↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終わりの名を持つ君へ  作者: そらいろは
第5部 灰の向こう

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/60

第55章 灰嵐

第5部 灰の向こう

 最初の雫までは。


 まだ遠い。


 金属板の上では。


 修理の場所から。


 いくつかの点を辿れば着く。


 でも。


 地面には。


 その線はない。


 イロハは遠くを見る。


 灰。


 崩れた建物。


 低い丘。


 その向こう。


 何も見えない。


「こっち」


 左へ向かう。


 クルムが続く。


「理由は」


「地面が高いから」


「それだけか」


「向こうは沈んでる」


 右手。


 灰の下に。


 黒い亀裂が何本も走っている。


「それに」


 金属板を見る。


「次の雫は、たぶんこっち」


「たぶんか」


「飛ぶ機械の道だから」


 板をしまう。


「歩けるところは自分で探す」


 クルムは何も言わなかった。


     *


 風が。


 少し強くなった。


 最初は。


 それだけだった。


 灰が。


 足元を滑っていく。


 薄く。


 横へ。


 イロハは目を細める。


「また風」


「ああ」


「今日ずっと吹いてない?」


「そうだな」


 歩き続ける。


 少しして。


 風が。


 また強くなった。


 イロハの髪が。


 顔へ張りつく。


「痛い」


「布を巻け」


「うん」


 鞄から布を出す。


 口。


 鼻。


 覆う。


 目までは。


 隠せない。


 灰が。


 頬へ当たる。


 細かい石みたいに。


 痛い。


 クルムが空を見る。


「止まれ」


 イロハも止まった。


「何?」


「向こうを見ろ」


 風上。


 遠く。


 灰色の空。


 その下。


 もっと濃い灰色。


 地面から。


 空まで。


 つながっている。


「雲?」


「違う」


 イロハは目を凝らす。


 濃い灰色が。


 少しずつ。


 広がっている。


 その前を。


 細かなものが。


 ものすごい速さで流れている。


「……あれ、何」


「来るぞ」


     *


 風が。


 一気に変わった。


 音。


 低く。


 大きい。


 遠くで。


 何かが崩れ続けているような音。


 イロハの足元を。


 灰が走る。


「クルム」


「戻る」


 イロハは振り返る。


 来た道。


 修理の建物。


 もう。


 見えない。


「どっち?」


「後ろだ」


「分かってる。でも」


 灰。


 灰。


 全部同じ。


 金属板を出す。


 風で。


 手が揺れる。


 刻んだ線。


 修理施設。


 給水施設。


 でも。


 目印にしていた建物が。


 見えない。


「分かんない」


「私が先に行く」


 クルムが前へ出る。


 イロハは一歩続く。


 その時。


 横から。


 風。


「っ!」


 身体がよろける。


 腕を掴まれた。


 強く。


 引き寄せられる。


 イロハの肩が。


 クルムの腕へぶつかった。


「低くしろ」


 イロハは膝を曲げる。


 灰が。


 目の前を横切る。


 さっきまで見えていた。


 クルムの背中が。


 もう。


 ぼやけている。


「これ、まずい?」


「ああ」


 珍しく。


 短い答えだった。


 また。


 強い風。


 クルムの手が。


 イロハの腕から離れる。


 前へ進むために。


 その瞬間。


 イロハは自分からクルムの服を掴んだ。


 背中。


 腰の少し上。


「何だ」


「見えないから」


「離すな」


「うん」


 それだけ。


 クルムは前を向いた。


 イロハも。


 掴んだ手を離さなかった。


     *


 二人は。


 来た方向へ戻ろうとした。


 けれど。


 数十歩。


 進んだところで。


 クルムが止まる。


 イロハも。


 服を掴んだまま止まった。


「何?」


「違う」


「何が」


「地面だ」


 イロハは下を見る。


 灰。


 その下。


 見覚えがない。


 大きな金属板。


 半分。


 地面から出ている。


「ここ通ってない」


「ああ」


「ずれた?」


「風でな」


 イロハは後ろを見る。


 何もない。


 前も。


 何もない。


 金属板を見る。


 意味がない。


 線は。


 場所と場所をつないでいるだけ。


 今。


 自分たちがどこにいるのかが。


 分からない。


「戻れない」


 クルムがイロハを見る。


「まだ決めるな」


「でも」


「止まればいい」


 イロハは口を閉じた。


 風。


 灰。


 視界。


 狭くなる。


 戻る。


 進む。


 どちらも。


 同じだった。


 イロハは金属板をしまった。


「隠れる」


 クルムが少しだけ目を動かす。


「どこに」


「探す」


「離れるな」


「分かってる」


 今度は。


 言われなくても。


 クルムの服を掴み直した。


     *


 二人は。


 進むのをやめた。


 遠くへ行かない。


 見える範囲だけ。


 探す。


 イロハは。


 地面。


 壁。


 崩れたもの。


 一つずつ見る。


 風を避けられる場所。


 屋根。


 穴。


 何でもいい。


 灰の向こう。


 黒い影。


「あそこ」


「近づくな」


「見るだけ」


 二人で。


 ゆっくり近づく。


 倒れた壁。


 高さ。


 イロハの胸くらい。


 その裏。


 風が少し弱い。


「ここ?」


「長くは持たん」


 壁が揺れている。


 小さな石が落ちる。


「じゃあ駄目」


 すぐ離れる。


 次。


 低い建物。


 入口。


 潰れている。


「入れない」


「屋根も危ない」


「次」


 イロハは風に背を向ける。


 目を開ける。


 少し。


 前。


 灰の中に。


 細い棒。


 斜め。


 地面から出ている。


「標識?」


 近づく。


 板。


 文字。


 読めない。


 でも。


 その下。


 絵。


 人。


 階段。


 下向きの矢印。


 イロハの手が止まる。


「クルム」


「ああ」


「下」


 標識の根元。


 灰を払う。


 硬い縁。


 さらに払う。


 四角。


「入口?」


 クルムがしゃがむ。


 灰を押し退ける。


 金属。


 大きな蓋。


 端に。


 くぼみ。


「開く?」


「やってみる」


 クルムが指をかける。


 動かない。


 もう一度。


 力を入れる。


 金属が。


 低い音を立てる。


「固い?」


「錆びている」


「壊す?」


「必要ならな」


 風が。


 さらに強くなる。


 標識が大きく揺れた。


 イロハがクルムの肩越しに外を見る。


 灰しかない。


「必要」


「ああ」


     *


 クルムが蓋を引く。


 金属が歪む。


 音。


 大きい。


 隙間。


 暗い。


 その中から。


 冷たい空気。


「開いた」


「先に入れ」


「クルムは?」


「後ろから閉める」


 イロハは。


 すぐに階段へ足を置かない。


 石を拾う。


 中へ落とす。


 から。


 から。


 何段か。


 転がる。


 最後。


 硬い音。


「階段ある」


「行け」


「うん」


 身体を。


 隙間へ入れる。


 一段。


 二段。


 三段。


 暗い。


 でも。


 外より。


 風がない。


「クルム」


「いる」


 後ろ。


 銀白の髪が。


 灰の向こうから見える。


 それでも。


 イロハは階段の途中で止まった。


「先、行け」


「見えなくなる」


「すぐ行く」


「……分かった」


 もう二段。


 下りる。


 でも。


 それ以上は行かなかった。


 上を見る。


 クルムが入る。


 その姿が。


 完全に中へ入ってから。


 イロハは息を吐いた。


 クルムが蓋へ手をかける。


 風が。


 隙間から。


 唸る。


「閉まる?」


「手伝え」


「うん」


 二人で。


 引く。


 クルムが大半を動かす。


 イロハも。


 端へ手をかける。


 少しずつ。


 外の光が。


 細くなる。


 灰が。


 中へ吹き込む。


 最後。


 重い音。


 蓋が閉じた。


     *


 暗闇。


 風の音だけ。


 上。


 金属越し。


 低く。


 響いている。


 イロハはその場に座り込んだ。


「……怖」


「今さらか」


「怖いものは怖い」


 息を整える。


 布を外す。


 口の中。


 ざらざらする。


 水筒を出す。


 一口。


 口をすすぐ。


 飲む。


 蓋を閉める。


 少しして。


 水筒をクルムの方へ差し出した。


「飲む?」


「いらん」


「喉、乾かないの?」


「お前ほどではない」


「そっか」


 水筒を戻す。


 それから。


 暗闇を見る。


「ここ、大丈夫かな」


「少なくとも外よりはな」


 クルムの声。


 暗い。


 顔は。


 ほとんど見えない。


「戻らなくてよかった?」


「何?」


「修理のところ」


 少し沈黙。


「途中で迷っていた」


「うん」


「無理に戻れば、今も外だ」


 イロハは膝を抱える。


「そっか」


 少しして。


「クルム」


「何だ」


「さっき」


「何だ」


「私、離れた?」


「離れていない」


「ちゃんと掴んでた?」


「ああ」


「ならいい」


「何がだ」


 イロハは答えなかった。


 暗闇の中。


 少し手を伸ばす。


 隣。


 すぐ近く。


 クルムの腕に。


 指先が触れた。


「あ」


「何だ」


「いるか確認しただけ」


「声が聞こえているだろう」


「暗いから」


 手を引く。


 クルムは何も言わなかった。


 少しして。


 今度は。


 イロハの肩に。


 何かが軽く触れた。


 クルムの手。


 一度だけ。


 そこに置かれる。


「いる」


 すぐ離れた。


 イロハは暗闇の中で少しだけ笑った。


「うん」


     *


 少し待つ。


 灰嵐は。


 弱くならない。


 むしろ。


 金属の蓋が。


 時々。


 震える。


「ここで待つ?」


「ああ」


「どれくらい?」


「知らん」


「朝まで?」


「朝が分かるのか」


「分かんない」


 イロハは暗闇を見る。


 階段。


 下。


 まだ続いている。


「奥、見ていい?」


「待つだけなら必要ない」


「でも」


 耳を澄ます。


「何だ」


「風の音じゃないのがする」


 クルムも黙る。


 二人。


 聞く。


 上。


 轟く灰嵐。


 その下。


 もっと小さい音。


 一定ではない。


 ぽつ。


 少し間。


 ぽつ。


「聞こえる?」


「ああ」


「何?」


「分からん」


 イロハは立ち上がった。


「見る」


「一人で行くな」


「行かない」


 すぐ答える。


「一緒に」


 少し間。


「……ああ」


     *


 クルムが前。


 イロハが後ろ。


 階段を下りる。


 一段。


 また一段。


 壁。


 冷たい。


 空気も。


 少し湿っている。


 暗くなる。


 イロハの手が無意識に前へ伸びる。


 クルムの服。


 今度は。


 裾ではなく。


 袖の端を掴んだ。


 クルムは振り返らない。


「見えない」


「分かっている」


「離れないで」


「お前が離すな」


「うん」


 それで。


 歩く。


 イロハが壁へ手を伸ばして触れる。


「冷たい」


「ああ」


 指先に残る冷たさは、エデンで感じたものとは違った。


 作られた感触ではなく。


 目の前の石が。


 本当に冷えている。


 イロハはもう一度だけ壁を撫でた。


 階段の下。


 細い通路。


 暗い。


 クルムが先へ進む。


 イロハは。


 片手で壁を触り。


 もう片方で。


 クルムの袖を掴んだまま。


 続く。


 十歩。


 二十歩。


 ぽつ。


 音。


 近い。


「また」


「ああ」


 さらに進む。


 足元。


 少し。


 感触が変わった。


 イロハが止まる。


 クルムも同時に止まった。


「待って」


「何だ」


 イロハが袖を離す。


 しゃがむ。


 指先で。


 床を触る。


 乾いた灰ではない。


 少し。


 冷たい。


「濡れてる」


 クルムも見る。


 暗くて。


 よく分からない。


 イロハは指先を擦る。


 湿っている。


「水?」


「まだ触るな」


「もう触った」


「……」


「ごめん」


 クルムが小さく息を吐く。


「口に入れるな」


「うん」


 立ち上がる。


 イロハの手がまた同じ袖を探した。


 今度は。


 一度で見つかった。


     *


 通路の奥。


 ほんの少し。


 明るい。


「光?」


「違う」


 近づく。


 天井。


 細い亀裂。


 どこかから。


 わずかな光が入っている。


 その下。


 壁際。


 黒いもの。


 イロハが目を凝らす。


「何かある」


 しゃがむ。


 袖を離す。


 手を伸ばす。


「待て」


 止める。


 今度は。


 触らない。


 顔を近づける。


 黒い。


 でも。


 灰とは違う。


 その端。


 ほんの少し。


 色。


「……緑?」


 クルムが隣へしゃがむ。


 肩が。


 触れそうなくらい近い。


 イロハは息を止めた。


 灰色しかなかった世界の中。


 壁の割れ目。


 濡れた石。


 そこに。


 小さな。


 本当に小さな。


 緑があった。


「クルム」


「ああ」


「これ」


 声が。


 小さくなる。


「本物?」


 クルムはしばらく見ていた。


 そして。


 短く答えた。


「ああ」


 イロハは笑った。


 声を立てずに。


「エデンじゃない」


「ああ」


「触っても消えない?」


「おそらくな」


「水も」


「ああ」


「風も、作り物じゃない」


「上のあれを喜ぶな」


「灰嵐は嫌」


 イロハは緑を見る。


「でも」


 少し黙る。


「ここに来なかったら、見つけなかった」


 クルムは何も言わない。


「私だけでも」


 緑。


 暗い通路。


 閉じた蓋。


 その向こうの灰嵐。


「たぶん、ここまで来られなかった」


 クルムがイロハを見る。


「私だけでも、これを見つけられなかった」


 イロハが顔を上げる。


「ほんと?」


「私は緑を探していない」


「そっち?」


「他に何がある」


 イロハは少し笑った。


「じゃあ」


 もう一度。


 小さな緑を見る。


「二人で見つけた」


 クルムは答えなかった。


 でも。


 否定もしなかった。


 上では。


 灰嵐が。


 まだ世界を叩いている。


 その下。


 誰にも見つからない場所で。


 二人は。


 肩を並べて。


 小さな緑を見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。