第4話 とどかぬ声の先に
地震発生から3日目の夜、真理子の中の不安は限界に達していた。
真理子は机に向かい、何度も奈々に電話をかけ続ける。しかし、通信障害のせいか、呼び出し音は無機質に繰り返されるだけで、応答はない。
呼び出し音が途切れるたび、声にならない焦りと恐怖が胸を締めつける。
スマートフォンを握りしめた手はひんやりと冷え、じっとり汗ばんでいるのがわかる。どうすることもできない自分の無力さが腹立たしかった。
焦燥感のなか、夜の静寂が、かえって心をかき乱す。
テレビの中で繰り返される被災地の映像が、まぶたの裏に熱く焼きついていた。避難所で震えながら泣き崩れる人々、瓦礫の隙間から伸びる手、助けを求める声。
――奈々も、あの中にいるのだろうか。両親は……
その不安が膨れ上がり、理性を狂わせるようだった。
真理子はスマートフォンを手放し、机に突っ伏した。
目を閉じれば、浮かんでくるのは家族の顔。いつもの笑顔ではなく、恐怖に怯え、涙を流して助けを求めている。
「そんなはずない……きっと無事だ」
そう自分に言い聞かせる声はすぐにかき消される。
「もしも――」という最悪のシナリオが容赦なく繰り返し襲いかかるのだ。
「倒壊した家の下敷きになっているかもしれない。避難所にたどり着けずに彷徨っているかもしれない。もしかしたら――」
想像が頭を支配し、呼吸は次第に乱れていく。 胸が詰まるような感覚に襲われ、手がふるえ始める。
「いや……そんなこと、考えたらだめ……」
恐怖は、かたちを変えてまた現れる。逃げ場のない、負のループに呑み込まれていくようだった。
立ち上がり、部屋を歩き回る。けれど心は少しも落ち着かない。かえって不安は増すばかりだった。
歩くたびに、床が崩れ落ちるような轟音が頭の中で響き、座り込んでしまう。目を閉じても地震の映像が脳裏にフラッシュバックする。
ふと窓の外に視線をやる。窓の外では、まるで何事もなかったかのように、星が瞬いていた。遠くから微かに聞こえる笑い声が、かえって胸に刺さる。
「なぜこんな普通の日常があるのに、私はただ祈ることしかできないの……」
こらえきれずに、涙がこぼれた。
それは怒りなのか、絶望なのか、その理由は分からなかった。ただ、身体を覆う孤独と無力感が、骨の奥まで染み込んでいくのを感じていた。
頭の中で「もしも――」が無限に繰り返される。彼女は自分の心が少しずつ壊れていくのを感じた。
何かを握りしめていたい。
何かを叫びたい――
それでも、彼女はその場にじっと立ち尽くしていた。
夜が更け、彼女は再び机に向かう。スマートフォンの画面を見つめ、ふるえる指で番号を押す。
「今度こそ、つながって」
ただ、それだけを願って。無音の向こうに向かって祈りを込めた。
「お願いだから、無事でいて……」
部屋の空気は冷たく、時間だけが止まったように思えた。全てが静止した空間の中で、不安だけがふくらんでいく。
「どうして……私は何もできないんだろう」
答えのない問いが心の奥底に沈んでいく。
――そして、四日目の朝。
突然、スマートフォンが鳴った。
画面には「奈々」の文字が浮かんでいる。
その瞬間、体は強張り、手はふるえたままスマートフォンを取った。
息を呑む……
「……真理子、私たちは無事よ」
その声が届いた瞬間、不安が風にまかれるように――胸の奥からふっと消えた。
「よかった……本当によかった……」
こみ上げる涙が頬をつたい、真理子は何度もその言葉を繰り返しながら、スマートフォンを強く握りしめた。
呼び出し音の向こうにいたのは、たしかな『ぬくもり』だった。消えかけていた心に、そっと灯がともる。
……まだ、終わっていない。世界は、たしかに動いている――そう思えた。
家族の無事を確認したその日、真理子は看護管理室で机に向かっていた。山本の指示は相変わらず厳しかったが、それでも彼女の中に一筋の光が差し込んでいた。
「大切な人たちが無事でいてくれること。それが私の力になる」
そう自分に言い聞かせ、また一歩前に進む力を取り戻していった。




