最初の領民
第二章 灰境
第10話 最初の領民
前書き
人は、
知らない人を警戒します。
裏切られた人ほど、
簡単には信じません。
だからこそ、
最初の言葉は、
何よりも大切なのです。
⸻
馬車がゆっくりと村の入口で止まった。
車輪が乾いた土を踏みしめる音が消えると、辺りは不思議なほど静かになった。
村人たちは家の陰や柵の向こうから様子を窺っている。
老人。
女たち。
子ども。
誰一人として近寄ろうとはしない。
ただ、新しく来た貴族を見つめていた。
護衛兵の一人が小さく呟く。
「歓迎されてませんね。」
ガルドは鼻を鳴らした。
「当たり前だ。」
「今まで何人も送られてきたんだ。」
「そのたびに見捨てられた。」
「期待する方が馬鹿になる。」
アルフレッドは黙って村を見回した。
家は二十軒ほど。
しかし屋根が落ちた家も多い。
井戸の周囲には苔が生え、広場だった場所には雑草が伸び放題になっている。
畑も痩せていた。
収穫できる土地は半分ほどしかない。
(思ったより……。)
(大変そうだ。)
そう感じた。
かわいそう、ではない。
まず最初に浮かんだのは、
「どこから直そう」
だった。
⸻
老人が一歩前へ出る。
「お前さんが。」
低く掠れた声。
「新しい領主か。」
アルフレッドは馬車を降りた。
護衛兵たちが慌てて周囲を警戒する。
だが彼は老人の前まで歩いていき、深く頭を下げた。
「初めまして。」
「アルフレッド・ロナ・ヨーレリヒトです。」
「今日からお世話になります。」
老人は固まった。
後ろで見ていた村人たちも、小さくざわめく。
貴族が、
領民へ頭を下げた。
そんな光景を見た者は、一人もいなかった。
「……変わった坊主だ。」
老人はぽつりと言った。
「よく言われます。」
アルフレッドは少し照れくさそうに笑った。
「そうか。」
老人はしばらく少年を見つめる。
青い瞳。
まだ幼さの残る顔。
貴族らしい豪華な服ではあるが、その膝には旅の土が付いている。
目だけは真っ直ぐだった。
「わしはバルド。」
「この村で、一応まとめ役をやっとる。」
「よろしくお願いします、バルドさん。」
「……さん?」
また周囲がざわついた。
領主が、
村長へ「さん」を付けた。
ガルドは後ろで豪快に笑う。
「はっはっは!」
「始まったな!」
「この坊主は昔からこうなんだ!」
⸻
バルドは困ったように頭を掻いた。
「坊主。」
「はい。」
「まず一つ聞く。」
「はい。」
「何日ここにいる?」
アルフレッドは首を傾げた。
「何日?」
「今まで来た貴族はな。」
「一週間。」
「長くても一か月。」
「魔物を見て逃げた。」
「冬を見て逃げた。」
「税だけ持って帰った奴もいた。」
老人の声は静かだった。
怒りではない。
諦めだった。
「だから聞く。」
「お前さんは、いつ逃げる。」
村人たち全員が、
アルフレッドを見ていた。
子どもまで息を止めている。
アルフレッドは少し考えた。
本当に少しだけ。
「逃げません。」
老人は何も言わない。
「だって。」
アルフレッドはきょとんとした顔で続けた。
「ここ、僕の家になるんでしょう?」
風が止んだ。
村人たちは顔を見合わせる。
「家……?」
「うん。」
「だから帰る場所は、ここ。」
「屋敷じゃないよ。」
アルフレッドは後ろを振り返った。
王都へ続く街道。
十一日かけて来た道。
「もう帰る家、ないし。」
その一言だけは、
少しだけ寂しそうだった。
⸻
バルドは黙って少年を見る。
この子は、
追放されて来たのか。
老人には何となく分かった。
だからこそ、
帰る場所がないと言ったのだ。
「……そうか。」
短く頷く。
それ以上は聞かなかった。
「なら、一つだけ忠告しよう。」
「はい。」
「灰境は、人より自然の方が強い。」
「魔物だけじゃない。」
「冬も。」
「山も。」
「森も。」
「全部敵だ。」
「はい。」
「それでも。」
老人は少年の目を見る。
「逃げるな。」
アルフレッドは笑った。
「大丈夫です。」
「僕、一人じゃないから。」
「?」
アルフレッドは村人たちを見回した。
「皆さんがいます。」
村人たちは息を呑んだ。
「僕は分からないことばかりです。」
「だから。」
「いっぱい教えてください。」
「その代わり。」
「僕も頑張ります。」
その言葉は、
立派な演説ではなかった。
十二歳の少年が、
ただ思ったことを口にしただけだった。
しかし。
その場にいた誰もが感じていた。
今まで来た貴族とは、
何かが違う。
バルドは小さく息を吐き、
ゆっくりと右手を差し出した。
「……ようこそ。」
「灰境へ。」
アルフレッドは嬉しそうにその手を握る。
「よろしくお願いします!」
その握手が、
灰境の新しい歴史の、
最初の一歩になった。
⸻
第10話 最初の領民 了




