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終わりの名を持つ君へ  作者: そらいろは
第4部 選ぶ道

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第48章 災厄の記録

第4部 選ぶ道

 雑音だけが残っていた。


 ざらざらと。


 壊れた音。


 その奥で。


 かすかに、何かが鳴る。


 イロハは耳を澄ませた。


 息のような音。


 続いて。


 子どもの声らしきもの。


 けれど。


 言葉になる直前で、消えた。


 雑音まで。


 一瞬だけ。


 何も聞こえなくなる。


 そして。


 また、ざらざらとした音が戻った。


「……?」


 イロハは画面を見る。


 しばらくすると。


 もう一度。


 息のような音。


 子どもの声。


 そこで切れる。


 無音。


 雑音。


 イロハは眉を寄せた。


 三度目も同じだった。


「クルム」


 クルムは動かない。


 赤い瞳だけが、暗い画面を見ている。


「これ」


 イロハは画面を指す。


「同じところで切れてる」


 返事はない。


「壊れてるんだよね?」


「ああ」


「でも」


 また。


 子どもの声。


 途切れる。


 その直後だけ。


 不自然なほど、何もない。


「壊れてるなら、こんなふうに毎回同じところだけ消えるの?」


 クルムの目がわずかに細くなった。


「知らん」


 短い答えだった。


 イロハは画面へ近づこうとする。


 その時。


「触るな」


 低い声。


 足が止まった。


 いつものクルムとは違う。


「……分かった」


 イロハは手を下ろした。


 理由は聞かなかった。


 画面から一歩離れる。


 すると。


 壊れた記録の光が弱くなった。


 完全には消えない。


 人と牙。


 その間に残った欠けた印。


 そして。


 声の消える場所だけ。


 細い空白が残っていた。


 記録そのものが欠けているのか。


 そこだけ、何かが失われたのか。


 イロハには分からない。


 ただ。


 壊れているというだけでは、少し変な気がした。


 もう一度。


 子どもの声が聞こえかける。


 けれど。


 やはり同じ場所で消えた。


 イロハは一度だけ見て。


 別の壁へ向いた。


     *


 他の記録が並んでいる。


 人。


 牙。


 建物。


 機械。


 いくつもの印。


 その中に。


 赤い輪で囲まれた牙があった。


 イロハは足を止める。


「これ」


 クルムも見る。


 何も言わない。


 印の下には文字。


 イロハには読めない。


「読める?」


 少し間があった。


「一部だけ」


「何て?」


 クルムは目を細める。


「……災厄」


 イロハの指が止まった。


 知っている言葉。


 村で。


 何度も聞いた。


 祠。


 封印。


 吸血鬼。


 災厄。


「これが?」


「ああ」


 イロハは印を見る。


 赤い輪。


 牙。


「見てもいい?」


 クルムは答えなかった。


「嫌なら、やめる」


 しばらく。


 沈黙。


「好きにしろ」


 声はいつもと同じだった。


 でも。


 イロハはすぐには触れなかった。


 一度、クルムを見る。


 それから。


 指を伸ばした。


     *


 夜だった。


 町。


 火。


 最初から燃えていた。


 高い建物ではない。


 石と木で作られた家々。


 人々が逃げている。


 叫び声。


 割れる音。


 走る足音。


 その中を。


 一人の男が歩いていた。


 白い肌。


 青みを帯びた銀白の長い髪。


 深い赤の瞳。


 イロハは息を止める。


「……クルム」


「ああ」


 若く見えるわけではない。


 姿は。


 今とほとんど変わらない。


 でも。


 違う。


 歩き方。


 目。


 人を見る時の顔。


 何も残っていないように見えた。


 記録の中のクルムへ、人間が武器を向ける。


 数人。


 十人。


 もっと。


 矢。


 刃。


 光。


 それらが一斉に飛ぶ。


 クルムは避けなかった。


 身体に刺さる。


 傷ができる。


 それでも歩く。


 次の瞬間。


 人間が吹き飛んだ。


 壁へ。


 地面へ。


 音が途切れる。


 イロハの指がわずかに動いた。


 止めようとはしない。


 ただ。


 見ている。


 一人。


 また一人。


 倒れる。


 逃げる者もいた。


 追われる者も。


 建物が崩れる。


 火が広がる。


 イロハは唇を噛んだ。


「これ」


 声が出ない。


 一度息を吸う。


「全部、クルムが?」


「私がやった」


 即答だった。


 言い訳も。


 否定もない。


     *


 記録が続く。


 別の町。


 門が壊れている。


 その前に。


 銀白の髪。


 また。


 別の場所。


 橋。


 燃えている。


 その向こうに。


 同じ姿。


 さらに。


 人間の集団。


 倒れている。


 壁には。


 赤い牙の印。


 その横に、増えていく数字。


 イロハには読めない。


 けれど。


 何かを数えていることは分かる。


「これ、何の数?」


 クルムが見る。


「被害だろう」


「人?」


「おそらくな」


 数字が増える。


 また。


 増える。


 イロハは途中で見なくなった。


 代わりに。


 記録の中のクルムを見る。


「止まらなかったの?」


「止まらなかった」


 返事は短い。


「止められなかった?」


 今度は。


 少し間があった。


「違う」


 イロハが見る。


「止めなかった」


 その言葉の方が。


 ずっと重かった。


     *


 人間たちも。


 ただ逃げているだけではなかった。


 対策を始めていた。


 太い鎖。


 光る杭。


 地面へ描かれた紋様。


 複数の人間が。


 同じ動きをしている。


 記録の端に文字。


『――拘束――』


『――再生――』


『――封鎖――』


 クルムが一部を読む。


「私を止める方法を探していた」


「この頃に?」


「ああ」


 最初の試み。


 失敗。


 鎖が切れる。


 人間が倒れる。


 次。


 別の形。


 また失敗。


 それでも。


 やめない。


 人間は記録する。


 試す。


 変える。


 また試す。


 イロハはその様子を見ていた。


「怖かったんだね」


「誰が」


「人間」


 クルムは答えない。


「クルムが」


 少し言葉を探す。


「止まらなかったから」


「ああ」


 今度は否定しなかった。


     *


 その時。


 別の吸血鬼が映った。


 イロハは目を見開く。


 一人。


 また一人。


 白い肌。


 赤い瞳。


 銀色ではない髪。


 黒に近い髪の者。


 淡い金色の者。


「クルム以外にも」


「ああ」


「いた」


「当然だ」


 人間と戦っている者。


 逃げている者。


 人間を庇っている者。


 拘束されている者。


 記録の中には。


 いくもの吸血鬼がいた。


「みんな、クルムと一緒だったの?」


「違う」


「仲間じゃない?」


「違う」


「でも戦ってる」


「理由はそれぞれだ」


 クルムは画面を見る。


「私のように人間を殺した者もいる」


 別の場所。


 人間を逃がす吸血鬼。


「人間側に残った者もいる」


 さらに。


 遠くへ逃げる一団。


「関わらずに消えた者も」


 イロハは黙る。


 吸血鬼。


 それも。


 一つではない。


 人間と同じ。


 同じ種族でも。


 選んだものは違った。


     *


 記録の中心が。


 再びクルムへ戻った。


 今度は。


 大きな町。


 周囲を何重もの壁が囲んでいる。


 人間が集まっている。


 これまでより多い。


 武器。


 杭。


 地面の紋様。


 どれも。


 以前のものとは違う。


「これ」


 イロハが言う。


「前より変わってる」


「ああ」


「クルムを止めるため?」


「ああ」


 クルムが近づく。


 記録の中の自分を見る。


「何度も失敗して、作り直した」


「それで」


 イロハは息を止める。


 記録の中。


 クルムが町へ入る。


 人間たちが動く。


 地面が光る。


 周囲から。


 何本もの線。


 クルムの身体へ絡みつく。


 彼が腕を動かす。


 一つ切れる。


 さらに。


 別の線。


 また別の線。


 次々に。


 身体へ。


 イロハの視線が動く。


「これが……」


「そうだ」


 クルムの声は静かだった。


「封じるためのものだ」


 記録のクルムが暴れる。


 地面が割れる。


 人間が吹き飛ぶ。


 それでも。


 紋様は消えない。


 何十人。


 何百人。


 遠くにいる者まで。


 一つの仕組みを動かしている。


 クルムが膝をつく。


 初めて。


「……」


 イロハは何も言えなかった。


 さらに光が重なる。


 姿が見えなくなる。


 そして。


 画面が白く染まった。


     *


 再現が止まる。


 白い部屋。


 壁には。


 文字だけが残っている。


 赤い牙。


 その上に。


 一つの大きな印。


 クルムが読む。


「……封印成功」


 イロハは横を見る。


「ここで?」


「ああ」


「祠にいたのも」


「あれは、もっと後だろう」


「後?」


「封じたものを移したか。作り直したか」


 クルムは壁を見る。


「私は知らん」


「眠ってたから?」


「ああ」


 イロハは少し考える。


 三千年。


 その間に。


 クルムを封じる場所も。


 人間の世界も。


 何もかも変わった。


     *


 文字が進む。


 クルムが封じられた後。


 吸血鬼の記録は終わっていなかった。


 残っている。


 まだ。


 何人も。


 人間の町にいる者。


 逃げる者。


 隠れる者。


 戦う者。


 けれど。


 人間側の技術も。


 もう以前とは違う。


 拘束。


 封じる。


 弱らせる。


 記録する。


 一つずつ。


 確実に。


「クルムを封じた方法を」


 イロハが呟く。


「他の吸血鬼にも使った?」


「そうだろうな」


 人間たちは。


 方法を変える。


 相手に合わせる。


 逃げられれば追う。


 効かなければ作り直す。


 吸血鬼の印が。


 一つ。


 また一つ。


 地図から消えていく。


 イロハは何も言わず見ていた。


「クルム」


「何だ」


「この時」


 地図を見る。


「本当に何も知らなかった?」


「ああ」


「ずっと眠ってた?」


「ああ」


「じゃあ」


 言葉が止まる。


 クルムが眠っている間に。


 同じ種族が。


 減っていった。


 消えていった。


 目が覚めた時。


 世界には。


 何が残っていたのか。


 イロハは聞かなかった。


     *


 記録が終わる。


 壁に残ったのは。


 赤い牙。


 そして。


 文字。


 クルムがそれを見る。


「何て書いてある?」


「……災厄」


 同じ言葉。


「クルムのこと?」


「ああ」


 イロハは少し黙る。


「嫌じゃないの?」


「何が」


「そう呼ばれるの」


「事実の一部だ」


「一部?」


 クルムは壁を見る。


「町を壊した」


「ああ」


「人を殺した」


「ああ」


「だから、災厄」


「ああ」


 全部。


 否定しない。


 イロハは胸の前で手を握った。


「でも」


 クルムが見る。


「この記録」


 イロハは壁へ近づく。


「途中からしかない」


「何?」


「最初」


 赤い牙の印。


 その前。


 何もない。


 いきなり。


 燃える町。


 人を殺すクルム。


 そこから始まっている。


「どうしてこうなったのかがない」


 クルムは答えない。


「クルムが人を殺したことは残ってる」


「……」


「町を壊したことも」


 イロハは壁を見る。


「でも」


 少し離れたところ。


 さっきクルムが触るなと言った。


 欠けた記録。


 人。


 牙。


 その間。


「その前がない」


 クルムの赤い瞳が。


 一瞬だけ。


 壊れた記録へ向いた。


 イロハはそれを見た。


 けれど。


 追わなかった。


     *


「クルム」


「何だ」


「一つだけ聞いていい?」


 返事はない。


 それでも。


 イロハは聞いた。


「理由があった?」


 長い沈黙。


 白い部屋。


 音もない。


 やがて。


 クルムが口を開いた。


「あった」


 それだけ。


「でも」


 イロハが言う。


「理由があったら、やったことはなくなる?」


「ならん」


 迷いのない答えだった。


 イロハは少し驚く。


 クルムは続ける。


「理由が何であれ、殺した者が戻るわけではない」


 赤い瞳が。


 記録の中の燃える町を見る。


「壊したものもな」


 イロハは何も言えなかった。


 庇う言葉も。


 責める言葉も。


 すぐには出てこない。


 だから。


 言わなかった。


 代わりに。


 もう一度、壁を見る。


 残っているのは。


 結果ばかりだった。


 燃えた町。


 死んだ人。


 封じられた吸血鬼。


 消えていった種族。


 でも。


 そこへ至るまでに。


 誰が何を言ったのか。


 何を失ったのか。


 何を選んだのか。


 記録にはない。


 イロハは小さく息を吐いた。


「まだ、分かんない」


「何が」


「クルムのこと」


 赤い瞳がイロハを見る。


「でも」


 イロハは壊れた記録へ目を向けた。


「分かんないまま決めるのは、やめる」


 クルムは何も言わなかった。


 イロハも。


 それ以上は聞かなかった。


 白い壁の上で。


 欠けた記録だけが。


 弱い光を繰り返していた。

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