壊れた番人
第二章 灰境
第25話 壊れた番人
前書き
壊れたものを、
直すことはできます。
けれど。
壊れる前から間違っていたものまで、
元に戻してしまったら。
それは本当に、
「直した」と言えるのでしょうか。
⸻
地下水路に、再び静寂が戻っていた。
水の流れる音。
松明の燃える音。
そして時折。
停止した銀色の人形の内部から、
かち。
かち。
小さな金属音が聞こえてくる。
「……本当に止まってるんだろうな」
ベルンが槍を構えたまま言った。
「知らん」
ガルドも剣を収めてはいない。
「だから近付くな」
「隊長は近付いてるじゃないですか」
「俺はいい」
「どういう理屈です?」
「隊長だからだ」
「便利ですね、その言葉」
ベルンは呆れたように息を吐いた。
それでも槍先は銀色の人形から離さない。
先ほどまで自分たちを殺そうとしていた相手だ。
油断できるはずがなかった。
⸻
人形は膝を折った姿勢のまま、石床へ倒れている。
全身には傷。
右腕は肩から先がない。
左脚は大きく歪み、胸部装甲も割れていた。
そこから覗く青い結晶には、一本の深い亀裂が走っている。
そして腰部。
錆びた金属板には、ノエルが読み取った文字。
――第一浄化施設。
――保守管理区画。
「もう一度見せてください」
ノエルがしゃがみ込む。
「近付くな」
「記録できません」
「命と記録どっちが大事だ」
「記録です」
「即答すんな!」
「開拓局職員ですので」
「開拓局怖ぇな!」
ガルドが頭を抱える。
だがノエルは気にせず、金属板を観察していた。
「文字体系は古王国文字に似ています」
「古王国?」
「似ているだけです」
ノエルが眼鏡を押し上げる。
「少なくとも、現在のソデリヤ王国で使われている文字ではありません」
「いつ頃のものだ」
「分かりません」
「百年前か?」
「もっと古い可能性があります」
「二百年?」
「それ以上かもしれません」
ベルンが人形を見る。
「そんな昔の物が、まだ動いてたのか?」
「それが一番おかしいのです」
ノエルは石床へ視線を落とした。
「建物もそうです」
「地上の灰境は、家も柵も崩れています」
「ですが、この地下施設は――」
壁。
床。
天井。
どれも古びてはいる。
しかし致命的な崩壊は少ない。
「保存状態が良すぎます」
ノエルが呟いた。
⸻
「アル坊!」
ガルドが縦穴の上へ叫ぶ。
「聞こえるか!」
「聞こえます!」
遠くからアルフレッドの声。
「そいつ、直せそうか!」
「見ないと分かりません!」
「だよな!」
当然の答えだった。
ガルドは頭を掻く。
「……上げるか」
「正気ですか?」
グレゴールが眉を寄せた。
「ここへアル坊を降ろすよりマシだ」
「修繕して再起動した場合は?」
「また止める」
「簡単に言いますね」
「他に方法あるか?」
誰も答えなかった。
⸻
結局。
銀色の人形を地上へ引き上げることになった。
まず縄を胴体へ巻く。
さらに脚。
残された腕。
首。
念のため、動き出しても暴れられないよう何重にも縛った。
「上げろ!」
地上の男たちが縄を引く。
ず……
ずず……
銀色の身体が階段を引きずられていく。
「重っ!」
ヘルマンが顔を真っ赤にする。
「こいつ全部鉄なのか!?」
「たぶん!」
「たぶんって何だ!」
アルフレッドも縄を引こうとした。
「アルフレッド様」
エッダが肩を掴む。
「はい」
「何をしているんです?」
「手伝おうと」
「離れてください」
「でも」
「昨日倒れかけた人が、何を手伝うんです」
「引っ張るくらいなら――」
「駄目です」
「……はい」
最近。
村に来てから、アルフレッドへ命令する人間が増えている。
領主なのに。
本人はまだ、そのことを不思議に思っていた。
⸻
やがて。
銀色の人形が地上へ姿を現した。
「うわぁ……」
村人たちから声が漏れる。
リーナはエッダの後ろへ隠れながら、恐る恐る顔だけを出した。
「お母さん」
「何?」
「あれ、生きてるの?」
「分からないわ」
「魔物?」
「それも分からない」
「分からないことばっかりだね」
「そうね」
その横でノエルが頷いた。
「非常に正しい認識です」
「ノエルさんまで……」
⸻
銀色の人形は、点検口から十分離れた場所へ運ばれた。
周囲を兵士たちが囲む。
槍。
弓。
剣。
いつ動いても対応できる状態。
「アル坊」
ガルドが呼ぶ。
「来い」
「はい」
アルフレッドが近付く。
五歩。
四歩。
三歩。
そこで足が止まった。
「どうした」
「……すごい」
「何がだ?」
「壊れてるところが」
アルフレッドの表情が変わっていた。
嬉しそうではない。
困惑している。
これまで《修繕》を使ったもの。
鍵。
柵。
建物。
錠前。
それらとはまったく違う。
「いっぱいある」
少年がしゃがみ込む。
「右腕がない」
「脚が曲がってる」
「胸も割れてる」
「中の小さい部品も……」
指先が人形へ触れる寸前。
「待て」
ガルドが止めた。
「先に聞く」
「はい」
「直したら、また襲ってくるか?」
「分かりません」
「だよな」
「でも」
アルフレッドは人形を見る。
「壊れてるから襲ってきた可能性もあると思う」
「なぜだ」
「さっき、最初は青かったんでしょう?」
ガルドが黙る。
確かにそうだった。
最初から敵対していたわけではない。
青い目。
認証。
管理者。
権限確認。
そして。
――該当者不在。
その後。
赤くなった。
「つまり」
ノエルが口を開く。
「侵入者と判断したことで、攻撃行動へ移行した」
「はい」
アルフレッドが頷く。
「でも、それが正しい動きなのか分からない」
「正しい?」
「壊れてるから」
少年は首を傾げる。
「間違えて僕たちを侵入者だと思ったのかもしれない」
⸻
「ならどうする」
ガルドが尋ねる。
アルフレッドはしばらく考えた。
「先に、きれいにしてみたい」
「《清掃》か?」
「うん」
「理由は?」
「首輪の時と似てるから」
セルマの首輪。
金属そのものは残った。
しかし、外部から送り込まれた命令だけを消すことができた。
森狼も同じ。
狼そのものではなく、寄生していた菌糸を取り除いた。
「だから」
アルフレッドは人形を見る。
「この子にも、余計なものが付いてるなら」
「それを先に取った方がいいと思う」
「……この子?」
ベルンが人形を見る。
「こいつを?」
「名前分からないから」
「だからって子扱いかよ」
ガルドが苦笑する。
だが止めなかった。
「一回だけだ」
「はい」
「少しでも変だと思ったら離れろ」
「はい」
「それと全部きれいにしようとするな」
「どういうこと?」
「お前の場合、本当に全部やりそうだから言ってる」
「分かりました」
「本当だな?」
「最近ガルドさん、確認多くない?」
「お前のせいだ!」
⸻
アルフレッドは銀色の人形へ右手を置いた。
冷たい。
金属の感触。
そして。
分かる。
錆。
泥。
油。
埃。
それだけではない。
内部。
何か黒いものがある。
「……いた」
アルフレッドが呟いた。
「何がだ」
「分からない」
「またか」
「でも、これはこの子のものじゃない」
人形の胸。
青い結晶の奥。
細い灰色の線が絡みついている。
肉眼では見えない。
だが《清掃》を意識した瞬間。
はっきり感じられた。
汚れ。
異物。
外から入り込んだもの。
「《清掃》」
淡い光が広がった。
人形全体を包む。
ざぁ……
表面の埃が落ちる。
錆が剥がれる。
銀色の装甲が、本来の輝きを少しだけ取り戻す。
「おお……」
村人たちが声を漏らす。
だが。
アルフレッドの意識は内部へ向いていた。
「そこじゃない」
もっと奥。
胸の結晶。
灰色の線。
「これ……」
アルフレッドの眉が寄る。
「菌糸?」
グレゴールが反応する。
「何?」
「森狼に付いていたものと似てる」
空気が変わった。
「待て!」
ガルドが叫ぶ。
「アル坊、離れろ!」
その瞬間。
人形の胸から。
ぶちっ。
何かが千切れる感覚。
次いで。
装甲の隙間から。
灰色の煙のようなものが吹き出した。
「下がれ!」
全員が距離を取る。
灰色の煙は地面へ落ちた。
煙ではない。
細い。
あまりにも細い。
糸。
菌糸だった。
「焼け!」
ガルドの命令。
松明が投げ込まれる。
ぼっ!
灰色の菌糸が燃え上がった。
甲高い音。
きぃぃぃぃ……
「鳴いた?」
リーナがエッダへしがみつく。
「見るんじゃない」
母親が娘を抱き寄せる。
数秒後。
菌糸は黒い灰になった。
⸻
「アル坊!」
ガルドが駆け寄る。
「大丈夫か!」
「うん」
「頭痛!」
「ない」
「吐き気!」
「ない」
「手!」
「動く」
「足!」
「動く」
「よし!」
「検査が早くなってる」
「慣れたくなかった!」
ガルドが怒鳴る。
だがアルフレッドは人形から目を離さなかった。
「ガルドさん」
「あ?」
「たぶん」
「この子、襲いたくて襲ったんじゃない」
誰も答えなかった。
⸻
人形の目は閉じたまま。
完全に停止している。
だが。
先ほどまで感じていた異物が消えている。
残っているのは。
ただ、
壊れた身体。
「次」
アルフレッドが言う。
「《修繕》を使います」
「待て」
ガルドが止める。
「一回休め」
「でも」
「約束」
アルフレッドが口を閉じた。
一人で無茶をしない。
できない時は誰かに頼る。
昨日、セルマと交わした約束。
「……分かった」
アルフレッドは人形から手を離した。
「休みます」
ガルドが一瞬固まった。
「どうしたの?」
「いや」
「お前が素直に休むとは思わなくてな」
「僕だって成長します」
「昨日から今日でか?」
「少しくらい」
「ならいいんだが」
⸻
その日は。
銀色の人形を村の中央へ運ばなかった。
もし再び動き出した時に備え、村外れの空き小屋へ移された。
兵士二人。
村人二人。
交代で見張る。
触れない。
動かさない。
勝手に調べない。
アルフレッドは《修繕》禁止。
その四つが決められた。
⸻
夕方。
マルタの家。
セルマはアルフレッドの話を黙って聞いていた。
「それでね」
「中から菌糸が出てきた」
「森狼と同じものですか?」
「たぶん」
「……地下にまで」
「うん」
アルフレッドは椅子へ座りながら考える。
「セルマ」
「はい」
「灰境って、変な場所だね」
「今さらですか?」
「今さらかな」
「来た初日から、普通ではありませんでした」
「そうだった」
セルマは小さく息を吐いた。
「ですが」
「うん?」
「アルフレッド様には、合っているのかもしれません」
「どうして?」
「壊れているものばかりですので」
アルフレッドはしばらく黙る。
それから。
「それ、褒めてる?」
「半分ほど」
「残り半分は?」
「諦めです」
「ひどい」
セルマの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
⸻
翌朝。
空き小屋の前には全員が集まっていた。
アルフレッド。
ガルド。
ノエル。
ヘルマン。
エッダ。
グレゴール。
そして。
杖をついたセルマ。
「セルマ!」
アルフレッドが驚く。
「歩いていいの?」
「マルタ様から許可をいただきました」
「家の前までって言ったんだよ!」
遠くからマルタの怒鳴り声。
「ここは家の前ではありませんね」
「……申し訳ございません」
「お前たち二人揃うと、本当に面倒だね!」
アルフレッドがセルマを見る。
セルマもアルフレッドを見る。
「似た者同士?」
「否定いたします」
「即答だ」
⸻
小屋の中。
銀色の人形は昨日と同じ姿勢で横たわっている。
アルフレッドが隣へ座る。
「始めるよ」
ガルドたちが武器を構える。
「いつでも来い」
アルフレッドは人形の胸へ触れた。
壊れている。
だが昨日よりも分かりやすい。
異物がなくなったからだ。
壊れた場所だけが、
はっきり見える。
「《修繕》」
白い光。
それまでとは比較にならないほど強い光が、小屋を満たした。
「眩しっ!」
ガルドが腕で目を覆う。
金属音が響く。
かち。
かち。
かち。
曲がっていた左脚が戻る。
外れていた部品が動く。
胸の装甲が閉じていく。
亀裂の入った結晶が――
ゆっくりと。
元の形へ戻った。
だが。
「……右腕」
アルフレッドが呟く。
戻らない。
失われた部分。
そこには修繕するための材料そのものが存在しない。
「無理みたい」
ガルドが肩の断面を見る。
「なくなったもんまでは作れねぇか」
「うん」
アルフレッドは少し残念そうだった。
「でも」
光が消える。
銀色の人形は。
昨日とは比べ物にならないほど美しい姿へ戻っていた。
右腕だけを失ったまま。
静かに眠っている。
⸻
そして。
青い目が、
開いた。
「武器!」
ガルドが叫ぶ。
一斉に構える。
人形は起き上がらない。
ただ。
青い瞳が左右へ動く。
ガルド。
ノエル。
セルマ。
最後に。
アルフレッド。
そこで止まった。
『……認証……』
ガルドが剣を握る。
『……保守権限……』
青い光がアルフレッドを包む。
『……照合……』
『……修復波形……一致……』
「修復……?」
ノエルが呟く。
人形の頭部が動く。
ゆっくり。
アルフレッドへ向かって。
『暫定管理者……認証』
「え?」
アルフレッドが瞬きをする。
『第一浄化施設』
『保守管理機――』
一瞬、音声が乱れた。
『個体識別……』
『A―07』
『管理者へ……』
人形は残された左腕を床へついた。
そして。
片膝を立てる。
まるで騎士が主へ跪くように。
『復旧命令を……要求します』
小屋の中。
誰も声を出さなかった。
アルフレッドだけが。
困ったように振り返った。
「……ガルドさん」
「何だ」
「復旧命令って、何?」
「俺に聞くな」
「ノエルさん」
「私にも分かりません」
「セルマ」
「存じません」
「じゃあ……」
アルフレッドは再びA―07を見る。
「とりあえず」
少し考え。
少年は言った。
「無理しないで休んで?」
沈黙。
ガルドが額を押さえた。
「お前なぁ……」
しかし。
A―07の青い瞳が一度だけ明滅した。
『命令……受諾』
『待機状態へ移行します』
そのまま。
がしゃ。
床へ座った。
「……通じた」
アルフレッドが嬉しそうに言う。
「通じちまったな……」
ガルドが遠い目をする。
セルマだけが。
床へ座る銀色の番人を、じっと見つめていた。
右腕を失った人形。
左腕だけで。
それでも役目を果たそうとする存在。
なぜか。
少しだけ。
自分と似ているような気がした。
⸻
同じ頃。
地下。
誰もいなくなった第一浄化施設。
A―07が再起動したことで。
長い年月沈黙していた何かが、
微かに反応していた。
地下水路をさらに奥へ。
村から遠く離れた場所。
巨大な石扉。
その横。
完全に消えていたはずの文字へ。
ぽつ。
青い光が灯る。
『保守管理個体――復帰確認』
『暫定管理者――登録』
『浄化率――』
文字が乱れる。
『……12.7%』
そして。
その下に。
もう一つの表示が現れた。
『第二浄化塔――応答なし』
『第三浄化塔――応答なし』
『第四浄化塔――侵食』
『第五浄化塔――』
一瞬。
表示が止まる。
『所在不明』
青い光が。
静かに消えた。
⸻
第25話 壊れた番人 了




