十一日前に開いた門
第二章 灰境
第34話 十一日前に開いた門
前書き
知らなかったから。
困っていたから。
誰かを助けたかったから。
間違いというものは、
悪意だけから生まれるわけではありません。
むしろ時には。
「何とかしたい」
その気持ちこそが、
閉じていた扉を、
開けてしまうこともあるのです。
⸻
「十一日前……」
アルフレッドは。
ノエルが広げた木板を、じっと見ていた。
第三旧居住区。
昨冬。
三十一名。
現在。
この村へ来ているのは八人。
そして。
十一日前。
五人が地下へ入った。
戻っていない。
「クララさん」
「はい」
「その五人が地下へ入ったのって」
「灰が増える前なんですよね?」
クララは。
膝の上で両手を握った。
「はい」
「どれくらい前?」
「……前日の夕方です」
「次の日に?」
「森が」
「変わりました」
声が。
少し震える。
「朝起きた時には」
「村の西側が」
「灰色になっていました」
「木も」
「家も」
「畑も」
「まるで」
「一晩で」
「何年も放っておかれたように……」
アルフレッドは。
黙って聞いていた。
⸻
朝。
急遽。
村の広場に。
簡単な話し合いの場が作られていた。
アルフレッド。
ガルド。
ノエル。
バルド。
グレゴール。
クララ。
ハンナ。
オスカー。
そして。
少し体調を戻したヨーゼフ。
A―07。
B―03。
セルマも。
少し離れた椅子へ座っている。
マルタは。
ヨーゼフの後ろ。
「無理するんじゃないよ」
「分かっとる」
「分かってない奴がそう言うんだ」
「わしは六十二だ」
「だから何だ」
「年寄り扱いするな」
「病人扱いしてるんだよ」
「……」
「反論は?」
「ない」
「よろしい」
アルフレッドは。
少しだけ笑った。
だが。
すぐに表情を戻す。
「ヨーゼフさん」
「何じゃ」
「昨日」
「地下だけは急ぐなって」
「言いましたよね」
「……ああ」
「昔の人も」
「同じことをしたって」
ヨーゼフは。
しばらく。
地面を見た。
「昔の人」
違う。
「わしらじゃ」
アルフレッドが。
目を瞬く。
「え?」
「十一日前」
「地下を開けたのは」
「わしらの村の者じゃ」
⸻
風。
誰も話さない。
「どうして」
アルフレッドが尋ねた。
責める声ではない。
ただ。
理由を知ろうとしている。
「水じゃ」
ヨーゼフが答えた。
「水?」
「あの日より」
「少し前から」
「井戸がおかしくなった」
アルフレッドの表情が変わる。
自分たちの村と。
同じ。
「灰色の粒?」
ヨーゼフが。
驚いたように少年を見る。
「知っておるのか」
「僕たちの井戸にも出ました」
「……そうか」
老人は。
目を閉じる。
「最初は」
「ほんの少しじゃった」
「桶の底へ」
「粉のようなものが沈む」
「味が変わった」
「家畜が飲まなくなった」
「それから」
「子どもが腹を壊した」
クララが。
顔を伏せる。
「次に」
「畑じゃ」
「西側から」
「作物が駄目になった」
「根が黒くなった」
「葉が灰色になった」
「何をしても」
「戻らん」
アルフレッドは。
自分の指を見る。
《清掃》。
もし。
自分がそこにいたら。
きっと。
使おうとした。
「それで」
「地下に?」
「昔話があった」
ヨーゼフ。
「銀の手が」
「水を清める」
「黒の盾が」
「道を守る」
「お前たちが連れてきた」
「あの二つじゃ」
A―07。
B―03。
「じゃあ」
「昔の人は」
「地下に浄化施設があるって」
「知ってた?」
「名前までは知らん」
「だが」
「地下には」
「水を治すものがある」
「そう」
「伝わっておった」
⸻
「開けてはいけないとも」
「伝わっていたんですよね?」
ノエルが尋ねる。
「……ああ」
「なぜ開けたのです?」
ヨーゼフは。
答えなかった。
代わりに。
クララが。
小さく言った。
「赤ちゃんが」
「いました」
アルフレッド。
クララを見る。
「ルゥ?」
「違います」
首を横に振る。
「別の家の子です」
「まだ」
「三歳でした」
声。
さらに小さくなる。
「水を飲んで」
「熱が出て」
「何も食べられなくなって」
「薬も効かなくて」
「……」
「だから」
「みんな」
「もう」
「待てなかったんです」
⸻
五人。
旧居住区の男たち。
水を直すため。
地下へ入った。
「誰が?」
ガルドが尋ねる。
クララが。
名前を挙げた。
「旧居住区のまとめ役だった」
「オルドさん」
「フィンのお父さん」
「ラウルさん」
少し離れた場所。
フィンの肩が。
ぴくり。
動いた。
話を聞いていたらしい。
「それから」
「私の夫」
アルフレッドが。
クララを見る。
「……ルゥのお父さん?」
「はい」
クララの視線が。
赤子を抱くミアへ向かう。
「ダリオです」
残り二人。
若い猟師。
石工。
計五人。
「武器は?」
「持っていました」
「食料?」
「一日分だけ」
ガルドの眉が。
険しくなる。
「一日?」
「すぐ戻るつもりだったんです」
そう。
誰も。
十一日も。
帰ってこないとは。
思っていなかった。
⸻
「その子は?」
アルフレッドが尋ねた。
「三歳の」
「病気になった子」
沈黙。
クララが。
目を伏せる。
「……亡くなりました」
アルフレッドは。
何も言えなかった。
地下へ入った五人が。
戻らないまま。
子どもも。
助からなかった。
そして。
翌日。
灰が。
村へ押し寄せた。
⸻
「A―07」
ノエルが。
銀色の番人を見る。
『確認』
「十一日前」
「第三旧居住区の封鎖機構が」
「開かれた記録はありますか?」
『照合』
A―07の青い瞳が。
ゆっくり明滅する。
『第一浄化施設補助記録へ接続』
一拍。
『記録確認』
全員。
息を止める。
『封鎖門』
『外部手動操作』
「外部?」
『管理者権限――未使用』
「つまり」
ノエルが言う。
「正規の方法ではなく」
「手動で開けた?」
『肯定』
「できるの?」
アルフレッド。
『非常時解除機構』
「じゃあ」
「壊したんじゃなくて?」
『一部機構損傷あり』
『手動解除併用』
「無理やり開けたんだ」
『概ね肯定』
⸻
「人は?」
ガルド。
「五人入った記録」
『照合』
数秒。
『生体反応』
『五』
クララが。
息を呑む。
『封鎖門通過』
『内部側へ移動』
「戻った記録は?」
一拍。
『……なし』
フィンが。
顔を伏せる。
クララは。
目を閉じた。
「中で」
「死んだ?」
アルフレッドが。
静かに尋ねる。
『判定不能』
「どうして?」
『封鎖区画内部』
『感知妨害』
『生命走査――制限』
「今も?」
『肯定』
アルフレッドが。
顔を上げる。
「じゃあ」
「死んだって決まってない」
クララが。
少年を見る。
「十一日です」
「うん」
「食料は」
「一日分しか」
「うん」
「それでも?」
アルフレッドは。
すぐには答えなかった。
「分からない」
そして。
正直に言った。
「でも」
「分からないなら」
「死んだって決めるのも」
「違うと思う」
クララの唇が。
僅かに震えた。
⸻
「もう一つ」
ノエル。
「封鎖門を開けた後」
「侵食率は変化しましたか?」
『照合』
A―07。
『第四浄化塔侵食』
『開門以前――』
数字。
『61.8%』
「今は?」
『74.1%』
「十一日で」
「十二%以上……」
ノエルが。
帳面へ記す。
「開けた直後は?」
『急激な変動を確認』
「どれくらい?」
『開門後六時間以内』
『第三旧居住区侵食指数』
『約4.7倍』
誰も。
声を出さなかった。
「じゃあ」
クララの顔が。
青ざめる。
「私たちが」
「開けたから……?」
「待って」
アルフレッドが言った。
「まだ決まってない」
「でも!」
「開けた後に増えた」
「それはそうだけど」
「原因が」
「開けたことなのか」
「中にあった何かなのか」
「ほかの理由なのか」
「分からないでしょう?」
ノエルが。
少年を見る。
「その通りです」
「時間的な関連はあります」
「ですが」
「因果関係までは確定できません」
クララは。
何も言わず。
自分の手を握った。
⸻
「アル坊」
ガルドが。
低い声で呼ぶ。
「何?」
「行くって言うなよ」
「……」
「言うつもりだったな」
「だって五人」
「分かってる」
「生きてるかもしれない」
「それも分かってる」
「じゃあ」
「今」
「お前が行ってどうする」
アルフレッドが止まる。
「場所」
「分からねぇ」
「内部構造」
「分からねぇ」
「侵食」
「七十四%」
「門を開けたら」
「さらに悪化する可能性がある」
「そこへ」
「十二歳の領主を」
「突っ込ませるわけにはいかねぇ」
「でも」
「助けるなとは言ってない」
アルフレッドの顔が。
上がった。
「準備する」
「情報を集める」
「安全な入口を探す」
「中の状態を調べる」
「それからだ」
「……うん」
「順番を間違えるな」
「うん」
ガルドは。
それ以上。
何も言わなかった。
⸻
「B―03」
ノエルが。
巨大な番人を見る。
『確認』
「あなたは」
「十一日前」
「第三旧居住区地下にいましたか?」
『記録照合』
一瞬。
青い瞳が。
赤く揺れる。
『記録領域――損傷』
「覚えていない?」
『部分記録あり』
全員。
B―03を見る。
『十一日前』
『封鎖門』
『警告』
『未登録生体――五』
「五人!」
クララが。
身体を起こす。
『停止命令――実行』
「止めようとしたの?」
『肯定』
「それで?」
『……』
B―03の声が。
乱れる。
『侵食反応』
『急上昇』
『防衛区画――異常』
『通信断』
『……』
『次記録』
『侵食率――』
停止。
『68.9%』
「その間が」
「ないのか」
ガルド。
『記録欠損』
やはり。
重要なところが。
消えている。
「五人とは」
「戦った?」
アルフレッドが尋ねる。
『不明』
「傷つけた?」
『不明』
「……」
B―03が。
僅かに。
頭を下げる。
『回答不能』
『謝罪』
「いいよ」
アルフレッド。
「ビーさんも」
「侵されてたんでしょう?」
『肯定』
「なら」
「ビーさんが悪いって」
「まだ決まってない」
『……了解』
⸻
「ところで」
ノエルが。
昨日の記録を見る。
「十一日前の開閉履歴には」
「開いた記録しかないのですか?」
A―07。
『照合』
青い光。
『開放』
『十三分四十七秒』
「十三分?」
『その後』
『封鎖機構――閉鎖』
「閉じた?」
アルフレッドが。
驚く。
『肯定』
「誰が?」
『自動閉鎖』
「じゃあ」
「五人は」
「閉じ込められた?」
『可能性――高』
クララの顔が。
完全に強張った。
「開ければ」
「出られる?」
アルフレッドが尋ねる。
『可能』
「じゃあ――」
「待て」
今度は。
ノエル。
「開けた場合」
「侵食が再び急増する可能性があります」
『肯定』
「つまり」
ガルドが。
腕を組む。
「中に生きてる奴がいても」
「助けるために門を開けたら」
「外がもっと酷くなるかもしれねぇ」
「……」
誰も。
簡単な答えを出せなかった。
⸻
「別の入口」
セルマが。
静かに言った。
全員が。
彼女を見る。
「門を」
「開けなくても」
「中を見る方法はないのでしょうか」
アルフレッドの目が。
大きくなる。
「エーナナ!」
『確認』
「ある?」
『検索』
A―07。
停止。
『封鎖区画』
『保守観測路――』
音声。
乱れる。
『一箇所』
「ある!」
ノエルが。
身を乗り出す。
「どこです?」
『第一浄化施設より』
『北西保守枝路』
『観測井へ接続』
「中に入れる?」
『否定』
「見るだけ?」
『肯定』
「それでいい」
ガルドが。
即答した。
「まずそこだ」
⸻
「距離は?」
『徒歩――約一時間十二分』
「安全性」
『不明』
「またか」
『長期間未点検』
「でも」
アルフレッドが言う。
「門は開けなくていい」
『肯定』
「第四浄化塔にも行かない?」
『経路上――非接触』
「なら」
ガルド。
頷く。
「調べる価値はある」
アルフレッドが。
口を開く。
「僕も」
「待て」
「まだ何も――」
「今度は」
ガルドが。
少し考える。
「行かせる」
アルフレッドが。
逆に固まった。
「え?」
「どうした」
「止められると思ってた」
「俺だって」
「何でも反対するわけじゃねぇ」
「本当に?」
「帰るか?」
「行きます!」
即答。
「ただし」
「条件」
「分かってます」
「聞け」
「はい」
「観測井まで」
「それより先へ行かない」
「うん」
「扉を開けない」
「うん」
「《修繕》も《清掃》も」
「俺が許可するまで使わない」
「うん」
「何か声が聞こえても」
「勝手に走らない」
「……」
「そこ」
「一番大事だ」
「はい」
⸻
「今日は?」
アルフレッド。
「行かねぇ」
「え」
「今から準備だ」
「食料」
「水」
「縄」
「灯り」
「昨日地下から帰ったばかりだろ」
「でも」
「焦るな」
ガルドが。
真っ直ぐ少年を見る。
「中で十一日待ってる奴がいるかもしれねぇ」
「だからこそ」
「一回で」
「ちゃんと届く準備をする」
「……うん」
アルフレッドは。
頷いた。
⸻
その日の午後。
観測井へ向かうため。
準備が始まった。
A―07。
経路確認。
B―03。
今回は。
村へ残す。
「どうして?」
アルフレッドが尋ねる。
「通路が狭い」
ガルド。
「こいつ」
「引っ掛かる」
『全幅――通行制限超過』
「ビーさん大きいもんね」
『肯定』
「気にしてない?」
『問題なし』
「よかった」
B―03は。
見張り台の補助と。
村の防衛。
A―07が。
探索隊へ。
⸻
ヘルマンは。
A―07の右肩へ付けた鉤を。
さらに調整していた。
「昨日」
「荷車引いたせいで」
「ここが削れとる」
「壊れた?」
アルフレッド。
「まだじゃ」
「だから」
「壊れる前に直す」
ヘルマン。
鉄片を。
薄く追加。
「修繕じゃない?」
「補強じゃ」
「違うの?」
「違う」
「壊れてから戻すのがお前」
「壊れる前に」
「壊れにくくするのが」
「わしら職人の仕事でもある」
アルフレッドが。
少し考える。
「……それ」
「僕よりすごくない?」
「ようやく分かったか」
「ヘルマンさん嬉しそう」
「うるさい」
⸻
夕方。
ミアが。
家の前まで歩けるようになった。
まだ。
クララに支えられている。
「領主様」
「ミアちゃん」
「身体大丈夫?」
「はい」
「本当?」
後ろから。
マルタ。
「今日は家の前だけだ!」
「大丈夫じゃないみたい」
「すみません……」
ミアは。
それでも。
アルフレッドへ頭を下げた。
「みんなを」
「助けてくれて」
「僕は行ってないよ」
「でも」
ミアは。
小さく笑った。
「お姉ちゃんが」
「ここなら」
「助けてくれるって」
「言ってました」
アルフレッドは。
少し困った顔になった。
「まだ」
「助けられてない人もいる」
「……」
「五人」
ミアの表情が。
変わる。
「ダリオお兄ちゃん……」
「うん」
「探す」
アルフレッドは言った。
「絶対?」
その言葉。
アルフレッドが。
一瞬止まる。
ガルドなら。
絶対はない。
そう言う。
「……見つけるまで」
「できることをする」
ミアは。
少しだけ。
首を傾げた。
そして。
「はい」
頷いた。
⸻
夜。
明日の探索隊。
アルフレッド。
ガルド。
ベルン。
マルク。
A―07。
五名。
目的。
封鎖区画。
保守観測井。
中へは入らない。
門を開けない。
生命反応。
あるいは。
痕跡。
それを確認するだけ。
「確認するだけ」
ノエルが。
三回言った。
「分かってます」
「本当に?」
「はい」
「声が聞こえても?」
「走らない」
「手が見えても?」
「勝手に開けない」
「助けてと言われても?」
アルフレッドが。
黙った。
長い。
沈黙。
「……ガルドさんと相談する」
「よろしい」
ノエルが。
ようやく頷いた。
⸻
その頃。
地下。
第一浄化施設。
A―07とは別の。
古い機構が。
断続的に。
信号を拾っていた。
『封鎖区画』
『内部通信――』
ざっ。
『受……信……』
途切れる。
また。
数分後。
『……信……』
弱い。
あまりにも。
弱い。
機械音なのか。
ただの故障なのか。
判別できない。
それでも。
補助機構は。
繰り返し。
解析を続ける。
『音声成分――検出』
ざざ。
『……だ……』
『……れ……』
そして。
一瞬だけ。
言葉になった。
『……誰か……』
沈黙。
数十秒。
『……外に……』
再び。
途切れる。
最後。
かすかな。
声。
『……いるのか……?』
その直後。
第一浄化施設。
停止していた表示の一つへ。
新しい文字が。
浮かび上がった。
『封鎖区画内部』
『微弱生命反応――』
一。
表示。
消える。
数秒後。
また。
『微弱生命反応――1』
五人いたはずの。
封鎖区画。
その奥で。
少なくとも。
一つ。
まだ。
消えていない反応があった。
⸻
第34話 十一日前に開いた門 了




