水の行方
第二章 灰境
第43話 水の行方
前書き
一つを直せば、
すべてが元通りになる。
そんなに簡単なら、
きっと誰も苦労しません。
長い年月をかけて壊れたものは、
一つの場所だけが、
壊れているわけではないのです。
けれど。
一つ直したからこそ、
次に直すべき場所が、
見えることもあります。
⸻
ごぽ。
灰境の村。
井戸の底で、
また泡が弾けた。
「……また下がった」
リーナが呟く。
井戸の縁には、
バルド。
エッダ。
ヘルマン。
ノエル。
そして村人たちが集まっていた。
「桶を下ろせ」
バルドが言う。
「一番下までじゃ」
「はい!」
若者二人が縄を送り出す。
する。
する。
する。
いつもなら。
もっと早く。
水面へ届く。
だが今日は。
まだ。
縄が下りていく。
「……長いな」
ヘルマン。
「昨日より」
「どれくらい?」
ノエル。
井戸の縁へ。
印。
見る。
「およそ」
「一メートル半」
「そんなに?」
エッダの顔が曇る。
ようやく。
ぽちゃん。
桶。
水面。
「着いた!」
「上げろ」
縄。
引く。
上がってきた水。
誰も。
すぐには触れない。
ノエル。
覗く。
「……濁りは?」
「さっきより」
ヘルマン。
「少ない?」
「灰色の糸が」
「見えませんね」
エッダ。
「水位は下がった」
「でも」
「水はきれいになってる?」
誰も。
答えられない。
⸻
「飲むなよ」
バルド。
「若様たちが戻るまで」
「井戸水は使わん」
「でも」
村人。
「貯めた水は」
「二日分くらいだろ?」
「二日半です」
ノエル。
「節約すれば」
「ただし」
「今からさらに」
「配給量を一割減らします」
「一割?」
「井戸が使用不能になった場合に備えます」
ざわ。
不安。
広がる。
だが。
昨日までとは違う。
広場。
樽。
並ぶ。
水。
ある。
少なくとも。
今すぐ。
喉が渇くわけではない。
「若様」
バルド。
小さく。
「先に貯めておいて」
「正解じゃったな」
⸻
一方。
地下。
「アル坊!」
ガルドの声が響く。
「目ぇ開けろ!」
「……開いてる」
「半分だ!」
「半分でも」
「見えてる」
「口答えできるなら」
「まだ大丈夫だな!」
ガルドの背中。
アルフレッド。
乗っている。
約束通り。
歩かせてもらえなかった。
「自分で歩けるよ」
「却下」
「でも」
「却下」
「ガルドさん」
「却下」
「まだ何も言ってない」
「どうせ降ろせだろ」
「……はい」
「却下」
⸻
先頭。
A―07。
その後ろ。
B―03。
ベルン。
マルク。
最後。
ガルド。
全員。
急いでいる。
『第四浄化塔』
『内部圧力――上昇継続』
A―07。
「危険?」
『判定不能』
「爆発するとか?」
『可能性――低』
「じゃあ何が起きる」
『旧排圧系統へ』
『流路変更中』
ノエルはいない。
だから。
アルフレッド。
必死。
覚える。
「旧排圧系統」
「それが第一浄化施設?」
『一部接続』
「一部?」
『複数経路存在』
「どこ?」
『記録欠損』
ガルド。
「またそれか」
『謝罪』
「いや」
「お前が悪いわけじゃねえ」
⸻
B―03。
突然。
止まる。
「ビーさん?」
『……』
「どうした?」
『水音』
全員。
止まる。
聞く。
ごおおおお……。
遠い。
地下。
どこか。
水。
流れる。
「さっきまで」
「こんな音したか?」
ベルン。
「いや」
マルク。
「別の水路が」
「動いた?」
『肯定可能性』
A―07。
『下層水門閉鎖により』
『休眠流路』
『一部再稼働』
「休眠?」
アルフレッド。
「使われてなかった道に」
「水が流れ始めたってこと?」
『肯定』
「それ」
「いいこと?」
『不明』
「ですよね……」
⸻
第一浄化施設。
制御室。
戻る。
ノエル。
いない。
地上。
だから。
青い表示。
A―07。
読む。
『下層水門』
『完全閉鎖』
『第四浄化塔』
『流入量――低下』
「よし」
ガルド。
「目的は達成だ」
「でも」
アルフレッド。
「村の井戸」
『地下水位変動可能性』
「やっぱり」
「水門を閉じたから?」
『直接因果――不明』
「調べられる?」
『第一浄化施設』
『水循環記録』
『参照』
壁。
光る。
青い。
線。
何本も。
現れる。
「地図?」
『水系統図』
アルフレッド。
ガルドの背中から。
見る。
「降ろして」
「駄目」
「見えない」
「……」
「ちょっとだけ」
「倒れたら」
「背負う」
「今も背負ってる」
「そうだった」
ガルド。
仕方なく。
アルフレッド。
椅子。
座らせる。
「立つな」
「はい」
⸻
青い線。
複雑。
村。
地下。
第一浄化施設。
第四浄化塔。
さらに。
遠く。
「これ」
アルフレッド。
「全部」
「水?」
『肯定』
「川も?」
『一部』
「井戸も?」
『推定接続』
「じゃあ」
ガルド。
「灰境の水」
「この施設が全部管理してたのか?」
『否定』
「違う?」
『自然水系』
『人工水系』
『複合』
ベルン。
「分かるように言ってくれ」
アルフレッド。
考える。
「もともとの川や地下水に」
「昔の人が」
「水路を足した?」
『概ね肯定』
「概ね」
「便利な言葉覚えたな」
ガルド。
⸻
「村」
アルフレッド。
「どこ?」
A―07。
青い点。
表示。
『現居住区――推定位置』
「この線」
「井戸?」
『旧生活用給水枝線』
「生活用」
ガルド。
「やっぱり」
「施設から来てたのか?」
『一部』
「一部?」
『地下水層へ』
『補助給水』
アルフレッド。
理解。
「井戸そのものは」
「地下水」
「でも」
「昔は施設からも」
「水を足してた?」
『肯定』
「それが」
「水門を閉じたから」
「止まった?」
『可能性』
⸻
「でも」
ベルン。
「それなら」
「水位が下がるだけだろ」
「灰の菌糸が減ったのは?」
A―07。
『解析』
表示。
変わる。
『侵食経路』
『第四浄化塔』
『下層水路』
『地下水層』
「……」
アルフレッド。
息。
止める。
「井戸に」
「菌糸が出てたの」
「第四浄化塔から?」
『可能性――高』
「じゃあ」
水門。
閉じた。
水。
減った。
しかし。
同時に。
汚染された水も。
止まった。
「成功してる」
アルフレッド。
呟く。
「少なくとも」
「一つは」
ガルド。
頷く。
「ああ」
「無駄じゃなかった」
⸻
『警告』
「……今度は何?」
ガルド。
疲れた顔。
『第一浄化施設』
『水圧上昇』
「それ」
「さっき言ってた」
『旧排圧経路』
『自動開放』
「どこへ!」
青い線。
一つ。
光る。
村。
ではない。
第一浄化施設。
北。
山。
さらに。
遠く。
「これ」
「どこ?」
『旧第二浄化塔方面』
全員。
黙る。
「第二浄化塔」
アルフレッド。
思い出す。
最初。
表示。
『第二浄化塔――応答なし』
「動いてないところ?」
『肯定』
「そこへ」
「水を流してる?」
『緊急排圧経路』
『開放中』
「大丈夫なのか」
『不明』
また。
それ。
⸻
青い線。
第二浄化塔。
向かう。
点滅。
一。
二。
三。
そして。
『接続』
「繋がった」
『流入開始』
数秒。
『第二浄化塔』
『応答――』
全員。
表示。
見る。
『なし』
「……」
ガルド。
「だよな」
しかし。
次。
『内部水位――上昇』
「待て」
「応答しないのに」
「水は入ってる?」
『肯定』
「それ」
「溢れない?」
『容量』
『記録欠損』
「嫌な予感しかしねえ」
⸻
「地上へ」
アルフレッド。
「戻ろう」
「やっと」
ガルド。
「まともなこと言ったな」
「井戸」
「見たい」
「休むためじゃねえのか!」
「井戸見てから休む」
「駄目だ」
「見るだけ」
「駄目」
「一分」
「駄目」
「三十秒」
「値切るな!」
⸻
階段。
上。
光。
夕方。
外。
「領主様!」
村人。
集まる。
「戻った!」
「若様!」
「アルフレッド!」
セルマ。
杖。
つきながら。
前。
出る。
そして。
ガルドの背中。
見る。
「……」
「セルマ」
「ただいま」
「……」
「水門」
「閉じたよ」
「……」
「完全に」
「閉じた」
「……」
「セルマ?」
「約束」
「え?」
「無茶をしない」
「……」
アルフレッド。
目。
逸らす。
「破りましたね」
「いや」
「これは」
「必要な」
「無茶ですか?」
「……」
「そうとも」
「言えるような」
「言えません」
「はい」
ガルド。
「説教は」
「寝かせてからにしてくれ」
「はい」
セルマ。
即答。
「するんだ」
アルフレッド。
⸻
「若様」
バルド。
「井戸じゃ」
「水位が」
「下がっておる」
「聞いた」
「でも」
「水」
「見せて」
ガルド。
「おい」
「これだけ」
「……三十秒」
「やった」
「喜ぶな」
⸻
井戸。
桶。
上。
水。
アルフレッド。
見る。
「きれい」
朝。
灰色。
細い。
菌糸。
浮かんでいた。
今。
ほとんど。
見えない。
「エーナナ」
『確認』
「調べて」
A―07。
指。
水。
『侵食因子濃度』
『大幅低下』
村人。
ざわ。
「飲める?」
『現時点』
『煮沸後――使用可能範囲』
「……!」
エッダ。
口。
押さえる。
「本当に?」
『肯定』
バルド。
目。
閉じる。
「水は」
「減った」
「でも」
「毒も」
「減った」
アルフレッド。
笑う。
「じゃあ」
「成功」
ガルド。
「半分な」
「半分?」
「水位」
「戻さねえと」
「村は暮らせん」
「……うん」
「だから」
「今日は」
「終わり」
「はい」
「休め」
「はい」
「素直だな」
「頭痛いから」
「早く言え!」
⸻
マルタの家。
アルフレッド。
寝台。
強制。
「今日は」
「起きるんじゃないよ」
「ご飯は?」
「持ってくる」
「帳面」
「没収」
「村の名簿」
「没収」
「地下の地図」
「ノエルが持ってる」
「じゃあ」
「何すれば?」
「寝ろ」
「暇です」
「寝ろ」
「セルマ」
「何か」
「駄目です」
「まだ何も」
「どうせ仕事でしょう」
「……」
「寝てください」
「はい」
⸻
夜。
アルフレッド。
眠る。
セルマ。
隣。
椅子。
首輪。
まだ。
ある。
でも。
以前より。
光。
弱い。
「……」
右腕。
ない。
左目。
ない。
失われたもの。
戻らない。
A―07も。
最初は。
そうだった。
だが。
代わりの材料。
あれば。
修繕。
組み込める。
セルマ。
樽の話。
思い出す。
しかし。
すぐ。
首。
振る。
「違う」
人。
樽。
同じではない。
それに。
アルフレッド。
自分へ。
そんなこと。
試そうとは。
絶対。
しない。
でも。
いつか。
自分自身が。
強くなれば。
失ったものとは。
違う形でも。
取り戻せるものが。
あるのかもしれない。
少女は。
自分の左手。
見る。
握る。
開く。
握る。
「経験……」
戦う。
働く。
生きる。
積み重ねる。
それで。
自分が。
変わる。
この世界では。
それを。
進化と呼ぶ者もいる。
セルマは。
まだ。
知らない。
自分の身体の奥。
長い奴隷生活と。
灰境まで。
一人で生き延びた経験。
それらが。
少しずつ。
積み上がっていることを。
⸻
深夜。
第一浄化施設。
無人。
制御室。
『下層水門――完全閉鎖』
『侵食流入量――低下』
『第一浄化施設』
『浄化率――』
数字。
変わる。
『13.1%』
以前。
12.7%。
ほんの。
0.4。
それでも。
上がった。
⸻
そして。
遠く。
旧第二浄化塔。
何百年。
誰も。
来ていない。
石。
建物。
半分。
山。
埋まる。
内部。
暗闇。
水。
流れ込む。
ごおおおお……。
地下。
水槽。
満ちる。
錆びた。
水車。
動かない。
古い。
配管。
軋む。
そして。
壁。
一つ。
小さな。
青い光。
『流入確認』
一文字。
次。
『非常系統』
『起動試行』
かち。
何か。
動く。
止まる。
『失敗』
もう一度。
『起動試行』
かち。
かち。
『失敗』
三度目。
ご。
低い。
振動。
『補助動力――』
『復旧』
青い。
光。
一つ。
二つ。
三つ。
塔。
下から。
上へ。
灯る。
⸻
そして。
最深部。
巨大な。
水槽。
底。
何か。
沈んでいる。
人ではない。
獣でもない。
金属。
でも。
A―07とも。
B―03とも。
違う。
四本。
脚。
長い。
胴。
頭部。
丸い。
その中央。
青い。
瞳。
ぽつ。
灯る。
『第二浄化塔』
『保守防衛個体――』
『C―12』
『再起動』
水中。
四本の脚が。
ゆっくり。
動いた。
だが。
その身体。
半分。
灰色の菌糸。
覆われている。
『管理者――』
『……照合……』
青。
瞳。
一瞬。
赤。
混ざる。
『管理者――不明』
そして。
塔の外。
山中。
何百年も。
閉じたままだった。
巨大な。
石扉。
内側から。
どん。
音。
響く。
もう一度。
どん。
鳥。
一斉。
飛び立つ。
三度目。
どん。
扉。
隙間。
灰色の。
水。
一筋。
流れ出した。
⸻
第43話 水の行方 了




