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男爵家四男の辺境開拓記 ~不遇スキル《修繕》と《清掃》で、みんなの帰る場所を作ります~  作者: 和泉發仙
第二章 灰境

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片腕の番人

第二章 灰境


第27話 片腕の番人


前書き


役に立つとは、


すべてが揃っていることではありません。


片方しかなくても。


古くても。


傷だらけでも。


できることは、


きっと残っています。


そして時には。


足りないものを数えるより、


今あるものを使う方が、


ずっと早く前へ進めるのです。


⸻


 翌朝。


 灰境の村では。


 少し妙な光景が広がっていた。


「……。」


 井戸の横。


 銀色の人形が立っている。


 片腕。


 青い目。


 傷こそ修復されているものの、右肩から先は存在しない。


 第一浄化施設保守管理機。


 個体識別。


 A―07。


 ただし。


 村ではすでに。


「エーナナ!」


 そう呼ばれていた。


『呼称確認』


 朝一番。


 リーナが駆け寄ってくる。


「おはよう!」


『おはよう』


「わ!」


 リーナが目を輝かせた。


「挨拶した!」


 少し離れた場所で朝食を取っていたアルフレッドが振り向く。


「本当?」


『暫定管理者』


「おはよう、エーナナ」


『おはよう』


「昨日は言わなかったよね?」


『昨夜、村内会話を記録』


『朝時間帯における対人交流行動として学習』


「……つまり?」


「皆がおはようって言ってたから覚えたんじゃない?」


 エッダがパンをちぎりながら答えた。


「なるほど」


 アルフレッドは感心する。


「じゃあ」


「お腹空いた?」


『食物摂取機能――存在せず』


「食べないんだ」


『肯定』


「水は?」


『不要』


「寝る?」


『定期休止推奨』


「疲れる?」


 A―07が少し止まった。


『稼働効率低下――発生』


「それって疲れるってことじゃない?」


『定義照合』


『近似』


「ほら」


 アルフレッドが嬉しそうに言う。


「エーナナも疲れるんだ」


 ガルドがスープをすすりながら鼻を鳴らした。


「だからって人間と同じに扱うなよ」


「どうして?」


「こいつは古代の機械だぞ」


「でも休ませた方がいいんでしょう?」


「そりゃそうだが」


「じゃあ同じじゃない?」


「……その理屈で来たか」


 ガルドは反論を諦めた。


⸻


「それより」


 ノエルが帳面を開く。


「本日の予定を確認します」


「はい」


 アルフレッドも姿勢を正す。


「第一」


「見張り台の再建」


「うん」


「第二」


「鍛冶場のふいご修理」


「はい」


「第三」


「雨水貯蔵用の容器補修」


「はい」


「第四」


「南側湧水への仮道整備」


「うん」


「第五」


「捕虜への聞き取り継続」


「……はい」


「第六」


「A―07の能力確認」


 アルフレッドが顔を上げる。


「エーナナも?」


「村へ置く以上」


 ノエルは銀色の人形を見る。


「何ができるのか」


「何をしてはいけないのか」


「確認する必要があります」


「昨日、人を襲ったばかりですからね」


 エッダも少し警戒した目を向ける。


 A―07は反応しない。


「エーナナ」


『暫定管理者』


「人を攻撃しちゃ駄目だよ」


『条件設定を要求』


「条件?」


「曖昧な命令では困るのでしょう」


 ノエルが言う。


「例えば」


「人を攻撃してはならない、とだけ命じた場合」


「魔物に操られた人間が村人を襲っても」


「A―07は反撃できなくなる可能性があります」


「あ……」


「命令は慎重に」


 アルフレッドはしばらく考えた。


「村の人を守る」


『新規命令候補』


「でも」


「誰かが村の人を攻撃したら止める」


『条件追加』


「なるべく殺さない」


 ガルドが眉を上げる。


「なるべく?」


「捕まえられるなら、その方がいいでしょう?」


「相手による」


「じゃあ」


 アルフレッドはA―07へ向き直った。


「村の人の命を守るのを一番にして」


「それから、自分も壊れないようにして」


『優先順位確認』


『第一――居住者生命保護』


『第二――当機自己保全』


『第三――対象制圧』


「うん」


「殺すのは最後」


『致死行動――最終手段として登録』


 ノエルの筆が止まる。


「登録された……」


「駄目だった?」


「いえ」


 ノエルは首を振る。


「むしろ」


「管理者命令によって行動規則そのものを変更できることが分かりました」


「それってすごい?」


「非常に」


「へえ」


 本人には。


 あまり実感がなかった。


⸻


「じゃあ能力試験だ」


 ガルドが立ち上がる。


「何から?」


「まず動けるか」


「歩く」


『可能』


「走る」


『可能』


「跳ぶ」


『可能』


「剣は?」


『保守管理機標準装備――欠損』


 全員の視線が。


 右肩へ向いた。


「右腕にあったの?」


『肯定』


「どんな?」


『複合整備肢』


「……何だそれ」


 ガルドが顔をしかめる。


『工具』


『切断器』


『固定具』


『防衛用刃部』


『交換式』


「腕そのものが道具箱だったの?」


 アルフレッドが目を輝かせる。


『概ね肯定』


「すごい!」


「待て」


 ヘルマンが口を挟んだ。


 鍛冶師はA―07の肩口へ近づき。


 ただし触れずに観察する。


「右肩の接続部」


「まだ残っとるな」


「接続部?」


「腕をはめていた根元じゃ」


 丸い金属。


 複数の穴。


 細い溝。


 そして中央には。


 小さな青い結晶。


「腕はなくなった」


「だが」


 ヘルマンは目を細める。


「何か付けられそうだ」


 アルフレッドが反応した。


「新しい腕を作れる?」


「待て待て」


 ガルドがすぐ止める。


「もうその顔をするな」


「どんな顔?」


「新しい玩具を見つけた子どもの顔だ」


「玩具じゃないよ」


『当機は玩具ではありません』


「ほら」


「そこだけ意見が合うな!」


⸻


 ヘルマンは。


 A―07の周囲を一周した。


「俺たちの技術じゃ」


「昔の腕と同じものは無理だ」


「でも」


 アルフレッドが尋ねる。


「棒みたいなものを付けるだけなら?」


「意味がない」


「物を支えられたら?」


「……」


 ヘルマンが止まる。


「例えば」


 エッダが横から言う。


「鉤のような形なら」


「縄を引っ掛けるくらいには使えるかもしれません」


「固定式ならな」


「動かさなくていい」


「右肩に差し込む金具を作って」


「必要なときだけ交換する」


「それなら」


 ヘルマンの表情が変わった。


「作れるかもしれん」


「ほんと!?」


「材料があればな」


「何がいる?」


「鉄」


「硬い木」


「革」


「留め具」


「……それと」


 A―07へ目を向ける。


「接続部が、人間の金具を受け付けるかどうか」


「《修繕》で合わせられるかな」


 アルフレッドが言う。


「今日は使うな」


 ガルド。


「まだ使ってないよ」


「だから使うな」


「一回くらい」


「駄目だ」


「なんで?」


「まず人間の手で試せ」


 ヘルマンも頷いた。


「領主様の力を使わずに作れるところまで作る」


「最後に必要なら頼む」


「……分かった」


 以前なら。


 少し不満そうにしながらも。


 すぐ《修繕》を使っていた。


 しかし今は。


「じゃあ」


「ヘルマンさんにお願いします」


「任された」


 アルフレッドは。


 ちゃんと手を下ろした。


⸻


 その時。


 セルマが。


 マルタの家の前から、その会話を聞いていた。


 杖を使い。


 片腕で身体を支えながら。


「セルマ」


 アルフレッドが気づく。


「また出てきたの?」


「今日は許可をいただいております」


「どこまで?」


「家の前」


「昨日より短いね」


「昨日の件で、行動範囲を狭められました」


 遠くからマルタの声。


「当たり前だ!」


「……はい」


 セルマはA―07を見る。


 そして。


 ヘルマンたちが話していた。


 新しい右腕。


 いや。


 正確には。


 失われた腕の代わりとなる装具。


 その話が。


 頭から離れなかった。


⸻


「どうしたの?」


 アルフレッドが尋ねる。


「何がですか?」


「ずっとエーナナ見てる」


「……珍しいので」


「昨日も見てたよね」


「珍しいので」


「右腕?」


 セルマの表情が止まった。


 アルフレッドはすぐに。


「あ」


 口を閉じた。


 昨日。


 A―07へ教えたばかりだった。


 身体的欠損について。


 本人の許可なく触れない。


「ごめん」


「……何がですか?」


「勝手に言っちゃった」


「いえ」


 セルマは空になった右袖を見る。


「構いません」


 少しだけ。


 間を置く。


「私も」


「考えておりましたので」


「エーナナの腕?」


「はい」


「自分にもあったらって?」


 セルマは答えない。


 けれど。


 否定もしなかった。


⸻


 アルフレッドは。


 セルマの右肩を見た。


 失われた腕。


 自分の《修繕》では戻せない。


 昨日A―07で確認した。


 存在しないものは。


 修繕できない。


「セルマ」


「はい」


「もし」


「もし?」


「新しい腕を作れるとしたら」


 セルマが目を上げる。


「欲しい?」


 長い沈黙。


「……分かりません」


 意外な答えだった。


「欲しくない?」


「違います」


 セルマは杖を握る左手へ力を入れる。


「期待することが」


「怖いのです」


 アルフレッドは何も言えなかった。


「以前にも」


 セルマは続ける。


「治療できると言われたことがあります」


「右腕を?」


「奴隷商が」


「高く売れるから」


 その言葉だけで。


 どんな扱いだったのか。


 アルフレッドにも少しだけ分かった。


「結局」


「何も変わりませんでした」


「ですから」


「ないものはないと」


「そう思っていた方が」


「楽なのです」


 アルフレッドは。


 セルマを見つめた。


 そして。


「じゃあ」


 言った。


「期待しなくていいよ」


「……え?」


「今すぐ作るって言わない」


「絶対できるとも言わない」


「セルマが欲しいって思った時に」


「その時」


「一緒に考えよう」


 セルマの右目が。


 わずかに揺れた。


「それまでは?」


「何もしない」


「……アルフレッド様が?」


「そんなに信用ない?」


「非常に」


「ひどい」


「ですが」


 セルマは。


 本当に少しだけ。


 笑った。


「ありがとうございます」


⸻


 午前。


 見張り台の再建が再開された。


 昨日運び込んだ太い倒木。


 皮を剥ぎ。


 腐食を確認し。


 必要な長さへ切る。


 人間六人でも。


 持ち上げるには重い。


「せーの!」


 男たちが声を合わせる。


 しかし。


 柱は。


 わずかに浮いただけだった。


「重い!」


「もう一度!」


「縄を掛け直せ!」


 アルフレッドは少し離れた場所で見ている。


 そこへ。


 A―07が近づいた。


『作業確認』


「見張り台を直してるんだ」


『目的』


「森とか街道を見るため」


『監視設備』


「たぶん」


 A―07は柱を見る。


『重量推定』


『312キロ』


「さんびゃく……?」


 アルフレッドには。


 その数字の重さがよく分からない。


「重い?」


『人力運搬効率――低』


「そうなんだ」


『補助を提案』


「手伝えるの?」


『左腕機能――正常』


『出力低下――軽微』


「ガルドさん!」


 アルフレッドが呼ぶ。


「エーナナが手伝えるって!」


「何?」


 ガルドが近づく。


「持てるのか?」


『肯定』


「片腕だぞ?」


『問題なし』


「本当かよ」


 A―07が柱へ近づく。


 残された左手を。


 木材の下へ入れる。


「待て!」


 ヘルマンが叫ぶ。


「一人で上げたら木が折れる!」


『荷重分散を要求』


「縄!」


 人間たちが。


 すぐに縄を調整する。


 A―07が。


 柱の片側を支える。


「上げるぞ!」


 ガルドが声を出す。


「せーの!」


 ぐっ。


 柱が。


 持ち上がった。


「うおっ!?」


「上がった!」


「エーナナすごい!」


 リーナが歓声を上げる。


『負荷率――38%』


「まだ余裕あるの?」


『肯定』


「化け物じゃねぇか……」


 ベルンが呟く。


『当機は保守管理機』


「知ってるよ!」


⸻


 柱を。


 新しく掘った穴へ立てる。


 A―07が支え。


 人間たちが位置を合わせる。


 エッダが角度を見る。


「少し東!」


「そのまま!」


「止めて!」


『保持』


 ヘルマンが楔を打ち込む。


 土。


 石。


 木片。


 隙間へ詰める。


「領主様!」


 エッダがアルフレッドを呼ぶ。


「はい!」


「ここです」


 柱の根元。


 古い基礎。


 新しい柱。


 接合部の間には。


 細かな隙間が残っている。


「材料は入れました」


「位置も合っています」


「最後だけ」


 エッダが頷く。


「《修繕》をお願いできますか?」


 アルフレッドの顔が。


 ぱっと明るくなる。


「使っていいの?」


「今なら」


 ガルドも頷いた。


「一回だ」


「分かってます!」


 アルフレッドは柱の根元へ手を置く。


 壊れた古い基礎。


 新しく入れられた木。


 石。


 楔。


 それぞれが。


 一つの見張り台になるように。


「《修繕》」


 淡い光。


 木と石の隙間が。


 少しずつ整う。


 割れていた基礎石が閉じる。


 楔が。


 ぴたりと固定される。


 ただし。


 新しい柱そのものは変化しない。


 昔の柱へ戻るのではない。


 今。


 ここにある材料を使い。


 壊れた構造が。


 新しい形でつながっていく。


 光が消えた。


「どう?」


 エッダが柱へ体重を掛ける。


 揺れない。


 ヘルマンも叩く。


「いい」


「使える」


「本当?」


「はい」


「やった!」


 アルフレッドが拳を上げる。


「もう一つ――」


「今日は終わり」


 ガルド。


「早い!」


「一回って言った」


「でも元気だよ?」


「明日も使うんだろ」


「……うん」


「なら残せ」


「はい」


 今度は。


 言われる前に。


 アルフレッドは柱から離れた。


⸻


 午後。


 見張り台は。


 少しずつ形を取り戻していた。


 まだ足場はない。


 梯子も。


 屋根も。


 けれど。


 四本の柱が。


 再び立った。


「昨日より塔っぽくなった!」


 リーナが言う。


「昨日は柱三本だったからね」


「明日は上に乗れる?」


「まだ無理」


「明後日?」


「エッダさんに聞いて」


「三日後なら」


 エッダが答える。


「順調なら」


「順調って?」


「何も起きなければ」


 村人たちが。


 一斉に黙った。


 灰境へアルフレッドが来てから。


 何も起きなかった日。


 ほとんどない。


「……四日後にしようか」


 アルフレッドが言った。


「賢明です」


 ノエルが頷いた。


⸻


 見張り台の横では。


 ヘルマンが。


 古い鉄片を並べていた。


「エーナナ」


『呼称確認』


「腕の接続部を見せろ」


 A―07が右肩を向ける。


 ヘルマンは。


 紙へ形を写していく。


 穴の位置。


 金具の太さ。


 溝。


「作るの?」


 アルフレッドが覗き込む。


「試作品だけだ」


「何を?」


「鉤だ」


「鉤?」


「こういうやつ」


 紙へ。


 曲がった形を書く。


「荷物を引っ掛ける」


「縄を引く」


「木材を固定する」


「剣じゃないんだ」


「今、こいつに必要なのは」


「人を切る腕じゃない」


 ヘルマンは見張り台を見る。


「働く腕だ」


 アルフレッドは。


 その言葉を気に入ったようだった。


「働く腕」


「ああ」


「いいね」


「問題は」


 ヘルマンが右肩の接続部を見る。


「どう固定するかだ」


『旧規格固定方式――』


 A―07が言葉を発する。


「分かるのか?」


『肯定』


『固定爪三点』


『補助軸二点』


『魔導伝達線四本』


「最後のやつは無理だ」


『了解』


「でも固定だけなら?」


『外部装具として認識可能』


「じゃあいける」


 ヘルマンの目が。


 職人のものへ変わった。


「今日中に簡単なのを作る」


「手伝える?」


「領主様は邪魔だ」


「即答……」


「横で見てろ」


「はい」


⸻


 火。


 金槌。


 鉄。


 鍛冶場のふいごは。


 まだ完全には直っていない。


 だから。


 人力で風を送り。


 小さな炉だけを使う。


 かん。


 かん。


 かん。


 鉄が叩かれる。


 曲げられる。


 削られる。


 穴が開けられる。


 アルフレッドは。


 ずっと見ていた。


 《修繕》ではない。


 人間が。


 何もないところから。


 新しいものを作る。


「すごいね」


「何がだ」


「僕には作れない」


「お前の能力とは違うからな」


「うん」


「直す奴がいりゃ」


 ヘルマンは鉄を叩く。


「作る奴もいる」


 かん。


「木を扱う奴もいる」


 かん。


「薬を作る奴も」


 かん。


「飯を作る奴もいる」


「一人で全部できる必要はねぇ」


 アルフレッドは。


 黙って。


 その言葉を聞いていた。


⸻


 夕方。


 最初の試作品が完成した。


 太い鉄軸。


 その先に。


 大きな鉤。


 見た目は。


 義手というより。


 道具だった。


「エーナナ」


『確認』


「付けてみるぞ」


『許可』


 右肩の接続部へ。


 試作品を差し込む。


 かち。


 しかし。


 少し緩い。


「駄目か」


「ここ」


 アルフレッドが指をさす。


「何だ?」


「穴の奥」


「少し欠けてる」


「直せるか?」


 ガルドを見る。


「今日はもう使った」


 アルフレッドが自分から答えた。


 ヘルマンが頷く。


「じゃあ明日だ」


「うん」


「急がないの?」


 リーナが不思議そうに尋ねる。


 アルフレッドは。


 少しだけ考えてから答えた。


「明日でもいいものは」


「明日やるんだって」


「誰が言ったの?」


「いっぱいの人」


 ガルド。


 マルタ。


 セルマ。


 エッダ。


 ヘルマン。


 たぶん。


 村の全員。


「領主様」


 リーナが言う。


「ちょっと大人になったね!」


 アルフレッドが笑う。


「ちょっとだけ?」


「うん!」


「十二歳だぞ」


 ガルドが言う。


「まだ子どもだ」


「領主でも?」


「領主でもだ」


⸻


 少し離れた場所。


 セルマは。


 その光景を見ていた。


 A―07の右肩へ付けられた。


 不格好な鉄の鉤。


 まだ。


 使えない。


 完成もしていない。


 でも。


 昨日までは。


 そこには何もなかった。


 失った腕は。


 戻らない。


 けれど。


 だからといって。


 永遠に。


 何もできないわけではない。


 セルマは。


 自分の空の右袖へ。


 そっと左手を当てた。


⸻


「セルマ」


 マルタが隣へ立った。


「はい」


「あんたも欲しいのかい」


「……」


「答えなくていい」


 マルタは。


 A―07を見たまま続ける。


「今決めなくていいんだよ」


「アルフレッド様にも」


「同じことを言われました」


「珍しく良いこと言うじゃないか」


「珍しく、は不要かと」


「そうかい?」


「はい」


 マルタが笑う。


「なら」


「欲しくなった時に言いな」


「作れる保証はありません」


「保証なんて誰もしてないよ」


「失敗するかもしれない」


「それもそうだね」


「それでも?」


「それでもだよ」


 セルマは。


 しばらく答えなかった。


 やがて。


 小さく。


「……考えておきます」


 そう答えた。


⸻


 夜。


 見張り台の四本の柱は。


 月明かりの中。


 しっかりと立っていた。


 完成してはいない。


 けれど。


 もう倒れかけてもいない。


 鍛冶場には。


 新しい鉄の鉤。


 マルタの家には。


 乾燥中の薬草。


 桶には。


 雨水。


 村外れには。


 片腕の番人。


 そして。


 小さな領主は。


 また帳面と睨めっこしていた。


「明日」


「見張り台の横木」


「鍛冶場のふいご」


「エーナナの接続部」


「湧き水……」


「アルフレッド様」


 セルマの声。


「なに?」


「寝てください」


「あと少し」


「昨日も聞きました」


「今日は本当にあと少し」


「具体的には?」


「……三つくらい」


「何がです?」


「考えること」


「三つ考え終えたら」


「また三つ増えるのでは?」


 アルフレッドは止まった。


「……増えるかも」


「寝てください」


「はい」


 帳面を閉じる。


 蝋燭の火を消す。


⸻


 同じ夜。


 村の地下。


 第一浄化施設。


 A―07が地上へ移ったため。


 内部は再び静かになっていた。


 しかし。


 完全な静寂ではない。


『新規管理方針』


『居住者生命――最優先』


 遠い場所で。


 その情報が。


 別の機構へ伝達されていた。


『第一浄化施設』


『暫定管理者権限――確認』


『居住区登録数――』


 一瞬。


 文字が乱れる。


『22』


 次の瞬間。


 表示が変わった。


『人口不足』


『最低運用人口――120』


『復旧条件――未達成』


 さらに。


 別の表示。


『旧居住区――三箇所確認』


『生命反応――』


 数字が流れる。


『0』


『0』


 そして。


 三つ目。


『……7』


 地下の機構が。


 小さく音を立てた。


 灰境の村にいる二十二人とは。


 別の場所。


 誰も住んでいないと思われていた。


 古い居住区。


 そこに。


 七つの生命反応があった。


 そのうち一つが。


 ゆっくり。


 移動を始めた。


⸻


第27話 片腕の番人 了

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