EP 5
ニンニクと月光薬の夜
ポポロ村に新しく完成した大浴場は、村人たちにとってこれ以上ない極上のオアシスとなっていた。
夜空に白い湯気が立ち上り、隣接して設けられた休憩所からは、風呂上がりの冷えた果実水やイモッカ(芋酒)で乾杯する村人たちの陽気な笑い声が絶え間なく響いている。
「ぷはーっ! 最高ですわ! 泥だらけの労働の後に浸かる広いお風呂……これこそまさに、トップアイドルに相応しい至福のバスタイムでしたの!」
えんじ色の芋ジャージのまま、髪から水滴を滴らせたリーザが、腰に手を当ててコーヒー牛乳を一気飲みしている。
「うるせえぞ人魚。風呂上がりくらい静かに休ませろ」
フェイトは長椅子で大の字になり、すでに半分夢の世界へ旅立とうとしていた。
そんな賑やかな宴の輪から少し離れた場所で、赤城鷹人は首にタオルを巻き、濡れた黒髪をかき上げながら、100円ライターでゴールデンバットに火をつけていた。
カチッ、シュボッ。
深く紫煙を吸い込み、夜風に乗せて吐き出す。労働と風呂の後のタバコは、五臓六腑に染み渡る美味さだった。
「……ん?」
鷹人はふと、周囲を見渡して眉をひそめた。
これだけ騒がしいのに、いつもなら「鷹人ぉ! お風呂上がりのマッサージしてあげる!」と、ウサギの耳をパタパタさせて突撃してくるはずの村長――キャルルの姿が、どこにも見当たらなかったのだ。
(……あいつ、大浴場が完成してからずっと姿を見せねえな)
胸騒ぎを覚えた鷹人は、タバコを携帯灰皿にしまい、広場を抜けて村長宅へと向かった。
* * *
村長宅の裏手にある、小さな薬草の調合部屋。
そこからは、淡く青白い光が漏れ出していた。
そっと扉を開けると、むせ返るような薬草の匂いと共に、フラフラと覚束ない足取りで作業台に向かうキャルルの背中があった。
「……もうちょっと。あと少しで、皆の分が……」
キャルルは、自身の月兎族としての魔力を両手に集め、すり鉢の中の薬草に注ぎ込んでいた。
生成されているのは、強力な治癒効果を持つ『月光薬』だ。すでに机の上には、小瓶に詰められた月光薬が何十本も並べられている。
「今日、大浴場を作るために、村の皆も、鷹人もフェイトも、すごく重いものを運んでくれたから……。明日、筋肉痛が残らないように、このお薬を配らないと……」
キャルルの額には脂汗が浮かび、呼吸は荒く、ウサギの耳は力なく垂れ下がっている。
極度の魔力枯渇による、重度の疲労状態だった。
かつてルナミス帝国の王宮にいた頃、彼女は教会のための『ポーション製造機』として、毎日限界まで月光薬を作らされていた。そのトラウマから逃げ出してポポロ村に来たというのに、今度は『大切な村の皆のため』という理由で、自ら進んで限界を越えようとしているのだ。
「……よし、これで最後の一瓶……あ」
無理やり魔力を絞り出した反動で、キャルルの膝からカクンと力が抜けた。
視界が暗転し、冷たい床に向かって体が傾いていく。
「――っ」
地面に顔を打ち付ける寸前。
力強い、ゴツゴツとした大きな腕が、彼女の細い身体をガシリと受け止めた。
「……何やってんだ、暴走ウサギ。テメェの身体は使い捨てのバッテリーじゃねえんだぞ」
「たか、と……?」
薄れゆく意識の中で見上げたのは、わずかに濡れた髪の毛と、タバコの匂いを纏った鷹人の険しい顔だった。
「ごめん、なさい……。でも、みんな疲れてるから、私が村長として……」
「バカ野郎。村長が現場で倒れてどうすんだ」
鷹人はキャルルを軽々と抱き上げると、奥の寝室へと運び、ベッドにそっと寝かせた。
「お前がぶっ倒れたら、せっかく温泉で疲れを取った村の連中が、今度はお前の心配で眠れなくなるだろうが。……自分の『責任』の取り方を間違えんな」
厳しい、けれどどこまでも真剣で温かい叱責。
キャルルは弱々しく微笑み、「うん……ごめんなさい」と呟いて目を閉じた。
(……魔力枯渇で体温が下がってやがる。薬草の知識は俺にはねえが、物理的な体力の底上げなら、俺の管轄だ)
鷹人はキャルルに毛布を掛けると、台所へと向かった。
脳内のインターフェースを開き、残っている【スクラップPt】を消費する。
(カテゴリー:地球の廃棄食料。一番栄養価が高くて、身体の芯から温まるヤツを頼む)
――【廃品召喚:フリーズドライの特製薬膳スープ(参鶏湯風)】
鷹人の手に、銀色のパッケージが現れた。お湯を注ぐだけで、漢方や高麗人参のエキスがたっぷりと溶け出した本格的な鶏のスープが完成する代物だ。
だが、鷹人はそれだけでは終わらない。
村の貯蔵庫から大粒の『生ニンニク』をいくつか取り出すと、100円ライターを取り出した。
チリチリチリッ。
火力を全開にして、ニンニクの表面を直火で炙る。
たちまち、暴力的なまでに食欲を刺激する、香ばしくて強烈なニンニクの匂いが台所いっぱいに広がった。
「……よし。こいつを細かく砕いて、スープにぶち込む」
月光薬のような、神秘的で上品な魔法の薬ではない。
泥臭くて、匂いがキツくて、けれど確実に人間の細胞を叩き起こす『労働者のためのスタミナ食』。それが鷹人のやり方だった。
* * *
「……んん……」
ベッドの上で、キャルルは鼻先をくすぐる強烈な匂いで目を覚ました。
「起きたか」
ベッドの横の丸椅子に、湯気を立てる木の実の器を持った鷹人が座っていた。
「た、鷹人……その、すごい匂いのスープは……?」
「俺の特製、ニンニク増し増し薬膳スープだ。これを飲めば、枯渇した魔力は戻らなくても、体力だけは明日の朝までに全快する」
鷹人は木のスプーンでスープをすくい、フーフーと息を吹きかけて冷ますと、キャルルの口元へと差し出した。
「えっ……あ、あの、私、自分で……!」
「うるせえ。フラフラの腕でこぼされたら、シーツを洗う手間が増えるだろうが。大人しく口を開けろ」
「あ、あうぅ……」
顔を耳の先までリンゴのように真っ赤にしながら、キャルルは小さく口を開け、スープを飲み込んだ。
「……っ!」
瞬間、目を見開く。
鶏の濃厚な旨味と、直火で炙られたニンニクの圧倒的なパンチ力。それが喉を通って胃の腑に落ちた途端、冷え切っていた身体の内側から、爆発的な『熱』が生まれ始めたのだ。
美味しい。そして何より、たまらなく温かい。
「どうだ、食えるか」
「うん……すごく、美味しい……身体が、ポカポカする……」
鷹人が次々と口に運んでくれるスープを飲みながら、キャルルの大きな瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「……王宮にいた時はね。私が倒れるまでお薬を作っても、誰も『休め』なんて言ってくれなかった。ただ、作られたお薬だけを持っていって……私がどんな気持ちでいるかなんて、誰も見てくれなかったの」
キャルルは、毛布の端をギュッと握りしめた。
「だから、ポポロ村の皆には……私の意志で、皆のために何かをしたくて。そうじゃないと、私がここにいる意味がないような気がして……っ」
泣きじゃくるウサギの村長。
鷹人は器をサイドテーブルに置くと、無言で、そのゴツゴツとした大きな手をキャルルの頭の上に乗せた。
「……バカか、お前は」
少し乱暴に、ワシワシと髪を撫で回される。
「お前はもう、薬を作るだけの機械(道具)じゃねえ。このポポロ村の立派な村長で、俺たちの仲間だ」
鷹人の低くて落ち着いた声が、キャルルの心にスッと染み込んでいく。
「俺の現場で、トップが一人で全部を背負い込むことは絶対に許さねえ。……しんどい時は、もっと俺たちを頼れ。フェイトでも、あの騒がしい人魚でもいい。もちろん、俺でもな」
「たか、と……」
「お前が元気で、ウサギの耳立てて笑ってるのが、この村の連中にとって一番の『薬』なんだよ。分かったら、さっさと食って寝ろ」
鷹人はニヤリと笑い、最後の一口をキャルルの口に放り込んだ。
「……うんっ!」
キャルルは涙を拭い、満面の笑みを浮かべた。ウサギの耳が、ピンッと限界まで真っ直ぐに立ち上がっている。
心臓が、早鐘のように打ち鳴らされている。
この不器用で、口が悪くて、ニンニクの匂いがする男のことが、どうしようもなく、狂おしいほどに好きだ。
キャルルの中で、鷹人に対する好感度メーターが、限界を突破して完全に振り切れた瞬間だった。
翌朝。
ポポロ村の広場に、特注の安全靴を履いたキャルルが、凄まじいスピードで走り回る音が響き渡っていた。
「おはようございます! 今日も一日、皆で安全第一で頑張りましょうね!!」
ニンニクと薬膳スープのパワーが効きすぎたのか、かつてないほどの元気と笑顔を振りまく村長の姿に、村人たちも元気よく挨拶を返している。
自警団の詰所の前で、鷹人はコーヒーを飲みながらその光景を眺めていた。
「……チッ。少々、滋養強壮が効きすぎたか」
鷹人は呆れたように笑いながら、ゴールデンバットの煙を、高く澄み渡る朝の空へと吐き出した。




