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EP 10

嵐の前の静かな夜

 鋼鉄の防壁が完成してから、数日が経過した。

 ポポロ村は、これまでにないほどの穏やかな活気に包まれていた。

 ゼニール商会の脅威が去り、圧倒的な存在感を放つ黒光りする防壁が村を囲んだことで、村人たちは夜も安心して眠れるようになった。月見大根の収穫は順調で、タローマートには新鮮な作物が並び、ルナキン・ポポロ支店は連日賑わいを見せている。

「……よし。これで駆動系の軋みは取れたな」

 村の広場の片隅。

 薄汚れた作業着姿の赤城鷹人は、口にゴールデンバットを咥えながら、呼び出した地球の工具セットで村の農機具のメンテナンスを行っていた。

 カチリ、とスパナを置き、首の後ろに手を当てて軽く筋を伸ばす。

 村人から頼まれる細々とした修理仕事。利益など出ないが、鷹人にとっては現場が円滑に回るための大切な「インフラ整備」だった。何より、手を動かしている時間は、元工作部隊員である彼にとって一番落ち着くひとときなのだ。

 ふと視線を上げると、少し離れた丸太のベンチで、金髪の男が静かに座っているのが見えた。

 ポポロ村自警団リーダーのフェイト・ラックだ。

 いつもなら、コイントスをして適当な理由をつけ、いびきをかいて昼寝をしている時間である。しかし今の彼は、最高級のミスリルソードを膝の上に置き、真剣な眼差しで布と砥石を使って刃の手入れを行っていた。

「……明日は雪が降るかもしれねえな」

 鷹人が携帯灰皿を取り出しながら歩み寄ると、フェイトは苦笑して顔を上げた。

「おいおい、現場監督。人が珍しく真面目に仕事してるってのに、そりゃねえだろ」

「パチンカスがコインも弾かずに剣を磨いてるんだ。異常気象を疑うのが普通だろ。……どういう風の吹き回しだ?」

「お前なぁ……」

 フェイトは肩をすくめ、手入れの終わったミスリルソードをカチャリと鞘に収めた。

「あの防壁の建設で、俺の剣をノコギリ代わりにしただろ。おかげで刃先が少しだけ鈍っちまった。……いざって時に斬れ味が鈍ってたら、せっかくお前が稼いでくれた時間が無駄になるかもしれないからな」

「…………」

「それに、あのバカでかい防壁を見上げながら昼寝してると、どうにも背中がムズムズすんだよ。あんな立派なもん作ってもらって、自警団リーダーの俺が怠けてたら、さすがにバチが当たる気がしてよ」

 照れ隠しのように鼻の頭を掻くフェイト。

 ギャンブル感覚で現場をフラフラしていたかつての彼の姿はない。仲間に背中を預け、自らの役割(責任)を果たそうとする『本物の相棒』の顔がそこにあった。

「……上出来だ。その心意気なら、俺も安心して背中を預けられるってもんだ」

 鷹人がニヤリと笑ってゴールデンバットの煙を吐き出すと、フェイトも嬉しそうに笑い返した。

「た、鷹人ぉ……!」

 そこへ、タローマン製の特注安全靴の足音を鳴らしながら、村長のキャルルが小走りでやってきた。

 いつもなら「怪我してない!?」「疲れてない!? 月光薬飲む!?」とヤンデレ気味に距離を詰めてくる彼女だが、今日は様子が違った。

 鷹人の数歩手前でピタリと止まり、背中に両手を回して、もじもじと身をよじらせている。頭の上のウサギの耳も、落ち着きなくパタパタと動いていた。

「どうした、暴走ウサギ。防壁の点検ならさっき終わらせたぞ」

「ち、違うの! その……えっと、鷹人、ちょっとこっち向いて……」

「ん?」

 鷹人が正面を向くと、キャルルは顔を耳の先まで真っ赤にしながら、背中に隠していた両手をサッと差し出した。

「こ、これ……! 受け取って!」

 彼女の小さな手のひらに乗っていたのは、一枚の布だった。

 真っ白な綿の布地に、オレンジ色と緑色の糸で、不器用ながらも一生懸命に『人参』のワンポイント刺繍が施されている。手作りのハンカチだった。

「……ハンカチ?」

「あ、あのね……! 鷹人、いつも作業着の袖で汗を拭いてるから……そのままじゃお肌に悪いし、風邪引いちゃうかもしれないでしょ? だ、だから……私が、夜なべして……その……」

 恥ずかしさの限界に達したのか、キャルルは声のトーンをどんどん落とし、最後は自分のつま先を見つめながら俯いてしまった。

 月兎族の姫君として王宮で育ち、逃げ出した後は冒険者として泥にまみれて生きてきた彼女。針仕事など、今までろくにしたことがなかったはずだ。

 ハンカチの端には、何度も針を刺し間違えたのだろう、ほんの小さな血の滲んだ跡があった。

 鷹人は、咥えていたタバコを携帯灰皿にしまい、無言でそのハンカチを受け取った。

 男のゴツゴツとした大きな手の中に、可愛らしい人参の刺繍が収まる。

「……鷹人……迷惑、だった……?」

 不安げに見上げてくるキャルルの大きな瞳。

「バカ言え。俺みたいな泥だらけの現場の男には、勿体ねえくらいの上等な品だ」

 鷹人はニヤリと笑い、キャルルの頭の上にポンと手を乗せた。

「サンキューな、キャルル。大事に現場で使わせてもらうぜ」

「あ……」

 キャルルの瞳がパァッと輝き、ウサギの耳がピン!と真っ直ぐに立ち上がった。

「う、うんっ! 汚れたら、私がいくらでも洗ってあげるからね!」

 満面の笑みを浮かべるキャルルを見て、少し離れた場所で見ていたフェイトが「青春してんなぁ、現場監督」とニヤニヤしながらからかってくる。

「うるせえ、パチンカス。お前も剣の手入れが終わったなら、村の西側の見回りに行ってこい」

「へいへい、了解だぜ」

 温かな日差しの中、三人の笑い声が広場に響く。

 鷹人は、この満ち足りた静寂を肌で感じていた。

 理不尽な神のくしゃみで飛ばされた異世界。だが、ここには自分の技術を必要としてくれる場所があり、背中を預けられる仲間がいて、不器用な優しさをくれる少女がいる。

(……悪くねえ。本当に、悪くねえ現場だ)

 この平和な日常が、ずっと続いてほしい。

 鷹人も、キャルルも、フェイトも、村人たちも、心からそう願っていた。

 だが、運命という名の理不尽は、いつも不意打ちでやって来る。

     * * *

 同日の夜。

 ポポロ村から数キロ離れた、深く暗い森の奥。

 昼間も太陽の光が届かない鬱蒼とした獣道を、息を荒げながら彷徨う男たちの姿があった。

 鷹人のハッタリ拡声器によって社会的に抹殺され、村から逃げ出した小悪党・ゼニールと、雇われのならず者の残党数名である。

「ハァ……ハァ……クソッ! どいつもこいつも、俺を裏切りやがって……!」

 ゼニールは泥だらけの高価な衣服を引きちぎらんばかりに握りしめ、憎悪に顔を歪めていた。

 ポポロ村を脅迫した悪徳商人として名指しされた結果、彼の商会は即座に国境警備隊の監査を受け、取引先はすべて契約を打ち切った。彼は一日のうちに、すべてを失ったのだ。

「あの薄汚い農民……ウサギの小娘……絶対に許さん! 俺のパトロンに泣きついて、必ずあの村を火の海にしてやる!」

「だ、旦那。もう諦めましょうや。あの村には化け物みたいな奴らが三人もいる。俺たちじゃ手も足も……」

「黙れ! 誰の金で飯を食ってきたと思ってる!」

 ゼニールがならず者に八つ当たりした、その時だった。

 彼らの目の前に、森の木々や蔦に覆い隠されるようにして、巨大な岩壁が存在していることに気づいた。

 いや、ただの岩壁ではない。

 その表面には、幾何学的な不気味な紋様が刻まれ、金属と岩が融合したような異質な扉の形をしていた。

「……なんだ、こりゃ? 遺跡か?」

「だ、旦那。ここは昔から『入らずの森』って呼ばれてる場所です。近寄らねえ方がいい……」

「うるさい! 俺は今、最高にムカついてるんだよ! おい、お前ら! 爆破用の魔法薬ダイナマイトを持ってるだろ! あの扉をぶっ壊せ!」

 完全な八つ当たりだった。ゼニールは鬱憤を晴らすためだけに、未知の遺跡の扉を破壊しろと命じたのだ。

 ならず者たちは渋々、扉の隙間に魔法薬を詰め込み、起爆の魔力を流し込んだ。

 ドゴォォォォンッ!!

 凄まじい爆発音が森を揺らし、巨大な岩と金属の扉が粉々に吹き飛ぶ。

 もうもうと立ち込める土煙。

 ゼニールは狂ったように笑った。

「はーっはっは! 見ろ、粉々だ! あのポポロ村の防壁とやらも、こうして木端微塵に――」

 ゼニールの笑い声が、ピタリと止まった。

 粉塵の奥。

 光の届かない真っ暗な遺跡の深部で、突然、ギョロリと『赤いセンサーの目』が点灯したのだ。

 一つではない。二つ、三つ……そして、一番奥で、それらすべてを統括するような巨大な真紅の複眼が、ギラリと不気味な光を放った。

『……生体反応アリ……魂ノ質量、規定値ニ達セズ……ダガ、起動エネルギーニハ十分……』

 ガシャッ、ギギギギギ……。

 それは、機械と蟲が融合したような、吐き気を催すほどの不快な金属の擦過音だった。

「ひっ……な、なんだアレは……バケモノッ!?」

 ゼニールが腰を抜かし、ならず者たちが悲鳴を上げて逃げ出そうとした。

 だが、遅かった。

 土煙を切り裂いて、巨大なカマキリの鎌のような機械のアームが飛び出し、ゼニールの胴体を無造作に串刺しにした。

「ガ、ハッ……あ……!?」

「だ、旦那ァァッ!?」

 ゼニールが断末魔を上げる暇もなく、その命は吸い尽くされ、ミイラのように干からびて地面に放り出された。

 かつての古代大戦において、世界を恐怖に陥れた死蟲王サルバロスの遺物。

 禁忌の存在――『死蟲将軍機ネクロジェネラル』の封印が、小悪党の八つ当たりという極めて下らない理由によって、解き放たれてしまったのだ。

『……封印解除ヲ確認。……作戦目標、魂ノ刈リ取リト……直近ノ生息地帯ノ殲滅』

 死蟲将軍機の巨大な真紅のセンサーが、森の木々の向こう――多数の生命反応が密集している『ポポロ村』の方角へと、ゆっくりと向けられた。

 ズズン……ズズン……。

 大地を揺らす巨大な足音が、森を侵食し始める。

 平和な宴の夜は終わりを告げた。

 ポポロ村の平穏を根底から破壊する、最悪の理不尽が、すぐそこまで迫っていた。

読んでいただきありがとうございます。

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