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男爵家四男の辺境開拓記 ~不遇スキル《修繕》と《清掃》で、みんなの帰る場所を作ります~  作者: 和泉發仙
第二章 灰境

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31/53

三十人の村

第二章 灰境


第31話 三十人の村


前書き


人が増えるということは、


笑い声が増えることです。


働く手が増え、


できることも増えます。


けれど同時に。


必要な食べ物も。


水も。


寝る場所も。


守るべき命も、


増えていきます。


村が大きくなるというのは、


嬉しいことばかりではありません。


だからこそ。


増えた「人数」を見るのではなく。


そこにいる、


一人ひとりを見る必要があるのです。


⸻


 翌朝。


 灰境の村で。


 アルフレッドは、朝から指を折っていた。


「一、二、三……」


 帳面。


 指。


 帳面。


 もう一度指。


「……二十八、二十九」


 そこで止まる。


「三十です」


 向かい側に座っていたノエルが言った。


「やっぱり?」


「昨日から六回目ですが、三十です」


「増えたね」


「増えました」


「前は二十二人だったから」


「はい」


「八人増えた」


「はい」


「すごい」


「すごい、で終わらないでください」


「え?」


 ノエルが。


 別の帳面を開いた。


「食料消費量も増えます」


「……」


「飲料水」


「……」


「薪」


「……」


「寝床」


「……」


「薬」


「……」


「冬季用備蓄」


「分かりました!」


 アルフレッドが両手を上げた。


「嬉しいだけじゃ駄目なんだね」


「駄目とは言っていません」


 ノエルは眼鏡を押し上げる。


「喜ぶのは結構です」


「ただし」


「領主として」


「その後を考えてください」


「はい……」


⸻


 広場。


 昨日までとは。


 明らかに景色が違っていた。


 人がいる。


 それだけなのに。


 違う。


 空いていた家の前へ。


 知らない顔。


 マルタから薬を受け取る女性。


 井戸の近くで。


 村人に水桶の場所を教わる若い男。


 壁へ寄りかかりながら。


 周囲を不安そうに見ている少年。


 昨日。


 第三旧居住区から救出された六人だった。


 そして。


 マルタの家には。


 先に村へ辿り着いた少女ミアと。


 彼女が抱えてきた赤子。


 二十二人だった村へ。


 八人。


 新しい命が増えた。


 まだ。


 彼らが灰境の住民になると決まったわけではない。


 それでも。


 今日。


 この場所で。


 同じ朝を迎えている。


⸻


「領主様」


 声を掛けられた。


 振り返る。


 昨日。


 旧居住区で最初にガルドたちの前へ姿を見せた女性だった。


 髪は栗色。


 頬は痩せ。


 額には。


 古い布が巻かれている。


「お身体は?」


 アルフレッドが尋ねた。


「大丈夫です」


「マルタさんに診てもらいました?」


「はい」


「なら大丈夫……かな」


「そこはマルタさんが決めます」


 セルマが。


 少し離れた椅子から言った。


「あ」


 アルフレッドが振り返る。


「僕の言葉だったのに」


「今では村の共通語になりつつあります」


 ノエルが言う。


「そんな……」


 女性の口元に。


 小さな笑みが浮かんだ。


 昨日。


 泣いていた顔とは違う。


「私はクララと申します」


「クララさん」


「はい」


「ミアちゃんのお姉さん?」


「そうです」


「赤ちゃんのお母さんでもある?」


 クララが頷いた。


「ルゥです」


「ルゥ?」


「息子の名前です」


「かわいい名前だね」


「ありがとうございます」


 クララは。


 そこで。


 深く頭を下げた。


「妹を」


「そして息子を」


「助けていただき」


「ありがとうございました」


 アルフレッドが慌てる。


「僕じゃないです」


「え?」


「ミアちゃんがここまで来たから」


「ガルドさんたちが助けに行って」


「エーナナも」


「ビー……」


 言葉が止まる。


 大きな黒い機械。


 村の入口に立っている。


 B―03。


「……あれ、何て呼べばいいんだろう」


『個体識別――B―03』


 遠くから。


 低い声。


 聞こえていたらしい。


「そうなんだけど」


「呼びにくいよね」


 そのとき。


 リーナが。


 ぽつりと言った。


「ビーさん」


 全員が。


 リーナを見る。


「え?」


「Bだから」


「ビーさん」


 沈黙。


 ガルドが。


 顔を逸らした。


 肩が震えている。


「笑ってるでしょう」


「笑ってねぇ」


「絶対笑ってる」


「いや」


「ビーさんって……」


「本人に聞けばいいじゃねぇか」


 アルフレッドが。


 B―03を見る。


「ビーさんって呼んでもいい?」


『呼称照合』


 一拍。


『管理上の問題なし』


「いいって!」


「やった!」


 リーナが両手を上げる。


 B―03。


 全高二メートルを大きく超える。


 巨大な盾。


 巨大な槌。


 見るからに。


 戦場で出会いたくない外見。


 その呼び名が。


 その日の朝。


 ビーさん


 になった。


「威厳が……」


 ベルンが呟く。


『威厳――任務遂行に不要』


「本人が気にしてない!」


⸻


 クララが。


 不思議そうにA―07とB―03を見る。


「この方たちは」


「魔物……ではないのですよね?」


「たぶん」


 アルフレッドが答える。


『否定』


 A―07。


『当機は第一浄化施設保守管理機』


 B―03。


『当機は保守路防衛機構』


「だそうです」


「……」


 クララは。


 理解を諦めた顔をした。


「ここは」


「昔から、このような村なのでしょうか」


「違うよ」


 アルフレッドが即答する。


「僕も数日前に知った」


「そうなのですか?」


「うん」


「地下に大きな施設があるのも」


「エーナナがいるのも」


「ビーさんがいるのも」


「最近」


「……」


 クララが。


 もっと不安そうになった。


「説明の仕方を考えてください」


 ノエルが言った。


「難しいよ」


「事実ですが」


「安心できる事実ではありません」


⸻


「それで」


 アルフレッドは。


 クララを見た。


「聞きたいことがあるんです」


「何でしょう」


「これから」


 少し言葉を選ぶ。


「どうしたいですか?」


 クララが。


 動きを止めた。


「どう……とは?」


「ここに住むとか」


「旧居住区に戻るとか」


「ほかの町へ行くとか」


「今すぐ決めなくてもいいけど」


 アルフレッドは。


 少し考えてから続けた。


「僕たちが勝手に」


「ここに住むって決めるのは違うと思うから」


 クララは。


 アルフレッドの顔を見ていた。


「私たちは」


「助けていただいた身です」


「うん」


「食料も」


「薬もいただいています」


「うん」


「ですから」


 少し。


 声が小さくなる。


「何を命じられても」


「従うつもりでした」


 アルフレッドの眉が寄る。


「どうして?」


「どうして……」


「助けてもらったから?」


「はい」


「それは」


 アルフレッドは。


 首を傾げた。


「変じゃない?」


 クララが目を瞬く。


「僕たちは助けたかったから助けた」


「だから」


「助けた代金として」


「ずっとここで働いてって言うのは」


「違う気がする」


「ですが」


「食べ物はただじゃない」


 そこで。


 少しだけ。


 声が変わった。


 優しいだけではない。


 領主として。


 現実を見る声。


「村にも」


「余裕はありません」


「だから」


「元気になったら」


「働ける人には働いてもらいたい」


「でも」


「何をするかは」


「一緒に決めたいです」


 クララの目が。


 少しだけ大きくなる。


「働けない人は?」


「今すぐ?」


「はい」


「休んでもらいます」


「ずっと働けなければ?」


 難しい質問。


 アルフレッドは。


 すぐには答えなかった。


「……分からない」


 正直に言う。


「でも」


「食料が足りなくなる前に」


「足りるようにする方法を探します」


「それでも足りなかったら?」


「その時は」


 また考える。


「皆で考えます」


「僕一人で」


「この人は食べていい」


「この人は駄目」


「みたいには」


「決めたくないです」


 クララは。


 長い間。


 何も言わなかった。


 やがて。


 深く。


 頭を下げる。


「少し」


「考える時間をいただけますか」


「もちろん」


「旧居住区へ」


「戻ることも考えています」


「うん」


「家があります」


「畑も」


「亡くなった者も」


 最後の言葉。


 アルフレッドは。


 何も言わなかった。


「戻れるようになったら」


「戻りたい人もいると思います」


「分かりました」


「でも」


 アルフレッドは付け加える。


「今は戻っちゃ駄目です」


 クララが顔を上げる。


「危ないから」


「はい」


「そこだけは」


「領主として言います」


「今は」


「戻らないでください」


 クララは。


 しばらく少年を見て。


「……承知しました」


 静かに答えた。


⸻


 午前。


 ノエルによる。


 新しく来た者たちの聞き取りが始まった。


 場所は。


 広場の簡易机。


「名前」


「年齢」


「できる仕事」


「怪我」


「持病」


「家族」


 アルフレッドも。


 横へ座っていた。


「全部覚えるの?」


 リーナが覗き込む。


「覚える」


「三十人だよ?」


「まだ三十人」


「前は二十二だったよ」


「だから増えた」


「百人になったら?」


「……頑張る」


「千人」


「帳面を見る」


「覚えるって言ってたのに」


「千人は難しいよ!」


 ノエルが。


 淡々と筆を走らせる。


「今から現実的な判断ができるようになって何よりです」


「褒められてる?」


「半分ほど」


「セルマみたい……」


⸻


 最初。


 クララ。


 二十七歳。


 縫い物。


 保存食作り。


 簡単な薬草の知識。


「赤ちゃんがいるから」


「無理しないでね」


「はい」


「仕事は」


「できるようになってから」


「……ありがとうございます」


⸻


 次。


 若い男。


「オスカー」


 二十三歳。


 木こり。


 罠。


 簡単な猟。


 右肩に傷。


「木を切れるの?」


 アルフレッドの顔が明るくなる。


「はい」


「エッダさん!」


「聞こえています!」


 少し離れた場所から返事。


「見張り台――」


「まず傷を治してからです!」


「はい!」


 アルフレッドより。


 エッダの方が。


 即戦力へ目を光らせていた。


⸻


 次。


 中年の女性。


「ハンナ」


 四十一歳。


 織物。


 料理。


 山羊の世話。


「山羊!」


 アルフレッドが反応する。


「うちに三頭います」


「見ました」


「痩せていますね」


「やっぱり?」


「餌が足りていません」


「どうしたら?」


「あとで見ます」


「お願いします!」


 ハンナは。


 少し驚いた。


 貴族の領主から。


 頭を下げられるとは思わなかったらしい。


⸻


 次。


 少年。


「フィン」


 十歳。


「仕事は?」


 ノエルが尋ねる。


「……何でもします」


「できることです」


「何でも」


「具体的に」


「薪を拾えます」


「水を運べます」


「罠の餌を付けられます」


「弟の面倒も――」


 途中で。


 フィンは口を閉じた。


 アルフレッドは。


 それ以上聞かなかった。


 弟。


 昨日。


 連れて帰ってきた六人の中にはいない。


「じゃあ」


「薪と」


「水運び」


「できるね」


 フィンが。


 アルフレッドを見る。


「それだけでいいの?」


「十歳だから」


「ミアとリーナちゃんと同じくらいでしょう?」


「……」


「重いものは持たなくていいよ」


「でも」


「働かないと食べられないって」


「誰に言われたの?」


 フィンは答えなかった。


 旧居住区で。


 そうしなければ生きられなかったのだろう。


「ここでも」


 アルフレッドは言う。


「できることはしてもらうよ」


「でも」


「できないことまでは」


「やらなくていい」


「……」


「まず」


「ちゃんと食べて」


「元気になろう」


 フィンは。


 小さく。


 頷いた。


⸻


 最後に。


 寝台から動けない男性。


 ヨーゼフ。


 六十二歳。


 高熱。


 脚に傷。


 呼吸も弱い。


 聞き取りどころではなかった。


「この人は後」


 マルタが言う。


「今は寝かせときな」


「治りますか?」


 アルフレッドが尋ねる。


「まだ何とも言えない」


「菌糸は?」


「今のところ見えない」


 A―07が。


 外から頭だけを家の中へ向ける。


『侵食反応』


 全員。


 一瞬緊張した。


『検出せず』


「先にそれ言って!」


『了解』


「エーナナ」


「最近順番が大事なんだって覚えてなかった?」


『情報伝達順序――再学習』


「頼むよ……」


⸻


 こうして。


 新しく来た者たちの。


 名前。


 顔。


 できること。


 できないこと。


 少しずつ。


 帳面へ増えていった。


 アルフレッドは。


 途中から。


 人数を数えるのをやめた。


 数字ではなく。


 クララ。


 オスカー。


 ハンナ。


 フィン。


 ミア。


 ルゥ。


 そして。


 まだ話せない者たち。


 一人ずつ。


 覚えるためだった。


⸻


 昼。


「大問題です」


 ノエルが言った。


「何?」


「食料です」


 やっぱり。


 来た。


「何日?」


「現在の量を」


「三十人で通常配給した場合」


 ノエルが計算する。


「十日ほど」


「……短い」


「冬用備蓄へ手を付ければ増えます」


「駄目」


 アルフレッドが即答する。


「冬に食べるものがなくなる」


「では」


「今から増やす必要があります」


「畑?」


「今から植えて」


「冬前に収穫できる作物は限られます」


「狩り?」


「灰の森へは入りにくい」


「南側は?」


「可能です」


「魚?」


「川があります」


「木の実」


「山菜」


「保存食」


「それから」


 ノエルの筆が。


 次々と動く。


「旧居住区の備蓄」


 アルフレッドが止まった。


「取りに行く?」


「危険です」


「でも」


「食べ物が残ってるかもしれない」


 クララが。


 話を聞いていた。


「あります」


 全員が振り返る。


「本当?」


「地下貯蔵庫です」


「村の西側」


「干し豆」


「根菜」


「燻製肉」


「全部残っていれば」


「二十人が一月ほど暮らせる量が」


 ノエルが顔を上げた。


「かなりあります」


「でも」


 クララは俯く。


「村は」


「もう……」


 灰色の菌糸。


 第四浄化塔から広がった侵食。


 今。


 取りに戻れる場所ではない。


「すぐには行かない」


 アルフレッドが言う。


「でも」


「場所は覚えておきます」


「取りに行ける方法を」


「考えよう」


 クララが頷く。


⸻


「管理者」


 A―07が呼んだ。


「どうしたの?」


『第一浄化施設より』


『補助機能稼働通知』


「補助機能?」


『肯定』


「昨日も少し動いたと言っていましたね」


 ノエルが近づく。


『居住区生命反応増加』


『補助系統――第一段階起動』


「何が起きたの?」


『水脈補助浄化』


 アルフレッドが。


 井戸を見る。


「井戸?」


『肯定』


『侵食因子濃度』


『昨日比――低下』


「どれくらい?」


『約13%』


「じゃあ飲める?」


『否定』


「ですよね」


 最近。


 A―07の答え方が。


 少し分かってきた。


「でも」


 ノエルの表情が変わる。


「なぜ」


「人が増えると施設が動くのです?」


『施設運用規定』


『居住者数に応じ』


『必要浄化量および稼働区画を調整』


「じゃあ」


 アルフレッドが言う。


「昔も」


「ここに人が住んでたから」


「施設が動いてた?」


『肯定の可能性――高』


「人がいなくなったから」


「止まった?」


『一部肯定』


「一部?」


『主停止原因――記録欠損』


「そこはやっぱり分からないか」


『謝罪』


「謝らなくていいって」


⸻


「居住者数」


 ノエルが尋ねる。


「現在三十」


『生命反応――30』


「完全稼働に必要な人数は?」


 A―07が。


 一瞬。


 停止した。


『標準最低運用人口』


『120』


「……」


 全員。


 黙った。


「ひゃくにじゅう?」


 アルフレッドが聞き返す。


『肯定』


「あと九十人?」


『肯定』


「そんなにどこから来るの?」


『質問内容――回答不能』


「だよね」


 ガルドが笑った。


「アル坊」


「何?」


「領民集めろってよ」


「急に無理だよ!」


「四倍だぞ」


「ガルドさん」


「人は材料じゃありません」


 ノエルが冷静に言う。


「分かってる」


「冗談だ」


「だが」


 ガルドは。


 村を見回した。


「二十二から三十にはなった」


「八人増えただけでも」


「井戸が少し良くなる」


「なら」


「人が戻ってくりゃ」


「この土地そのものが」


「少しずつ戻るのかもしれねぇな」


 アルフレッドは。


 その言葉を聞いていた。


 人が住む。


 家を直す。


 畑を作る。


 水を使う。


 笑う。


 食べる。


 眠る。


 それが。


 古い施設まで。


 動かしていく。


「変なの」


 アルフレッドが言った。


「何が?」


「僕が村を直してるつもりだったのに」


「人が増えたら」


「地下の方が勝手に直り始めた」


「直ったわけではありません」


 ノエルが訂正する。


「動き始めただけです」


「そこ大事?」


「非常に」


「はい」


⸻


 午後。


 B―03。


 通称。


 ビーさん。


 が。


 大活躍していた。


「ビーさん!」


 エッダが叫ぶ。


「その梁!」


『対象確認』


「持ち上げて!」


『了解』


 巨大な左腕。


 いや。


 B―03は両腕とも残っている。


 盾と槌を外した状態。


 その両手で。


 大人四人でも重い梁を。


 ひょい。


「……」


 村人たちが黙る。


「もっとゆっくり!」


『速度低下』


「そこ!」


『保持』


 エッダとヘルマンが。


 位置を合わせる。


「すげぇな」


 オスカーが。


 肩の包帯を巻いたまま見ていた。


「あれが一体いりゃ」


「家建てるの早ぇぞ」


「無理しちゃ駄目ですよ」


 アルフレッドが言う。


「俺が?」


「オスカーさん」


「怪我してるから」


「ああ」


「俺じゃなく」


「あっちに言ったのかと思った」


「ビーさんにも言います」


『当機稼働率――正常』


「でも休む時間は必要?」


『定期整備推奨』


「なら夕方まで」


『了解』


 オスカーが。


 アルフレッドを見る。


「機械にも休めって言うのか」


「壊れるでしょう?」


「……変わった領主様だな」


「よく言われます」


「褒めてないぞ」


「それもよく言われます」


⸻


 見張り台。


 空き家。


 水桶。


 少しずつ。


 人を受け入れる形が整う。


 新しい者たちは。


 まだ。


 村人の中へ混ざり切ってはいない。


 遠慮。


 警戒。


 不安。


 当然だった。


 昨日まで。


 知らない場所。


 知らない人。


 知らない領主。


 その上。


 銀色の機械と。


 巨大な黒い機械までいる。


 安心しろという方が無理がある。


 それでも。


 夕方になる頃には。


 ハンナが。


 村の女たちと一緒に山羊を見ていた。


「この子」


「蹄が伸びすぎてます」


「切れるの?」


「はい」


「頼める?」


「もちろん」


 フィンは。


 リーナと一緒に。


 薪を運んでいる。


「それ大きいよ」


「持てる」


「半分持つ?」


「いらない」


「でも二人の方が早いよ」


「……」


「ほら」


「……じゃあ半分」


 二人で。


 一本の薪を持つ。


 オスカーは。


 働こうとして。


 三度。


 エッダに追い返された。


「肩が治ってからです!」


「木を見るだけだ!」


「見るだけの人は斧を持ちません!」


「癖だ!」


「置いてください!」


 少しずつ。


 村の声が。


 増えていた。


⸻


 日が沈む頃。


 マルタが。


 アルフレッドを呼んだ。


「アル」


「はい」


「来な」


 寝台。


 ヨーゼフ。


 旧居住区から運ばれてきた。


 六十二歳の男。


 朝まで。


 高熱で。


 ほとんど意識がなかった。


 その右目が。


 今。


 薄く開いている。


「話せる?」


 アルフレッドが尋ねる。


 マルタが頷く。


「少しなら」


「無理はさせるんじゃないよ」


「はい」


 アルフレッドは。


 寝台の隣へ座る。


「僕はアルフレッドです」


 老人の目が。


 少年へ動く。


「……領主……」


「はい」


「新しい……?」


「新しいです」


「何日前?」


「えっと」


 数える。


「まだ、そんなに経ってないです」


「……そうか」


 老人の声は。


 細い。


「また……来たのか」


「また?」


「領主が」


 バルドが。


 村へ来た時にも。


 似た言葉を言っていた。


 また来たか。


 灰境では。


 領主は。


 来て。


 そして。


 去っていった。


「僕は」


「今のところ」


「帰る予定はありません」


 老人の口元が。


 わずかに動いた。


「今のところ……か」


「絶対って言うと」


「ガルドさんに」


「絶対はないって言われるので」


「……賢い」


「そうかな」


「少し……」


「また少しか……」


 マルタが鼻で笑った。


⸻


 そのとき。


 外から。


 重い足音。


 どん。


 どん。


 B―03。


 作業を終え。


 家の前を通った。


 ヨーゼフの目が。


 突然。


 大きく開く。


「……黒い」


「え?」


 身体を起こそうとする。


「動くんじゃない!」


 マルタが支える。


「黒い……番人」


 アルフレッドが。


 B―03を見る。


「ビーさんのこと?」


「びー……?」


「B―03」


「……」


 ヨーゼフの顔から。


 血の気が引いた。


「まだ……いたのか」


 アルフレッド。


 マルタ。


 セルマ。


 全員が。


 老人を見る。


「知ってるの?」


「……見たことは」


「ない」


「じゃあ」


「どうして」


 ヨーゼフが。


 ゆっくり目を閉じる。


「昔話だ」


「昔話?」


「わしの……祖父が」


「そのまた」


「祖父から……」


 息を整える。


「聞いた」


 アルフレッドは。


 黙って待った。


「銀の手が」


「水を清める」


 セルマの視線が。


 A―07のいる方角へ向く。


「黒の盾が」


「道を守る」


 B―03。


「そして」


 老人は。


 掠れた声で。


 続けた。


「灰が」


「山から下りた時」


「二つの番人が」


「門を……閉ざす」


「門?」


 アルフレッドが聞き返す。


「何の門?」


「……知らん」


「場所は?」


「……」


「ヨーゼフさん?」


 老人は。


 少し迷ってから。


 言った。


「わしらの村の」


「地下にも」


「丸い石蓋が……あった」


 アルフレッドの目が。


 大きくなる。


 第三旧居住区。


 侵食され。


 今は人が住めなくなった村。


 その下にも。


 点検口。


「あの地下道とは別?」


「……子どもの頃」


「開けるなと」


「言われた」


「なぜ?」


「門番が」


「起きるから」


 セルマが。


 静かにA―07を見る。


 銀の番人。


 黒の番人。


 そして。


 まだ。


 彼らが知らない。


 「門」。


⸻


「今日はここまで」


 マルタが言った。


「でも」


「駄目だ」


「ヨーゼフさんが疲れてる」


 アルフレッドは。


 老人の顔を見る。


 確かに。


 呼吸が。


 少し速くなっている。


「……分かりました」


「また元気になったら」


「聞かせてください」


 ヨーゼフは。


 薄く目を開けた。


「領主様」


「はい」


「灰境を」


「直すのか」


「そのつもりです」


「……そうか」


 老人は。


 微かに笑った。


「なら」


「地下だけは」


「急ぐな」


「……」


「昔の者も」


「同じことを」


「した」


 アルフレッドの表情が変わる。


「どういうこと?」


 しかし。


 ヨーゼフは。


 もう。


 目を閉じていた。


 眠った。


 マルタが。


 首を横へ振る。


「続きは明日だ」


「……はい」


⸻


 夜。


 アルフレッドは。


 家の前に座っていた。


 帳面。


 三十人。


 食料。


 水。


 家。


 冬。


 そこへ。


 また。


 新しい謎。


「門……」


 呟く。


「気になりますか?」


 セルマが隣へ座る。


「すごく」


「地下へ行きたいですか?」


「すごく」


「行きますか?」


「……行かない」


 セルマが。


 少し驚いた。


「今日は?」


「うん」


「どうして?」


「明日」


 アルフレッドは。


 広場を見る。


 寝床が足りない。


 空き家の屋根。


 途中。


 食料。


 十日。


 薪。


 少ない。


「先に」


「こっち」


 帳面を叩く。


「三十人になったから」


「ちゃんと三十人が」


「暮らせるようにしないと」


 セルマが。


 少しだけ笑う。


「領主らしいですね」


「今度は少しじゃない?」


「……」


「セルマ?」


「少し」


「やっぱり!」


⸻


 その頃。


 地下。


 第一浄化施設。


『生命反応――30』


『補助機能第一段階――稼働』


 水路。


 古い弁。


 少しずつ。


 流れ始める。


『侵食因子濃度』


『低下』


『居住区維持率――』


 数字が。


 12.7。


 13.1。


 13.4。


 ほんの。


 わずか。


 上がっていく。


 そして。


 別の場所。


 第三旧居住区地下。


 灰色の菌糸に覆われた。


 円形の石蓋。


 その裏側。


 三本の縦線が。


 淡く。


 光った。


『保守管理個体――二機復帰』


『管理者権限――検出』


『門封鎖機構――』


 表示。


 乱れる。


『再起動条件――未達』


 その下。


 新しい文字。


『警告』


『第四浄化塔』


『侵食深度――73%』


『門への到達予測――』


 一瞬。


 数字が止まる。


『十九日』


 灰色の菌糸が。


 石蓋の下を。


 静かに。


 這っていた。


⸻


第31話 三十人の村 了

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