三十人の村
第二章 灰境
第31話 三十人の村
前書き
人が増えるということは、
笑い声が増えることです。
働く手が増え、
できることも増えます。
けれど同時に。
必要な食べ物も。
水も。
寝る場所も。
守るべき命も、
増えていきます。
村が大きくなるというのは、
嬉しいことばかりではありません。
だからこそ。
増えた「人数」を見るのではなく。
そこにいる、
一人ひとりを見る必要があるのです。
⸻
翌朝。
灰境の村で。
アルフレッドは、朝から指を折っていた。
「一、二、三……」
帳面。
指。
帳面。
もう一度指。
「……二十八、二十九」
そこで止まる。
「三十です」
向かい側に座っていたノエルが言った。
「やっぱり?」
「昨日から六回目ですが、三十です」
「増えたね」
「増えました」
「前は二十二人だったから」
「はい」
「八人増えた」
「はい」
「すごい」
「すごい、で終わらないでください」
「え?」
ノエルが。
別の帳面を開いた。
「食料消費量も増えます」
「……」
「飲料水」
「……」
「薪」
「……」
「寝床」
「……」
「薬」
「……」
「冬季用備蓄」
「分かりました!」
アルフレッドが両手を上げた。
「嬉しいだけじゃ駄目なんだね」
「駄目とは言っていません」
ノエルは眼鏡を押し上げる。
「喜ぶのは結構です」
「ただし」
「領主として」
「その後を考えてください」
「はい……」
⸻
広場。
昨日までとは。
明らかに景色が違っていた。
人がいる。
それだけなのに。
違う。
空いていた家の前へ。
知らない顔。
マルタから薬を受け取る女性。
井戸の近くで。
村人に水桶の場所を教わる若い男。
壁へ寄りかかりながら。
周囲を不安そうに見ている少年。
昨日。
第三旧居住区から救出された六人だった。
そして。
マルタの家には。
先に村へ辿り着いた少女ミアと。
彼女が抱えてきた赤子。
二十二人だった村へ。
八人。
新しい命が増えた。
まだ。
彼らが灰境の住民になると決まったわけではない。
それでも。
今日。
この場所で。
同じ朝を迎えている。
⸻
「領主様」
声を掛けられた。
振り返る。
昨日。
旧居住区で最初にガルドたちの前へ姿を見せた女性だった。
髪は栗色。
頬は痩せ。
額には。
古い布が巻かれている。
「お身体は?」
アルフレッドが尋ねた。
「大丈夫です」
「マルタさんに診てもらいました?」
「はい」
「なら大丈夫……かな」
「そこはマルタさんが決めます」
セルマが。
少し離れた椅子から言った。
「あ」
アルフレッドが振り返る。
「僕の言葉だったのに」
「今では村の共通語になりつつあります」
ノエルが言う。
「そんな……」
女性の口元に。
小さな笑みが浮かんだ。
昨日。
泣いていた顔とは違う。
「私はクララと申します」
「クララさん」
「はい」
「ミアちゃんのお姉さん?」
「そうです」
「赤ちゃんのお母さんでもある?」
クララが頷いた。
「ルゥです」
「ルゥ?」
「息子の名前です」
「かわいい名前だね」
「ありがとうございます」
クララは。
そこで。
深く頭を下げた。
「妹を」
「そして息子を」
「助けていただき」
「ありがとうございました」
アルフレッドが慌てる。
「僕じゃないです」
「え?」
「ミアちゃんがここまで来たから」
「ガルドさんたちが助けに行って」
「エーナナも」
「ビー……」
言葉が止まる。
大きな黒い機械。
村の入口に立っている。
B―03。
「……あれ、何て呼べばいいんだろう」
『個体識別――B―03』
遠くから。
低い声。
聞こえていたらしい。
「そうなんだけど」
「呼びにくいよね」
そのとき。
リーナが。
ぽつりと言った。
「ビーさん」
全員が。
リーナを見る。
「え?」
「Bだから」
「ビーさん」
沈黙。
ガルドが。
顔を逸らした。
肩が震えている。
「笑ってるでしょう」
「笑ってねぇ」
「絶対笑ってる」
「いや」
「ビーさんって……」
「本人に聞けばいいじゃねぇか」
アルフレッドが。
B―03を見る。
「ビーさんって呼んでもいい?」
『呼称照合』
一拍。
『管理上の問題なし』
「いいって!」
「やった!」
リーナが両手を上げる。
B―03。
全高二メートルを大きく超える。
巨大な盾。
巨大な槌。
見るからに。
戦場で出会いたくない外見。
その呼び名が。
その日の朝。
ビーさん
になった。
「威厳が……」
ベルンが呟く。
『威厳――任務遂行に不要』
「本人が気にしてない!」
⸻
クララが。
不思議そうにA―07とB―03を見る。
「この方たちは」
「魔物……ではないのですよね?」
「たぶん」
アルフレッドが答える。
『否定』
A―07。
『当機は第一浄化施設保守管理機』
B―03。
『当機は保守路防衛機構』
「だそうです」
「……」
クララは。
理解を諦めた顔をした。
「ここは」
「昔から、このような村なのでしょうか」
「違うよ」
アルフレッドが即答する。
「僕も数日前に知った」
「そうなのですか?」
「うん」
「地下に大きな施設があるのも」
「エーナナがいるのも」
「ビーさんがいるのも」
「最近」
「……」
クララが。
もっと不安そうになった。
「説明の仕方を考えてください」
ノエルが言った。
「難しいよ」
「事実ですが」
「安心できる事実ではありません」
⸻
「それで」
アルフレッドは。
クララを見た。
「聞きたいことがあるんです」
「何でしょう」
「これから」
少し言葉を選ぶ。
「どうしたいですか?」
クララが。
動きを止めた。
「どう……とは?」
「ここに住むとか」
「旧居住区に戻るとか」
「ほかの町へ行くとか」
「今すぐ決めなくてもいいけど」
アルフレッドは。
少し考えてから続けた。
「僕たちが勝手に」
「ここに住むって決めるのは違うと思うから」
クララは。
アルフレッドの顔を見ていた。
「私たちは」
「助けていただいた身です」
「うん」
「食料も」
「薬もいただいています」
「うん」
「ですから」
少し。
声が小さくなる。
「何を命じられても」
「従うつもりでした」
アルフレッドの眉が寄る。
「どうして?」
「どうして……」
「助けてもらったから?」
「はい」
「それは」
アルフレッドは。
首を傾げた。
「変じゃない?」
クララが目を瞬く。
「僕たちは助けたかったから助けた」
「だから」
「助けた代金として」
「ずっとここで働いてって言うのは」
「違う気がする」
「ですが」
「食べ物はただじゃない」
そこで。
少しだけ。
声が変わった。
優しいだけではない。
領主として。
現実を見る声。
「村にも」
「余裕はありません」
「だから」
「元気になったら」
「働ける人には働いてもらいたい」
「でも」
「何をするかは」
「一緒に決めたいです」
クララの目が。
少しだけ大きくなる。
「働けない人は?」
「今すぐ?」
「はい」
「休んでもらいます」
「ずっと働けなければ?」
難しい質問。
アルフレッドは。
すぐには答えなかった。
「……分からない」
正直に言う。
「でも」
「食料が足りなくなる前に」
「足りるようにする方法を探します」
「それでも足りなかったら?」
「その時は」
また考える。
「皆で考えます」
「僕一人で」
「この人は食べていい」
「この人は駄目」
「みたいには」
「決めたくないです」
クララは。
長い間。
何も言わなかった。
やがて。
深く。
頭を下げる。
「少し」
「考える時間をいただけますか」
「もちろん」
「旧居住区へ」
「戻ることも考えています」
「うん」
「家があります」
「畑も」
「亡くなった者も」
最後の言葉。
アルフレッドは。
何も言わなかった。
「戻れるようになったら」
「戻りたい人もいると思います」
「分かりました」
「でも」
アルフレッドは付け加える。
「今は戻っちゃ駄目です」
クララが顔を上げる。
「危ないから」
「はい」
「そこだけは」
「領主として言います」
「今は」
「戻らないでください」
クララは。
しばらく少年を見て。
「……承知しました」
静かに答えた。
⸻
午前。
ノエルによる。
新しく来た者たちの聞き取りが始まった。
場所は。
広場の簡易机。
「名前」
「年齢」
「できる仕事」
「怪我」
「持病」
「家族」
アルフレッドも。
横へ座っていた。
「全部覚えるの?」
リーナが覗き込む。
「覚える」
「三十人だよ?」
「まだ三十人」
「前は二十二だったよ」
「だから増えた」
「百人になったら?」
「……頑張る」
「千人」
「帳面を見る」
「覚えるって言ってたのに」
「千人は難しいよ!」
ノエルが。
淡々と筆を走らせる。
「今から現実的な判断ができるようになって何よりです」
「褒められてる?」
「半分ほど」
「セルマみたい……」
⸻
最初。
クララ。
二十七歳。
縫い物。
保存食作り。
簡単な薬草の知識。
「赤ちゃんがいるから」
「無理しないでね」
「はい」
「仕事は」
「できるようになってから」
「……ありがとうございます」
⸻
次。
若い男。
「オスカー」
二十三歳。
木こり。
罠。
簡単な猟。
右肩に傷。
「木を切れるの?」
アルフレッドの顔が明るくなる。
「はい」
「エッダさん!」
「聞こえています!」
少し離れた場所から返事。
「見張り台――」
「まず傷を治してからです!」
「はい!」
アルフレッドより。
エッダの方が。
即戦力へ目を光らせていた。
⸻
次。
中年の女性。
「ハンナ」
四十一歳。
織物。
料理。
山羊の世話。
「山羊!」
アルフレッドが反応する。
「うちに三頭います」
「見ました」
「痩せていますね」
「やっぱり?」
「餌が足りていません」
「どうしたら?」
「あとで見ます」
「お願いします!」
ハンナは。
少し驚いた。
貴族の領主から。
頭を下げられるとは思わなかったらしい。
⸻
次。
少年。
「フィン」
十歳。
「仕事は?」
ノエルが尋ねる。
「……何でもします」
「できることです」
「何でも」
「具体的に」
「薪を拾えます」
「水を運べます」
「罠の餌を付けられます」
「弟の面倒も――」
途中で。
フィンは口を閉じた。
アルフレッドは。
それ以上聞かなかった。
弟。
昨日。
連れて帰ってきた六人の中にはいない。
「じゃあ」
「薪と」
「水運び」
「できるね」
フィンが。
アルフレッドを見る。
「それだけでいいの?」
「十歳だから」
「ミアとリーナちゃんと同じくらいでしょう?」
「……」
「重いものは持たなくていいよ」
「でも」
「働かないと食べられないって」
「誰に言われたの?」
フィンは答えなかった。
旧居住区で。
そうしなければ生きられなかったのだろう。
「ここでも」
アルフレッドは言う。
「できることはしてもらうよ」
「でも」
「できないことまでは」
「やらなくていい」
「……」
「まず」
「ちゃんと食べて」
「元気になろう」
フィンは。
小さく。
頷いた。
⸻
最後に。
寝台から動けない男性。
ヨーゼフ。
六十二歳。
高熱。
脚に傷。
呼吸も弱い。
聞き取りどころではなかった。
「この人は後」
マルタが言う。
「今は寝かせときな」
「治りますか?」
アルフレッドが尋ねる。
「まだ何とも言えない」
「菌糸は?」
「今のところ見えない」
A―07が。
外から頭だけを家の中へ向ける。
『侵食反応』
全員。
一瞬緊張した。
『検出せず』
「先にそれ言って!」
『了解』
「エーナナ」
「最近順番が大事なんだって覚えてなかった?」
『情報伝達順序――再学習』
「頼むよ……」
⸻
こうして。
新しく来た者たちの。
名前。
顔。
できること。
できないこと。
少しずつ。
帳面へ増えていった。
アルフレッドは。
途中から。
人数を数えるのをやめた。
数字ではなく。
クララ。
オスカー。
ハンナ。
フィン。
ミア。
ルゥ。
そして。
まだ話せない者たち。
一人ずつ。
覚えるためだった。
⸻
昼。
「大問題です」
ノエルが言った。
「何?」
「食料です」
やっぱり。
来た。
「何日?」
「現在の量を」
「三十人で通常配給した場合」
ノエルが計算する。
「十日ほど」
「……短い」
「冬用備蓄へ手を付ければ増えます」
「駄目」
アルフレッドが即答する。
「冬に食べるものがなくなる」
「では」
「今から増やす必要があります」
「畑?」
「今から植えて」
「冬前に収穫できる作物は限られます」
「狩り?」
「灰の森へは入りにくい」
「南側は?」
「可能です」
「魚?」
「川があります」
「木の実」
「山菜」
「保存食」
「それから」
ノエルの筆が。
次々と動く。
「旧居住区の備蓄」
アルフレッドが止まった。
「取りに行く?」
「危険です」
「でも」
「食べ物が残ってるかもしれない」
クララが。
話を聞いていた。
「あります」
全員が振り返る。
「本当?」
「地下貯蔵庫です」
「村の西側」
「干し豆」
「根菜」
「燻製肉」
「全部残っていれば」
「二十人が一月ほど暮らせる量が」
ノエルが顔を上げた。
「かなりあります」
「でも」
クララは俯く。
「村は」
「もう……」
灰色の菌糸。
第四浄化塔から広がった侵食。
今。
取りに戻れる場所ではない。
「すぐには行かない」
アルフレッドが言う。
「でも」
「場所は覚えておきます」
「取りに行ける方法を」
「考えよう」
クララが頷く。
⸻
「管理者」
A―07が呼んだ。
「どうしたの?」
『第一浄化施設より』
『補助機能稼働通知』
「補助機能?」
『肯定』
「昨日も少し動いたと言っていましたね」
ノエルが近づく。
『居住区生命反応増加』
『補助系統――第一段階起動』
「何が起きたの?」
『水脈補助浄化』
アルフレッドが。
井戸を見る。
「井戸?」
『肯定』
『侵食因子濃度』
『昨日比――低下』
「どれくらい?」
『約13%』
「じゃあ飲める?」
『否定』
「ですよね」
最近。
A―07の答え方が。
少し分かってきた。
「でも」
ノエルの表情が変わる。
「なぜ」
「人が増えると施設が動くのです?」
『施設運用規定』
『居住者数に応じ』
『必要浄化量および稼働区画を調整』
「じゃあ」
アルフレッドが言う。
「昔も」
「ここに人が住んでたから」
「施設が動いてた?」
『肯定の可能性――高』
「人がいなくなったから」
「止まった?」
『一部肯定』
「一部?」
『主停止原因――記録欠損』
「そこはやっぱり分からないか」
『謝罪』
「謝らなくていいって」
⸻
「居住者数」
ノエルが尋ねる。
「現在三十」
『生命反応――30』
「完全稼働に必要な人数は?」
A―07が。
一瞬。
停止した。
『標準最低運用人口』
『120』
「……」
全員。
黙った。
「ひゃくにじゅう?」
アルフレッドが聞き返す。
『肯定』
「あと九十人?」
『肯定』
「そんなにどこから来るの?」
『質問内容――回答不能』
「だよね」
ガルドが笑った。
「アル坊」
「何?」
「領民集めろってよ」
「急に無理だよ!」
「四倍だぞ」
「ガルドさん」
「人は材料じゃありません」
ノエルが冷静に言う。
「分かってる」
「冗談だ」
「だが」
ガルドは。
村を見回した。
「二十二から三十にはなった」
「八人増えただけでも」
「井戸が少し良くなる」
「なら」
「人が戻ってくりゃ」
「この土地そのものが」
「少しずつ戻るのかもしれねぇな」
アルフレッドは。
その言葉を聞いていた。
人が住む。
家を直す。
畑を作る。
水を使う。
笑う。
食べる。
眠る。
それが。
古い施設まで。
動かしていく。
「変なの」
アルフレッドが言った。
「何が?」
「僕が村を直してるつもりだったのに」
「人が増えたら」
「地下の方が勝手に直り始めた」
「直ったわけではありません」
ノエルが訂正する。
「動き始めただけです」
「そこ大事?」
「非常に」
「はい」
⸻
午後。
B―03。
通称。
ビーさん。
が。
大活躍していた。
「ビーさん!」
エッダが叫ぶ。
「その梁!」
『対象確認』
「持ち上げて!」
『了解』
巨大な左腕。
いや。
B―03は両腕とも残っている。
盾と槌を外した状態。
その両手で。
大人四人でも重い梁を。
ひょい。
「……」
村人たちが黙る。
「もっとゆっくり!」
『速度低下』
「そこ!」
『保持』
エッダとヘルマンが。
位置を合わせる。
「すげぇな」
オスカーが。
肩の包帯を巻いたまま見ていた。
「あれが一体いりゃ」
「家建てるの早ぇぞ」
「無理しちゃ駄目ですよ」
アルフレッドが言う。
「俺が?」
「オスカーさん」
「怪我してるから」
「ああ」
「俺じゃなく」
「あっちに言ったのかと思った」
「ビーさんにも言います」
『当機稼働率――正常』
「でも休む時間は必要?」
『定期整備推奨』
「なら夕方まで」
『了解』
オスカーが。
アルフレッドを見る。
「機械にも休めって言うのか」
「壊れるでしょう?」
「……変わった領主様だな」
「よく言われます」
「褒めてないぞ」
「それもよく言われます」
⸻
見張り台。
空き家。
水桶。
少しずつ。
人を受け入れる形が整う。
新しい者たちは。
まだ。
村人の中へ混ざり切ってはいない。
遠慮。
警戒。
不安。
当然だった。
昨日まで。
知らない場所。
知らない人。
知らない領主。
その上。
銀色の機械と。
巨大な黒い機械までいる。
安心しろという方が無理がある。
それでも。
夕方になる頃には。
ハンナが。
村の女たちと一緒に山羊を見ていた。
「この子」
「蹄が伸びすぎてます」
「切れるの?」
「はい」
「頼める?」
「もちろん」
フィンは。
リーナと一緒に。
薪を運んでいる。
「それ大きいよ」
「持てる」
「半分持つ?」
「いらない」
「でも二人の方が早いよ」
「……」
「ほら」
「……じゃあ半分」
二人で。
一本の薪を持つ。
オスカーは。
働こうとして。
三度。
エッダに追い返された。
「肩が治ってからです!」
「木を見るだけだ!」
「見るだけの人は斧を持ちません!」
「癖だ!」
「置いてください!」
少しずつ。
村の声が。
増えていた。
⸻
日が沈む頃。
マルタが。
アルフレッドを呼んだ。
「アル」
「はい」
「来な」
寝台。
ヨーゼフ。
旧居住区から運ばれてきた。
六十二歳の男。
朝まで。
高熱で。
ほとんど意識がなかった。
その右目が。
今。
薄く開いている。
「話せる?」
アルフレッドが尋ねる。
マルタが頷く。
「少しなら」
「無理はさせるんじゃないよ」
「はい」
アルフレッドは。
寝台の隣へ座る。
「僕はアルフレッドです」
老人の目が。
少年へ動く。
「……領主……」
「はい」
「新しい……?」
「新しいです」
「何日前?」
「えっと」
数える。
「まだ、そんなに経ってないです」
「……そうか」
老人の声は。
細い。
「また……来たのか」
「また?」
「領主が」
バルドが。
村へ来た時にも。
似た言葉を言っていた。
また来たか。
灰境では。
領主は。
来て。
そして。
去っていった。
「僕は」
「今のところ」
「帰る予定はありません」
老人の口元が。
わずかに動いた。
「今のところ……か」
「絶対って言うと」
「ガルドさんに」
「絶対はないって言われるので」
「……賢い」
「そうかな」
「少し……」
「また少しか……」
マルタが鼻で笑った。
⸻
そのとき。
外から。
重い足音。
どん。
どん。
B―03。
作業を終え。
家の前を通った。
ヨーゼフの目が。
突然。
大きく開く。
「……黒い」
「え?」
身体を起こそうとする。
「動くんじゃない!」
マルタが支える。
「黒い……番人」
アルフレッドが。
B―03を見る。
「ビーさんのこと?」
「びー……?」
「B―03」
「……」
ヨーゼフの顔から。
血の気が引いた。
「まだ……いたのか」
アルフレッド。
マルタ。
セルマ。
全員が。
老人を見る。
「知ってるの?」
「……見たことは」
「ない」
「じゃあ」
「どうして」
ヨーゼフが。
ゆっくり目を閉じる。
「昔話だ」
「昔話?」
「わしの……祖父が」
「そのまた」
「祖父から……」
息を整える。
「聞いた」
アルフレッドは。
黙って待った。
「銀の手が」
「水を清める」
セルマの視線が。
A―07のいる方角へ向く。
「黒の盾が」
「道を守る」
B―03。
「そして」
老人は。
掠れた声で。
続けた。
「灰が」
「山から下りた時」
「二つの番人が」
「門を……閉ざす」
「門?」
アルフレッドが聞き返す。
「何の門?」
「……知らん」
「場所は?」
「……」
「ヨーゼフさん?」
老人は。
少し迷ってから。
言った。
「わしらの村の」
「地下にも」
「丸い石蓋が……あった」
アルフレッドの目が。
大きくなる。
第三旧居住区。
侵食され。
今は人が住めなくなった村。
その下にも。
点検口。
「あの地下道とは別?」
「……子どもの頃」
「開けるなと」
「言われた」
「なぜ?」
「門番が」
「起きるから」
セルマが。
静かにA―07を見る。
銀の番人。
黒の番人。
そして。
まだ。
彼らが知らない。
「門」。
⸻
「今日はここまで」
マルタが言った。
「でも」
「駄目だ」
「ヨーゼフさんが疲れてる」
アルフレッドは。
老人の顔を見る。
確かに。
呼吸が。
少し速くなっている。
「……分かりました」
「また元気になったら」
「聞かせてください」
ヨーゼフは。
薄く目を開けた。
「領主様」
「はい」
「灰境を」
「直すのか」
「そのつもりです」
「……そうか」
老人は。
微かに笑った。
「なら」
「地下だけは」
「急ぐな」
「……」
「昔の者も」
「同じことを」
「した」
アルフレッドの表情が変わる。
「どういうこと?」
しかし。
ヨーゼフは。
もう。
目を閉じていた。
眠った。
マルタが。
首を横へ振る。
「続きは明日だ」
「……はい」
⸻
夜。
アルフレッドは。
家の前に座っていた。
帳面。
三十人。
食料。
水。
家。
冬。
そこへ。
また。
新しい謎。
「門……」
呟く。
「気になりますか?」
セルマが隣へ座る。
「すごく」
「地下へ行きたいですか?」
「すごく」
「行きますか?」
「……行かない」
セルマが。
少し驚いた。
「今日は?」
「うん」
「どうして?」
「明日」
アルフレッドは。
広場を見る。
寝床が足りない。
空き家の屋根。
途中。
食料。
十日。
薪。
少ない。
「先に」
「こっち」
帳面を叩く。
「三十人になったから」
「ちゃんと三十人が」
「暮らせるようにしないと」
セルマが。
少しだけ笑う。
「領主らしいですね」
「今度は少しじゃない?」
「……」
「セルマ?」
「少し」
「やっぱり!」
⸻
その頃。
地下。
第一浄化施設。
『生命反応――30』
『補助機能第一段階――稼働』
水路。
古い弁。
少しずつ。
流れ始める。
『侵食因子濃度』
『低下』
『居住区維持率――』
数字が。
12.7。
13.1。
13.4。
ほんの。
わずか。
上がっていく。
そして。
別の場所。
第三旧居住区地下。
灰色の菌糸に覆われた。
円形の石蓋。
その裏側。
三本の縦線が。
淡く。
光った。
『保守管理個体――二機復帰』
『管理者権限――検出』
『門封鎖機構――』
表示。
乱れる。
『再起動条件――未達』
その下。
新しい文字。
『警告』
『第四浄化塔』
『侵食深度――73%』
『門への到達予測――』
一瞬。
数字が止まる。
『十九日』
灰色の菌糸が。
石蓋の下を。
静かに。
這っていた。
⸻
第31話 三十人の村 了




