第一浄化施設
第二章 灰境
第26話 第一浄化施設
前書き
知りたいことがある時。
答えを知っている人に聞けばいい。
それは、
とても簡単なことです。
けれど。
その人自身が、
答えを忘れていたら。
話は少し、
難しくなります。
⸻
銀色の人形は。
小屋の床へ座っていた。
『待機状態へ移行します』
そう宣言してから、すでに十分ほど経っている。
誰も動かなかった。
いや。
正確には。
動けなかった。
「……なあ」
ベルンが小声で言った。
「いつまで見てるんです?」
「知らん」
ガルドが答える。
「隊長が何とかしてくださいよ」
「何をだ」
「こいつを」
「休ませろって命令したのはアル坊だ」
「じゃあアルフレッド様が何とかするんです?」
二人の視線が。
同時にアルフレッドへ向いた。
「え?」
アルフレッドは困った顔をする。
「僕?」
「暫定管理者なんだろ」
「そう言われたけど」
「なら管理者らしいことをしてみろ」
「管理者らしいことって?」
「俺が知るか」
「ガルドさんも分からないんじゃないですか」
「だからお前に聞いてる」
「それ、ずるくない?」
「大人はずるいんだ」
「開き直った……」
その横で。
ノエルだけは猛烈な勢いで帳面へ何かを書き込んでいた。
「保守管理機……個体識別A―07……暫定管理者……修復波形一致……」
「ノエルさん」
「少しお待ちください」
「はい」
「……第一浄化施設……保守権限……」
「ノエルさん?」
「あと少しです」
「……はい」
アルフレッドは待った。
セルマが小さく息を吐く。
「アルフレッド様」
「うん?」
「おそらく、あの方はしばらく戻ってこられません」
「そうなの?」
「目を見れば分かります」
ノエルの目は輝いていた。
完全に開拓局職員の目だった。
⸻
「よし」
しばらくして。
ノエルが帳面を閉じた。
「確認しましょう」
「何を?」
「すべてです」
「全部?」
「全部です」
ノエルはA―07の前へしゃがみ込んだ。
「A―07」
反応はない。
「聞こえていますか?」
沈黙。
「A―07?」
やはり動かない。
ベルンが首を傾げる。
「死んだ?」
「直したばかりです」
アルフレッドが言う。
「じゃあ寝てる?」
「人形が寝るのか?」
「休めって言ったから」
「お前が言ったんだろ」
「うん」
「起こせ」
「休ませたばっかりなのに?」
「話が進まねぇ!」
ガルドが頭を抱える。
「アル坊! 起こしてみろ!」
「分かった」
アルフレッドはA―07へ近づいた。
「A―07」
青い瞳が。
ぱち。
点灯した。
『暫定管理者』
「起きた」
『命令を』
「ごめんね、休んでるところ」
『謝罪不要』
「少し聞きたいことがあるんだけど」
『質問を受理』
アルフレッドが振り返る。
「聞いていいって」
「聞けば分かる!」
ガルドが叫んだ。
⸻
最初に質問したのはノエルだった。
「ここは何という施設ですか?」
『第一浄化施設』
「それは先ほど聞きました」
『質問への回答を完了』
「……」
ノエルが眼鏡を押し上げる。
「では質問を変更します」
『受理』
「第一浄化施設とは、何をするための施設ですか?」
A―07の青い瞳が明滅した。
『第一浄化施設』
『北西区画水脈および――』
ざっ。
突然。
音声が乱れた。
『――域……侵……濃度……管理……』
「え?」
『――浄化……循環……供給……』
ぶつ。
音声が途切れた。
「もう一度お願いします」
『第一浄化施設』
『北西区画水脈および――』
ざざっ。
『――域……侵……濃度……管理……』
同じところで乱れる。
ノエルの眉が寄った。
「記録が破損している?」
『記録領域損傷率――』
一瞬。
A―07の瞳が暗くなる。
『41.8%』
「四割……」
ノエルが呟く。
「アルフレッド様」
「はい?」
「直せませんか?」
「ノエル」
ガルドが低い声を出した。
「分かっています」
ノエルはすぐに言った。
「今すぐとは言っていません」
「目が言ってる」
「目は発言しません」
「そういう話じゃねぇ」
アルフレッドはA―07を見る。
「でも」
「うん?」
「昨日《修繕》したのに、記憶は戻らなかったんだね」
その言葉に。
ノエルが止まった。
セルマもA―07を見る。
「……確かに」
ノエルが呟く。
「身体の損傷は修復された」
「しかし失われた記録までは戻っていない」
「右腕と同じ?」
アルフレッドが尋ねた。
「おそらく」
ノエルは頷いた。
「壊れて残っていた情報なら修復できる可能性があります」
「ですが」
「完全に消失した情報は――」
「戻らない」
セルマが静かに言った。
小屋の中が。
一瞬だけ静かになった。
セルマの視線は。
A―07の失われた右腕へ向いていた。
自分と同じ。
ないものは。
戻らない。
少なくとも。
今の《修繕》では。
⸻
「じゃあ」
アルフレッドが言った。
「覚えてることだけ教えてもらおう」
あまりにも普通の言葉だった。
セルマが顔を上げる。
「なくなったものは仕方ないから」
アルフレッドはA―07へ向き直った。
「残ってるものを使えばいいよ」
『……』
A―07は答えない。
だが。
青い瞳が一度だけ明滅した。
「アルフレッド様」
セルマが呼ぶ。
「なに?」
「いえ」
セルマは小さく首を振った。
「何でもありません」
⸻
質問は続いた。
「浄化とは何ですか?」
ノエルが尋ねる。
『不純物および侵食因子の除去』
「侵食因子?」
『肯定』
「具体的には?」
『水脈汚染』
『土壌汚染』
『魔力汚染』
そこまでは。
全員にも理解できた。
しかし。
次の言葉で。
空気が変わった。
『生体侵食』
グレゴールが顔を上げる。
「生き物もか」
『肯定』
「森狼」
アルフレッドが呟いた。
灰色の菌糸。
顔を覆われ。
異常な状態になっていた獣。
「A―07」
『命令を』
「あの灰色の菌糸、知ってる?」
『照合』
A―07の瞳から細い光が伸びる。
アルフレッド。
床。
壁。
そして。
昨日菌糸を焼いた場所。
『残留反応検知』
『侵食因子との類似率――』
数字が流れる。
『87.4%』
「同じものなの?」
『同一性は確認不能』
「でも似てる?」
『肯定』
ガルドの顔から、冗談めいた色が消えた。
「つまり」
「森狼がおかしくなったのも」
「こいつが暴走したのも」
「同じ原因かもしれねぇってことか」
「可能性は高いと思います」
ノエルが答える。
「そして第一浄化施設は」
「本来、それを除去するための施設だった」
「でも」
アルフレッドが首を傾げる。
「だったら、どうして止まってるの?」
誰も答えられない。
だから。
全員がA―07を見る。
『回答不能』
「どうして?」
『該当記録――欠損』
「ああ……」
アルフレッドが肩を落とす。
「一番知りたいところがない」
『謝罪』
「え?」
『管理者要求へ回答不能』
『謝罪』
A―07が頭を下げた。
アルフレッドは慌てた。
「謝らなくていいよ!」
『……』
「A―07が悪いわけじゃないでしょう?」
『……』
「壊されてたんだから」
青い瞳が。
また一度だけ。
明滅した。
⸻
「第二浄化塔について」
ノエルが質問を変えた。
『応答なし』
「場所は?」
『第二浄化塔』
『第一浄化施設より北東――』
ざっ。
『――距離……』
途切れる。
「地図は?」
『施設網地図――破損』
「第三浄化塔」
『応答なし』
「場所」
『南東区画』
「第四浄化塔」
その瞬間。
A―07の青い瞳が。
わずかに赤く揺れた。
『警告』
全員が身構える。
『第四浄化塔』
『侵食確認』
『危険区域』
『接近禁止』
ガルドが腕を組む。
「侵食ってのは、さっきの菌糸か?」
『不明』
「分からんのか」
『最終確認記録――』
A―07が停止する。
『……412――』
ざざっ。
『――年前』
誰も。
すぐには言葉を発さなかった。
「今」
ベルンが口を開く。
「四百って言った?」
「……おそらく」
ノエルが答える。
「少なくとも、記録上は」
「こいつ四百年以上前からいるのか?」
「可能性があります」
「じゃあ」
ベルンがA―07を見る。
「何歳なんだ?」
『質問内容不明』
「いや、いい」
ベルンは首を振った。
「聞いた俺が悪かった」
⸻
「第五浄化塔」
ノエルが続ける。
『所在不明』
「どういう意味です?」
『所在不明』
「建設場所が分からない?」
『否定』
「では、記録がない?」
『否定』
ノエルが眉を寄せる。
「なら、どういう意味です?」
A―07が。
数秒。
沈黙した。
『第五浄化塔』
『最終登録座標――』
『照合不能』
「座標が壊れている?」
『否定』
『登録座標に――』
一瞬。
音声が乱れた。
『第五浄化塔――存在せず』
沈黙。
「……え?」
アルフレッドが聞き返す。
「なくなったってこと?」
『不明』
「壊れた?」
『不明』
「移動した?」
A―07が。
停止した。
ノエルが勢いよくアルフレッドを見る。
「なぜ、その発想になるのです?」
「だって」
「場所が分からないんでしょう?」
「建物ですよ?」
「うん」
「建物は移動しません」
「そうなの?」
「普通は」
「でもA―07も動くよ」
「A―07は建物ではありません」
「大きいA―07みたいなのだったら?」
「……」
ノエルが黙った。
ガルドが笑う。
「ノエル」
「なんです」
「否定できなくなったな」
「この土地に来てから、常識を基準に考えることが難しくなっております」
「ご苦労さん」
「誰のせいだと思っているのですか」
「灰境だろ」
「半分ほどアルフレッド様です」
「僕?」
アルフレッドは心外そうだった。
⸻
それから。
A―07へいくつもの質問をした。
誰が施設を作ったのか。
『記録欠損』
なぜ灰境に作ったのか。
『記録欠損』
なぜ施設が停止したのか。
『記録欠損』
侵食はどこから来たのか。
『記録欠損』
ほかにA―07のような機体はいるのか。
『保守管理個体――複数登録』
「何体?」
『記録欠損』
「そこも!?」
アルフレッドが思わず叫んだ。
ガルドが笑った。
「こいつ、肝心なところだけ忘れてやがる」
『謝罪』
「だから謝らなくていいよ」
アルフレッドがすぐにフォローする。
『……了解』
「でも」
ノエルは帳面を見ていた。
「十分すぎるほど情報は得られました」
第一。
灰境には、少なくとも五つの浄化関連施設が存在した。
第二。
それらは水だけではなく、土壌、魔力、生物への侵食を除去する目的を持っていた。
第三。
現在、その施設網はほぼ停止している。
第四。
灰の森で確認された菌糸と、古代の侵食因子には高い類似性がある。
そして。
第五。
「第四浄化塔は侵食されている」
ノエルが言う。
「第五浄化塔は、あるはずの場所から消えている」
「……十分どころか」
ガルドが頭を掻く。
「面倒事が増えただけじゃねぇか」
「知ることは重要です」
「知らなきゃ幸せだったこともあるぞ」
「開拓局職員として同意しかねます」
「お前はそうだろうな」
⸻
「それで」
アルフレッドが尋ねた。
「第一浄化施設は直せるの?」
全員が止まった。
ノエルがゆっくり振り返る。
「アルフレッド様」
「はい」
「何をなさるおつもりです?」
「直せるなら直そうかなって」
「施設全体を?」
「うん」
「地下にどれほどの大きさがあるかも分かっていないのですよ?」
「じゃあ調べよう」
「簡単におっしゃらないでください」
「でも壊れてるんでしょう?」
「おそらく」
「僕、《修繕》持ってるよ」
「知っています!」
ノエルの声が少し大きくなった。
「だからこそ危険なのです!」
アルフレッドが目を丸くする。
「施設規模も不明」
「必要魔力も不明」
「どの程度壊れているかも不明」
「それをあなたが直接修繕しようとして倒れたらどうするのです?」
「……マルタさんに怒られる」
「そこではありません!」
ガルドが吹き出した。
セルマも顔を背ける。
肩が少し揺れている。
「セルマ、笑った?」
「笑っておりません」
「絶対笑った」
「気のせいです」
⸻
「まず調査です」
ノエルが強く言った。
「地下施設を調べる」
「構造を把握する」
「壊れている箇所を特定する」
「その上で、修繕可能か判断します」
「分かりました」
「それまでは勝手に触らない」
「はい」
「絶対に」
「はい」
「一人で地下へ行かない」
「はい」
「A―07を連れて勝手に行くのも禁止です」
「……」
「なぜ今、返事が遅れたのです?」
「思いついてなかったから」
「今思いつきましたね?」
「少し」
「禁止です!」
「はい!」
ノエルが大きく息を吐く。
「本当に……」
「十二歳の子どもを開拓領主にする制度そのものを、開拓局へ報告したくなってきました」
「それは俺も賛成だ」
ガルドが言った。
「ガルドさんまで」
⸻
話し合いが終わり。
皆が小屋を出ようとした時。
『暫定管理者』
A―07がアルフレッドを呼んだ。
「なに?」
『質問』
「A―07から?」
『肯定』
全員が振り返る。
ノエルが再び帳面を開いた。
「なんでノエルさんが書く準備するの?」
「記録です」
「まだ何も言ってないよ」
「だから待っています」
A―07はアルフレッドを見る。
『第一浄化施設』
『復旧優先度を確認』
「優先度?」
『最優先』
『優先』
『通常』
『保留』
アルフレッドは考えた。
第一浄化施設を直せば。
何かが変わるかもしれない。
水。
土。
森。
灰色の菌糸。
もしかすると。
村そのもの。
けれど。
「保留」
A―07の瞳が明滅した。
『確認』
『第一浄化施設――復旧優先度』
『保留』
『理由を要求』
「先にやることがあるから」
『内容を』
アルフレッドは小屋の外を見る。
傾いた家。
穴の開いた屋根。
壊れかけた柵。
小さな畑。
井戸。
そこで暮らす二十二人。
「村」
『……』
「もうすぐ寒くなるんでしょう?」
エッダが静かにアルフレッドを見る。
「屋根を直して」
「食べ物を集めて」
「畑も何とかして」
「冬を越せるようにしないと」
「地下のことは、その後」
ガルドが腕を組んだ。
ノエルの筆が止まる。
セルマは何も言わず、少年の横顔を見ていた。
『第一浄化施設復旧より』
『居住区整備を優先』
「うん」
『合理性――』
A―07が数秒停止する。
アルフレッドが不安そうに尋ねた。
「駄目?」
『……判定不能』
「判定不能なんだ」
『当機記録に該当管理方針なし』
「昔の人はしなかったのかな」
『不明』
「じゃあ」
アルフレッドは笑った。
「僕が最初だね」
青い瞳が。
少年を見つめる。
『……記録』
「え?」
『新規管理方針』
『居住者生存を最優先』
『暫定管理者アルフレッド』
『方針登録』
アルフレッドが目を丸くした。
「登録できるの?」
『肯定』
「消せる?」
『管理者権限により可能』
「じゃあ、そのままでいいや」
『了解』
A―07の胸部で。
青い結晶が。
静かに光った。
⸻
その日の昼。
A―07は小屋から出された。
理由は単純だった。
「ずっと小屋に置いとくのもかわいそうだから」
アルフレッドが言ったからである。
「かわいそうって……」
ベルンが呆れる。
「機械だぞ?」
「でも動くよ」
「喋るしな」
ヘルマンが言う。
「命令も聞く」
「だったら兵士みたいなもんか?」
「兵士はもっと酒飲むぞ」
「そこ基準?」
村人たちが遠巻きにA―07を見る。
子どもたちは特に興味津々だった。
リーナが少しずつ近づく。
「ねえ」
『……』
「A―07?」
『呼称を確認』
「本当に喋った!」
リーナが走って戻る。
「お母さん! 喋った!」
「昨日から喋ってたでしょう!」
「私には初めて!」
再び近づく。
「ねえ、エーナナ」
『呼称――A―07』
「エーナナ」
『A―07』
「エーナナ」
『……』
「諦めた?」
『呼称認識』
「やった!」
アルフレッドが笑う。
「エーナナって呼びやすいね」
『暫定管理者』
「僕もそう呼んでいい?」
『呼称に管理上の問題なし』
「じゃあエーナナ」
『了解』
ガルドが頭を掻いた。
「古代の番人が」
「半日で村の子どもにあだ名付けられやがった」
「いいじゃないですか」
アルフレッドが言う。
「名前があった方が仲良くなれるよ」
「お前は誰とでも仲良くしようとするな」
「駄目?」
「……いや」
ガルドはA―07を見る。
片腕を失った銀色の番人。
昨日まで。
地下で自分たちを殺そうとしていた存在。
「悪くはねぇ」
⸻
その日の夕方。
A―07は村の中央に立っていた。
いや。
正確には。
立とうとしていた。
『左脚駆動――正常』
『右脚駆動――正常』
『姿勢制御――』
ぐら。
「危ない!」
アルフレッドが反射的に手を伸ばす。
「アル様!」
セルマが止める。
A―07は自力で姿勢を戻した。
『姿勢制御――補正』
「右腕がないから?」
アルフレッドが尋ねる。
『重心偏位』
『肯定』
「やっぱり不便なんだ」
『任務遂行率――63.2%』
「それって困ってる?」
『質問内容――』
一瞬止まる。
『……不明』
「そっか」
アルフレッドはA―07の右肩を見る。
何もない。
《修繕》では。
戻せなかった。
その横で。
セルマも同じ場所を見ていた。
自分の。
空になった右袖を。
無意識に。
左手で握る。
A―07が。
ゆっくりセルマへ顔を向けた。
『生体個体』
「……私ですか?」
『身体欠損を確認』
セルマの身体が僅かに強張る。
アルフレッドがすぐに言った。
「A―07」
『暫定管理者』
「そういうこと言わない方がいいよ」
『理由を要求』
「言われたくないこともあるから」
『理解不能』
「じゃあ覚えて」
『……』
『記録』
『身体的欠損について』
『対象者の許可なく言及しない』
「うん」
『方針登録』
セルマが。
呆然とA―07を見る。
「……機械に気を遣われました」
「エーナナ、覚えるの早いね」
『学習機能――正常』
「すごい」
「そこに感心なさるのですか」
「だってすごいよ」
セルマは小さく息を吐いた。
そして。
ほんの少しだけ。
笑った。
⸻
夜。
村の家々へ灯りがともる。
地下では。
古代の施設が眠っている。
第四浄化塔。
第五浄化塔。
侵食。
失われた記録。
灰色の菌糸。
分からないことは。
山ほど増えた。
けれど。
アルフレッドがその夜に開いたのは。
古代施設の資料ではなかった。
「屋根板……あと三十枚くらい」
エッダから渡された修繕帳だった。
「縄も足りない」
「釘も……」
「冬用の薪……」
隣でセルマが呆れたように言う。
「地下施設が気にならないのですか?」
「気になるよ」
「第五浄化塔も?」
「すごく気になる」
「第四浄化塔は?」
「もっと気になる」
「では、なぜ屋根板を数えているのです?」
アルフレッドは帳面から顔を上げた。
「雨が降ったら濡れるから」
「……」
「地下は逃げないでしょう?」
セルマは。
少しだけ考えた。
「第五浄化塔は、逃げた可能性があります」
「そうだった!」
アルフレッドが顔を上げる。
「忘れてた!」
「今のは冗談です」
「セルマが冗談言った!」
「忘れてください」
「嫌だ」
「忘れてください」
「初めてかもしれない!」
「アルフレッド様」
「なに?」
「寝てください」
「まだ屋根板が――」
「寝てください」
「……はい」
蝋燭が消される。
外では。
片腕の銀色の番人が。
村の入口に立っていた。
『新規管理方針』
『居住者生存――最優先』
青い瞳が。
夜の灰境を見つめる。
その遥か向こう。
灰の森の奥。
誰にも見つけられていない場所で。
巨大な何かが。
灰色の菌糸に覆われたまま。
ほんのわずかに。
動いた。
⸻
第26話 第一浄化施設 了




