城壁。
「……これが。」
アルフレッドが息を呑む。
「灰境。」
ガルドが静かに答えた。
王国地図では一つの開拓領。
しかし実際に目の前へ広がる景色は、一つの世界だった。
広い。
あまりにも広い。
見渡す限り、山と森が続いている。
その大地のどこかに、人が住んでいるという。
「大きい……。」
アルフレッドは思わず呟いた。
「僕、一つの村くらいだと思ってた。」
「村だけじゃねぇ。」
ガルドが遠くを指さす。
「あそこ。」
目を凝らすと、小さな煙が見えた。
「炊事の煙?」
「ああ。」
「人がいるんだ!」
アルフレッドの表情が一気に明るくなる。
護衛兵たちは少し驚いた。
崩れた砦でも。
魔物でも。
まず目を向けたのは、人が暮らしている証だった。
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しかし。
ガルドの顔は険しいままだった。
「アル坊。」
「うん?」
「ここから先は、本当にお前さんの領地だ。」
「うん。」
「俺たちは村まで送ったら帰る。」
「分かってる。」
「帰りたくなったら、もう戻れねぇぞ。」
アルフレッドは少しだけ空を見上げた。
青い空だった。
屋敷から見ていた空と同じ色。
けれど吹く風は違う。
匂いも違う。
音も違う。
「……うん。」
静かに頷く。
「でも。」
少し笑った。
「ここからが始まりなんだよね。」
ガルドは豪快に笑った。
「そうだ!」
「その顔なら大丈夫だ!」
老人は馬の腹を軽く蹴る。
「行くぞ野郎ども!」
「灰境最後の坂だ!」
馬車がゆっくり坂を下り始める。
その先には、小さな村があった。
傾いた柵。
崩れかけた家々。
畑は半分以上が草に埋もれている。
子どもたちが遠くからこちらを見ていた。
痩せた犬が一匹、警戒するように吠える。
そして村の入口には、一人の老人が立っていた。
長い白髪。
日に焼けた皺だらけの顔。
古びた杖。
その老人は近づく馬車をじっと見つめ、小さく呟く。
「……また来たか。」
その声には期待も歓迎もなかった。
ただ、何度も裏切られてきた者だけが持つ、静かな諦めが滲んでいた。
アルフレッドは馬車からその姿を見つめる。
(あの人が……。)
灰境で最初に出会う領民だった。
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第二章 灰境 開幕




