第58章 排除
第5部 灰の向こう
灯は。
もう見えなかった。
イロハは。
地下への入口があった方を。
一度だけ振り返った。
灰。
低い壁。
崩れた建物。
どこにあったのか。
もう分からない。
「行くぞ」
「うん」
二人は。
また歩き始めた。
*
灰嵐の後は。
静かだった。
静かすぎるくらいに。
風も弱い。
足音だけが続く。
イロハは。
金属板を見ない。
次の給水地点がある方向だけ。
覚えている。
「ねえ」
「何だ」
「さっきの機械」
「ああ」
「ほんとに、あそこ避けてたと思う?」
「そう見えた」
「何でだろ」
「知らん」
「やっぱり」
「分からんものは分からん」
「うん」
少し間。
「でも、気になる」
「勝手に気にしていろ」
「気にする」
イロハは。
前を見る。
*
少しして。
音。
低い。
遠い。
クルムが止まる。
イロハも止まった。
「灯?」
「ああ」
今度は。
隠れる場所がない。
左右。
崩れた壁。
でも。
どれも低い。
「どうする?」
「動くな」
「隠れないの?」
「間に合わん」
音が近づく。
一つ。
二つ。
三つ。
白い灯。
灰の向こうから現れる。
五機。
以前と同じ。
丸い胴体。
四つの輪。
三本の脚。
ただ。
今度は。
真っ直ぐ。
二人の方へ来る。
「……こっち来てる」
「ああ」
一機が。
高度を下げる。
イロハは。
足を止めたまま。
見上げる。
白い光。
顔。
胸。
足。
順番に。
なぞる。
『――人――』
聞いたことのある声。
イロハは。
少しだけ肩の力を抜く。
『――確認――』
「前と同じ」
小さく言う。
次。
光が。
クルムへ向いた。
*
首。
胸。
腕。
赤い瞳。
牙。
白い光が。
何度も。
クルムをなぞる。
長い。
イロハが。
機械を見る。
「……遅くない?」
答えはない。
光。
止まる。
短い音。
今までと違う。
高い。
鋭い。
『――人――確認――』
イロハ。
もう一度。
『――対象――』
クルム。
機械の灯が。
白から。
強い赤へ変わった。
イロハの顔から。
笑みが消える。
「クルム」
「ああ」
残りの四機も。
同時に。
向きを変えた。
全部。
クルムを見る。
『――対象――確認――』
短い音。
『――危険――』
イロハが。
一歩。
クルムの前へ出た。
「待って」
「下がれ」
「でも」
「下がれ」
声が。
低い。
イロハは。
一歩だけ下がる。
*
先頭の機械が。
開いた。
胴体の下。
細い棒。
一本。
伸びる。
「何するの」
返事の代わりに。
光。
今度は。
白ではない。
強い。
青白い。
閃光。
「っ!」
クルムが腕で顔を覆う。
皮膚。
わずかに。
焼けるような音。
イロハの目が見開く。
「クルム!」
「見るな!」
イロハは顔を背ける。
光。
もう一度。
クルムの肩。
腕。
白い肌が。
赤くなる。
「やめて!」
イロハが。
機械へ石を投げる。
当たる。
小さな音。
何も変わらない。
「イロハ!」
「だって!」
機械の一つが。
今度は。
イロハへ向いた。
白い光。
『――人――』
赤い灯。
消える。
『――保護――』
イロハが。
息を止めた。
「……保護?」
その間にも。
別の機械が。
クルムへ光を向ける。
*
クルムが。
動いた。
一瞬。
地面を蹴る。
機械の横。
手。
掴む。
そのまま。
叩き落とす。
金属。
地面へ。
大きな音。
一機。
壊れる。
「クルム!」
「走れ!」
「一緒に!」
「先に行け!」
残り四機。
散る。
上。
左右。
囲む。
細い音。
何かが。
飛ぶ。
クルムが。
イロハを押す。
直後。
地面へ。
細い杭のようなものが突き刺さった。
「何これ」
「止まるな!」
イロハは走る。
クルムも続く。
後ろ。
機械の音。
追ってくる。
*
崩れた建物。
狭い隙間。
イロハが。
先に入る。
「こっち!」
クルムも。
身体を滑らせる。
その瞬間。
背後。
光。
青白い閃光。
「っ……!」
クルムの身体が。
壁へぶつかる。
「クルム!」
「行け」
「無理」
「行け!」
イロハは。
戻った。
クルムの腕を掴む。
「一緒に行く」
「足手まといだ」
「今それ言う?」
引く。
ほとんど。
動かない。
それでも。
離さない。
クルムが。
イロハを見る。
「手を離せ」
「嫌」
短い間。
また。
機械の音。
近い。
クルムが舌打ちする。
「なら走れ」
「うん」
*
二人で。
狭い通路を抜ける。
外。
低い広場。
逃げ場。
少ない。
イロハが。
左を見る。
崩れた高架。
その下。
暗い穴。
「あそこ!」
「行くぞ」
走る。
その時。
機械が。
上から降りる。
一機。
イロハの前。
白い光。
『――人――保護――』
進路を塞ぐ。
「どいて!」
機械は動かない。
後ろ。
別の機械。
クルムへ。
赤い灯。
『――危険――排除――』
光。
クルムが。
イロハを掴む。
引く。
位置を入れ替える。
閃光。
今度は。
背中。
直撃した。
クルムの身体が。
前へ倒れる。
「クルム!」
イロハが。
支える。
重い。
「立てる?」
「ああ」
「嘘」
「走れる」
「それも嘘」
「なら担ぐか?」
「無理」
「なら走れ」
イロハは。
歯を食いしばる。
「分かった」
*
機械。
三機。
まだ動いている。
一機は。
イロハを追う。
二機は。
クルムを狙う。
違う。
同じように追っているわけではない。
イロハが。
走りながら気づく。
「クルム!」
「何だ!」
「私には撃ってこない!」
「ああ!」
「じゃあ」
足を止める。
「何をしている!」
イロハが。
クルムの前へ出た。
両手を広げる。
「イロハ!」
機械。
止まる。
赤い光。
クルム。
白い光。
イロハ。
狙いが。
揺れる。
『――人――』
『――保護――』
『――対象――』
音。
重なる。
機械が。
撃たない。
「……やっぱり」
イロハが。
一歩。
クルムと機械の間に入る。
「私が邪魔なら撃てない」
「馬鹿か」
「でも止まった」
「次もそうとは限らん」
「じゃあ早く行って!」
クルムが。
イロハを見る。
「今度は私が前」
「調子に乗るな」
「今だけ!」
*
イロハが。
前。
クルムが。
そのすぐ後ろ。
少しずつ。
高架の下へ。
機械は。
追う。
でも。
撃たない。
『――人――保護――』
『――対象――危険――』
繰り返す。
イロハの背中。
汗。
足。
震える。
それでも。
止まらない。
高架まで。
あと少し。
その時。
一機が。
横へ回った。
「右!」
クルムが。
イロハを引く。
細い杭。
飛ぶ。
クルムの脇腹へ。
刺さる。
「っ……」
「クルム!」
クルムが。
杭を掴む。
抜く。
血。
赤い。
服へ広がる。
イロハの顔が。
固まる。
「血」
「見るな」
「でも」
「行くぞ」
*
高架の下。
暗い。
狭い。
機械が。
入りにくい。
二人は。
奥へ。
さらに。
崩れた壁の間へ。
音が。
遠くなる。
それでも。
赤い灯が。
外。
行き来している。
イロハは。
クルムを見る。
「座って」
「平気だ」
「座って」
今度は。
強く言う。
クルムが。
少し見る。
それから。
壁へ背を預ける。
イロハが。
脇腹を見る。
血。
まだ。
止まっていない。
「治らないの?」
「治る」
「遅い」
「少しな」
「何で」
クルムは答えない。
イロハが。
顔を見る。
「クルム」
「何だ」
「何で遅いの」
少し沈黙。
「血が足りん」
イロハの表情が変わる。
*
外。
機械の声。
遠く。
『――対象――』
『――捜索――』
イロハは。
息を止める。
「まだ探してる」
「ああ」
「私じゃなくて」
「ああ」
クルムを見る。
赤い瞳。
白い肌。
血。
「吸血鬼だから?」
「そうだろうな」
「昔から?」
「分からん」
「でも」
イロハは。
外を見る。
「人は守る」
「ああ」
「クルムは排除する」
「ああ」
その言葉が。
妙に。
嫌だった。
イロハは。
膝を抱える。
「そんなの」
「何だ」
「勝手じゃん」
「機械に言え」
「言ってる」
外へ向かって。
小さく。
「勝手」
クルムが。
少しだけ。
笑った。
「聞こえんぞ」
「いいの」
*
しばらく。
二人とも。
黙る。
機械の音。
遠く。
近く。
また遠く。
イロハは。
クルムの脇腹を見る。
血は。
少しずつ。
減っている。
でも。
傷は。
まだ閉じない。
「クルム」
「何だ」
「血が足りないって」
「ああ」
「いつから?」
「少し前から」
「何で言わなかったの」
「言う必要がない」
「ある」
「ない」
「ある」
クルムが。
イロハを見る。
「お前に言えば、何が変わる」
イロハは。
すぐには答えなかった。
自分の腕を見る。
包帯。
その下。
あの夜。
自分の血を差し出した時のことを。
思い出す。
「……変わるよ」
「何が」
「私が知る」
「それだけだ」
「それでいい」
クルムは。
何も言わなかった。
*
外で。
突然。
大きな音。
機械。
一機。
高架の縁へ。
赤い灯。
差し込む。
『――対象――確認――』
クルムが立とうとする。
イロハが。
先に立った。
「待って」
「退け」
「また私の後ろ」
「イロハ」
「撃てないんでしょ」
「確実ではない」
「でも今は」
赤い光。
白い光。
イロハをなぞる。
『――人――保護――』
機械が。
一瞬。
止まる。
イロハは。
そのまま。
一歩。
前へ。
「クルムに近づかないで」
通じない。
分かっている。
それでも言う。
「私が一緒にいる」
機械。
沈黙。
短い音。
『――保護対象――』
白い光。
イロハ。
『――分離――』
イロハの顔が。
変わる。
「……分離?」
機械の横。
細い腕が開く。
クルムへ。
もう一度。
赤い灯。
『――危険対象――』
『――分離――』
クルムが。
イロハの肩を掴む。
「下がれ」
「嫌」
「今度は何だ」
「これ」
機械を見る。
「私を助けるんじゃない」
白い灯。
赤い灯。
二つ。
「クルムから離そうとしてる」
次の瞬間。
高架の奥で。
何かが。
大きく崩れた。




