三度の合図
第二章 灰境
第36話 三度の合図
前書き
声が届かない時。
人は、
別の方法で自分の存在を伝えます。
火を灯す。
布を振る。
石を積む。
そして。
壁を、
三度叩く。
それだけの小さな音が。
誰かの命へ続く、
道標になることもあるのです。
⸻
こん。
こん。
こん。
観測井の奥から拾われた音を、
A―07がもう一度再生した。
『反復信号』
『三回』
静かな地下通路。
アルフレッドは、暗い縦穴を見つめていた。
「まだ続いてる?」
『肯定』
『ただし間隔に変動あり』
「弱くなってる?」
『可能性あり』
「……」
少年の手が、
ぎゅっと握られる。
ダリオは見つかった。
生きていた。
それだけでも大きな前進だった。
だが。
まだ。
地下には誰かがいる。
「アル坊」
ガルドの声。
「今はダリオを上げる」
「うん」
「三回の音は、その後だ」
「分かってる」
「本当に?」
「……分かってる」
以前なら。
きっと、
「でも今すぐ行けば」
と言っていた。
けれど。
アルフレッドは縦穴から一歩離れた。
「ダリオさんを先に助ける」
「よし」
ガルドが頷く。
「順番だ」
⸻
ダリオを運び上げる作業は、
想像以上に時間がかかった。
右脚。
深い傷。
骨にも異常がある可能性。
十一日近く、
まともな食事を取っていない。
体力も。
かなり落ちていた。
「ガルドさん」
「何だ」
「僕が《修繕》で――」
「人間には使わん」
「……はい」
「少なくとも今はな」
「分かってる」
アルフレッド自身も。
少しずつ理解していた。
建物。
道具。
機械。
それらと。
生き物は違う。
壊れているから。
直せるとは限らない。
むしろ。
何が正常なのか分からないものへ、
不用意に《修繕》を使う方が危険かもしれない。
「添え木」
ガルドが言う。
「布」
ノエルが渡す。
「A―07」
『確認』
「脚を動かさないように支えられるか?」
『可能』
銀色の番人が、
ダリオの右脚を慎重に固定する。
片腕しかない。
それでも。
以前より。
動きはずっと器用になっていた。
右肩には、
ヘルマンが作った仮設の鉤。
直接治療には使えない。
だが。
縄を保持することはできる。
「それ」
ダリオが薄く目を開ける。
「……何なんだ」
「エーナナ」
アルフレッドが答えた。
『正式識別――A―07』
「本人はこう言ってる」
「どっちなんだ……」
「両方?」
「……変な村だな」
「よく言われる」
まだ来たばかりなのに。
アルフレッドは、
少し誇らしそうだった。
⸻
螺旋階段。
十八メートル近い高低差。
ダリオをそのまま背負えば、
途中で脚をぶつける危険がある。
そこで。
縄を使うことになった。
簡易の吊り具。
木板。
布。
A―07が下から支え。
ガルドが横につき。
上では。
ノエルとベルンが縄を引く。
「アル坊」
「はい」
「そこ握れ」
「僕も?」
「縄くらいならな」
少年の顔が明るくなる。
「任せて!」
「勢いつけんな!」
「はい!」
「ゆっくり!」
「はい!」
「お前は返事だけはいい!」
ぎ。
ぎぎ。
縄が張る。
「上げるぞ!」
「せーの!」
ダリオの身体が、
少しずつ浮く。
「痛かったら言ってください!」
アルフレッドが叫ぶ。
「……今のところ」
「大丈夫だ」
「本当?」
「お前」
「心配性だな」
「皆に言われます」
「逆じゃねぇか?」
ガルドが下から叫ぶ。
「無茶するから皆が心配してんだ!」
「そうだった!」
⸻
長い時間をかけ。
ようやく。
ダリオは観測井の上へ運び出された。
「はぁ……」
アルフレッドがその場へ座り込む。
魔力切れではない。
ただ。
縄を握り続けていた手が痛い。
「領主様」
ノエルが見る。
「何?」
「掌」
「あ」
少し。
赤くなっている。
「これくらい大丈夫」
「その言葉」
「最近聞き飽きました」
「僕も言われ飽きた」
「では言わないようにしてください」
「……はい」
ダリオが。
横になったまま笑った。
「本当に」
「領主なのか?」
「はい」
「もっと偉そうな奴を想像してた」
「家では」
「兄さんたちの方が偉そうでした」
「それは聞いてねぇ」
⸻
帰路。
探索隊の速度は遅かった。
ダリオは、
A―07が作った簡易搬送具で運ぶ。
背部。
縄。
仮設鉤。
人間が作った道具と、
古代の機械。
不格好に組み合わされている。
「エーナナ」
『確認』
「重くない?」
『荷重――許容範囲内』
「痛くない?」
『痛覚機構――存在せず』
「疲れる?」
『稼働効率低下は発生』
「じゃあ疲れるんじゃない」
『以前も同様の定義を受領』
「覚えてた」
『記録済』
ダリオが。
A―07の肩越しに少年を見る。
「お前」
「機械と普通に喋るんだな」
「喋れるから」
「怖くないのか?」
「最初はちょっと」
『当機は初回遭遇時』
『探索隊を攻撃』
「あ」
「そこ言わなくていいよ」
「攻撃されたのか!?」
「今は大丈夫!」
「その説明で安心しろってのか……?」
⸻
途中。
ダリオが眠った。
体力が限界だったのだろう。
「ノエルさん」
「はい」
「ダリオさん」
「さっき言ってた人の名前」
「なんか変じゃなかった?」
ノエルは。
少しだけ表情を変えた。
「私も気になっています」
「七人って言ってた」
「はい」
「でも」
「クララさんたちが地下に入ったみたいに聞こえた」
「そうですね」
「村にいるよね」
「おります」
「じゃあ」
「ダリオさん」
「混乱してた?」
「その可能性が高いでしょう」
十一日。
飢え。
脱水。
負傷。
暗闇。
「地上へ戻って」
「落ち着いてから」
「もう一度聞きましょう」
「うん」
これも。
大切なことだった。
助けた直後の言葉を。
すべて正しいと思い込まない。
疲れている人は。
間違えることもある。
「アルフレッド様」
「なに?」
「今の判断は良いと思います」
「本当?」
「はい」
「少し?」
「今回は普通に」
「やった」
「そこまで喜ぶことですか?」
⸻
昼を大きく過ぎて。
村。
「帰ってきた!」
見張り台の上から、
リーナの声が飛んだ。
「人もいる!」
「誰!?」
広場。
クララが顔を上げる。
ミアも。
フィンも。
旧居住区から来た者たちも。
一斉に。
点検口へ集まった。
「押すんじゃない!」
エッダが叫ぶ。
「まだ怪我人かもしれないんだから!」
最初に出てきたのは。
ガルド。
「無事!」
アルフレッドの声が。
下から聞こえる。
「ちゃんと帰ってきた!」
「領主様は聞いてません!」
セルマの声。
「ひどい!」
「あなたは自分で喋れるでしょう!」
⸻
そして。
A―07。
背中。
男。
クララの表情が。
完全に止まった。
「……」
「クララ」
弱い声。
「……ダリオ?」
「ただいま」
クララが。
走った。
「ダリオ!」
A―07が膝をつく。
クララは。
夫の身体へ触れる寸前で。
止まった。
傷。
痩せた顔。
右脚。
「触っていい?」
「夫婦だろ」
「怪我が……!」
「左側なら」
「たぶん平気だ」
抱き締める。
強く。
でも。
右脚には触れないように。
「馬鹿……!」
「悪かった」
「馬鹿!」
「……ああ」
「十一日!」
「ああ」
「何してたの!」
「説明すると」
「長い」
「長くても聞く!」
「だから」
「先に寝かせな!」
マルタが割って入った。
「クララ!」
「はい!」
「泣くのは治療の後!」
「はい!」
「ダリオ!」
「……はい」
「返事できるならまだ大丈夫!」
「何だこの婆さん……」
「聞こえてるよ!」
「すみません!」
ダリオ。
初対面にして。
すでに。
マルタへ負けた。
⸻
その日の午後。
診察。
結果。
右脚。
骨折。
傷口。
化膿しかけている。
脱水。
極度の栄養不足。
だが。
灰色の菌糸。
なし。
「そこは良かった」
アルフレッド。
「本当にね」
マルタが頷く。
「あと二、三日遅かったら」
言葉。
止める。
クララが。
赤子のルゥを抱きながら。
夫を見る。
「足は?」
「今すぐ切る必要はない」
ダリオの顔が。
少しだけ緩む。
「ただし」
「動くんじゃないよ」
「治るまで?」
「治るまで」
「どれくらい」
「知らない」
「……」
「何だい」
「この村」
「そういう人多いなと思って」
「誰のことだい」
ダリオ。
アルフレッドを見る。
「なんで僕?」
「なんとなく」
「最近これ多くない?」
⸻
夕方。
ダリオの意識が。
かなりはっきりした頃。
改めて。
話を聞くことになった。
アルフレッド。
ガルド。
ノエル。
クララ。
フィン。
そして。
ダリオ。
「地下へ入った人数」
ノエルが。
静かに尋ねる。
「覚えていますか?」
「ああ」
ダリオは。
少し恥ずかしそうに。
額を押さえた。
「昼間」
「俺」
「変なこと言ってたらしいな」
「少し」
アルフレッド。
「かなりです」
ノエル。
「ノエルさん!」
「正確性は重要です」
ダリオが苦笑する。
「すまん」
「頭が」
「まともに動いてなかった」
「改めて」
ダリオは。
ゆっくりと。
名前を挙げた。
「地下へ入ったのは」
「五人」
一人。
「オルド」
二人。
「ラウル」
フィンの肩が。
小さく動く。
三人。
「俺」
四人。
「ケイン」
五人。
「バックス」
「五人」
ノエルが記録する。
「クララ様」
「ミア様」
「ルゥ」
「フィン」
「その他の居住者は」
「地下へ入っていない」
「ああ」
ダリオが頷く。
「間違いない」
「よかった」
アルフレッドが息を吐く。
「何がだ」
ガルド。
「フィンが二人にならなくて」
「……」
フィン。
「俺は一人だよ」
「知ってる!」
⸻
「地下へ入った理由」
ノエル。
「水」
ダリオ。
「それと」
「三歳の子ども」
「病気になった子?」
「ああ」
ダリオの顔から。
少しだけ。
表情が消える。
「助けたかった」
「それだけだ」
「門を開ければ」
「地下の水を」
「どうにかできると思った」
「でも」
「B―03が現れた」
巨大な黒い番人。
「最初は」
「俺たちを止めようとしてた」
「襲ったんじゃない?」
「……分からん」
ダリオ。
少し考える。
「今思えば」
「警告だったのかもしれない」
「でも」
「俺たちは怖かった」
「武器を向けた」
「向こうも」
「その後」
「目が赤くなった」
「菌糸」
アルフレッド。
「ああ」
「身体の隙間から」
「灰色のものが出てきた」
「そこからは」
「完全におかしかった」
そして。
ダリオは。
右脚を負傷。
四人と分かれた。
「ラウルたちは」
「非常排水路の方へ」
「水音がしたから」
「出口があると思った」
「その後?」
「知らない」
「俺は動けなくなった」
⸻
「じゃあ」
アルフレッドが。
A―07を見る。
「三回の音」
『継続検知』
「まだ?」
『肯定』
こん。
こん。
こん。
A―07が。
音を再生。
ダリオが。
はっと顔を上げる。
「待て」
「知ってる?」
アルフレッド。
「もう一回」
『再生』
こん。
こん。
こん。
少し。
間。
こん。
こん。
こん。
「……ラウルだ」
フィンが。
椅子から立った。
「父さん?」
「たぶん」
ダリオが。
少年を見る。
「猟師の合図だ」
「三回」
「声が届かない時」
「仲間に知らせる」
フィンも。
小さく頷く。
「父さん」
「俺にも教えた」
机。
拳。
こん。
こん。
こん。
「これ」
「同じ」
アルフレッドの目が。
大きくなる。
「じゃあ」
「ラウルさんが」
「生きてる可能性が高い」
『識別情報更新』
A―07。
『非常排水路方向生命反応』
『ラウルである可能性――上昇』
⸻
「行く」
フィン。
「駄目」
アルフレッド。
即答。
「なんで!」
「十歳だから」
「領主様十二歳じゃん!」
「……」
部屋。
静まり返る。
ガルドが。
そっと顔を逸らす。
クララ。
口元。
隠す。
「それ」
「強いなぁ……」
アルフレッドが。
小さく呟く。
「でも駄目」
「父さんなんだぞ!」
「分かってる」
「だったら!」
「フィンが行って」
「何ができる?」
「……」
「僕も」
アルフレッドは。
自分の胸へ。
手を当てる。
「行きたい時」
「いっぱいある」
「今でも」
「行きたい」
「でも」
「行くことと」
「助けることは」
「同じじゃないって」
「最近」
「やっと分かってきた」
フィンが。
俯く。
「僕たちは」
「ラウルさんを探す」
「フィンは」
「帰ってきた時に」
「お父さんを迎えて」
長い。
沈黙。
「……父さん」
フィン。
小さな声。
「豆のスープ」
「好き」
「じゃあ」
アルフレッド。
少し笑う。
「帰ってきたら」
「豆のスープ」
「用意しよう」
マルタが。
すぐ口を挟む。
「十一日食ってないなら」
「最初は薄いのだよ!」
「はい!」
⸻
「問題は経路です」
ノエルが。
地図を広げる。
「非常排水路」
「地下からは?」
ガルド。
ダリオが首を振る。
「途中」
「崩れてた」
「人が通れない?」
「ああ」
「四人は」
「その奥へ」
「どうやって?」
「別の細い保守路」
「俺は」
「脚をやられて」
「そこまで行けなかった」
「出口は?」
「谷」
ダリオが。
指を動かす。
「たぶん」
「第三旧居住区の北西」
「細い川がある」
グレゴールが反応した。
「知ってる」
「行ったことある?」
「昔」
「猟でな」
左脚。
今は。
長距離移動。
難しい。
「道」
ガルド。
「分かるか?」
「ああ」
「地図にする」
⸻
地面。
枝。
グレゴールが。
経路を描く。
「村」
「ここ」
「北西」
「鹿の頭みたいな岩」
「本当に鹿みたいなの?」
アルフレッド。
「見れば分かる」
「その先」
「左」
「真っ直ぐ行くと?」
「崖」
「先に言ってよ」
「今言った」
「大事だね」
「かなりな」
そこから。
炭焼き小屋跡。
谷。
川。
北へ。
岩壁。
「排水路があるなら」
「この辺だ」
A―07。
青い光。
地図と照合。
『高低差情報』
『非常排水路末端推定位置』
光点。
ほぼ。
同じ場所。
「当たり」
ガルド。
「明日」
「地上から探す」
⸻
「僕も」
「駄目」
「まだ!」
「理由」
ガルド。
「エーナナの管理者」
「A―07だけで行ける」
「《清掃》」
「入口探すだけならいらん」
「《修繕》」
「入口探すだけならいらん」
「領主」
「村にいた方が役に立つ」
「……」
アルフレッド。
口。
閉じる。
「ほか」
「……ない」
「よし」
「なんか悔しい」
「正しい判断は」
「時々悔しいもんだ」
⸻
翌日の探索隊。
ガルド。
ベルン。
マルク。
A―07。
グレゴールは。
道を知っている。
だが。
「駄目」
マルタ。
「まだ何も言ってない」
「行く気だろ」
「……」
「顔」
「アル坊と同じだね」
「嬉しくない」
左脚。
腫れ。
昨日。
長く歩いている。
「今日は休む」
「……分かった」
「素直じゃないか」
「勝てないからな」
「誰に?」
「婆さんに」
「聞こえてるよ!」
⸻
その夜。
鍛冶場。
火。
ヘルマン。
A―07。
右肩。
仮の鉤。
「谷」
「土砂」
「掘るかもしれん」
ガルド。
「これじゃ無理だな」
ヘルマン。
鉤を外す。
そして。
別の金具。
三本。
短い。
太い。
爪。
「掘削用」
アルフレッドの目が。
輝く。
「手みたい」
「手じゃない」
「道具じゃ」
「差し替える?」
「ああ」
かち。
A―07の右肩へ。
装着。
『外部装具――認識』
『掘削補助』
『使用可能』
「エーナナ」
「すごい!」
『評価受領』
「右腕なくても」
「どんどんできること増えるね」
『肯定』
少し。
離れた場所。
セルマが。
それを。
見ていた。
⸻
しばらく。
黙って。
そして。
「アルフレッド様」
「なに?」
「一つ」
「聞いても?」
「もちろん」
セルマ。
A―07の。
右肩。
見る。
「もし」
「人間にも」
「同じようなものを作るとしたら」
アルフレッドが。
動きを止めた。
セルマの。
空になった右袖。
ただ。
そこを。
見ない。
「うん」
「重くないもの」
「身体を傷つけないもの」
「作れると思う?」
ヘルマンも。
金槌を止めた。
「分からん」
正直な答え。
「だが」
「木と革なら」
「鉄より軽い」
「物を持つだけなら」
「腕全部を作る必要もない」
「固定具」
「支え」
「用途ごと」
「考え方はある」
セルマは。
静かに聞いていた。
「今すぐ」
アルフレッドが言う。
「作る?」
セルマ。
少し迷う。
「……まだ」
「うん」
「でも」
初めて。
はっきり。
「いつか」
「試してみたいです」
アルフレッドは。
嬉しそうになりかけ。
でも。
大きく騒がなかった。
「分かった」
「その時」
「一緒に考えよう」
「はい」
⸻
翌朝。
「エーナナ」
『暫定管理者』
「見つけても」
「勝手に掘らない」
『了解』
「ガルドさんの指示」
『優先』
「危なくなったら」
『撤退』
「それから」
「自分も壊れない」
『自己保全――第二優先』
「第一は?」
『探索隊生命保護』
「……じゃあ」
アルフレッド。
少し考える。
「皆で帰ってきて」
『命令受諾』
「いってらっしゃい」
『行ってきます』
⸻
森。
朝。
鹿の頭。
「……本当に鹿だ」
ベルンが。
岩を見る。
「角まである」
「左!」
ガルド。
「真っ直ぐは崖だぞ!」
「覚えてます!」
獣道。
進む。
A―07。
先頭。
『侵食反応――微弱』
「まだ平気?」
『現時点――肯定』
「現時点」
「嫌な言い方だな」
⸻
炭焼き小屋。
跡。
谷。
川。
水。
少し。
灰色。
『飲用非推奨』
「飲まん」
北へ。
進む。
谷幅。
狭くなる。
岩壁。
高くなる。
A―07。
突然。
止まる。
『信号検知』
ガルドの手。
上がる。
全員。
停止。
「距離」
『前方――二十六メートル』
「どこだ」
A―07。
右。
岩壁。
苔。
根。
泥。
『人工構造物』
「これ?」
ベルン。
目を凝らす。
一見。
ただの岩。
だが。
表面を。
A―07の掘削爪が。
少し削る。
苔。
土。
その下。
平らな。
石壁。
『旧非常排水口』
「当たりだ」
ガルド。
⸻
耳を。
澄ませる。
川。
風。
葉。
そして。
こん。
こん。
こん。
「……」
全員。
動かない。
少し間。
こん。
こん。
こん。
「本物だ」
マルクが。
小さく言った。
機械の再生音ではない。
壁の向こう。
誰かが。
叩いている。
⸻
ガルド。
拳。
岩壁。
ごん。
ごん。
ごん。
待つ。
向こう。
こん。
こん。
こん。
「返した!」
ベルン。
「聞こえるか!」
ガルドが叫ぶ。
だが。
声は。
通らない。
「音だけか」
なら。
「一回」
「はい」
「二回」
「いいえ」
壁。
「聞こえるなら!」
「一回!」
こん。
「人間か!」
こん。
「十一日前!」
「五人で地下へ入った一人か!」
こん。
ガルド。
名前。
「オルド!」
沈黙。
「ラウル!」
こん!
ベルン。
顔が。
変わる。
「もう一回!」
「ラウルなら!」
「一回!」
静寂。
そして。
強く。
こん!
「……見つけた」
ガルドが。
息を吐いた。
「フィンの親父だ」
⸻
「怪我してるか!」
こん。
「歩けるか!」
こん。
こん。
「駄目か」
「食料!」
「あるか!」
こん。
こん。
「水!」
こん。
「水だけ」
「他の三人!」
「一緒か!」
こん。
こん。
「別れた?」
こん。
ガルド。
目を閉じる。
「ラウル一人」
残り。
オルド。
ケイン。
バックス。
三人。
まだ。
不明。
⸻
「入口」
ガルド。
「開けられるか?」
『走査』
A―07。
『閉塞率――94.6%』
「原因」
『土砂』
『岩石』
『植物根』
『扉機構損傷』
「今の道具で」
『推定作業時間――十時間以上』
ベルンが。
岩壁を見る。
「今からじゃ」
「夜になる」
「ああ」
「でも」
「すぐそこですよ」
「分かってる!」
ガルド。
拳。
強く握る。
たった。
二十数メートル。
届きそうで。
届かない。
「焦って崩したら」
「ラウルごと潰す」
「……はい」
「明日」
「人手」
「支柱」
「道具」
「全部持ってくる」
⸻
その時。
A―07が。
岩壁の下を見る。
『微小排水孔』
「何」
『内部まで接続』
「物送れる?」
『最大径――約五センチ』
「食い物!」
マルク。
荷物。
開く。
麦焼き。
乾燥果実。
小さく。
砕く。
布。
細長く。
包む。
水。
小さな革筒。
「送るぞ!」
ガルド。
壁。
「ラウル!」
「食い物!」
「水!」
「今から送る!」
こん。
排水孔。
押し込む。
一つ。
二つ。
三つ。
「届いたら!」
「一回!」
待つ。
十秒。
三十秒。
一分。
そして。
こん。
ベルンの肩から。
力が抜けた。
「届いた……」
⸻
ガルドは。
岩壁へ。
掌を当てた。
「ラウル」
「フィン」
向こう。
音。
止まる。
「息子」
「村にいる」
長い。
沈黙。
「無事だ」
その瞬間。
こん!
こん!
こん!
強い。
三回。
今までで。
一番。
強い音。
「元気だ」
ガルド。
小さく笑う。
「お前の帰り」
「待ってるぞ」
数秒。
そして。
こん。
一回。
それだけ。
だった。
⸻
村。
同じ頃。
フィンは。
何も知らず。
薪を運んでいた。
父親が。
岩壁の向こうで。
自分の無事を聞き。
泣いていることを。
まだ。
知らなかった。
⸻
第36話 三度の合図 了




