壁の向こうの父
前書き
助けたい。
その気持ちだけでは、
人を助けられないことがあります。
力が足りない。
道具が足りない。
時間が足りない。
けれど。
一人では足りないものも、
十人なら、
足りることがあります。
⸻
ガルドたちが村へ戻ったのは、日が西へ傾き始めた頃だった。
「帰ってきた!」
見張り台から声が飛ぶ。
その声を聞いた瞬間。
広場で薪を束ねていたフィンが立ち上がった。
持っていた縄が、ぱさりと地面へ落ちる。
「父さんは!?」
誰よりも早く走った。
「父さん、いた!?」
「フィン!」
クララが止めるより早く、少年は村の入口まで駆けていく。
そこへ。
ガルド。
ベルン。
マルク。
そしてA―07。
四人が姿を現した。
誰も担架を持っていない。
フィンの足が止まった。
「……父さんは?」
ガルドが少年の前へ歩く。
「見つけた」
「!」
「生きてる」
フィンの顔が一気に変わった。
「本当!?」
「ああ」
「話した!?」
「声は届かなかった」
「じゃあ、どうして父さんって分かったの?」
「壁を叩いて確認した」
「三回?」
「ああ」
フィンの目に涙が浮かぶ。
「父さんだ……」
「たぶんな」
「絶対そうだよ!」
「フィン」
ガルドは少年の肩へ手を置いた。
「まだ助け出せてねえ」
「……え?」
「出口が土砂で埋まってる」
「でも」
「二十六メートル先にいる」
「二十六?」
「ああ」
「そんなに近いなら!」
「近いから簡単とは限らねえ」
ガルドの声が低くなる。
「無理に掘れば、崩れる」
「ラウルごとな」
フィンの顔から笑顔が消えた。
「……じゃあ」
「明日助ける」
ガルドは即答した。
「そのために帰ってきた」
⸻
「生きていた!?」
アルフレッドは領主館から飛び出してきた。
「本当に!?」
「落ち着け!」
「怪我は!?」
「歩けない」
「食べ物は!?」
「送った」
「水は!?」
「向こうにある」
「他の人は!?」
「一人だ」
「じゃあ残り三人は!?」
「アル坊!」
ガルドが少年の頭を掴む。
「一個ずつ聞け!」
「ご、ごめんなさい」
「息しろ」
「してる!」
「ならいい」
「よくないよ!」
「どっちだ!」
そのやり取りに。
張り詰めていた空気が、ほんの少し緩んだ。
⸻
すぐに村の中央へ人が集められた。
地面。
グレゴールが枝で簡単な地図を描く。
「村がここ」
一本線。
「北西」
「鹿岩」
「炭焼き小屋跡」
「谷」
さらに。
「ここ」
小さな丸。
「排水口」
「どれくらい埋まってる?」
エッダが尋ねる。
「ほとんどだ」
ガルドが答える。
「A―07」
『閉塞率――94.6%』
「数字で言われても分からないわ」
『ほぼ埋没』
「最初からそう言って」
『了解』
A―07。
最近。
少しずつ村人への説明を学んでいた。
⸻
「土だけ?」
エッダ。
「いや」
「岩もある」
「大きさは?」
「最大でこれくらい」
ガルドが両腕を広げる。
「人力で動かせる?」
「数人なら」
「ただし」
ベルンが続ける。
「問題は上」
「上?」
「根っこが絡んでる」
「土砂の上に木が生えてるんだ」
「切ったら?」
「崩れるかもしれない」
「切らなくても?」
「掘れば崩れるかもしれない」
沈黙。
「面倒ね」
エッダが呟く。
「ああ」
「でも」
エッダは地図を見る。
「できないとは言ってない」
ガルドが。
少し笑った。
「そういう答えを待ってた」
⸻
「支柱がいる」
エッダ。
「太いもの」
「何本?」
「最低六本」
「できれば八本」
「横木も」
「縄」
「板」
「滑車は?」
ヘルマンが尋ねる。
「ある?」
「小さいのが二つ」
「使える?」
「直せば」
一斉に。
視線。
アルフレッド。
「……」
「アル坊」
ガルド。
「何も言ってないよ」
「顔」
「また!?」
「直せるか?」
アルフレッドの表情が変わる。
「見せて」
⸻
古い滑車。
二つ。
昔。
井戸で使われていたものだった。
木製の輪。
金属軸。
片方。
完全に固着。
もう片方。
軸が歪んでいる。
「これなら」
アルフレッドが触れる。
「待て」
ガルド。
「体調」
「元気」
「頭」
「痛くない」
「吐き気」
「ない」
「手足」
「動く」
「睡眠」
「ちゃんと寝た」
「飯」
「食べた」
「よし」
「最近、僕より僕の体調知ってない?」
「知りたくて知ってるんじゃねえ」
⸻
「《清掃》」
最初。
泥。
錆。
古い油。
落とす。
次。
「《修繕》」
淡い光。
軸。
ぎ。
ぎぎ。
歪みが戻る。
割れていた木製輪。
繊維が繋がる。
「一個」
アルフレッドが手を離す。
「休め」
「まだ一個だよ?」
「五分」
「二個目やってから」
「先」
「……」
「ガルドさん」
「何だ」
「僕、領主」
「知ってる」
「命令できる?」
「できる」
「じゃあ」
「二個目を――」
「却下」
「なんで!?」
「俺は開拓局の人間だからな」
「ずるい!」
「覚えとけ」
「世の中には権限ってもんがある」
ノエルが。
横から静かに言った。
「非常に重要な知識です」
「ノエルさんまで!」
⸻
五分後。
二個目も修復。
「回してみろ」
ヘルマン。
ベルンが縄を通す。
引く。
からからから。
滑らかに回る。
「おお」
「新品みたい」
村人から声。
アルフレッド。
少し得意げ。
「僕のスキル」
「役に立つでしょう?」
「ああ」
ガルド。
普通に頷く。
「でも」
「これだけじゃラウルは助からん」
「……うん」
アルフレッドも。
滑車を見る。
「縄を作る人」
「木を切る人」
「運ぶ人」
「道を知ってる人」
「掘る人」
「支える人」
「怪我した時に治す人」
そして。
「僕一人じゃ」
「全然足りない」
「そういうことだ」
ガルド。
「領主ってのは」
「一番強い奴じゃなくてもいい」
「じゃあ何?」
「知らん」
「そこは教えてよ!」
「俺は領主やったことねえ!」
⸻
「でも」
バルドが。
杖をつきながら近づいてきた。
「一つだけ言える」
「なんですか?」
「自分一人で全部できると思っておる領主ほど」
「ろくなものではない」
アルフレッド。
少し考える。
「じゃあ」
「できる人にお願いするのも」
「領主の仕事?」
「そうじゃろうな」
「……」
少年。
村を見る。
エッダ。
木材。
ヘルマン。
金具。
マルタ。
薬。
ガルド。
救助計画。
グレゴール。
道。
ノエル。
記録。
ベルンたち。
護衛。
そして。
A―07。
「なんか」
「村って」
「大きな一人の人みたいだね」
「どういう意味じゃ?」
「皆が違うことできるから」
アルフレッド。
自分の手を見る。
「手だけじゃ」
「歩けない」
「足だけじゃ」
「物を持てない」
「目だけじゃ」
「何も作れない」
「でも」
「全部あったら」
「いろんなことができる」
バルドは。
何も言わず。
ほんの少し。
笑った。
⸻
夕方まで。
準備は続いた。
支柱。
八本。
横木。
十二本。
板材。
縄。
滑車。
鍬。
つるはし。
シャベル。
籠。
水。
食料。
包帯。
薬。
「多いね」
リーナ。
「人一人助けるのに」
エッダ。
手を止めない。
「人一人だからよ」
「どういうこと?」
「一人しかいないから」
「失敗できないの」
「……そっか」
⸻
フィンも。
黙って。
小さな袋へ。
何かを入れていた。
「何してるの?」
アルフレッド。
「父さんの」
「何?」
「これ」
袋。
中。
干した豆。
「好きなやつ?」
「うん」
「でも」
「マルタさんが薄いスープって」
「分かってる」
「じゃあ?」
「持って帰る」
「父さんと」
「一緒に食べる」
アルフレッド。
少し笑う。
「それがいいね」
⸻
夜。
救助隊の編成が決まった。
ガルド。
ベルン。
マルク。
エッダ。
ヘルマン。
村の男。
四人。
A―07。
計九人と一体。
「僕は?」
「留守番」
「……」
「不満か」
「かなり」
「でも?」
「……必要なものは」
「もう直した」
「うん」
「現場は危険」
「うん」
「俺たちは」
「ラウルを連れて帰る」
「……うん」
「お前は?」
「帰ってくる場所を」
「守る」
ガルド。
にやり。
「分かってんじゃねえか」
⸻
翌朝。
空。
曇り。
「雨」
グレゴールが。
空を見る。
「降るか?」
「昼過ぎ」
「まずい?」
アルフレッド。
「ああ」
土砂。
雨。
最悪の組み合わせ。
「急ぐぞ」
ガルド。
「でも焦るな」
「どっちです?」
ベルン。
「急いで」
「焦らない」
「無茶言うなぁ」
「仕事なんてそんなもんだ」
⸻
救助隊。
出発。
「父さん」
フィンが。
小さく呟く。
「待ってて」
⸻
谷。
午前。
岩壁。
「ラウル!」
ガルド。
ごん。
ごん。
ごん。
返事。
こん。
こん。
こん。
「生きてる」
「始めるぞ!」
⸻
まず。
上部。
確認。
A―07。
走査。
『根系――複数』
『岩盤――不安定』
『推奨掘削位置』
青い光。
壁。
一本。
線を描く。
「ここから?」
エッダ。
『肯定』
「人一人分だけ」
『推奨』
「広げすぎない」
『崩落確率上昇』
「分かった」
⸻
掘る。
土。
籠。
運ぶ。
また。
掘る。
「支柱!」
「一本!」
どん。
木。
「横!」
「入れる!」
槌。
ごん!
ごん!
「次!」
⸻
一時間。
二時間。
三時間。
額。
汗。
手。
泥。
A―07。
掘削爪。
がり。
がり。
岩。
『大型岩石』
「滑車!」
縄。
巻く。
「引け!」
「せーの!」
ぎ。
ぎぎ。
滑車。
回る。
村で。
アルフレッドが直した。
二つ。
今。
人の命を救うため。
働いている。
「動いた!」
「もう一回!」
「せーの!」
岩。
ずる。
ずず。
外。
落ちる。
「よし!」
⸻
四時間。
「ガルド!」
エッダ。
「空気!」
小さな。
穴。
向こう。
暗闇。
「ラウル!」
ごん!
すぐ。
こん!
「近いぞ!」
ベルン。
「あと少し!」
穴。
広げる。
「待て!」
エッダ。
「上!」
ぱら。
土。
落ちる。
「止めろ!」
全員。
動き。
止める。
A―07。
『上部荷重変化』
「崩れる?」
『可能性――高』
「支柱追加!」
⸻
一本。
入れる。
「もう一本!」
「ない!」
「八本全部使った!」
「横木!」
「短い!」
「くそっ」
ガルド。
穴。
向こう。
あと。
少し。
だが。
無理に進めば。
全部。
落ちる。
「A―07」
『確認』
「支えられるか?」
『一時的に可能』
「どれくらい」
『推定――』
沈黙。
『不明』
「やめとけ」
ガルド。
「お前を柱にする気はねえ」
『探索隊生命保護――第一優先』
「だからだ」
ガルド。
銀色の身体を見る。
「お前も探索隊だ」
A―07。
青い目。
一度。
明滅。
『……了解』
⸻
「戻るか?」
ベルン。
悔しそう。
「木材を取りに」
「往復だけで数時間だ」
「雨が来る」
エッダ。
空。
見る。
「時間がない」
⸻
その時。
ヘルマンが。
崩した岩を見る。
「待て」
「何だ」
「これ」
岩ではない。
その下。
埋まっていたもの。
黒い。
棒。
「金属?」
泥を払う。
太い。
古い。
梁。
A―07。
『施設構造材』
「使える?」
『損傷――軽微』
ヘルマン。
笑う。
「使える」
「一本?」
「掘れ!」
「この周り!」
⸻
二本。
三本。
昔。
排水口を支えていた。
金属梁。
「これなら」
エッダ。
叩く。
音。
「木より強い」
「エーナナ!」
『設置位置提示』
青い線。
「ここ!」
「持て!」
重い。
「滑車!」
また。
アルフレッドの滑車。
「上げろ!」
⸻
一本。
入る。
二本。
入る。
横。
固定。
ヘルマン。
金具。
叩く。
「これで?」
エッダ。
土。
見る。
「……いける」
「本当か?」
「絶対なんて言わない」
「でも」
「さっきよりずっといい」
ガルド。
剣。
置く。
シャベル。
持つ。
「なら」
「掘るぞ」
⸻
五時間。
穴。
肩幅。
広がる。
向こう。
暗闇。
そして。
「……おい」
声。
全員。
止まる。
「聞こえるか……?」
生の。
声。
「ラウル!」
ガルド。
「聞こえるぞ!」
「……遅ぇよ」
「悪かったな!」
「こっちは」
「十一日」
「待ってんだ……」
「文句言えるなら元気だ!」
「……馬鹿野郎」
声。
震えている。
⸻
最後。
板。
外す。
土。
掻く。
穴。
人。
一人。
通れる。
「見えた!」
ベルン。
暗闇。
奥。
男。
壁へ。
もたれている。
髭。
伸び。
頬。
痩せ。
左脚。
動かない。
だが。
生きている。
「……本当に」
ラウル。
目。
細める。
「来やがった」
「当たり前だ」
ガルド。
穴。
くぐる。
「息子が待ってる」
ラウル。
顔。
歪む。
「フィン」
「ああ」
「……元気か」
「生意気だ」
「そうか」
「お前に似てな」
「……そうか」
笑う。
泣く。
どちらか。
分からない。
顔。
⸻
「立てるか」
「無理」
「分かってる」
「聞くな」
「念のためだ」
「面倒な奴だな」
「よく言われる」
ガルド。
ラウルの腕。
肩へ。
「帰るぞ」
その時。
ラウルが。
ガルドの腕を掴んだ。
「待て」
「何だ」
「俺だけじゃない」
全員。
動き。
止まる。
「三人は別れたんじゃ?」
「ああ」
「でも」
ラウル。
暗い。
通路。
奥を見る。
「昨日」
「聞いた」
「何を」
「音」
「三回?」
「違う」
ラウル。
首。
振る。
「もっと」
「でかい」
ごん。
「最初」
「一回」
ごん。
「少しして」
「もう一回」
ごん。
「それから」
沈黙。
「地面が」
「揺れた」
ガルドの表情が変わる。
「どこから」
ラウル。
指。
地下。
「下だ」
⸻
A―07。
青い目。
突然。
強く光る。
『警告』
「何だ!」
『地下振動検知』
『震源――施設深部』
「今?」
『肯定』
ご……
微か。
足元。
揺れる。
「地震?」
ベルン。
『否定』
『周期性あり』
「じゃあ何だ」
A―07。
数秒。
沈黙。
『施設記録照合』
『該当設備――』
音声。
乱れる。
『第四浄化塔』
全員。
言葉。
止まる。
『状態――侵食』
⸻
ごん。
地下。
何かが。
叩いた。
まるで。
巨大な扉の向こうから。
誰かが。
外へ出ようとしているように。
⸻
第37話 壁の向こうの父 了




