封じられた水路
第二章 灰境
第22話 封じられた水路
前書き
昔の人は、
未来の誰かへ手紙を残すことがあります。
石碑。
壁画。
建物。
そして、
壊れた機械。
けれど、
読む者がいなくなれば、
それはただの石になります。
だから歴史とは、
残すことより、
読み解く人が現れることなのです。
⸻
翌朝。
灰境には冷たい朝霧が立ち込めていた。
夜露を含んだ草が白く輝き、村の屋根からは細い煙がゆっくりと空へ昇っている。
まだ子どもたちは眠っていた。
だが大人たちはすでに動き始めている。
点検口の周囲には昨日のうちに組まれた柵。
太い縄。
松明。
水桶。
濡れ布。
長い鉄棒。
そして大槌。
まるで井戸を掘る工事のようだった。
「全員揃ったな。」
ガルドが周囲を見回す。
集まったのは、
ガルド。
グレゴール。
ベルン。
エリック。
マルク。
ヘルマン。
エッダ。
ノエル。
バルド。
そして少し離れた場所にアルフレッド。
セルマは当然参加していない。
マルタの家の窓から静かにこちらを見守っていた。
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「アル坊。」
「はい。」
「約束覚えてるな?」
「呼ばれるまで近付かない。」
「よし。」
「あと勝手に《修繕》しない。」
「うん。」
「《清掃》もしない。」
「うん。」
「本当に?」
「そんなに信用ない?」
「昨日までのお前ならゼロだ。」
「今日は二くらい?」
「一だ。」
「増えてない……。」
周囲から笑いが起こる。
少しだけ空気が和らいだ。
⸻
「じゃあ始めるぞ。」
ヘルマンが鉄棒を石蓋の縁へ差し込む。
ぎり。
石が少しだけ浮く。
「重いな。」
ベルンも加わる。
二人。
三人。
四人。
全員で力を込める。
ごごご……
長い年月土へ埋もれていた円形の石が、少しずつ持ち上がっていく。
隙間から冷たい空気が吹き上がった。
「臭い。」
グレゴールが顔をしかめる。
昨日谷で嗅いだものと同じ。
湿った石。
腐敗。
そして甘い花の匂い。
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石蓋が完全に外された。
その下には、
丸い縦穴。
石造りの階段が螺旋状に下へ続いていた。
「……。」
誰も言葉を失う。
ただの排水路ではない。
人が降りるための階段だった。
「点検用か。」
ヘルマンが呟く。
「それにしては立派すぎる。」
石壁は綺麗だった。
二十年前に閉鎖されたとは思えない。
いや。
百年前でも。
二百年前でも。
崩れていないように見える。
石の継ぎ目が異様に正確だった。
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「灯り。」
ガルドが命じる。
松明が下へ向けられる。
炎が階段を照らす。
その光は十数段下で闇へ飲まれた。
底が見えない。
「深い。」
ノエルが呟く。
帳面へすぐ記録を書き始める。
――地下階段確認。
――排水路ではない可能性。
――高度な石造建築。
⸻
その時だった。
アルフレッドの胸が少しだけざわつく。
(……直したい。)
昨日と同じ感覚。
壊れた鍵を見た時。
見張り台を見た時。
屋敷を見た時。
それとは比べ物にならない。
地下全体から、
巨大な「壊れている」が伝わってくる。
頭が少し痛くなる。
「アル坊?」
ガルドが振り返る。
「顔色悪いぞ。」
「……うん。」
「何か感じる。」
全員がこちらを見る。
「どこが?」
「全部。」
「全部?」
「下。」
「すごく壊れてる。」
静寂が流れた。
⸻
エッダが階段の石へ触れる。
「割れてはいません。」
ヘルマンも確認する。
「崩れてもいない。」
「でも。」
アルフレッドは首を振った。
「石じゃない。」
「もっと奥。」
「もっと……大きい。」
ノエルがゆっくり帳面を閉じる。
「アルフレッド様。」
「はい。」
「見えているのですか?」
「見えてない。」
「じゃあ?」
「何となく。」
「何となくで地下全部が?」
「うん。」
ガルドは腕を組んだ。
「また訳の分からねぇ能力だ。」
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「降りる。」
ガルドが決断した。
「俺。」
「グレゴール。」
「ベルン。」
「エリック。」
「四人。」
「ノエルはここ。」
「記録係です。」
「入口で十分だ。」
「ですが。」
「何かあれば上へ知らせろ。」
「……承知しました。」
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「ロープ。」
太い麻縄が腰へ結ばれる。
一本は地上へ固定。
万が一落ちても引き上げられるように。
「アル坊。」
「うん。」
「絶対降りるな。」
「うん。」
「絶対だぞ。」
「うん。」
「本当だな?」
「三回聞いた。」
「それくらい信用してねぇ。」
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ガルドが階段へ足を掛ける。
ぎし。
石はほとんど音を立てない。
一段。
二段。
三段。
ゆっくり下りていく。
松明の灯りが闇へ沈む。
「……十段。」
「十五。」
「二十。」
まだ底が見えない。
「深すぎる。」
ベルンが小声で呟いた。
⸻
二十五段目。
ようやく床へ着く。
「着いた!」
ガルドの声が響く。
ノエルが深さを書き留める。
約八メートル。
予想以上だった。
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「通路があります!」
エリックが叫ぶ。
地上の者たちが息を呑む。
排水路ではない。
石造りの廊下。
左右へ伸びている。
「水は?」
「流れてます!」
「浅い!」
地下には細い水路があり、澄んだ水が静かに流れていた。
⸻
「壁!」
グレゴールが松明を近付ける。
そこには古い浮彫。
木。
川。
人。
そして、
丸い光を掲げる人物。
「何だこれ。」
ガルドが壁へ触れようとした。
その瞬間。
アルフレッドの胸が激しく疼いた。
「触っちゃ駄目!」
思わず叫ぶ。
地下の四人が一斉に止まる。
「どうした!」
「そこ!」
「壊れてる!」
「またか!」
「そこだけ触っちゃ駄目!」
ガルドは壁から手を引く。
直後。
浮彫の一部が、
ぱきっ。
音を立てて崩れた。
「……。」
全員が凍り付く。
あと一歩遅ければ、
壁へ体重を預けていた。
ガルドはゆっくり上を見上げた。
「アル坊。」
「うん。」
「お前。」
「何なんだ本当に。」
アルフレッド本人が一番知りたかった。
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その時。
地下の奥から。
かすかに、
水音とは違う音が聞こえた。
……カラン。
金属。
誰かが何かを落としたような音。
四人が一斉に振り向く。
「誰かいる。」
ベルンが囁いた。
「いや。」
グレゴールが首を振る。
「今のは。」
さらに奥。
闇の向こう。
何かが、
こちらへ近付いてくる足音だった。
⸻
第22話 封じられた水路 つづく




