第57章 生きているもの
第5部 灰の向こう
外へ出ると。
景色が変わっていた。
灰嵐が。
地面の形まで変えている。
積もっていた灰は削られ。
逆に。
大きく盛り上がった場所もある。
昨日まで見えていた壁が。
半分。
埋まっていた。
「道、消えた」
「ああ」
イロハは金属板を見る。
線は残っている。
でも。
目印にしていたものがない。
「また探し直し」
「嫌なら戻るか」
「戻らない」
すぐ答える。
クルムが見る。
「迷わないな」
「戻る方も分かんないし」
「そういう理由か」
「それもある」
イロハは。
金属板をしまった。
数歩。
歩く。
そこで。
振り返った。
地下への入口。
灰嵐で。
周囲の灰がほとんど吹き飛ばされている。
蓋が。
前よりずっと目立っていた。
「……これ」
「何だ」
「見つかっちゃうね」
「誰に」
イロハは空を見る。
連なる灯。
今は。
見えない。
「機械とか」
*
イロハは入口へ戻った。
クルムが見る。
「何をする」
「隠す」
「なぜ」
「だって」
蓋を見る。
その下。
水。
緑。
「もしあの機械が来て」
少し考える。
「壊したら嫌だから」
「壊すとは限らん」
「分かってる」
灰を両手で集める。
蓋の端へ。
少しずつ。
「でも、直すとも限らない」
クルムは何も言わない。
イロハは。
吹き飛ばされた灰を戻していく。
全部は無理。
それでも。
金属の縁だけでも。
見えにくくする。
「手伝って」
「私が?」
「クルムの方が早い」
「都合のいい時だけ使うな」
「お願い」
少し間。
クルムがしゃがんだ。
片手で灰を寄せる。
「やった」
「黙って動け」
「うん」
*
二人で。
入口を隠す。
標識までは。
どうしようもない。
イロハは。
斜めに立つ標識を見る。
人。
階段。
下向きの矢印。
「これも隠した方がいい?」
「機械が読むものかどうか分からん」
「人のためっぽいもんね」
「ああ」
イロハは少し考えた。
「じゃあ残す」
「なぜだ」
「人が来るかもしれない」
クルムが見る。
「水が必要な人」
「いると思うのか」
「分かんない」
イロハは。
標識に積もった灰を。
少しだけ払った。
「でも、いたら困るでしょ」
「何が」
「隠しすぎたら」
地下への蓋は目立たない。
でも。
標識は残す。
探せば。
人なら気づける。
「これくらい」
イロハが言った。
「誰のためだ」
「分かんない」
少し笑う。
「私たちみたいな人」
クルムは。
何も言わなかった。
*
歩き出して。
しばらく。
イロハが止まった。
「待って」
「何だ」
靴。
その横。
小さな石。
何かが。
動いた。
「今」
しゃがむ。
「何かいた」
「触るな」
「触らない」
目を凝らす。
灰色の石。
その隙間。
小さなもの。
指の爪よりも。
ずっと小さい。
白っぽい。
細い脚。
「虫?」
クルムもしゃがむ。
小さな生き物が。
石の陰へ隠れる。
「そう見える」
「生きてる」
「ああ」
イロハの顔が。
ぱっと明るくなる。
「緑だけじゃない」
「ああ」
「虫もいる」
「ああ」
「じゃあ」
言いかけて。
止まる。
もっと。
いるかもしれない。
植物。
虫。
別の何か。
見えないだけで。
どこかに。
「世界、死んでないじゃん」
クルムは。
すぐには答えなかった。
「全部はな」
イロハが。
クルムを見る。
少しして。
笑った。
「うん」
*
その時。
遠く。
低い音。
二人とも。
顔を上げた。
「灯?」
「ああ」
イロハは。
近くの崩れた壁を見る。
「隠れる」
今度は。
クルムに言われる前に。
身体を低くする。
二人で。
壁の陰へ。
音が近づく。
灰の向こう。
一つ。
白い灯。
その後ろ。
もう一つ。
三つ。
四つ。
連なる。
「また来た」
イロハは小さく言った。
飛ぶ機械は。
以前より。
高いところを進んでいる。
ゆっくり。
まっすぐ。
そのままなら。
地下への入口の上を通る。
イロハが。
無意識に息を止める。
「見つかる?」
「静かにしろ」
灯が。
近づく。
一機。
先頭が。
わずかに向きを変えた。
「……あれ」
イロハが目を細める。
列全体が。
曲がっていく。
地下への入口を。
避けるように。
大きく。
横へ。
「なんで?」
クルムも見る。
灯は。
地下の真上へ来ない。
半円を描くように。
離れていく。
そのまま。
元の方向へ戻った。
「偶然?」
「分からん」
「でも」
イロハは。
地下への入口を見る。
「避けたように見えた」
「ああ」
*
灯が遠ざかる。
イロハは。
すぐには立たなかった。
「前から?」
「何がだ」
「あそこを避けてたのかな」
「可能性はある」
「じゃあ」
地下の水。
緑。
虫。
機械。
頭の中で。
つなげようとする。
「機械は知らない?」
「何を」
「下に水があること」
「それなら、避ける理由にはならん」
「じゃあ知ってる?」
「それも分からん」
イロハが。
眉を寄せる。
「どっち」
「分からんものは分からん」
「またそれ」
クルムは。
灯の消えた方を見る。
「ただ」
「何?」
「あの場所だけ、経路から外れている可能性はある」
「経路」
「あの機械が巡る道だ」
イロハは金属板を出した。
灯の線。
給水施設。
修理施設。
いくつもの点。
地下へ逃げ込んだ場所は。
そのどこにもない。
「ほんとだ」
下向きの矢印。
水。
葉。
自分で刻んだだけ。
機械の地図には。
なかった。
*
「じゃあ」
イロハは金属板を見る。
「ここだけ別?」
「何からだ」
「機械の道から」
「そう見える」
「エデンとも?」
「それは分からん」
イロハは。
葉の印を指でなぞる。
「だったら」
少し考える。
「これ、機械には教えない方がいいのかな」
「誰に聞いている」
「クルム」
「お前が決めろ」
「やっぱり」
イロハは。
金属板を見つめる。
エデンでは。
何でも記録されていた。
森。
海。
人。
吸血鬼。
失われたものまで。
残されていた。
でも。
あの地下の緑は。
記録ではない。
今。
生きている。
「教えない」
イロハが言った。
「理由は」
「分かんないものに触らせたくない」
「ずいぶん曖昧だな」
「でも」
金属板をしまう。
「私たちが何もしなくても、生きてたから」
クルムを見る。
「だったら、そのままがいい」
クルムは。
少しだけ。
目を細めた。
「そうか」
*
二人は。
また歩き始めた。
次の給水地点へ。
でも。
イロハは。
何度か。
後ろを振り返った。
地下への入口は。
すぐ。
灰の中へ見えなくなった。
「気になるか」
「ちょっと」
「戻るか」
「戻らない」
「即答だな」
「だって」
前を見る。
「残すって決めたから」
クルムは何も言わない。
しばらく。
二人の足音だけ。
*
少しして。
イロハが口を開いた。
「クルム」
「何だ」
「昔は」
「何だ」
「森とか花とか」
少し考える。
「いっぱいあったんでしょ」
「ああ」
「それでも、大事だった?」
クルムが。
わずかに振り返る。
「何が」
「一個の花とか」
白い花。
エデンで見た。
夜に咲く花。
「たくさんあったら」
イロハは続ける。
「一個くらいなくなっても、気にしないのかなって」
クルムは。
しばらく答えなかった。
「人による」
「クルムは?」
「……気にしないものもあった」
「じゃあ、気にするのも?」
「あった」
「何?」
「しつこい」
「知りたい」
「今は話さない」
「今は?」
クルムが前を向く。
「ああ」
イロハは。
少しだけ。
足を速めた。
クルムの隣まで。
「じゃあ、いつか」
「勝手に待て」
「待つ」
それ以上は。
聞かなかった。
*
遠く。
灰の向こう。
灯が一つ。
小さく見える。
それは。
地下の水がある場所とは。
違う方向を進んでいる。
イロハは。
もう追わなかった。
金属板も出さない。
自分たちが歩く先を見る。
機械が知っている道。
機械が知らない場所。
その両方が。
この世界には残っている。
そして。
灰の下では。
小さな葉と。
小さな生き物が。
今も。
誰にも命令されずに。
生きていた。




