第59章 離れた足音
第5部 灰の向こう
轟音とともに、地面が沈んだ。
「イロハ!」
クルムの手が肩を掴む。
次の瞬間、足元が消えた。
*
灰も、石も、金属も。
全部が一緒に落ちていく。
「っ……!」
身体が何かへぶつかり、そのまま転がった。
暗い。
上ではまだ崩れる音が続いている。近くでは、金属がひしゃげる音もした。
イロハは両腕で頭を守り、その場で身を縮めた。
少しして。
ようやく静かになる。
「……クルム?」
返事はない。
「クルム!」
立とうとして、右足首に痛みが走った。
「っ」
でも、動く。
立てる。
「クルム!」
声だけが暗闇へ広がった。
*
上を見る。
崩れた隙間から、細い光が差している。
灰がまだ少しずつ落ちてくる。
クルムの姿はない。
代わりに、遠くから機械の声が聞こえた。
『――保護対象――』
『――捜索――』
イロハの顔が強張る。
「まだいる」
声を小さくする。
壁へ手をついた。冷たい。
ここは地下だ。
昔の通路かもしれない。
高架の下にあった何か。
イロハは足元から石を一つ拾い、前へ投げた。
から。
から。
止まる。
床はある。
もう一つ。
少し左へ投げる。
今度は音がしない。
イロハはその方向へ行かなかった。
「右」
自分に言い聞かせる。
ゆっくり、一歩。
もう一歩。
*
「クルム」
小さく呼ぶ。
返事はない。
少し進む。
また呼ぶ。
「クルム」
何もない。
暗い中に響くのは、自分の足音だけだった。
それが嫌だった。
でも、立ち止まらない。
壁。
床。
天井。
一つずつ確かめる。
通路の途中に、大きな亀裂があった。
イロハは石を落とす。
少しして、下から音が返った。
「深い」
飛ばない。
別の道を探す。
*
左に、身体一つが通れそうな細い隙間があった。
イロハは手を入れる前に石を投げる。
何も起きない。
肩からゆっくり入った。
服が壁へ擦れる。
その先は、少し明るかった。
「出口?」
急がない。
足元を確かめながら進む。
けれど。
そこは外ではなかった。
別の空間。
広い。
天井も高い。
床には、細い線路のようなものが何本も伸びている。
「……何ここ」
返事はない。
当然なのに。
イロハは少しだけ唇を噛んだ。
*
奥に、小さな灯が一つ残っていた。
まだ生きている。
イロハはすぐには近づかず、周囲を確認する。
飛ぶ機械はいない。
音もない。
壁には古い表示が残っている。
文字は読めない。
でも、図なら分かる。
人。
矢印。
階段。
「人の道」
小さく呟く。
矢印は二つ。
一つは上。
もう一つは横。
イロハは上を見た。
クルムがどちらへ落ちたのかは分からない。
でも、崩れたのは高架の奥だった。
自分は下へ落ちた。
「上」
そう決めた。
*
階段は途中で崩れていた。
「……また」
上まで、あと少し。
でも、大きな隙間がある。
手すりも半分ない。
イロハは下を見る。
暗い。
飛べない。
跳ばない。
周りを見る。
壁際に、細い管が横へ続いていた。
その上なら、どうにか足を乗せられそうだった。
「これ」
近づく。
すぐには乗らない。
手で押す。
動かない。
石を少し強く当てる。
金属音。
錆は落ちる。
でも、折れない。
イロハは片足だけ乗せ、少しずつ体重をかけた。
大丈夫。
もう片方も乗せる。
壁へ身体を寄せたまま、ゆっくり進む。
*
途中で、管が軋んだ。
イロハは止まる。
「……動くな」
自分に言う。
呼吸を一度。
ゆっくり。
足を戻さない。
前を見る。
残りは三歩ほど。
一歩。
もう一歩。
最後。
手を伸ばし、階段の縁を掴む。
身体を引き上げる。
床へ転がった。
しばらく、そのまま動かなかった。
「……できた」
誰も答えない。
イロハは少しだけ笑った。
すぐに立ち上がる。
*
上の通路には、薄く灰が入り込んでいた。
外に近い。
遠くから、機械の音がする。
イロハは壁際へ寄り、息を殺した。
白い灯が一つ、通路の向こうを横切る。
『――人――』
身体が固まる。
光が入口をなぞる。
『――保護対象――捜索――』
「……私」
機械はイロハを探している。
クルムではなく。
分けるために。
イロハはさらに身体を隠した。
「嫌」
小さく言う。
機械が遠ざかる。
*
その時。
別の音がした。
低い衝撃。
遠くで、金属が潰れる。
イロハが顔を上げる。
もう一度、大きな音。
その後。
赤い光が一瞬だけ壁へ反射した。
「クルム」
考える前に足が動いた。
でも、すぐに止める。
走らない。
音の方向を確認する。
外は近い。
機械もいる。
イロハは金属板を出しかけた。
ここは載っていない。
すぐにしまう。
「自分で行く」
*
通路の角で石を投げる。
何もない。
次に、頭だけ出す。
広場。
崩れた柱。
赤い灯。
一機。
地面へ落ちている。
壊れている。
その向こう。
灰の上に、ほんの少しだけ血があった。
赤い。
イロハの表情が変わる。
「クルム」
近づく。
一滴。
その先に、また一滴。
「こっち」
追う。
*
血は細く続いていた。
多くはない。
でも、途切れていない。
崩れた壁。
狭い通路。
また外。
途中で、機械の声がした。
『――危険対象――』
イロハが止まる。
前。
赤い灯。
一機。
クルムは見えない。
でも、血はその向こうへ続いている。
「どうしよう」
機械が道を塞ぐ。
イロハを見ると、灯が白へ変わった。
『――人――』
『――保護――』
近づいてくる。
イロハは一歩下がった。
「来ないで」
機械は止まらない。
『――保護対象――確保――』
「確保?」
細い腕が開き、イロハへ伸びる。
「嫌!」
避ける。
機械が追う。
速い。
*
イロハは崩れた柱の間へ入った。
機械もついてくる。
白い光が何度もイロハをなぞる。
『――停止――』
「しない!」
走る。
前。
行き止まり。
「嘘」
振り返る。
機械が近い。
イロハは石を拾って投げる。
当たる。
効かない。
もう一つ。
その時。
上にある崩れかけた板が目に入った。
石を投げる。
板に当たり、少しだけずれる。
イロハはもう一度拾う。
同じ場所へ。
投げる。
板が傾く。
「もう一回」
さらに一つ。
投げる。
板が落ちた。
大きな音。
機械の上へ直撃する。
白い灯が消えた。
*
イロハは息を切らしながら、動かない機械を見る。
「……壊した」
少しだけ怖くなる。
でも、すぐに血の跡を探す。
戻る。
続きはある。
「クルム」
また追う。
*
通路。
坂。
上。
少しずつ外の光が増えていく。
その時。
遠くから声がした。
「――イロハ!」
イロハが止まる。
「クルム!」
返事。
「動くな!」
「どこ!」
「そのまま!」
声は近い。
でも、姿が見えない。
「クルム!」
「いる!」
イロハの目が少し潤む。
それでも動かなかった。
言われた通り。
待つ。
*
次の瞬間。
横の壁の向こうから大きな衝撃がした。
石が崩れる。
「わっ!」
穴が開く。
舞い上がる灰。
その向こうに。
クルムが立っていた。
服は破れている。
脇腹には血。
顔も少し白い。
「クルム」
「ああ」
イロハは一歩近づく。
それから、止まる。
「ほんとにいる」
「見れば分かる」
「分かってる」
もう一歩。
今度は止まらない。
クルムの服を強く掴んだ。
「離すなって言ったのに」
「落ちたのはお前だ」
「クルムもいなくなった」
「同じだ」
「同じじゃない」
「何が違う」
「私、探した」
クルムが黙る。
「逃げられたけど」
イロハは掴んだ手を離さない。
「戻った」
「なぜ」
すぐに答える。
「クルムがいたから」
短い沈黙。
遠くから、まだ機械の音が聞こえる。
クルムはイロハの手を見る。
それから、顔を見る。
「馬鹿だな」
「知ってる」
「死ぬぞ」
「一人でも死ぬ」
クルムは何も言わない。
イロハは少しだけ笑った。
「なら、一緒の方がいい」
*
遠くに赤い灯が一つ見えた。
また近づいてくる。
クルムが壁へ手をつく。
身体がわずかに揺れる。
イロハはすぐに気づいた。
「やっぱり平気じゃない」
「歩ける」
「血、足りないんでしょ」
「今はいい」
「よくない」
「イロハ」
イロハは自分の腕を見る。
包帯。
その下。
血。
もう迷わなかった。
「次は私が決める」
クルムの目が細くなる。
「何を」
イロハは腕を押さえたまま、クルムを見る。
「クルムが生きる方」




