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EP 3

月兎の愛は、月光薬より重い

 ズドォォォォンッ!!

 ポポロ村の正門前、ロックバイソンの巨体が沈んだばかりの土煙舞う大地に、さらなるクレーターが穿たれた。

 隕石でも落ちてきたのかと錯覚するほどの着地音。

 しかし、もうもうと晴れていく土煙の中から姿を現したのは、恐ろしい魔獣でも筋骨隆々の戦士でもなく、一人の小柄な少女だった。

「お疲れ様!! フェイト!! それと、そこの見慣れない怪我人!!」

 動きやすい現代風のラフな衣服に、頭にはピンと立ったウサギの耳。腰のあたりにはフワフワの尻尾が揺れている。

 だが、その愛らしい容姿とは裏腹に、彼女の足元には分厚い装甲で覆われた「特注の安全靴」が鈍く光り、腰には無骨なダブルトンファーが提げられていた。

 ルナミス帝国のホムセン『タローマン』で特注されたというその安全靴こそが、先ほどの爆発的な着地音の正体である。

「ゲッ、村長キャルル……」

 先ほどまでA級冒険者の余裕を見せていたフェイトが、少女の姿を見た途端、あからさまに顔を引きつらせて一歩後ずさった。

「フェイト! あんた血だらけじゃない! どこを切ったの!? 内臓破裂!? 脳挫傷!? 大丈夫、すぐに私が全回復させてあげるから!!」

「いや、違うってキャルル! これは俺の血じゃなくて、斬り捨てたロックバイソンの返り血で――」

「我慢しなくていいのよ! さあ、これをお飲みなさい!!」

 キャルルと呼ばれた月兎族の少女は、フェイトの弁明など一切聞く耳を持たず、腰のポーチから淡く発光する小瓶を取り出した。

 ポポロ村の特産品『陽薬草』に、月兎族である彼女自身の魔力と生命力を極限まで注ぎ込んで精製される究極の秘薬――『月光薬』だ。

 どんな外傷も病気も治す奇跡のポーションだが、問題はそれを作り出し、使用するキャルル自身への反動である。

「ゲホッ……コホッ……」

 キャルルが小瓶の蓋を開けた瞬間、彼女の顔色からサッと血の気が引き、愛らしい唇の端から一筋の赤い血が流れた。

 彼女はそれを人参の刺繍が入った手作りのハンカチで無造作に拭うと、フラフラと覚束ない足取りでフェイト(と、その後ろにいる鷹人)ににじり寄ってくる。

「さぁ、口を開けて……これさえ飲めば、どんな傷でも元通り……うふふ、村の皆は私が、血を吐いてでも守るんだから……っ!」

「ヒィッ! 誰か助けて! 村長がまた『過剰救済ヒーリング・ランページ』モードに入っちまった!! 俺は無傷だっつってんだろ!!」

 目にハイライトのない、完全にヤンデレめいた笑顔で迫るキャルル。フェイトが本気で逃げ出そうとした、その時だった。

「おい。ストップだ」

 スッ、と。

 キャルルとフェイトの間に、薄汚れた作業着姿の鷹人が割って入った。

 鷹人は無言のまま、キャルルが月光薬を握りしめている細い手首を、右手でガシリと掴んだ。力任せではない。柔道特有の、相手の関節の可動域を優しく、かつ絶対に逃げられないように制する絶妙な力加減だ。

「……え?」

 突如として現れた見知らぬ男に手首を掴まれ、キャルルはウサギの耳をピクッと震わせた。

「放しなさい、あなた! あなたも怪我をしてるんでしょう!? 顔に泥がついてるわ! 今すぐ治療しないと破傷風になって死んでしまうかもしれないじゃない!!」

「泥がついたくらいで死ぬ現場監督はいねえよ。よく見ろ。俺も、そっちの金髪パチンカスも、かすり傷一つ負っちゃいねえ」

 鷹人の低く、落ち着き払った声が響く。

 キャルルはハッとして、心音を聞き分ける月兎族の特性を無意識に働かせた。

 ドクン、ドクン、という二人の男の心音。そこには怪我人特有の乱れも、嘘をついている時の焦りもない。鷹人の言う通り、二人は完全に無傷だった。

「ほ、本当だ……。でも、それならフェイトの服についてる赤いのは……」

「だからバイソンの血だって言ってんだろ。あーあ、村長の早とちりのせいで、せっかくのミスリルが汚れちまったぜ」

「フェイト、お前は黙ってろ」

 鷹人はフェイトを横目で一喝すると、再び正面の少女を見下ろした。

 手首を握ったまま、彼女の唇の端に残る血の跡を、自身の親指で乱暴に、しかしどこか優しく拭い取る。

「っ……!?」

 男の無骨でタコだらけの指が唇に触れ、キャルルはビクッと肩を揺らした。

「あんた、この村の村長トップなんだろ?」

「そ、そうよ。私がこのポポロ村の村長、キャルル・ムーンハートよ……」

「なら、覚えとけ。自分の身を削ってまで、他人の世話を焼こうとするな。現場サイトってのはな、指揮を執る人間がぶっ倒れたら、その時点で崩壊するんだよ。トップが無理して血ィ吐いてる現場で、安心して働ける奴はいねえ」

 鷹人の言葉は、ただの説教ではない。

 幾つもの過酷な紛争地帯や、危険な工作現場を渡り歩いてきた男だからこそ持つ、重みと実感がこもっていた。

 月兎族の特性である『嘘発見器』が、鷹人の心音に一切の偽りや下心がないことを告げている。彼は本当に、純粋に、自分の体を気遣って怒ってくれているのだ。

「……あ……」

 かつて王宮の籠の鳥だったキャルルにとって、己の身を挺して誰かを守ることは、自由を得た自分の存在意義アイデンティティでもあった。それを真っ向から、こんなにもぶっきらぼうに否定され、案じられたのは初めてだった。

 鷹人はキャルルの手首をパッと放すと、作業着のポケットに手を突っ込んだ。

「血ィ吐くほど体力使ったんだ。まずはメシだ。ちょっと待ってろ」

 鷹人がポケットから取り出したのは、ゴツゴツとした白い塊――数片の『生ニンニク』だった。放浪時代からの彼の相棒であり、一番の元気の素だ。

 鷹人は拾った小枝にニンニクを突き刺すと、100円ライターのスイッチを押し込んだ。

 カチッ、ボォッ。

 オレンジ色の小さな炎が上がり、ニンニクの表面をチリチリと炙り始める。

 数分後。香ばしい、強烈に食欲をそそるニンニクの匂いが周囲に漂い始めた。

 鷹人は表面が少し焦げてホクホクになったニンニクを枝から外し、キャルルの口元に無造作に突き出した。

「食え。体力戻すにはこれが一番だ」

「えっ、あ、ちょ、ちょっと……こんな匂いの強いもの、女の子に……」

「いいから食え。口開けろ」

「あ、あーん……っ」

 半ば強引に口の中に放り込まれた熱々のニンニクを、キャルルはモグモグと咀嚼した。

 ――美味い。

 塩も何も振っていないはずなのに、直火で炙られたニンニクの強烈な旨味とエネルギーが、血液に乗って全身を駆け巡るのがわかった。先ほどまで感じていた魔力枯渇の疲労感が、嘘のように引いていく。

「どうだ? 悪くねえだろ」

 鷹人は自分の分も口に放り込み、ガリッと噛み砕きながらニヤリと笑った。

 その顔を見た瞬間。

 キャルルの胸の奥で、ドクン、と、今まで聞いたことのないような大きな心音が鳴った。

「…………っ」

 キャルルの白い頬が、耳の先まで一気に真っ赤に染まる。

 ぶっきらぼうで、口が悪くて、タバコとニンニクの匂いがする見知らぬ男。なのに、その背中が、瞳が、たまらなく大きくて安心できる。

 それは、ヤンデレ気質で常に「自分が面倒を見なきゃ」と気を張っていた彼女が、初めて「頼れる現場の兄ちゃん(大人の男)」の包容力に触れた瞬間だった。

「……おいおい」

 その様子を後ろで見ていたフェイトが、信じられないものを見るような目で呟いた。

「マジかよ。村長(あの暴走ウサギ)を、たったの五分で大人しく手懐けちまったぞ、あのヤニカス兄ちゃん……」

「なんだ? お前も食いてえのか、パチンカス」

「俺は遠慮しとく。そんなの食ったら、匂いがキツすぎて酒がマズくなるからな」

 呆れ顔のフェイトと、タバコをふかしながら村を見渡す鷹人。

 そして、両手で顔を覆いながら「あわわわ……」と茹でダコのようにしゃがみ込んでいる村長・キャルル。

 かくして、ただの元自衛官による異世界魔改造の物語は、この世界で最も厄介で、最も頼もしい仲間たちとの邂逅をもって、本格的に幕を開けたのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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